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真珠のコルヌコピア  作者: 猫目石琥珀
飼い犬の回想譚
13/43

8話 病弱な跡取り



 矢狭間から覗き、遥か下方の前庭に並ぶ木板を狙う。

 俺は弓を構え、矢を番え、弦を引き絞って、放つ。

 矢は従順だ。どこまでも俺の望み通りの軌跡を描き、俺の願い通り穿つ。

「ジェイデンは筋が良いねェ」

 弓兵長ロジャーが掛け値なしに褒めてくれた。

 ロジャーは三十路をいくつか越えているだけなのに、頭巾(コイフ)からはみ出る毛が薄いせいで齢より上に見えた。右腕は太く長く、左手が分厚い。小柄だから、やたらと左右の腕の違いが目立つ。

 いかにも弓一筋で生きてきた男の体躯だった。

「良い導き手のおかげだし、俺ばっかり習う時間が多いだろう」

 ご領主さまの厚遇で、俺は指南代を免除されていた。

 本来だったら指南代としてエールを出し、週に一度、日曜のミサの後にだけ習うのだ。

 俺はほとんど毎日、弓兵長につきっきりで教えてもらってる上に、矢をどれだけ使っても構わない。上達するはずだ。

「このまま弓が上達すれば、正規の弓兵になって守備隊に加われるかな」

「ああ、そりゃ間違いねェな。お前さんは傷の手当てもできるし、読み書きも達者だ。いてくれるならありがてェもんさな」

「読み書きは苦手だな。習い終わった後、指と頭が痛いよ。弓は最初から最後まで楽しいのに」

 中庭(ベイリー)から、甲高い掛け声が響いてくる。

 奥側の回廊から覗けば、エドガーさまとジョンが騎士ごっこを興じていた。どこからか持ってきた長い小枝で、相手を打ち合ってる。

 ジョンと共に騎士修行に励めると知ったエドガーさまは、修行が待ち遠しいらしい。今までより熱心に運動したり、読み書きを習ったりしている。

 元気なのは喜ばしいが………

「傍にお付きが居ないな」

 俺の呟きに、弓兵長が大口開けて笑う。

「おいおい、心配性のカカァかよ。お付きがいなかろうが、あっちゃ城の中庭(ベイリー)。なんの危ない事があるってんだか」

「しかし……」

 騎士ごっこしているふたりへと視線を移す。

 お付きは壁の日陰にいた。小姓のハーワードだ。ただし昼寝という大罪を犯している。

「若君たちがいるのに、なんたることだ」

 不意にジョンの手から、枝がすっぽ抜けた。

 エドガーさまの額に命中する。

「ジョン! 今のはズル! 途中で剣を投げた!」

「すっぽ抜けただけだもん」

「じゃあ今のはナシ!」

「偶然だけど当たったんだから、ぼくの勝ちだよ」

「じゃあやっぱりズル!」

「ずるくない」

 言い合いはすぐ取っ組み合いになってしまう。髪を引っ張り、耳を抓り、蹴りが飛ぶ。

 騎士を目指すとは思えない短慮かつ粗暴っぷりだった。

「エドガーさま! ジョン!」

 俺が叫んだところで、取っ組み合いは加熱するだけだ。中庭をごろごろ転がる。

 転がっていく先は、厩の裏手だ。

 エドガーさまとジョンはよりにもよって、隅に掃き固められた馬の落とし物へと運命を共にしてしまった。

 


  


 ふたり揃って見苦しい有り様になって、ペトロニラは繋がり眉を吊り上げていた。母も困った顔になっている。お付きに任じられていながら昼寝していたハーワードは、居づらいのか縮こまって項垂れていた。

 俺とハーワードが汚れた服を引っぺがし、ペトロニラがぬるま湯を浴びせる。

「まったくなんて有り様なんだろうね。これじゃ騎士じゃなくて肥え浚いじゃないかい。風呂の前で良かったよ」

「お風呂? お風呂に入るの?」

 エドガーさまが空色の瞳を丸くする。

 ジョンは諦めに項垂れた。

「そうだよ、もうすぐマーガレットさまだってお帰りになるからね。天気のいい日に機を見て湯あみさせろと、ご領主さまから仰せつかったんだよ」

 一人娘のマーガレットさまは、叔母の城で教育を受けていた。従姉妹姫たちに囲まれ、ラテン語や音楽や刺繍といった一通りの淑女教育が終わられて、もうすぐお城へと帰ってこられる。

