第三話:誰だってヒーローになれる。ただし例外は存在する。
ゼノの点火を解除すると、エーテルアーマーが光の粒子と化して、どこかに転送されてしまう。ソーンはそこを亜空間と呼んでいる、私たちにはどうやったって観測できない世界だ。
エーテルアーマーの上から、ソーンが用意してくれたデカめの布……? 毛布? で身体を隠してから、ゼノを解除。
それから、「ん……」と手を差し出したソーンに、ゼノを渋々返上する。
「新しい服は後で僕が買って来るけど、これからはくれぐれも、ネビュラゾーンに突っ込むなんて馬鹿な真似はしないように」
「は、はは……善処します」
ど、どうかなぁ……? 我ながら、もう一度あのような状況になった時、我慢できる気はしない。あんなに憎たらしいゼーレス人でもそうだったんだもの……私のこれはもう、そういう性分として受け入れるしかない。
「それより、さ。ゼノ、どうしても私が持っちゃダメなの?」
「当然だ。これのせいで、本来自分とは一生縁も無かったはずの悪人に、君はこの数日でどれだけ会った?」
「うぅ……はい」
要は危険ってことだよね……返す言葉もない。
「で、でも……私以外にゼノは使えないんでしょ……? なら、次に悪い奴が出てきた時も、私がいなきゃ……」
「……」
不意に、ソーンが私の頭に硬い手を置いて、優しく撫でた。
「大丈夫だ。もう君が戦わなくちゃいけない理由はないんだ」
「ちょっ、あのソーンっ……くすぐったいんだけど」
「ああごめん」
ひょいっと手を引っ込めると、ソーンはコホンと咳払い。
「とにかく、金輪際ゼノ関連の事件に関わるな。ちょっとばかし人より運動できるからって、調子に乗って守衛兵なんかに喧嘩を売るなよ? エネラとなればなおさらだ」
「エネラ……」
そういえば、あいつらって何なの? まるで、特撮やアニメに出て来る怪人みたいだった……
「ソーンもアルターさんも知ってるようだけど、もしかしてゼーレスでは結構有名な珍獣だったりする?」
「なわけあるか。あと関わるなって言ったろ。君は鶏か」
「失礼なっ、まだ一歩も歩いてないわよ」
「それは反論なのか……? ああいや、じゃなくて。エネラのことなら心配は要らない。ネビュラゾーンによって発生しただけで、本来はもうこのゼーレス上にもう一体と生息しない生き物だ。存在しない化け物の心配をしていたって、しょうがないだろ」
「絶滅種なんだ」
「そもそもまともな生き物かさえも疑わしいが……あれはもう根絶されている」
「ユグドラシルに?」
「いいや、僕たちにだ」
「ああ」
そこまで言われて、私は納得する。ソーンと、リノが昔……人助けで『リボルカジノ』の名を冠していたんだっけ。もしかしたらそれは、エネラの被害から人々を守る組織だったのかも。
「エネラはとても怖い生き物なんだ。ナヴ──ゼノの完全適合者じゃないと、まともに相手をするのも危険だ。ありえないと思うけど、もし仮にまたネビュラゾーンが発生しても絶対に近づくな?」
「何度も言わなくて良いって。わかってる」
「何度も言うくらいが丁度良いんだこの猪め。はぁ……とにかく今日はもう帰れ、あの双子のことなら僕に任せろ。難民の君たちじゃかえって警戒させるだけだ」
「はーい。言われなくても、もうクタクタだから帰るよ」
その後、貧民街の古着屋で新しい服を購入し、それに着替えてから私はソーンと別れた。
それから次の日──全然休んだ気はしないけど、休日は明けたのだ。学校に行かねばなるまい。
と、あんまり気乗りしないまま教室にやって来た私が見たのは、スマホを前に間抜けな顔をしている親友──アトラ・ブランジュだった。笑っちゃうくらい間抜けだったが、アトラがご尊顔を台無しにするのはいつものことだったか。
「どったのアトラ」
私が話しかけると、アトラはすぐにすんと表情を戻す。
「ああシエル、おはよう。昨日貧民街でネビュラゾーンが発生したみたいだけど、知り合いは大丈夫だった?」
「えっ、あ、いやまぁ、あはは」
笑うしかあるまい。まさか自分がそのネビュラゾーンに突っ込んで、一度はバラバラに切り刻まれたなど口が裂けても言えるものか。それどころか、あの時私が貧民街にいたということだって、伝えてもアトラの心労を増やすだけだ。
私は何とか話題を変えようと、先ほど疑問に思ったことを口にしてみる。
「それで、何があったの? 炎上でもした?」
「や、あたしのSNSなんてどうせ誰も聞いてないシエルのポエム呟いてるだけだし……」
一応、ご本人が毎日欠かさず見てやってるけどな。たまに共感性羞恥(本人は恥のつもりは無いけど)がパないヤツが紛れてるから、そろそろやめて欲しいと思うこの頃だが。
「実は……バイト先から連絡があって」
「え、なになに?」
アトラのスマホを覗き込もうとすると、アトラは慌てて私からスマホの画面を遠ざけるので……私は半眼を作って睨む。
「やましいことでもあんのかよ……」
すると、アトラは慌てた様子で弁明する。
「や、や……な、んというか……シエルにはまだ早い! 大人の、大人のバイトだからっ」
「大人のばいとぉ?」
そう言われると、ちょっとえっちなサービスを想像してしまう私の心は汚れてしまっているのだろうか。アトラってすっごく美人だし、そういうことをしているところを想像すると、同性の私でも顔が赤くなっちゃう。
って──バカバカ! なに友達の濡れ場想像して興奮してんだ! 落ち着け、落ち着け私……。
「──そ、それで……何て言われたの?」
「新しい子が入るから……あたしのシフトが減って──簡単に言うとバイト代が減る」
「うっわ、最悪じゃん」
までも、お金に困ってるわけじゃないなら、ちょっと暇ができたくらいに思ってれば良いんじゃ──確かアトラの家って、それなりにお金持ちだったと思うし。行ったことないけど。
「いや、聞くとその子、難民の中学生らしくて。中学生がこんなバイトをしなきゃいけないくらい追い込まれてるんだ……って考えると、なんかね」
「あんた、本当に何のバイトしてんのよ……」
わざわざ「こんな」って形容する……? なーんか妙に含みがある感じだし。私のさっきの想像、あながち間違いじゃないんじゃ……。
今度、少し尾けてみようかな? 褒められた行為じゃないけど、さすがにアトラの普段の生活が気に──というより、心配になってきた。
「それよりシエル、これ見て」
アトラはスマホの画面をメールからニュースに切り替え、とある記事をチョイスして私に見せた。
「うん……?」
目を凝らして、よく見てみる……一瞬後、私は肺の中の空気をほとんど吐き出して激しく咳き込んだ。
「ちょっシエル!?」
「ご、ごめっ……けほっ、けほっ」
教室内にいたクラスメイトが一斉に、何事かとこちらに視線をやってくる。でも仕方ないだろう。何せ、アトラが見せた記事の見出しには、こう書かれていたのだから。
『ユグドラシル製の兵器を盗み、私的運用している逃亡犯』
かなり荒いけど、私の姿までバッチリ写った写真付きだ。この感じだと……昨日のネビュラゾーン被害の時のヤツだ。まさか撮られていたなんて。
にしても……な、なんちゅー偏向報道! いや確かにそうなのかもしんないけどさぁっ、リノから盗んだのはソーンだし、今もソーンが持ってんのに、なんで私が写真付きで報道されないといけないのよ!
ったく……あのアトラでさえ気づかないほど荒い写真で良かったわ。これなら母さんたちも、万が一この記事を見かけても気づかない。
逃亡犯デビューしてしまったことに頭を悩ませながらも、気づけばあっという間にお昼休みの時間。お腹減った。
クラスメイトにバレないよう、こっそりと液状化されたエネルギアを飲み干し、充電完了。さて、最近の席替えで離れてしまったアトラの方へ、弁当片手に歩み寄る。
「アトラ、ご飯食べよー」
「ん」
椅子は私の席から運んで来た。ちょっと狭っ苦しいけど、アトラの机を共用。これもいつもの光景だ。
「グラント、先生が呼んでたよ。職員室に来いだってさ」
待ちに待った昼食の時間──だったのに。不意にクラスメイトの一人に話しかけられ、私が担任の先生に呼び出しを受けたことを察する。
「え、嘘……私なんかしたっけ」
「さあ? とりあえず、伝えたからね?」
言って、その子は自分の昼食にありついた。もうこれ以上、難民と無駄な口を利くつもりもなさそうだ。
「どうするの?」
アトラに問われたので、私は特大のため息を吐き出してから答えた。
「一応、優等生で通してるんだからバックレるわけにはいかないでしょ……メンドイけど、行って来るよ。ごめん、先に食べといて」
担任かあ……。高校って、小学校と違って教科毎に先生が違うし、担任だからってあんまりイメージあるわけじゃないんだよな。ホームルームとか体育祭の熱意とかから見るに、真面目だってのは察しがつくけど。
「大丈夫よ。先生、かなりまともな人だから」
「何、随分と担任の肩持つじゃん。もしかして気があったり?」
「むぅ、はよ行け!」
と、アトラに追い出されるようにして教室を出た私は、仕方なくその足で職員室へ向かった。
アトラのお墨付きをもらうくらいだし、良い人ではあるんだろうけど……そんな人の呼び出しを受けるとは──私、よほどのことをやらかしたのではないだろうか?
