13話 四十日間の聖史劇
お帰りになられたご領主さまは、なんとも素晴らしい土産を引き連れていた。
ウェストミンスターの大劇団だ。
舞台を乗せた荷馬車が下庭を陣取って、大掛かりな装置や緞帳が屋根下へと運び込まれていった。王都からやってきた劇団員たちはみな端正で、都会の匂いを漂わせている。下働きの少年でさえ、髪の切り方が垢ぬけていた。
酪農女や洗濯女、麦醸婦に至るまで、ウェストミンスターの劇団に蕩けている。どの役者が美しいとか、凛々しいとか、まったくかまびすしい。
エドガーさまも瞳を輝かせ、歩廊から中庭を見下ろしていた。
「すごいや! 百人くらいいるね」
「五十名余りだ」
ご領主さまから訂正が入る。
「父上、この劇団をお抱えにしたの?」
「お抱えではないが、春までは城に住まわす契約だ。降誕祭までの四十日かけて、聖史劇を演じてもらおうと思ってな」
四十日続く聖史劇。
聖母マリアの受胎告知から、馬小屋の誕生、カサエルの銀貨、姦婦の石打ち、グラナダのマリア、ユダの銀貨三十枚、ゴルゴタの丘、そして復活までの聖史を上演していくのだ。
「おれは聖ジョージの竜退治がいい!」
「聖者の物語か。劇団が演じられるならば、そのうちにな」
「絶対に竜退治だからね!」
チュニックに縋りついて頼み込んでおられる。
この城に劇団が訪れるなど、俺の知る限り初めてだ。エドガーさまもこれが稀だと察しているから、必死で頼んでおられるのだろう。
「ねえ、父上。劇団のひとたち、もっと近くで見てきていい?」
「邪魔にならんようにな。馬に蹴られぬように用心するのだぞ」
エドガーさまはお許しを得て、ジョンと一緒に、劇団員の荷馬車や舞台を覗きに行く。
裏手に回れば、旅装束の吟遊詩人がいた。防寒用サーコートを着込み、驢馬に荷を掛けているが、旅をする時期ではない。
「え? 吟遊詩人辞めるの?」
「いいえ。今年はデレク卿……ご領主さまのお従弟君のお屋敷で、歌わせて頂きます。あちらのお屋敷に抱えられている吟遊詩人が、風邪で喉を腫らしてしまったそうで。代わりにわたくしめが参るのです。春には戻ってまいりますよ」
「絶対だよ! おれ、また竜退治の武勲詩を聞かせてもらうから」
吟遊詩人を見送った。
「いっちゃったね」
エドガーさまが重い溜息をつく。
ひとときの別れがそれほど悲しいのだろうか。
「兄上が寝床から出てきて、隣で劇見るのかな」
心の底から嫌そうな声であった。
正餐後の大広間で聖史劇の支度が整う。ご領主さまをはじめ、老騎士のゴドフリー殿や城代官や騎士たち、侍女らも観劇に集まってきた。
俺と母も、エドガーさまとジョンの子守役として、正面の席を許された。
すぐ近くにマーガレットさまもいらっしゃる。侍女たちに取り囲まれ、フランス語でお喋りしているご様子は、まこと華が咲いたようだった。
ただエドマンドの若君はいらっしゃっていない。
ご領主さまはエドマンドさまの乳母やと何か話し込んでいらっしゃる。やや眉間に眉を顰めていた。
………もしや吟遊詩人を遠ざけて、大劇団を招いたのは、エドマンドさまを寝床から出てこさせるためだったのだろうか。
いや、憶測をあれこれ巡らすのは失礼だろう。
ご子息の体調不良に、ご領主さまは心痛めているだけかもしれない。
「吟遊詩人も独り占めできないのに寝床なんて、つまんないだろうね」
エドガーさまが意地悪い口調で嘯いた。
座長があらすじを語り、聖史劇の幕が上げられる。
天使の役者が天井から釣り上げられ、衣は蝋燭のひかりを浴びながら揺れていた。ゆるりゆるりと下がっていく天使に、聖母マリアは怯えるように待つ。
いくつもの合奏と合唱に支えられ、神々しいばかりだった。
「天使さまが聖母さまに告知する時、ドラゴンが登場してさらった方が面白いよ」
聖史劇の幕が下りて、エドガーさまの感想が放たれた。
「絶対、ドラゴンは出てくるべきだよ。それで天使さまが勇敢な騎士さまを見つけて、聖母さまを助けに行くんだ」
「聖史劇は歴史ですよ。変えては意味がないでしょう」
俺がそう言うと、エドガーさまはジョンを撫でる。
「ジョンだって竜退治の方がいいよな」
「ぅーん………」
うつらうつらと頷く。
「ジョンもそう言ってる」
「そうですね。そろそろ寝に行きましょうか」
「おれはまだ眠くない」
だけどジョンはほとんど眠りに沈んでいた。エドガーさまが撫でてもキスしても、瞼が重そうなままだった。
「じゃあおれも小部屋で寝る」
「畏まりました」
ジョンを抱え、エドガーさまと手を繋ぎ、城の回廊を歩く。
底冷えする石造りの廊下に、か細い音色が響いている。これは指弾琴か。
鼓膜に障る音域だった。頭の中を引っ掻かれているみたいで気分が悪い。苛立ちさえ催す。
教会の宗教画に描かれている天使は、指弾琴を奏でているが、こんな耳障りなのだろうか。天使から奪われて、悪魔がかき鳴らしているなら、こんな音になるかもしれない。
「赤毛の侍女だよ」
エドガーさまは素っ気なく呟く。だが不機嫌そうな顔つきだった。
「アミーリア、ですか?」
「うん。兄上は歌の無い音が好きだから、たまに弾かせているみたい」
吟遊詩人の代わりか。
……吟遊詩人の代わりだけなら、問題ないのだが。
「歌の無いのつまんない。でも姉上のオルガンは好き。あったかい感じがする。ジェイデンは?」
「もちろんマーガレットさまの奏でられるオルガンこそ、この地上に齎されし天上の音楽。まこと清らなる響きであらせられます」
音楽だったら、マーガレットさまが奏でられる抱えオルガンの方が好ましい。柔らかくて、包まれてるようで、あれこそ幸せな音楽だ。
俺はマーガレットさまの奏でる音色を想う。
「うん。姉上のオルガンがいちばんだ」
エドガーさまは満足げに微笑んだ。
赤毛のアミーリアが登城して三ヶ月。
城の尖塔が雪化粧する頃、あの赤毛は恥も外聞もなく、エドマンドさまの傍に侍るようになっていた。