「ジェイデン。若君たちはここ二、三日は腹を下したり吐いたりしてないだろうね。胆汁が漏れたげっぷも駄目だよ」

「健康そのものです」

「鼻血は?」

「ありません。以前、鼻血を出したのは十日ほど前です。出血はエドガーさまが膝をすりむいておられるくらいです」

「じゃあ体液の巡りは問題ないね。ジェイデンとハーワードは風呂支度を頼むよ」

 風呂の支度を仰せつかって、ハーワードは微かな悲鳴を上げた。

 俺も悲鳴を上げたいが、ペトロニラに睨まれたくないので飲み込む。

 手足と顔は庶民でも洗うが、全身を熱い湯に沈めるという贅沢は、国王や諸侯でさえ月に数度の楽しみであった。

 あまりにも支度が重労働だからだ。

 暖炉の焚かれた小広間。

 貯めておいた雨水を、暖炉に掛けた大なべで湧かす。

「ジェイデン、背筋の箍が壊れそうだよ」

「まだ序盤だ、ハーワード」

 俺は木製浴槽を引っ張り出して、大きな海綿をむっつ入れて、バスクロスを敷く。ハーワードと協力して、天井の梁からテントを張った。海綿とバスクロスは木のささくれから素肌を守り、テントは暖かさを閉じ込めてくれる。

 湯気が立ち柔らかくなったお湯を運び、木製浴槽をなみなみと満たしていった。

「もう無理」

 弱音を吐いたハーワードに、ペトロニラのぎょろ目が見開かれる。

「ふん。騎士を目指しているくせに、なんて軟弱なんだい。先が思いやられるよ。そんなに力足らずだったら、若君の服を洗濯女に渡して、新しい肌着を持ってきな。女でもできる仕事なら文句はないだろ。なんだい? 文句あるのかい?」

 言い返せず、しぶしぶ階下へと行くハーワード。

 お湯をたっぷり満たし、手のひらサイズのリネン袋を沈めてかき回せば、白濁液がお湯に漂う。ペトロニラ特製の薬湯だ。潰したオーツ麦と薬草が入っている。

「セージとカレンデュラか。あとひとつは……」

「ローズマリーさ。イングランドじゃ見かけない花だけどね、色々と使い勝手があるからもっと広まりゃいいのに」

 風呂の支度は整った。

 膝をすりむいているエドガーさまは、いやいやだった。 

「どうしても入るの? 風呂に入ると毛穴が開いて良くないんでしょ」

「大丈夫ですよ、エドガーさま。毛穴が開いても瘴気が入り込まないよう、ペトロニラの煎じた薬袋を入れているんです。はい、きちんと浸かって下さいね」

「沁みる!」

 しばらく怪我に沁みると泣き言を繰りておられたが、慣れてしまえば楽しそうだった。ジョンと一緒なら最終的にご機嫌は上々になるのが、エドガーさまである。

「花冠ないの? 勝利を得た騎士は、花冠してお風呂にするんだ! ゴドフリーも言ってた」

 エドガーさまのご所望とはいえ、すぐにご用意できない。 

 ペトロニラが無言で花のついた薬草を編みこみ、エドガーさまに手渡した。

「薔薇がよかったけど、これでいいや。はい、ジョン」

 ジョンに花冠を被せる。

「いいの?」

「ジョンはおれに勝ったんだから、花冠つけるんだよ。さすがおれの腹心の盾持ち(エクスワイア)、ほうびを取らす」

「ありがたきしあわせ」 

 風呂に入っても、騎士ごっこして遊んでいる。

 俺の視線に気づいて、エドガーさまは笑顔を向けてきた。

「ジェイデンはおれの弓兵長にしてやるからな。ジェイデンの声で敵の歩兵に矢を浴びせて、血の海をおれとジョンが馬で駆けるんだ。それで大将首を討ち取るんだよ!」 

 血なまぐさい話にペトロニラが顔を顰めた。金壺眼でぎょろりと睨みながら、風呂に熱湯を足す。

「まったく男ってぇのは、こんなガキの頃から戦争が好きなんだから。どうしようもないねぇ」

 俺とペトロニラでふたりの髪を洗い、薔薇水をそそいでから肌を海綿で優しくこする。

 ふたりが揃って薔薇色の膚になった。

 湯から上がったふたりは、髪の毛が乾くまでの間、暖炉の前で影絵遊びを始めた。肌着を取りに行ったハーワードはまだ戻ってこない。またどこかでサボっているのかもしれない。