一抹の不安を覚えつつ、職員室の扉をノック。私の来訪に気づくと、担任がニコニコと表現するのが適当な、人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら寄ってきた。
「やあ、グラント。ごめんね、急に呼び出して」
彼が私の担任──アダム・トワリー先生だ。専門は生物学。年齢は20代前半くらいで、中々フレッシュな所が目立つ新任教師。犬族のゼーレス人で、茶髪の前髪を七三分けにした中々イケメンな先生だ。密かに女子人気があると、アトラから聞いたことがある。
「あ、いえ。暇なんで。お気になさらず」
暇ではあるが、私の至福の時間であるお昼休みを邪魔したのは許さん。とはいえ馬鹿正直にそんなことを面と向かって言うわけにもいかないので、優等生スマイル(なお成績)を貼り付け応答する。
「それで……私に用って?」
「──そうだね、君のプライバシーもあるし、ちょっと人気のない所で話そうか。2階の理科準備室まで、良いかな?」
「えっ」
それってどういう……。
「ああごめんね! 変な意味は無いんだ……ただグラントは、こういう話あんまり他人に聞かれたくなさそうだなと思って」
私の警戒を察して、先生は慌てて弁明した。
他人に聞かれたくないような……? 心当たりが多すぎて何のことを言っているのやら……もしゼノのことがバレていたらゾッとするぞ。
ああいや──冷静に考えたら、それはないか。バレてたら私より先に学校長に報告されて、一瞬で退学だ。
「…………わかりました、行きましょうか」
私が出した答えはイエス。そもそも──難民のくせして学校に頼ってる立場だし、虐めっ子連中ならともかく、教員の頼みを断る選択肢は端から存在しない。
それに──トワリー先生がこのイケてる面に反してドギツイエロオヤジだったその暁には、悲しきかな改造人間パワーが火を吹くまでだ。こちとら貧民街で一番大柄で筋骨隆々のダグさんを腕相撲で負かしているのだ──怖いものなんてありやしないさ。ネビュラゾーン以外。
と、トワリー先生に連れられて来たのは理科準備室。実験で立ち寄ったのすら片手の指で数えられるほどだ……初めて入ったかもしれない。それくらい見覚えのない景色が並ぶ空間だった。
「わざわざごめんね。聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「単刀直入に聞くよ──グラント、最近何か辛いことがあったんじゃない?」
私の眉が、微かに揺れ動く。
最初に浮かんだ感想は、面倒なことになった──だった。
「どうしてそう思ったんですか?」
あえて答えず、質問を質問で返す形になってしまうが──私は先生に問うた。
「ただの勘だよ。グラントの顔を見て、元気がないのかなと思っただけ」
「……」
一体いつの話なんだ……?
入学当初は、みんなの期待とかに押し潰されそうになってて。かと思えば、クラスメイトは誰も難民である私を受け入れてくれそうになくて。
でもそんな時、アトラと出会った。
彼女がいるなら、こんなクソみたいな学舎でも通ってみようと思った。そういう意味では、最近の私は多分……明るかったと思う。どこか晴れ晴れとしていたんじゃないだろうか。
「グラントは、4月に比べれば大分明るくなっていたと思う。何だかんだで、学校を楽しんでるんじゃないかって」
「は、はあ」
「だけど──これは私の主観だけど、最近、また前みたいに暗くなったんじゃない? 正直、元々安心できていたわけじゃないんだけれど……何というか」
トワリー先生はどこか、頭の中で適切な言葉を手繰り寄せるように思案してから、やがて一つのため息を吐いて言った。
「ブランジュと仲良くなる前──君が……誰にも心の内を明かさない、今にも消えてしまいそうだったあの頃に、戻ったように──私の瞳には映っている」
「…………」
この人、女子人気が高いのも納得だ。よく他人を見ているじゃないか。彼が言わんとしていること──その原因はすぐにわかった。もしかしなくても、ここ最近私を巻き込んでいるゼノ絡みの事件のせいだ。
ゼノシステムとリボルカジノ──もしかすれば、故郷の惑星を取り戻せるかもしれない…………。私は今、このままゼーレス人の犬として平穏に生き続けるか、裏社会の悪人となって故郷を取り戻すかの二択の間で揺れている。
主に──母さんや父さん、それに近所のみんなが一生懸命働いて稼いだお金で得られたこの立場を捨ててはならないという、責任感が私を縛り付けている。
「私は君の親じゃない……あくまで教師だ。君のことは、正直言ってほとんどわからない。ただ──私は、君のご両親に責任を持って君を預かると約束した」
「は、はい……」
私の悩みの種──相談できるはずがない。
その時点で、この面談は何というか……歪だ。意味の無いことだ。
「困っていることがあるのなら、私に相談して欲しいとは言わない。無理してご両親に打ち明ける必要もない。そういう役目はブランジュにお願いしてある」
アトラに──?
そういえば……べークの奴に大木から落とされた時や、さっきも……アトラってば、何かとトワリー先生を頼ろうとするっていうか、この人のことを良く言ってたっけ。
もしかするとこの先生……入学当初からずっと、たった一人の難民の私を気にかけてくれて……私の唯一の友達のアトラにも話を通してくれていたのかも。
──思っていたより、たくさんの人の尽力があって、今の私があるんだな……。
というより私、思っていたよりかは、色んな人から気にかけられているんだ。
「グラントが何で悩んでいるのかは知らない──ただ……取り返しのつかないことにならない内に、SOSだけは出しておくと良いよ? 君の安全、命は、何にも代え難いものなんだから」
身の安全に勝る誘惑無し──その言葉は、そしてトワリー先生が私を気にかけてくれているという事実は、私をこの立場に戒めるには十分な『責任』だった。
トワリー先生から解放され、アトラと昼食を取って、午後の授業を終えて……放課後になる頃には──
私は、どうしたら良いのかわからなくなってしまっていた。
○●
三日間連続の貧民街訪問で、お母さんも段々渋い顔をするようになってきたが、私がどこに遊びに行こうとこっちの自由なので気にせず。リボルカジノ内を通って、チームバスターズの拠点を訪れた。
「こんにちはぁ……」
恐る恐る。一応は悪人なわけだし、すぐにでも踵を返せるよう準備をしつつ、適当な挨拶を述べた。
「あ、シエルちゃん。いらっしゃい」
「……」
出迎えてくれたのはクヲーさん。談話室にいたのは彼とパッチさんの二人だけだった。アルターさんの姿は見当たらない。笑顔で迎えてくれたクヲーさんとは打って変わって、パッチさんは何を言うでもなくギロリと怖い顔でこちらを睨んでいる。
「な、なんですか……」
「ガキがまた何の用だ。ここはまともなガキが来るような場所じゃあない」
「む……」
めちゃくちゃ敵意剥き出し……。「まともな」って、ゼノが無いから?
「べ、別に良いじゃないですか。私が何しようと勝手です。それに、故郷を取り戻したい気持ちなら私も同じなんで」
「ガキが半端な覚悟で来るなと言ってるんだ」
「半端な……って、なんであなたにそんなことが」
む、ムカつく……! 私だって、故郷を……先生と過ごした惑星を取り戻せるなら──その、あの、ある程度のことは、なんとか頑張るし。
「フン、どうだかな」
「ば、馬鹿にしてるでしょ!」
「はいはいそこまで。女の子相手にみっともないよ」
からかうようなクヲーさんの言葉に、パッチさんは何も返さなかった。ただ腕を組んで、ギラリと光る眼光を持って私に帰宅を促すのみである。感じ悪っ。
そこから、長い沈黙。空気がまずい。なんとか雰囲気を和らげることはできないものか、と私は気になっていたことを問うてみる。
「あの、アルターさんとウィリアムさんは……?」
アルターさんだけでなく、ウィリアムさんの姿も見受けられない。
「ウィリアムは来てないよ。ゼーレス人だし、特別用があるわけでもないのに、わざわざ貧民街を通って出勤はしないさ。そもそも彼とはギブアンドテイクの関係で、そこまで親密ってわけじゃないしね。姐御はシエルちゃんが見たっていう裏門について調査中」
「裏門?」
「アレ。宇宙空間に繋がってるっていうゲート」
ああ、初めてゼノを点火した日に見たあれか。あれよりも、ゼーレスが惑星じゃなくでっかい建物だったって事実の方が強烈で……地底に宇宙へのゲートがあるっていう割とトンデモ事実を忘れてた。
それからクヲーさんは、ソーンから聞き出したこの惑星の秘密を私にも共有してくれた。
「まず、惑星ゼーレスの正体は宇宙に浮かぶ要塞。これらシエルちゃんが見た通りだ」
ソーンの奴、秘密をアルターさんたちに話した私を叱ってたくせに……開き直って見取り図なんかを書き残してやがったようだ。
その図によると、ゼーレス内部は上層、中層、下層に分けられており、私たちの住む国・コロニーAは下層に位置しているらしい。
つまり……あのゲートは横からじゃなくて、下から惑星ゼーレスを脱するためのゲートだったのだ。
「待って、それって重力とかどうなってんの? あのゲート周辺だけ、横向きに重力が働いてるとか?」
「ソーンくんによると、ゲート周辺はかなり入り組んでいるし、どこもかしこも同じような景色だったって話だ」
「うん」
「知らぬ間に壁が床になっていたって不思議じゃない……でしょ?」
それもそう、なのかも。とにかく……話をまとめると、私たちが住む国が建物の最下層──底面にあるから、外へと潜るゲート……あの時は扉かと思っていたけれど、ハッチのような物が存在しているのだ。
上層はどうだか知らないけど、少なくとも中層には無い貴重な物であると察せられる。
「ソーンくん曰く、あのゲートはユグドラシルが勝手に空けた穴らしくてね。そういう違法性も含めて、僕らは『裏門』と呼称することにした」
「裏って言うくらいなら、表もあるって思ってたんだけど。そういうことじゃないのね」
「いや、あるはずだよ。だって、僕ら以外の異星人だって時々見かけるでしょ?」
あ、そっか。みんながみんなユグドラシルが勝手に空けた風穴から入って来てる密航者ってわけじゃないだろうし。異星人がゼーレスの秘密を把握しているのかは知らないけれど……どちらにせよ彼らは正規の入り口からゼーレスに入っているはずだ。
「今、姐御が表の門の所在を調査してる。ま、政府が今まで必死に存在をひた隠しにしてきたんだし、十中八九見つからないだろうね。そもそも通る許可なんて降りないだろうし、僕らが故郷に帰る時は裏門から出ることになるだろうね」
「それ……犯罪なんじゃ──」
そもそもその裏門自体がユグドラシルが勝手に空けた穴なんだし──恐る恐る問うた私に、クヲーさんは間髪入れず首肯を返した。
「バレたら間違いなく首が飛ぶ──良くて一生独房行きかな」
「えっぐ……」
アルターさんは、私が協力するなら犯罪じゃない資金稼ぎのプランを組み立てるって言ってたけど……おもっきし大犯罪じゃんこれ。
「やっぱり結構忌避感ある?」
「う、うん……やっぱり普通の生活があるし。親だけじゃなくて、沢山の人が出してくれたお金で学校行ってるから……」
「そりゃ、善人でありたいって願いより重い枷だね」
私の心労を察してくれたのか、クヲーさんが苦笑いする。
「ところでシエルちゃん、ゼノは?」
「うっ」
とうとう聞かれてしまった……。嘘をついたってしょうがないので、正直に答える。
「ソーンに返した。ていうか、取られた」
「まあ元々君のじゃないしね」
そんなこと言ったって……私以上に適応する人なんていんの? ソーン、ぼそっと100パーセントとか言ってたけど、それって私がウィリアムさん以上にゼノを使いこなしてるってことなんでしょ? 私以上の使い手なんて、もうゼーレス中探しても見当たらないと思うんだけど。まあこれは偏見だけどね。
「あーでも、ゼノについてならなんとかなりそうだよ」
「え、なんでですか?」
「おいお前……無関係のガキにアレまで見せるのか?」
と、黙っていたパッチさんが口を開いたかと思えば……また文句。
「別に良いっしょ、別に無関係って感じでもないし」
「俺が言ってるのは、本当にこんなガキに俺たちの夢を託すのか、ってことだ!」
またガキって……。なんでこの人は、頑なに私をこの件から遠ざけようとするんだ。クヲーさんも言っていたけど、私だってもう無関係って間柄じゃないのに。
それに──ゼノがないと、リノを倒せない。肝心のソーンは分からず屋だし、今はクヲーさんが言っていた「なんとかなる」って発言に賭けるしかないんだ。
──私は、ゼノシステムの使い手にならなければならない。
「──クヲーさん、続けて」
「すっこんでろ、ここにガキの居場所は無いと、何度言えば──」
「私だって……故郷を取り戻したい気持ちはあなたたちと一緒です。子供だからって舐めないでください」
パッチさんの顔は怖いけど……喉仏のあたりをガン見してればギリ、睨み返せる。ここでビビって帰ったら……私は一生、この惑星みたいな監獄に閉じ込められて、自由を奪われたままだ──何より、目の前にいるこの人たちが、これからもたくさんの人々を闇に堕とし続けるだろう。
そんなの、見過ごせるわけがない──!
