14話 告解の火曜日
降誕祭が過ぎ、蝋燭が灯される聖燭祭が訪れ、そして告解の火曜日が近づいてきた。
弓兵や衛兵たちが浮足立っている。
俺が弓を習いに来ても、気もそぞろだ。
「明後日はフットボール大祭だなァ!」
楽しみでたまらないという声だ。
告解の火曜日は娯楽の日、普段は禁止されている遊びも例外的に許される日だった。
「おい、ジェイデン! お前も声変わりしたんだからモブフットに参加するか」
「今年こそは勝つぜ! 外野のボール見張りやらねえか。賢くてすばしっこいやつじゃないと務まらねぇ」
弓兵のトマスとトロルドが誘ってくれる。
声変わりすれば、半分くらいは大人の扱いだ。
俺の声はずいぶん低くなって、背は高くなっている。背丈では弓兵長のロジャーを追い越した。
「興味がないわけじゃないけど」
モブフットなんて、正直なところ俺はまったく参加したいと思わなかった。無意味に怪我するなんて下らない。
とはいえ世話になっている弓兵のトマスとトロルドに、ケンカを売るつもりはない。
「ペトロニラの薬造りが忙しくなるから、行かせてもらえないよ。だいたいそういうのに参加して怪我したら、ペトロニラのぎょろ目が血走るじゃないか」
俺の言い訳に弓兵たちは笑う。
「はは、ペトロニラの婆が怖いか。たしかにあの婆さまは、モブフットより怖ェな」
「情けねえなあ。男だったら参加しろよ」
騒いでいると弓兵長のロジャーがやってくる。
「おいおい、無理に誘うなよ。ペトロニラのババァが怖いだろ。オレだってあのババァには首が竦んじまう」
ひょうきんに首を竦めて笑えば、トマスとトロルドは笑いながら引き下がってくれた。
俺より背が低くなっても、やっぱりロジャーは頼もしい大人だ。
「んじゃ、ジェイデンも見物には来いよ。今年は絶対に勝つからな!」
フットボール大祭。
城陣営と村陣営に男たちが別れて、豚の膀胱を追う競技だ。
決まり事はただひとつ。
ボールを敵の陣地に入れること。
全員が目の色変えて、ボールに群がる。奪うための殴り合いは当然、ボールなんか飛んでこない隅っこでもケンカが勃発する。
ボールを敵陣へ投げ入れるという名目の大乱闘会だ。
毎年、大怪我する男が山積みになるせいで、ペトロニラは渋い顔をしていた。ご領主さまとて怪我人が続出する競技なんて、本当は全面禁止したいらしい。とはいえ伝統的なうっぷん晴らしを取り上げられず、年に一度だけ許可していた。
告解の火曜日が目前になってくると、ペトロニラは湿布だの軟膏だのをたくさん仕込み始める。
調薬小屋は薬の匂いで飽和していた。
「皮膚までならマンドレイクの湿布でいいけど、肉まで達していたら狼ナスビの軟膏じゃないと手に負えない。どんなに仕込んでおいても、空っぽになるんだからね」
俺は鵞鳥脂と鹿脂と雄山羊の脂を、それぞれみっつの鍋で焦がさぬよう温めた。ペトロニラがみっつの脂とさまざまな薬草を調合し、母は木べらで軟膏を陶器の壺に詰めていた。
エドガーさまとジョンは隅で毛皮を敷いて、タブラ双六に興じている。ダイスの目に一喜一憂だった。
薬草と脂の匂いさえ気にならないなら、仕込みの火で小屋は隅々まで暖かい。
「ジェイデン。鵞鳥の脂はあと聖寵あれかし、海の星ひとつ唱えてから、鍋を上げてくれ。メアリは陶器壺を一度棚に片付けて、五徳をこっちに持ってきな」
ペトロニラは一瞬の休みなく手を動かしているのに、俺たちの手元まで目が行き届いている。
感心しながら、俺は聖寵あれかし、海の星を静かに歌う。
脂の暖めがひと段落して、飲料用の鍋を掛けた。
「ペトロニラ。明日のモブフットだけどさ」
その単語を発した瞬間、ペトロニラから不機嫌な空気が立ち上った。ニワトコの薪から立ち上がる炎より威圧感がある。
言い出すのを取り消したくなったけど、中途半端にやめると火に油を注ぐだけだから、続きを伝えるしかない。
「弓兵たちから見物だけは来いって、誘われたんだ。昼から覗きに行っていいかな」