「ジェイデン。あんたも湯を浴びちまいな、ついでだよ」

「ペトロニラは入らないのか?」

「あたしゃその後で結構さ。新しい足し水を持ってくるから待ってな」

 浮いた汚れをバケツに汲んで、太い腕に提げて行ってしまう。

 お言葉に甘えるか。

 シャツの紐を解いていると、タペストリーが揺れる。戻ってくるのが早いと思ったが、ペトロニラではない。

 サビナの実の匂い。

 そして華奢な人物が入ってきた。

「エドマンドさま………」

 ご領主さまのご長男であり、この領地を継ぐお方。

 御年12歳。

 ノルマン貴族の整った顔立ちが、巻き毛した金髪で縁どられている。ただ膚は肝臓まで蒼白そうな不健康さで、骨の造りもほっそりとしていた。痩せた手は黄ばみ、唇も爪も色あせている。

 なのに、瞳の青さだけは妙に濃かった。

 ひときわ濃いのに酷薄な青が、母と俺、そしてジョンを一瞥した。

「姦婦と私生児が。何故、由緒ある小広間でくつろいでいる? 湯に入ったとしても、己の汚らわしさはぬぐえんぞ」 

 ジョンは手足が強張り、項垂れた頭から花冠を外した。

 すぐさまエドガーさまが前に出る。

 憤然とした瞳で、エドマンドさまに詰め寄った。

「ジョン・フィッツライオネルを侮辱するな! ジョンはおれの盾持ちになるんだ」

「過分な名を……!」

「そもそも兄上こそ、なんで城にいるんだよ! そんなにジョンが嫌いだったら、騎士修行へ行けばいいじゃないか!」

 エドガーさまの叫びは痛烈だった。

 貴族の子弟は早ければ7歳で修業に上がるが、家の都合で12歳から上がるものも少なからずいる。エドマンドさまとて遅すぎるわけではない。

 それでもなお、エドマンドさまは引きこもっておられる。

 毎日、己の乳母とチェスやチェッカーをして、吟遊詩人(トルヴェール)に歌を奏でさせていると耳にした。

 ご領主も厳しく振舞ってみたものの、僅かばかり叱っただけで発熱して寝付いてしまうらしい。奥方を二人も亡くされた経験上、強く出られないのだろう。

「わ、私はお前のような健康な体を持っていないのだ! 私には出来ないのが分からないのか」

「修道院でも法曹塾でも大学でも行けないの?」

「出来ぬことをあげつらうな」

「へえ? じゃあ兄さんは何が出来るんだよ! 悪口言ったり、弱い者いじめが出来ること? 正しくて役立つことはからっきしなのに?」

「私生児は私生児だろう。教会が定めた……」

 蒼白になりながら言葉を紡がれるが、エドガーさまが一歩踏み出した。

「父上に訴えればいい! ジョンを庶子として認めたのは父上だ! 父上へ申し上げたの? 言えないんだったら、正しい事じゃなくて弱い者いじめだ!」

「生意気な。まったく姦婦と私生児にたぶらかされたものだな。恥を知れ!」

 エドマンドさまは顔を歪め、立ち去ってしまう。

 小広間に沈黙が降りた。

 ジョンはエドガーさまの手を握り、エドガーさまもぎゅっと握り返す。

「おれはジョンが好きだし、兄上は嫌いだ」

「唯一の兄上に、そのようなことを」

 窘めようとしたけど、うまく言葉が出てこない。

 ジョンや母の立場が芳しくないのは理解できるし、エドマンドさまのお気持ちも分からなくない。しかし俺とて面と向かって、家族を蔑ろにされれば、いくら跡取りの若君とはいえ尊敬の念は抱けない。

「………もうすぐ姉上が戻って来る」

 不意にマーガレットさまのことを呟かれる。

 エドガーさまの眉には憂いが含まれていた。それは皺になって、幼く丸い顔を青白くさせている。

「ねえ、ジェイデン。姉上はジョンによくして頂けるかな?」

 エドガーさまは難しいことをお求めだった。

 多感な淑女であろうマーガレットさまに、父親の不道徳の結果を受け入れろとは酷ではないか。

「ジョンと仲良くしてくれなかったら、姉上は好きになれない」

 青空の如く澄んだ眼差しは、強い意思を湛えていた。


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