私の決意を聞いて、クヲーさんがパソコンのキーボードを操作。「おいっ……」というパッチさんの不満そうな声を無視して、カタカタ……という軽快なタイピングの後。すぐ近くにあった机の上に穴が空いて、何かしらの機械の駆動音と共に、そこから台座に乗せられたゼノが姿を現した。
「へ、ゼノ!? ソーンがくれたの?」
「うんにゃ。あくまでレプリカだよ」
「もしかしてクヲーさんって、案外凄い人?」
「……ウチの整備士はあっちね。僕はナビゲーター」
と、なんだか悲しい顔をしてクヲーさんはパッチさんを指差した。
「ごめん」
とりあえず謝っておこう。
「そもそも俺ですらない。そいつを創り出したのは、ウチで雇ってるゼーレス人のバイトだ」
「あ、ウィリアムさん?」
「違う、あいつにそんな能力はない」
さらっととんでもないディスりだよねそれ。
「頑なに身分を明かそうとしない……何かしら訳アリの女の子だよ。とにかく……二日前、ソーンくんから借りたゼノをその子に解析してもらって、これを造ってもらったんだ」
「へぇ……あ、でも。このゼノ……色が白いね」
本物のゼノは赤と青の、アメコミのヒーローみたいな色味してんのに。なんだか、色付けする前の粘土アートみたいだ。
「ああ……まだ起動には成功してないんだ」
「なんだ、失敗作か」
「お前にゃ関係はない、完成したらウィリアムに使わせる」
さっきから否定ばっか……いい加減、私が頑固なのを察してくれよ。
「──さて。シエルちゃん。君はさっき、犯罪はしないって言ったよね」
「え? 当然でしょ」
「それってなんで?」
「なんで?」
と、言われましても……法律を守るのは、秩序のため? 破れば、きっと誰かが傷つく……犯罪行為ってそういうものだ。だから守る。私や、目の前の人が加害者にならないように。
「つまりシエルちゃんは、誰かが傷つくのが見てられないってことでしょ?」
「うん」
「別に僕らはお金さえ稼げれば良いんだ。わざわざ名前も知らないゼーレス人を陥れることに拘りもない……僕らが求めているのは──母星への片道切符。ただそれだけだ」
故郷に帰りたい──私たちから全てを奪った奴らが住むゼーレスで生きるなんて真っ平御免……それは、この場にいる全員の共通した理念だ。
私だって、バスターズのみんながしている事が悪事じゃければ……喜んで手を貸すさ。
「君はカッコいいね。悪いことを悪いことだって、声高らかに叫べる……まるでヒーローだ。そんな君に質問だけど──君は、誰も傷つけないんなら、悪事に手を染められる?」
「どういうことですか……?」
「つまりは、誰も傷つかない──精々誰かの気苦労を増やす程度の犯罪なら……どう?」
あの、裏門を勝手に通るって話か……。確かに、誰も傷つけないなら……もしバレても、痛い目に遭うのは私たちだけだもんね。
「兵器を売りつけてお金を稼ぐのが気に入らないんでしょ? 姐御が別プランを立てた──犯罪にゃ変わりがないけど……とにかく読んで」
クヲーさんはそう言って……パソコンの画面をこちらへ向けた。うっ──軽く目眩が……ぱっと見で何千文字もある、文字の羅列だ。
「どう? これなら、誰も傷つかないでしょ?」
「ちょっと黙って。まだ読んでるの」
話の順序からして……多分、銃火器の売買とは違う資金稼ぎのプランだよね……。
一つ、最初に断りを入れられる──このプランは私の望み通り、誰も傷つかない……ただ一人、私を除いて。
──上等だ。
えーと、なになに……? ゼーレスから十数万キロ離れた小惑星に、エネルギアの原石が大量にあって。それを収穫して売買するプロジェクト…………?
「確かに、エネルギアを売るんだったら──兵器や薬と違って誰も傷つかない……それどころか、みんなの助けになるね」
「薬……? 何の話?」
「へ? だ、だって──」
「よくわかんないけど、続けるよ? 十万キロ程度だったら、ゼノを使えばなんとかいける距離だ」
「エネルギア──ホントにお金になんの? 300リュアくらいでその辺のコンビニに売ってるじゃん」
毎日胃袋ん中に収めてる身としては、そんなに高価な物には感じないけどなぁ……。
「僕らがいつもお世話になってるのは、原石から抽出した僅かなエネルギー……で、君がいつも飲んでるっていうやつはそれを更に希釈した物だよ」
「へぇ」
当たり前──そんなに高価な代物なら、毎日経口摂取してる時点でウチの家計はボロボロだ。
「で、いくらなんですか?」
「原石一キロで、大体100万リュア?」
「ひゃくまん!?」
それって、お家が建っちゃうんじゃないの!?
「ゼノの点火とか転送とかにもエネルギアを使うから一概には言えないけど、まあ二、三キロ持って帰ればそれくらいの収益になるよ」
「ま、まじ……?」
「まじ」
へっ? 嘘……もしかして私、一昨日──というか、エネルギー切れになる度、とんでもない物食べちゃってたの……? めちゃくちゃ軽かったからそこまで値段はしてないと信じたいんだけど……!