「馬鹿も休み休み言いな。あんなくだらない乱痴気騒ぎに近づいて、巻き込まれたらどうするんだい。去年はトロルド、ベネット、ジョージが骨折。トマスが足首の捻挫。一昨年はウィリアムが脱臼と捻挫と骨折して、オズウェンのあばらにヒビが入ったんだ。三年前はアダムだったかね、前歯を折って顔の半分がぱんぱんに腫れちまってさ。それを抜歯屋に抜かせたせいで、余計に腫れがひどくなっちまって。抜歯屋なんてどいつもこいつも詐欺師だよ」
よく覚えているものだ。
このくらい記憶力だからこそ、難しい薬の調合だって覚えていられるのかもしれない。
「どいつもこいつも余計な手間をかけさせて、薬を無駄に消費してほんとにまったくイラつくねぇ。ペトロニラ婆ァはケチだから、ねちっこく覚えているからね。馬鹿どもが怪我さえしなきゃ、この軟膏だってあかぎれや霜焼けに回せるってぇのにさ」
忌々しい記憶を掘り返しているペトロニラに、エドガーさまが近づいた。
「モブフットってなに?」
「馬鹿の馬鹿さ加減をぶちまける馬鹿の日さ。若君たちはこれでも食ってな」
火箸で灰をかき回す。火種の近くに埋めておいた林檎を、エドガーさまとジョンに投げつけた。何とも乱暴だが、熱いおやつが現れたふたりは喜んで、袖で灰を拭いて齧る。
「ほら、ジェイデンも」
灰塗れの暖かな林檎を受け取る。
熱で硬さと渋みが抜けた林檎は、胃をふんわり温めてくれた。
ペトロニラは毒が抜けたのか、空気が和らいだ。
「ジェイデン。忌々しい行事とはいえ、誘われて覗きに行かないもの不義理だろうよ。見物だけとはいえ泥だらけで危ないから、靴に滑り止めの紐を忘れるんじゃないよ。新しい紐を結んでおいき」
「ありがとう。怪我には注意するよ」
「ふん。むしろ怪我させないように気を付けな。あんたは血が昇ったら、何するか分かりゃしないんだから」
「俺はそんな乱暴者じゃないよ」
ちょっとだけ覗いて、知り合いを見つけたら手を振って、すぐに帰ろう。
俺はそのつもりだった。
そう。
見物している俺の前に、ボールが飛んでこなければよかったのに。
俺はボールから慌てて離れる。
ペトロニラの言いつけは破れないし、母さんを悲しませたくない。
だけどそんな俺を、村の男連中は笑い飛ばした。
「なんだァ、タマ無しか?」
「ありゃ城に上がったメアリの息子だよ、情けねぇ息子を産んじまったもんだなァ」
「へぇ。だから代わりにご領主さまに股開いて、まともな息子をひりだしたのか」
「そんくらいご領主さまじゃなくても、オレらが手伝ってやれ………」
言いかけた男の口に、小石を投げつけた。
俺はもう聞きたくなかった。
小石を噛んでしまった男の顎に、肘鉄を喰らわす。石を舌ごと噛んだのか、噴き出す前歯と鮮血。
ぬかるんだ地面ですべり、昏倒する。
後頭部を殴打した。あれは起き上がれない。追撃しなくていい。
「なにしやがんだっ、クソガキっ!」
すぐ隣に突っ立っていた巨躯が、俺に襲い掛かってきた。だけど地面が柔らかいせいで滑り、ふらりと上体が揺れる。
俺は思いっきり踏み込んだ。滑り止めのおかげで踏ん張れる。
鼻っ柱へ裏拳を叩きこむ。
「ぎゃっ! よくもっ…この…ざけんなっ!」
男は呻きを上げる。それでも巨躯は太い腕を振って、俺に一撃を当てようとしていた。大ぶりの杜撰な動きだ、躱せないわけがない。
身を屈めながら、真正面から膝を踏みつけ、骨を折ってやる。ここを折れば歩けない。
倒れた巨躯を踏み台にして、駆けて、跳び、近くにいた男の頭に回し蹴りを喰らわす。首から上を刈り取るように。
「ぐわ…っ」
着地で転ばぬように、身を低く縮め、間合いを測る。
ふらついた男へさらに腹に一撃。狙うは肝臓。
全体重を乗せた渾身の肘鉄。
「ぅおげっ、うぇ………」
男は血を吐いた。
どす黒い血。
この色は内臓からの血だ。こんな血を吐いたやつはしばらく動けない。
鼓膜には、囃し立ての片手笛と腰太鼓。
視界には、泥飛沫と血飛沫。
覚えているのはここまでで、次に気づいた時には敵陣地にボールを抱えて立っていた。
水曜の小部屋は、灰の静けさだった。火曜の大乱闘が嘘みたいだな。