にしても──私がエネルギー切れになる度、数万が飛んでるのか……後でちゃんと母さんと父さんに感謝の言葉でも伝えた方が良さそうだ。
「クヲーさん、私やるよ! 宇宙に行って、お金をがっぽり稼いでくる!」
「判断が早くない? もう少し悩もうよ」
「いややるしかないでしょ……! ていうか兵器の売買なんかよりよっぽど楽だし金になるって! 逆になんで今までちまちま兵器でお金稼ぎしてたの!?」
「だぁかぁらっ、危険なんだって。この小惑星には、エネラが大量に生息してる」
あー、マジか……それは確かにキツイ。宇宙服を着込んで、楽しく宇宙旅行ついでに億万長者……ってわけにはいかなそうだ。
「だからゼノが必要なんだよ。というか、ゼノ無しじゃ無理」
でも……そんなこと言われましても。本物はソーンに取られちゃったし。このプランもしばらくは保留かな……時間をかければ、このレプリカも本物のように点火できる日が来るかもだし。
そうして──私の乏しい理解力のせいで何度もクヲーさんに小言を言われながら、ウェブノートの一ページ目を何とか読み終えたので、私は背筋をうんと伸ばす。
「はい次ー、どうやって裏門まで行くか」
と、クヲーさんがマウスのコロコロを転がして……先ほどまで呼んでいたものと全く同じ文量のページへ移動。
「あ、が……」
「そんなに……? 二、三ページはあるけど、こんくらいパパッと読んでよ」
思わず顔を引きつらせる私に呆れて文句を溢すクヲーさんだったが、馬鹿の気持ちは馬鹿にしかわかりっこないんだ。私は悲鳴を上げながら、アルターさんが掲げた『誰も傷つけないプラン』の続きを読み進めた。
現状、リボルカジノはユグドラシルに監視されている……言わば政府公認の闇市という、意味のわからない体系だ。ソーン曰く、リノがユグドラシルのお偉いさんと協力関係を築いちゃった──ていうか、そもそもリノがユグドラシルの社員になったんだって。
そして、話は変わるが──リボルカジノは毎日、各チームの代表が、自身のチームが開発した兵器を宣伝する悪趣味なゲームを開催しているようで……言ってしまえば、他チームの兵器を実際にねじ伏せて、自身が販売している兵器の有用性を実演するバトルロワイヤル。通称リボルフェス。
当然のこと、各チーム選りすぐりの兵器が何十も一度に集まるので……あんまり派手にドンパチやってしまい地上の一般人にリボルカジノの存在がバレないよう、当日カジノ内では、常に大量の守衛兵が監視することになる。
ここが──ミソだ。
「君の話だと、貧民街の地下──つまり、リボルカジノのどっかに、宇宙空間に出られる地下道があるんだろ?」
私は頷く。
「と言っても、リボルカジノとは雰囲気が違ったから……明らかに普通の人が出入りしちゃいけない──正に『裏門』でしたけど」
「それを聞いた途端、姐御ったらもうものすんごい形相でこのプランを立て始めてね。どうしてもシエルちゃんを捕まえたいみたい」
「あ、あはは……」
あの顔とガタイの人が、物凄い形相で私を捕まえようとしてるって……ちょっと想像したくないな。
とと、話を戻して……要は、普段は警備が厳重であろう裏門を、守衛兵がリボルフェスに集中してる間に探し当てようって作戦だ。
ただ──リボルフェス中は、兵器のドンパチに巻き込まれないよう、非参加チームは原則外出禁止だ。万が一守衛兵に見つかりでもしたら、しつこく外出理由を問われることになるだろう。
正直に白状するか? 間違いなく打ち首まで秒読みだ。
「そこで──僕たちチームバスターズもフェスに参加する」
ま、それが一番楽だよね。
「ただ、ゼーレスが星じゃなかったって話──僕らやウィリアムも知らなかった。政府がよっぽど頑張って秘匿してるんだろーね。それが一因して、裏社会で顔が広い姐御ですら、ゼーレス外の宇宙周りの情報を一切入手できなかった」
「えっと……つまり?」
わかるように話してくれと、何度言ったらわかるんだ。
「君が昨日見たもの──それが、僕らがわかってるゼーレス周辺の宇宙の全てだってこと。わかりやすく言うと、どんな危険が待ち受けてるか……」
冒頭の、このプランで唯一危険を被るのが、実行役の私って話だね。
「もしかしたら、守衛兵がうじゃうじゃいるかもしれないってことですか?」
「エネラかも。政府が民を頑なに宇宙に出そうとしないのが、外には異形の怪物がうじゃうじゃいるからだとしたら?」
「うげっ……」
それは、ゾッとする……。エネラがいるという確証はないけれど──ソーンが言ってた。昔ゼーレスの真実を知ってしまった難民の女の子が、ユグドラシルだかCPTだかに口封じで殺されたって。
そんなに政府が隠し通したい事実なら……宇宙に出るなり、夥しい量の守衛兵に蜂の巣にされると考えた方が自然だろう。
「そういうわけだ。フェスは三日後。それまでに、何とかしてソーンくんからゼノを貰って」
「か、簡単に言ってくれるじゃないですか……」
ソーンがどれだけ分からず屋だと思って……はあ。
「それじゃ、バスターズの一員として登録しないと。Bブロックの方で受付してるから行ってきな」
「う、受付ぇ? それって名前とか住所とか必要ですか?」
「もちろん。会社ってのはそういうもんよ」
「ここ会社なんですかぁ?」
闇市のくせに、なんでそういうところはしっかりしてんだよ……。
どうしよう、万が一リボルカジノの人間にカチコミなんてされたら……難民でありながら高校に通えている私の立場が危うい。下手したら、私の他にも高校に通っている難民の子だって、退学処分になるかも……。
理屈なんてない。学校は、何かそれらしい理由一つ揃えば、今にでも私たちの喉笛を食いちぎらんとしている。
「登録に必要なのは住所、電話番号、それと名前。君が心配してるのは住所だろ? なら難民なんだし貧民街のどっかの空き家でも書いとけば?」
「なるほど、確かにそれなら──」
「おい」
私とクヲーさんの会話を遮って──パッチさん。もう、我慢の限界だとばかりに、顔の青筋を立てていた。
「なんですか。今結構大事な話してるんで邪魔しないで──」
と、私も苛立ちを隠さず返してやると、今まで決して手だけは上げようとしなかったパッチさんが、迷わずこっちに歩み寄ってくる。
「え、えっ、えっちょっと待っ──」
「甘えるなクソガキめ」
パッチさんは私の胸倉を掴むと、奥の……一昨日ソーンとウィリアムさんがゼノのテストプレイのために入っていた部屋がある扉まで引きずる。
「っ、触らないでってば!」
それなりに力を込めて抵抗……暴れてみるが、パッチさんはがっしりと掴んだ手を緩めようとしない。これ以上本気を出せばパッチさんの腕を折ってしまう。
「ぐっ、うぅっ……!」
「暴れるな、ほら入れ」
「こ、このっ!」
さすがに恐怖心が勝って、本気を出してパッチさんの手を振り払おうとすると──力に対して技で対応されたと言うべきか……本物の格闘家のような滑らかな動きでかわされてしまう。
抵抗虚しく──パッチさんは、例の部屋に入るなり唯一の出入り口と思しき扉を乱暴に閉め、私を突き落とした。
「きゃっ」
冷たっ……地面に打ちつけたお尻がひんやりとする。この部屋……空気が冷たくて重い。何だか心地が悪い場所だ……。
扉一つの隔たりを超えただけで、雰囲気がガラリと変わった。薄暗くて、カジュアルな談話室からは一変……工場のような、金属の匂いが漂う部屋だった。整備室……? なのかな? 銃とか、他にも、何に使うのか皆目見当もつかないような機械が、配線が剥き出しのまま沢山ある。
「いっつぅ……何するんですかっ」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎。お前みたいなガキはお呼びじゃない。そんなに暇ならさっさと帰って英単語の一つでも覚えたらどうなんだ」
「何度も言わせないでください。私も、どうしても故郷を取り戻したいんです」
「……お前、俺たちの仲間になる時、住所さえ誤魔化せば良いと考えたよな」
「……違うんですか?」
「それと、リボルフェスに参加することもすんなり受け入れた。間抜けが……」
「何の話ですかっ!」
「お前も知っての通り、俺たちは善人じゃない。誰がためにで動いてる格好良いヒーロー様じゃない。善か悪かと問われれば、自分でも悪と即答できる。揃いも揃って地に堕ちた人間だ」
パッチさんは屈んで、小柄な私と目線を合わせて続けた。
「姐さんも、アイツ──あー……クヲーも、お前のためじゃない、自分のために動いてるんだ。お前が高校に通えているその立場も、俺たちにとってはどうでも良いものだ。お前を守る気なんて毛頭ない。むしろお前が余計なしがらみから解放されて、ゼノを使った資金稼ぎに専念してくれた方が喜ばしい」
「だから、どういうっ──」
「身バレだよ。現代社会舐めんな。顔と名前だけで十分だ。識別子ならなおさら」
「そ、それは……」
言われてみれば当然だ。アルターさんたちは私の親じゃない。
──難民でありながら特別に高校に通うことを許されている立場……当然、裏社会の仕事たるバスターズに割ける時間は、放課後課題を終わらせてから門限までの僅か数時間。日によっては一時間にも満たないことなんてザラだろう。
アルターさんたちにとっては……私が早いとこリボルカジノの人間だったと露呈して、表の社会での居場所を失い、バスターズに専念──というより、縋ってくれるのがベストなんだ。
「……」
──ダメだ。私には私の生活が……責任がある。せっかくみんなのおかげで得た『特別編入生』という立場……勝手に捨てるわけにはいかない。
「……ごめんなさい、パッチさん。私が馬鹿でした」
でも──やっぱり。ゼノを使えるのは、私だけ。
私が手を貸さなかったら……この人たちはまた、悪事に手を染める毎日に逆戻りだ。
それに──リノやエネラ。エーテルっていう、よくわかんない力を使って、沢山の人を悲しませてる悪い奴らがいるってこともわかった。
そいつらから、みんなを守れるのも……。
「パッチさん、私──!」
「──まったく、ガキは話がわからんから困る」
パッチさんは後頭部を乱暴に掻きむしると……部屋の奥へ。私も背中を追う。
物置き、と言うべきか。パッチさんが止まったのは、その中でも作業服とか、私服ではなさそうな衣服が沢山あるスペースだった。
「条件がある」
数十はくだらない作業服の数々。パッチさんはそれを掻き分け、何かを探しながら言った。
「正式には雇わん。ウィリアムや、ゼノのレプリカを創った奴と同じように、アルバイトとしてしか雇わない。それなら偽名と電話番号だけで登録できるからな」
「は、はいっ」
そうして、使い込まれた跡のある数々の作業服間から、とある真新しい服装一セットをこちらへ突き出すように手渡した。
広げて見ると、ピンクと黒がベーシックカラーの、やたらとベルトやポケットが多いジャケットとショートパンツ。あとは、マスクのような形状をした鉄の仮面と、黒いグラサンだ。
「何ですかこれ」
「──俺が作った戦闘着だ。特殊な素材でできてるから、少なくともその高等学校の制服よりかは動きやすいし、個人情報を見せびらかす心配も無い。ゼノを点火するまで、これでやり過ごせ」
「にしても何で黒とピンク……?」
せめて黄色……は目立つか。じゃあ白とかさあ……。黒に合う色にしようよ。
「女はピンクが好きだと聞いた」
「浅っ……まあ好きだけど」
パッチさんってもしかして、愉快な人なのか?
で──こっちは身バレ防止用? 顔を隠すのが鉄仮面とグラサンっていうのもイマイチ格好がつかないけれど。
「もしかしてこれ……私のために用意してくれたんですか?」
「フン、お前がさっさと根を上げて失せてくれるのを祈っているさ」
と、パッチさんはコーデ一式を私に押し付けると、相変わらずの冷たい態度でそそくさと出て行ってしまった。
「え、ええと……」
なんかよくわかんないけど……とりあえず、一旦は認められた、ってことで良いのかな?
パッチさんに渡された作業服を見下ろして、自分の中で決意を固める。必ず故郷に帰る……母さんたちが、毎日毎日仕事に押し潰されるような日々を送らなくて住むように、私たちが人間らしくいられるあの母星に──帰るんだ。
そのためなら……誰も傷つけない範疇で、どんな罪だって犯してやる。
○●
通話と書かれたボタンをタップし、数回のコール音を辛抱すると、この数日間で聴き慣れてしまった声が鼓膜を震わした。
『もしもし?』
「シエル、僕だ。しばらく姿を消す。探さないでくれ」
『ソーン? ちょっと待って、実は私──』
通話を切断。ソーンの部屋を捜索しているうちに発見したスマホとやらを懐にしまい、僕は目的の地まで歩き出した。
発端は数時間前──ワイズ家に、リノさんから電話がかかってきた。
決闘をしようとか甚だ物騒なことを喋っていたので、親に聞かれる前に個人的な携帯の番号を教えた。どうやら用件はそれ以上でもそれ以下でもないらしく……僕らは初めて会った場所で、ゼノと命を賭けた戦いをすることとなった。
「僕たちが初めて会った場所……か」
僕が訪れたのは、ゾーンC某所の公園だった。もう8年前になるか……。
キィ、とブランコの鎖がしなる音が夜闇に響く。目的の人物はそこにいた。
──ブランコ、か……確か、あの日もこうだったか。と言っても……立場は逆だけれど。
あの日俺は、夕方5時を過ぎた頃にブランコに腰を落としていた。ぶらぶらと揺れて、何も考えず。日が落ちるまで、ずっとそうしているつもりだった。
理由は何だろう。心当たりが多い。その頃の俺はストレスだらけだった。完全に家族仲が冷め切った母親が再婚し、知らぬ男性を父と仰がなくてはならなくなったこと。妹が学業でもスポーツでも俺を抜かしていって兄妹仲が最悪になったこと。
そして──クラスで虐められてる女の子を、我が身可愛さで見過ごしたこと。
どれも、俺を憂鬱にするのに一役買っていた。
そうして、公園のブランコで一人物憂げにしている時……リノさんと会った。
「どうしたんだ」、「迷子か」って、正直最初はダル絡みしてきてウザかったんだけど……何ていうか、ほっとけない人で。いつの間にか、俺は彼と会う機会が増えていった。
彼は困っている人を助けたいだとか、それはそれはご立派な理想を掲げていた。困っている人に手を差し伸べられる人間になりたくて……そういう職を探して現在はフリーターとして生活中とのこと。
治安官になれば良いじゃんと言うと、治安官は自由に人助けできないとのこと。なるほど、と納得した。日々凶悪事件と戦う治安官には、迷子の子猫を探す暇なんてない──が、彼はそういうのを大事にしたいんだとか。
俺は彼の、真っ直ぐで馬鹿正直な正義感に憧れた。
彼に倣って──俺もやってみたいと思ったんだ。最初は怖かったけど、リノさんが必勝法を教えてくれた。
『助けた人が笑顔になってんのを想像してみろ』
彼女がこんな風に笑ってくれたら……とても綺麗だろうなと妄想を膨らませて。
俺は彼女を──身体の一部が紅い女の子を助けた。
それが遠因で、俺は俺としての身体を捨て、ソーン・ワイズになることを余儀なくされたけど……俺は後悔していない。
リノさんのおかげで得た、ナヴとの日々。あれはかけがえのないもので……その対価が命だと言われても、構わなかった。
「その対価……ここで払うよ」
ブランコに腰かけた彼へ──彼女から託されたゼノシステムを向ける。
「あの日……ただの子供だった俺たちを、ヒーローにしてくれたのはあんただ」
ゼノを点火することができるのは、条件不明の適合者だけ。
だが──何事にも例外はある。ある物を引き換えに、凡人でもこのエーテル水晶に点火ができる。
「そのあんたが、ゼノを悪用しようとしてんなら──俺が止める」
その『もの』とは……、
「『命』をかけてでも──」
死の覚悟と共に、俺はゼノのスイッチを押した。
○●
シズには悪いが、俺はヒーローなんかじゃねぇんだ。
俺がやりたいのは、復讐──それだけだ。
リボルカジノ同盟──エネラを倒すため、ゼノに適合したナヴを主戦力として結成したチームだ。あの時……俺はシズやナヴ、バンも──あの時近くにいた辛気臭え顔してる奴らを集めて、エネラと戦った。
その中には──ミラがいた。
彼女は獅子族のゼーレス人。今から10年前……あの頃から数えて2年前に仕事で知り合った。
俺たちはユグドラシルの開発部門に勤務していたが、ミラはそれがどうにも不服そうだった。その理由を聞くと──
「だって……私たちが作っている兵器、戦争の道具にされるんですよ? 自分が戦争の後押しをしてると思うと……」
「辞めた方が良いんじゃねえか? 向いてねえって」
「給料が高いもんですから……」
彼女はデスクに突っ伏し、ぷはっと短いため息を吐く。
「私ん家、貧乏で。弟や妹を学校に通わせてあげるには、私が仕事を選り好みしていられる自由は無いんです」
「はーん……」
「スクワートさんはどうしてこの仕事を?」
「同じだよ。ただ、金になるからだ」
俺も、彼女と同じように……この仕事が、空の向こうの誰かを傷つけるかもしれない、そう考えると……やるせない気持ちになる。
でも、世界ってのはそういうモンなんだろうって納得させていた。だってそうだろう? 何も傷つけずに誰かを守るだなんて……虫の良すぎる話じゃないか。
そこんところ、俺は半ば諦めていた。誰かを守るには、その誰かの内に入んねぇ誰かを捨てるしかないんだ。
だが──ある日のことだった。誰かを傷つけるんじゃなくて、守るための力──俺はそいつに出会ったんだ。
ゼノシステム──これがあれば、誰も傷つけず、誰かを救うことができるかもしれない。
俺はユグドラシルからそれを持ち出し、適合者やシズたちと共に人助けのためのチーム・リボルカジノ同盟を立ち上げた。
それから数ヶ月後。俺はミラと再会した。
「ス、スクワートさん……? 急に転職したと思っていたら、こんな所で何を──?」
ミラは事情を知ると、ユグドラシルとの兼業ではあるが俺たちの仲間となってくれた。ゼノを使って、共にエネラを倒す同志となったのだ。
しかし……ミラは、しばらく会っていない内に、赤死病に感染していた。
ミラが同盟に加わって数ヶ月後……俺はミラにその話を切り出された。
「なんで話した? 俺がお前を避けたり、言いふらしたりするかもしんねぇだろ」
「しないでしょ、あなたは。そういう人じゃないもの」
「とにかく安静にしてろ。できれば仕事も辞めた方が良いが……」
「無理だよ」
ミラは、紅に染まった左手の指先を見つめた。
「これは自然に治る病気じゃない……なら、この命が尽きるまで、私はあの子たちのために働く」
言って、ミラは左手に包帯を巻いて赤死病の証を隠すと、俺の方を向いて微笑んだ。
「それに──あなたのお手伝いもしたいの。好き好んで見ず知らずの人を助けようとする、馬鹿なあなたの。だって、結構カッコイイと思ったんだもの」
「やめてくれ。ホンモノの馬鹿はナヴだ。俺ァあいつほどヒーローじみてねえよ」
俺はただ……それができる力を手に入れただけだ……。
命だけじゃなく、他人の心まで寄り添って救おうとする馬鹿の顔を思い出す。あいつなら……力なんざ、俺が託さなくても自分から見つけていただろう。
自分の身さえ顧みず、自分の心すら殺して──狂気じみているほど自分を犠牲にして他人を救おうとする。あいつは本物のヒーローなんだ。それに比べりゃ俺なんざよっぽどまともな人間さ。
「ただ……目の前で死なれたり、朝のニュースで報道でもされたら、目覚めが悪くなるのを危惧してるだけだ」
たまたま、この手に力を掴んだだけ。その力だって、今はもうナヴに託してる。ゼノがなけりゃ俺は……今もユグドラシルで、誰かを守るために誰かを傷つける力の開発に着手していただろう。
「そういうところだよ、リノ。フランくんだってリノに憧れてる。みんな、あなたを目指してるんだよ」
「そいつぁどーも」
その時は嬉しかった。ミラが──自分の家族のためなら、遠くの誰かを犠牲にしても構わないと思っていた彼女が……見ず知らず知らずの誰かを、無給で救う慈善活動に協力してくれているのが。
彼女は責任感が強い。家族を養うので頭の中がいっぱいで、いつもどこか追い詰められたような顔をしているから。リボルカジノ同盟の仲間として、共に人助けをしている時の彼女は、なんだかとても楽しそうだった。当たり前のように笑って、喜んでいた。
家族を守るために、遠くの誰かを傷つけていた彼女が、何のためでもなく誰かを助ける──この場所が、彼女にとって良いガス抜きになっていたんだ。
俺はその時……いや、それからもずっと、彼女が赤死病を患い、緩やかに死に向かっていることを忘れてしまうくらい……嬉しい気持ちでいっぱいだった。
だが──そう。あれは、リボルカジノ同盟として、最後にエネラと戦った時のことだった。
「ナヴ!?」
グループメッセージでナヴから召集の連絡があり、基地に集まった俺たちの元にやって来たのは、蛆虫のような気色の悪い大量の小型エネラに全身を覆われたナヴだった。
「学校帰りに出くわしちゃって……人間くらいのサイズから一気に分裂して、こんなです。あの、自分だと内側から暴発させるくらいしか取っ払えないんで。痛いんで」
「お、おう……」
俺はエーテルを破壊エネルギーにして打ち出し、ナヴに纏わりついていた大量のエネラを駆除した。
「っ……」
「ア、アルマさん!?」
くらっ、とふらつくナヴを慌ててシズが支える。
「大丈夫……吸血虫だったみたいだけど、点火はしてたし。大したことないよ」