俺は騒音から切り離されて、裸のまま藁布団に寝かされている。青あざがいくつかと、擦り傷と掠り傷ばかりだ。
大したことなかったのに、母さんの顔は灰色になっていて、ペトロニラはぎょろっとした目をさらに見開いて血走らせていた。
ふたりで肩や膝を揉んで、関節を痛めていないか確認している。
「足首にも湿布しておくよ。まったく手間かけさせて」
「ごめん、ペトロニラ」
「ふん。あんたの馬鹿さ加減に、罵倒もできないくらい呆れているよ。このペトロニラ婆ぁの忠告は、右から左に素通りしたってわけかい? その頭に中身が入ってないんじゃ、素通りするしかないだろうね」
これに言い返したらお小言が増えるだろうな。
黙っていれば減るわけでもないけど。
「頑丈な身体に産んでくれたメアリに感謝しな。からっぽ頭でもそれくらいできるだろ? 一応、夕飯まで寝てな。飯食った後にまた軟膏を塗っておくんだよ」
ペトロニラが湿布を巻き終わり、怒りながら小部屋から出て行ってしまった。
母さんとふたりきりになる。
気まずい。
言いつけを破って大乱闘してしまった居た堪れなさが、全身に伸し掛かってくる。
「母さんもいいよ。エドガーさまとジョンが心配だ」
「………そうね。わたしはあの子たちを見てるから、お前はきちんと養生してね」
ひと眠りから覚めれば、繕い終わった肌着と夏用のチュニックが置かれている。
俺は夏用と冬用、晴れ着のチュニックだけ持っている。着れないほど泥まみれになってしまえば、夏用で我慢するしかない。
袖を通して、夕食に降りた。
まだ早いが、寝ころんでいるのも堪える。エドガーさまたちはどうしておられるだろうか。
廊下を歩いていると、エドガーさまがちょうどボール遊びをしておられた。ジョンも一緒だ。
「ぼくの陣地は小部屋かな」
「じゃあおれの陣地は大寝室ね!」
まさか城内でモブフットを行うつもりか。
「おやめください」
ふたりの襟首を引っ掴めば、エドガーさまの青い瞳が俺を映して輝く。
「あ! ジェイデン! 勇猛果敢って、みんな褒めてたよ」
「兄さん、大活躍したんだって、イングランド一の兵士になれるって!」
右腕にエドガーさまが抱き着き、左腕にジョンが抱き着く。
どっちも満面の笑みだが、俺の気分は最悪だった。
「ジェイデン、指は怪我してないよね。おれの弓兵隊長になるんだから」
「ご心配おかけしました。掠り傷程度ですよ。それより告解の火曜日以外、モブフットは禁止です。そもそもああいった野蛮な娯楽は、ご領主さまの御心に適うものではありません」
俺の言葉に、青い瞳と緑の瞳が揃って呆ける。
「ジェイデンは大活躍したのに……」
「俺も反省しています。二度しません」
金輪際、あの野蛮な騒乱に近づくまい。
「母さんは?」
「メアリなら父上に呼ばれて行っちゃったよ。ハーワードがさっきまでいたけど、いなくなってた」
またサボってるのか。
どこにいったのかと探していると、廊下の角でエドマンドさまとアミーリアに鉢合わせてしまった。
蒼い瞳は酷薄に俺を一瞥する。
「見苦しい顔だな」
「へーえ。兄上は自分が年がら年中蒼褪めてるの知ってて、そんなこと言うの?」
言い終わらぬうちに、エドガーさまが口を開いた。
「ぅ………」
エドマンドさまは呻く。
「侍医に瀉血してもらって香を焚いて、いつ良くなるの? その蒼褪めた顔!」
俺のせいで兄弟仲が悪化しては申し訳ない。早くエドガーさまを宥めて、連れていこう。
「そんな可哀想なこと言わないでくださいませ、エドガーさま」
やたら芝居がかった高音を発したのは、アミーリアだった。
金のハシバミの瞳を潤ませて、大きく腕を広げ、そして祈るように手を組む。劇団員の真似だろうか。
「いくらジェイデンの方が自分のお兄さんだったらよかったとお思いでも、エドマンドさまがお可哀想でありませんか。実の兄君を蔑ろにするなんて!」
何を言いだすんだ。
あまりにも考えが無さ過ぎる。
その日からエドマンドさまの憎悪の対象は、俺になった。
エドマンドさまが俺を忌み嫌おうが、ご領主さまは母とジョンは庇護してくれていた。
俺はそれで十分だった。