「っ、後で……いっぱい、いくらでも休みなよ?」
「おっ、私のことわかってんじゃん」
「ふざけるなら今すぐ休ませるよ?」
傷ついた体を引きずって人助けをすることなんざ日常茶飯事のナヴを支えながら、シズがナヴから聞いたエネラの情報を基に作戦を立案した。
「ゾーンCだけでなく、エリアI中の広範囲に渡って、誤差レベルの微弱なエーテル反応をレーダーがキャッチしました。小さなエネラだからゼノがなくても討伐は可能だけど、油断するとさっきのアルマさんみたいにゼノがあっても負けます。単独行動で各地に散開してもらいますが、何かトラブルがあれば速やかにアルマさんに連絡してください──各割り当てですが……」
シズの指示に従って、俺たちはエリアI各地に散開し、エネラの討伐に向かうこととなった。
「それと、ミラさんですが……」
そこで、シズが口をつぐむ。言わずもがな、彼女の赤死病を案じているのだ。
「大丈夫だよ、フランくん。私も行く」
「でも……」
「行かせてやれ、シズ。こいつが自分の意思で『やりたい』って言ってんだ。やらせてやりてぇ」
「わかりました。それじゃあ──」
シズはミラを、ここから比較的近く、レーダーの反応も少ない貧民街に割り当てた。
すぐ近くのゾーンBに難民でありゼノの適合者であるナヴを割り当てることで、トラブルには万全を期して。
しかし──
ミラはエネラとの戦いで深傷を負い、病院に運ばれた。
全てのエネラを駆逐し、駆けつけた俺たちを待っていたのは、ミラが眠る病室の前で立ち、何とも彼女らしくない……静かな憤怒を滲ませた表情のナヴだった。
「アルマさん、ミラさんは……」
「手術は終わって、山場は超えた。とりあえず、命に別状はないと思う。とりあえず、山から降りてきた熊に引っ掻かれたってことにしといたけど……」
「引っ掻かれた? エネラにやられたんじゃないの……? あの、蛆みたいな」
「…………」
「何があった?」
ナヴは重い口を動かした。
「正確なところは本人に聞かないとわかりませんけど──多分、赤死病が、ミラさんに厄をもたらしたんです」
これはナヴによる状況推理──だが、後日目が覚めた本人に聞いて真実だったと判明した──ミラは大量の小型エネラと戦っている最中、赤死病を隠す両手袋にエネラの一匹が飛びつくのを、うっかり見落としていたらしい。
エーテルを打ち出す手を封じられた場合、あの蛆のようなエネラを自分で取り払うには、皮膚ごと削ぎ落とすか、エーテルを暴発させるか、どちらにせよ自傷を要する。
ミラはやむを得ず手袋を捨て、その紅の肌を晒した。
ミラが感染者だとわかるや否や、周囲の人間たちはパニックに陥った。それだけならまだしも、目前の化け物を差し置いてミラに投石する人間までいたという。
まともに誘導不可能の人の流れが、ミラの行動に大きく制限を課し…………。
「私が駆けつけた時、あの蛆が一つに集まって、二足歩行型のエネラを模していました……おそらく、戦闘能力も遜色なかったんだと思います。ゼノの適合者じゃなければ──」
ミラの引っ掻かれたような傷はそういうことだ。あの大量のエネラは、群のフリをした個のエネラだったというわけだ。
「まずいのは……赤死病は、通常はゆっくりと……一年くらいかけて人体を侵蝕するんですけど、免疫力が低下すると、急速に全身を侵すんです」
「そういえば、前もそんなことあったね……」
ナヴが風邪を引いたり、行方不明になっていたナヴの姉貴の問題でちょっとナーバスになったり……いずれにしろ、ナヴの免疫力が低下するような時、決まってナヴの赤死病は症状が酷くなっていた。
「一時は命に関わったような重傷ですから……あんまし、これ以上心労かけない方が良いと思います」
心労──か。ミラは弟妹を学校に通わせるため、わざわざやりたくもない戦争の手伝いをしていた。己を曲げてまで守りたかった、大切な家族だ……その家族の生活が狂うとなれば、彼女も気が気ではないだろう。
俺はミラの命を繋ぎ止めるため、ユグドラシルに戻る決断をした。彼女の代わりに、彼女の家族を養う決意をしたのだ。
しかし…………不幸は終わらなかった。ミラの家族の一人が赤死病に感染したのだ。ミラから移ったのか、それとも他の感染経路があったのか……どちらにせよ、それは真っ白な紙に落とされた一滴の墨汁のように広がり、やがて家族全体を蝕んでいった。
「リノ……あの子たちが、感染したって、本当っ?」
誰が漏らしたのか……その事実を知った彼女の容態は急変し、やがて息を引き取った。
赤死病は身体ではなく心の勝負──とはよく言ったものだ。生きる希望さえ失わなければ数年は生き永らえることもできるが……不安や恐怖に押し潰されてしまった者は──数日と持たない。
ミラは自身を蝕むストレスに負け、赤色の死に身を許してしまったのだ。
どうしてミラが死ななければならなかったのだろう。俺やナヴのように、好き好んで他人を救おうとする人間ならともかく──あんな、自分の家族を大切に思っているだけの、何一つ変哲もない普通の人間が、どうして死ぬ必要があったのだろう。
無性に誰かを恨みたい気分だった。この行き場のない怒りと悲しみを、何かにぶつけたくて仕方がなかった。
やがて俺の憎しみは、死の感染症を持ち込んだ種族に向いた。あの時ミラを排斥し、彼女がエネラに深傷を負わされる羽目になった原因を恨んだ。
俺は──奴らが大嫌いだ。いや、人間そのものが大嫌いだ。自分勝手で、悪い奴ほどゴキブリのようにしぶとく生きやがる。ミラのように、生きたくて仕方がない奴らは、軒並み息絶えてゆくのに。
そうして迎えた、全ての始まり。
彼方の星は更なる感染者を生み出し、またゼーレスに押し付けようなどと宣った。感染者を箱詰めにした宇宙船を打ち出した彼方の惑星に対しゼーレスは、滅菌処分を決定した。
全ての争いの種──大量の感染者をなんとかすべく、俺たちリボルカジノ同盟は動き出した。
その時、俺の中で燻っていた憎しみの炎……あの言葉一つが、俺たちの絆を引き裂くきっかけとなったんだろう。
「──感染者が乗せられた宇宙船を撃墜する」
単純にして簡単な解決法。
「何言ってるんですかリノさん……あの船には、アルマさんの知り合いだっているかもしれないんですよ!?」
「別に俺は滅菌処分自体反対しちゃいねぇよ。俺たちが滅びるか、ナヴの故郷が滅びるか。それだけだ……」
「っ、見ず知らずの人を助ける──それが俺たちの同盟じゃないんですかっ!」
シズの叫びも、ミラを失い乾いてしまった俺の心には届かなかった。
「結局……自分と、自分の周りの大切なものを守りたきゃ──見えない誰かを傷つけるしかねぇんだよ」
そう……俺は、ミラが散々嫌っていた、この世の摂理をシズに説いた。
○●
「悪、シズ。俺は、お前との男同士の喧嘩にゃ、まるで興味がねえんだ」
限界が近づく中、リノさんが不意に笑みを浮かべると、ぞわりと背筋を撫でるような悪寒が俺を襲った。
それと同時──俺の周囲で、幾つかの強いエーテルの気配を感じる。
リノさんの攻撃かと思って振り返れば、そこには──
「エネラ!?」
二足歩行型のエネラが、一、二……三体。奇声を上げながら、別に取って食うわけでもないのに命を求めて彷徨い始めたのだ。
「な、なんでだ……!? エネラは7年前、ナヴが根絶したはずじゃあ──」
ネビュラゾーンと共に発生する個体、多数の小惑星に生息する個体など、幾つかの例外はあれど……ゼーレス上のエネラは、確かにナヴが根絶させたはずだ。
だけど──それも全て、リノさんの情報。あの日から、彼が俺たちを騙し続けていたとしたら……? 否。だってリノさんの目的は復讐だ。ミラさんが元気だった頃から嘘をついていたのはおかしい。
「シズ。お前は、何にも知らねぇんだよ」
リノさんは腕時計へ視線を落とす。
「5分経過、か……お前も、もう限界だろ」
「まさか……俺の活動限界が近づいた辺りで、エネラを街中に投入するのが目的だったんですか!?」
「当たりだ。もう5分と保たないお前じゃ、ゾーンC中に解き放たれた大量のエネラを駆逐すんのは無理だぜ」
「なんで! ゾーンCには確かに難民も住んでるけど、これじゃあゼーレス人だって巻き込まれる! リノさんが復讐したいのは難民じゃないんですか!?」
「俺の復讐は……7年前とこないだので、もう済んじまったよ」
滅菌処分。数日前の、守衛兵による貧民街襲撃。この二つで、夥しい数の難民が亡くなった。
じゃあこれは……リノさんがやろうとしているのは、復讐じゃないっていうのか!? それならっ、なんでまだ俺と敵対するんだ?
頭の中で幾つも可能性を組み立てていると、ヘリコプターのプロペラが回る音を俺の強化された聴覚がかろうじて捉えた。
「あれは……報道ヘリ?」
「じゃあなシズ。俺の役目は終わった」
「リノさん!」
リノさんを追いかけようとしたが、エネラを放っておくわけにもいかない。一体何が……まさかリノさんは、エネラの存在を公表しようとしているのか?
そんなことをすれば、間違いなくパニックになるだろうに……。
俺は慌ててスマホを起動し、SNSを見る。すると、懸念していた通り……街中で出現したエネラの画像や動画が拡散されている。しかもゾーンC全域でだ。その数、十や二十はくだらないだろう。
動画サイトを開くと、テレビ局の公式アカウントにてゾーンCの地獄絵図がライブ配信され報道されていた。この様子ではテレビでも放送されてるだろう……若者たちが騒ぎ立てた趣味の悪い都市伝説ということにはできまい──エネラの存在は今日、白日の下に晒された!
「くそっ!」
ムリだっ……あと5分と保たない俺の体では、エネラを駆逐することができない。とにかくバンさんに連絡だ。
「もしもしバンさん!?」
『フランくん、わかってる……ゾーンC全域でエネラが出現してて……今、リトにも連絡してるところだよ』
バンさんが出した名前は、リノさんを除いて……俺たちの他に唯一生き残っている元リボルカジノ同盟の一員だった少女のものだった。
彼女はバンさんの姪っ子で、今はゾーンCの大学に通っていると聞いていたが……。
「リトちゃんをいれても三人……とてもゾーンC全域をカバーできる人数じゃないっ……」
それでも、やるしかない。俺たちは、みんなを守るために集まったんだ。今は離れてしまったし、ナヴほど他人のために命はかけられないけれど。それでも、関係のない一般人が傷つけられるのを見過ごすわけにはいかない。
バンさんと連携して、最もエネラの目撃情報が多い場所を目指して走る。残されたこの時間……少しでも多くのエネラを殺すんだ。
人の数が多い街中へ来ると……そこは地獄絵図だった。
飛行型、二足歩行型、四足歩行型、小型や大型まで。様々なエネラが跋扈し、街を、人を破壊してゆく。何かのアクション映画のワンシーンかのようだった。ビルが崩れ、燃え盛り、瓦礫の下敷きとなった人が泣き叫び、怪物に引き裂かれてゆく。
そんな悍ましい光景が、俺の視界いっぱいに広がったのだ。
ゼーレス人も、難民も関係ない。リノさんにより解き放たれた大量のエネラにより、人々が殺されていた。
「リノさん……一体何のつもりなんだっ!」
少しでも多くの人を救うため、俺は全身にエーテルを漲らせ、地を蹴ろうとした。
しかし──
「はあああああああああああッ!!」
空気を震えさせるような、裂帛の叫び声と共に。地平線の彼方から、一筋の光が突っ込んできたかと思うと、僕の目の前のエネラに激突し、エネラが吹っ飛んだ。
「なっ」
明らかに現代兵器ではない……なのに、エーテルを一切感じない。エネラを吹き飛ばすほどの強い力を発揮したその光は、僕の目前で止まると、徐々に弱くなってゆき……。
「大丈夫っ? ソーン!」
とても小さな女の子の姿を現した。
○●
『ただいまゾーンC全域にて百匹近い異形の怪物が闊歩しているとのことで……』
自宅にて。ふとテレビでも見ようかと電源を点ければ、どこもかしこも退屈なニュース番組ばかり。観念して遠いどこかの物騒な話題でも聞こうかと思えば……テレビから聞こえたのは、私が毎日通っている学校がある街の名前。見えたのは、昨日私が倒した化け物──エネラの姿だった。
「なに、これ……」
「怖いわね……でも、ゾーンCだし、ユグドラシルの守衛兵が対処してくれてるらしいし、心配は要らないわよ」
呆然とする私の背後で、晩御飯の準備をしている母さんがまるで他人事みたいに。いや……実際他人事かんだけど、必ずしもゾーンCにしか出現してないとは限らないだろうに……結構近いんだから。
「待って……ゾーンCって、アトラの家があるよね!?」
大急ぎで連絡先からアトラの名前を選び、通話を試みる。私からの連絡なら、普段はワンコールで出るはずのアトラが中々出ない……。
「ちょっと、冗談キツイわよ……」
背中に嫌な汗が伝うが……どうやら杞憂だったようで。カチャリと電子音が鳴り、切羽詰まった様子のアトラの声が。
『もしもしシエル!? こっちは無事……とは言い難いけど、怪我はないわ。それよりあんたは!?』
「アトラ! 良かった…………。あ、えっと、私も大丈夫……ゾーンFにはエネ──ばっ化け物は出てないみたい!」
『ごめん……今手が離せないの。っ!』
スマホの向こうから、力んだようなアトラの力強い声が。
「アトラ……? もしかして化け物に襲われてるの?」
『そんなところよ……とにかくあんたが無事でっ、良かった!』
「ごめんっ……邪魔だよね。私なんか良いから、あんたは速くどっか逃げて!」
通話中だが、アトラが度々言葉を中断し、地面を転がってるみたいな衝撃音が聞こえた。どう考えてもお邪魔虫だ。
『そうさせてもらうわ……さすがに片手が塞がってる状態でエネラを相手にすんのはキツイわ……』
「とにかく気をつけて……!」
慌てて通話を切断。だが……アトラが今も襲われているという事実が、私まで戦地に放り込まれたかのような緊張感を拭わせてくれない。
「ソーンは今どこに……。ウィリアムさんと一緒に戦ってるのかな……」
昔、リボルカジノ同盟とかなんとかで、エネラと戦って根絶させた──って言ってたよね。きっと、ソーンたちがなんとかしてくれるよね……。
『エネラはとても怖い生き物なんだ。ナヴ──ゼノの完全適合者じゃないと、まともに相手をするのも危険だ』
ふと、昨日のソーンの言葉が脳裏によぎる。
ナヴさん……私の前に、ゼノを使ってた人。ソーンやウィリアムさんの口ぶりからして、その人はもういない……。
そんな状態で、リノみたいな悪者の邪魔も入るのに……百体ものエネラを、本当に何とかできるの?
アトラなんか、今にも襲われて、死にかけてるのかもしれないのに?
「──行かなきゃ……」
ぽつりと呟いた言葉は、母さんに拾われていたようで、
「シエル?」
「えっ? あっ、えっと」
ゾーンCに行く──なんて言っても全力で止められるだけだ。もうそろそろ父さんも帰って来るような時間……外に出ても不審に思われない言い訳──ええと……。
「ア、アトラ! アトラだよ。ゾーンCから避難してきて、今駅にいるんだって。それで、今晩泊めて欲しいって言われたから……」
「ああ、そういうこと。それじゃ迎えに行って来てくれる? アトラちゃんの分のご飯も作っておくから」
「ご、ごめんっ」
万が一、テレビのカメラがある所でも戦うことを視野に入れて……パッチさんからもらった仮面を鞄にしまい、私は部屋を飛び出した。
「──なんで『ごめん』?」
そんな母さんの言葉を背中に感じながら──靴を履き替え、玄関の扉を開け放つ。
「ぇっ……」
するとそこには、見慣れない黒ずくめの男がいた。お隣さんかと思ったけど、こんな人見覚えないし、宅配便みたいに確実に私たちの部屋の前で待機していた。
「え、ええと。家に何か……?」
全身を黒いスーツで覆った男。顔は、竜? ドラゴンみたいなデザインの、金色の仮面で隠していて見えない。どう見ても不審者だ。
「ゾーンC行きの電車は停まってるぞ」
目の前の怪しい黒ずくめの男は年老いたような声を発した。
「へ? あ、そ、そうですか……」
「シズク・フラン──ソーン・ワイズが自分の命を代償にゼノを点火した。急いだ方が良いぞ」
「嘘っ!? て、ていうかなんでソーンのことを……? あなた、リボルカジノ同盟の人、なんですか?」
疑問は多いが、ソーンが危ない……? 私を騙そうとしてるのかもしれないけど、ゼノの完全適合者がいない状態のソーンが何をするかと言われれば……ありえない話ではないように思える。
「俺のことはどうでも良い。駅まで向かえ。線路に沿って全力で走ることだ。お前なら5分もありゃ着くだろ。幸い、電車が停まってるおかげでちょっとばかし派手に走っても騒ぎにはならんさ」
「は、はぁ……どうも?」
なんでこの人……私の『力』のこと知って……? 両親やアトラにも、精々五十メートルを6秒台で走るところくらいしか見せてないのに……。
と、とにかく気にしててもしょうがない。明らかに怪しいし、しっかり鍵を施錠して……私は速やかにその場を離れた。
「ん……?」
全身黒ずくめに、生き物の仮面……?
それってまるで──夢に見たあの蜘蛛男みたいな……。
「あれ?」
私が振り返ると、そこにはもうさっきの不審者の姿は無かった。まるで、最初から存在しなかったみたいに、去ってゆく後ろ姿一つ見受けられなかった。
そもそも、出口は私の方……エレベーターか階段しかない。あちら側は行き止まりだ。
いつの間に私を追い越して……? ま、気にしててもしょうがないか。あの人の言葉が本当ならソーンが危ない。一秒だって無駄にできるもんか。
エレベーターを待つ時間も惜しい。私は周りに人がいないのを確認して、手すりに手をかけて身を乗り出した。
「なんか、ソーンと初めて会った夜を思い出すな……」
私はそんなことを考えながら、重力に身を任せて落下した。
○●
管理ネーム『シエル・グラント』が去るのを見送って。姿を消していた竜の仮面の男は、駅の方角へ光となって走り去ってゆく彼女を見送り、
「やはり、あの時の生き残りか──まさか生きてるとは思わなかったが。エネラの成り損ないってトコだな」
実験体が一匹ロストしたとは聞いていたが……まさかこのような妙な能力と共に生き延びていたとは。オマケにナヴ・アルマと同等かそれ以上にゼノシステムに適合している……。
「何はともあれ──ハッピーバースデー」
竜の仮面の男は、仮面の下を凄絶な笑みで彩りながら呟いた。
「新しいエイドの誕生だ」
○●
こんなに全力で走ったのは、一体いつぶりだろう。
「大丈夫っ? ソーン!」
移動モードを解除して、私は何やら身体がピンク色に光ってるソーンに手を差し伸べた。
「シエル……君、その力はっ──君もエーテル適応体質だったのか!?」
「エーテル、なんちゃら……? みたいなのはよくわかんないけど……私、頑張れば電車くらい速く走れんの! なんかぽわーって身体が暖かくなって光るけど!」
「そ、そうか……」
母さんたちにも──アトラにさえ見せていない、私が自分を化け物とする所以だ。ゼーレスに来たばっかの頃、何度か暴発したっきり一度も使ってなかったんだけど…………人間らしくありたいとか我儘言ってられるほどの状況じゃなかったもんね。
「それより!」
あんまり納得してなさそうなソーンからゼノを取り上げ、そのスイッチを押す。
「あっ、おい!」
すると、ソーンの身に纏わりついていたピンク色の光が収まり、消えてゆく。それと同時、途方もない倦怠感に襲われたのだろう……ソーンがフラフラとよろめき、その場で膝をついた。
「まったく……あんた適合者じゃないんでしょ? 何でそうムリする! 荒事は全部私に任せてってば!」
「そ、それはっ……君を巻き込みたくなかったから──」
「それ、私が安全になるのと引き換えに、ゾーンC中の人々が危険に巻き込まれてるよ。アトラだって」
「親しい人間を優先することの何がおかしい!?」
ソーンは突然怒鳴った。何かあったんだろうか、いつものソーンらしくない。
「……ごめん、ナヴを──死んだ相棒を思い出したんだ。君みたいに、自分を大事にしたい奴だったから……もう、二度と死なせたくなくて」
「そのためにソーンがいるんでしょ。信頼してるよ」
私はゼノシステムを天にかかげ、そのスイッチに指をかけた。
「エント──」
「ダメだっ」
「むごっ」
突然ソーンに口を押さえられ、ゼノの点火を制止される。
「何するのソーンっ。まさかまだ私を認めてないの!?」
「違う。上を見ろ……」
ソーンに言われて視線を上に上げると……、
「報道ヘリのこと?」
さっきからプロペラの音がうっさいあのヘリ。どっかのテレビ局の報道ヘリだ。街中で化け物が闊歩しているだなんて特ダネを逃す気はないと、一匹残らずカメラに映してやろうという気概さえ感じる。これがフィクションなら、飛行型の怪物が当然のように現れてあのヘリは墜落すんだけど……ところがどっこいこれは現実。いつまでたっても空中のうるさいプロペラは健在だった。
「大丈夫だよ、パッチさんに渡された仮面もあるし。点火中を撮られても心配ないってば」
ゼノシステムを持ち出している謎の女がユグドラシルにより大々的に捜索されている最中……私がゼノを点火して戦うことを懸念してるのだろうけど、顔さえ隠してしまえばこっちのものだ。
「馬鹿を言うなこの馬鹿!」
「ば、馬鹿って二回も……」
「確かに君の正体は隠せるかもしれない……でもそれはユグドラシルに、だ! 君のご両親や友人は鼻から下を仮面で隠したくらいで君のことがわからなくなってしまうような人なのか!?」
「そ、それは……」
ソーンの言う通りだ。パッチさんがくれたのは鼻から下を覆い隠す仮面。目元も隠せるようにとサングラスも持参してきたが……どちらにせよ母さんたちやアトラは気づくだろう。
いや……アトラたちでなくても、私とそれなりに面識がある人間──例えば、クラスメイトや貧民街の旧友でも、身長130センチの癖っ毛ピンク髪なんて特徴的な人相、顔が隠れていても私と繋げない方がおかしい。
間違いない……知人にはバレる。両親にはめちゃくちゃ叱られる。クラスメイトの誰か……私に恨みを持ってる奴なんかが通報すれば──私は母さんたちを悲しませる結果を招くだろう。
「わかってる……でも!」
でも──そんなの、目の前で失われようとしてる命に比べれば……!
「わかってない! 君がこの状況下で点火をすれば、二度と家には帰れないんだぞ!?」
「えっ……なんで? なんでよ!?」
「君の知り合いの誰かが通報するかもしれない! そうでなくとも、治安局やユグドラシルが自力で君にたどり着くかもしれない!」
「わかってるよ! それが──」
「その時……君が犯罪者だと知っていて匿っていた君の両親はどうなる……!?」
「っ! そ、それって……」
そうだ……わからないはずはなかったのに。目を背けてた……。
私たち難民がこの星で犯罪を犯すことの意味。100年や200年も昔みたいに、家族諸共処刑……だなんて馬鹿みたいなことが、当たり前に行われる星なんだ──ここは。
「君がカメラの前で点火するとして、両親には迷惑をかけたくないと言うのなら──両親と縁を切り、裏の世界の住人になるしない!」
「……!」
無理だ……そんなの、できるわけがない。母さんたちが私を学校に通わせるためにしてきた努力を考えると……そんな勝手なことして良いわけがない。
私の我儘で……みんなの努力を無駄にするなんて──
──その時、ソーンのポケットの中のスマホが着信音を響かせた。
「バンさんからだ」
「出て、スピーカーで」
「……」
ソーンは不満げだったが、すぐに通話ボタンをタップしてスマホを耳に当てた。
『フランくん、大変だ。ディメイトがゾーンC総合病院に向かってる! いつ暴走するかわからない危険な状態だ!』
「ディメイト?」
「異形型のエネラだ……四次元に干渉する能力を持ってる、ナヴも苦戦した個体」
憎たらしいくらい物事を舐め腐ったような余裕の笑みを崩さないソーンが、苦々しい顔をしている。リボルカジノ同盟として戦ったそいつがよっぽど強敵だったんだろう。
「すぐに行きます。あいつに知能はありませんし、無差別に四次元攻撃を振り撒く前に攻撃してヘイトを稼いでしまえば問題ありません」
『わかった……そっちは任せるよ』
ソーンはウィリアムさんとの通話を切断すると、病院の方角へつま先を向ける。
「ソーンっ」
「何度も言わせないでくれ……君を巻き込むわけにはいかない」
「わかってるでしょ……私は強いんだよ? 少なくとも、ゼノがないあんたよりかはっ」
「わかってるのか? ただ怪我するだけじゃない。ゼノを放さなければ、君は二度と両親に会えなくなるんだぞ……」
「うるさいなぁっ! 今どうやれば良いとこ取りできるか考えてんの!」
私はソーンの前で背を向けて屈み、両腕を彼の方へ伸ばした。
「ん! タクシーみたいで癪だけど、私に乗れば三分くらいで着くから」
「……ゼノは使うなよ」
「……わ、わかった」
「声が震えてる。あと汗だらだら」
「え、嘘っ」
「まったく……嘘が下手だな」
ソーンはやたらと勢い良くため息を吐くと、観念して私の背中に身を預けた。体格差的に随分とあべこべで絵面がおかしいけど、文句は言ってられないだろう。
「重くない?」
「うん。それより走るよ、目つむってて」
すうっ、と息を吸い込んで。身体を、光速で動く電気信号に作り替えるみたいなイメージ──頭の中で何度も反芻させる。
次の瞬間、私の全身は桃色に発光し、力が体の芯から指先まで漲った。
「オーバーヒートして一気に充電切れする前に──全力で走るよ!」
目指すは病院! 逃げれない患者さんを化け物の魔の手から助けるために!
○●
四次元攻撃って何? その質問に、ソーンはこう答えた──人の理解が及ばない攻撃。考えるだけ無駄。不条理で殴ってくる。
重力の方向がひっくり返ったり、水が炎のように熱くなっていたり、空気が有毒になったり──なんて、柔な攻撃ならまだ優しい方だ。
何も無い所で溺れ死んだり、室内で転落死したり、空に向かって落っこちたり……終いには、どこからともなくブラックホールが現れて、粉微塵に消し飛ばされることも。
そんな理解不能の攻撃が病院で未だ避難できてない患者さんたちを襲ったら、大変なことになる……!
「着いたっ!」
ゾーンC総合病院……、ウチの学校よりも大きいんじゃないかってくらいめちゃくちゃデカい建物の前で急ブレーキをかけた私は、背中のソーンを地面に降ろす。
メインエントランスから、看護師か身内に連れられて避難している患者さんが何人も出て来ている。正面玄関はちょっとした行列みたくなってるようだ。
だろうと思ってたけど、避難が全く済んでないね……。
「シエル、アレだ」
ソーンが指を指した方向には……、無数の穴があいた球体があった。
「あれがエネラ……?」
大きさは私よりちょっと小さいくらい。表面に空いた無数の小さな穴からは、アンテナ……? らしき線が伸びていて、その先端の周囲の空間がカゲロウみたいにぐにゃりと歪んでいる。
「くそっ、この目で見るまでは信じたくなかったけど、本当にディメイトか」
悪態をついたソーンが、どこから取り出したのかやたらとメカメカしい銃を構え、銃口にエネルギーをチャージする。
「ちょっと、撃っちゃって良いの? 四次元、なんちゃらでさ、危ないんじゃないの!?」
「奴は間違いなくナヴが戦ってきたエネラの中でトップクラスの戦闘能力を持っているが、唯一の弱点として知能がない。自分に攻撃してきた人間を優先的に狙う習性があるんだ」
つまり、自分にヘイトを集め、患者さんたちが避難する時間を稼ごうとしているわけだ。
「な、なるほど……って、それじゃソーンが危ないじゃん!」
「他に方法があるのか?」
「わ、私の方があんたより頑丈だし……」
「やってみろ。耐久性なんか関係ない不条理が君を襲うぞ」
「ぐ……」
それってつまり……私でもソーンでも変わらない──誰か一人が犠牲にならなきゃいけないってことじゃん。
多分、私もソーンもわかってるんだ。この状況を打開する方法が、一つしかないって。
「……」
パッチさんからもらった仮面を、口元に装着する。
そして──落っことさないよう懐にしまっていたゼノを取り出し、ゆっくりとディメイトと称される異形のエネラに歩み寄る。
「馬鹿、やめろ! ここは病院だぞ!? 監視カメラだってあるし、空にはヘリだって飛んでる!」
「わかってる……わかってるけどさ! ゼノシステムは、みんなを守るための力なんだよ!? ここで戦わなかったら……絶対に一生後悔するっ……!」
私はちらと、背後の人々を見やった。
人間は弱い。病気や怪我、恐怖なんかで思うように走れなくなることなんてしょっちゅう。迫り来る化け物からゆっくりとしか逃げられない。
これは──私の手の中のこれはっ、そんな人たちを守るためにある物なんだ! 無関係で無理矢理首突っ込んだ私が言うのもおかしいけど、わかるんだ。
「ダメだ……許可できない! 頼む、言うことを聞いてくれ! 君をナヴのように、死なせたくないんだっ……」
「ごめんソーン……でも、これが私のやりたいことだからっ!!」
大層な理由なんてない。不思議と迷いもなかった。私の後ろで、誰かの命が奪われようとしている。それなら……戦わなくちゃいけない。
ゼノを天に掲げる。そして合言葉を──
「エントリー!」
クリスタルに点火。次の瞬間、私の纏っていた私服が光の粒子となって消え──相変わらずぶかぶかなエーテルアーマーに置き換わった。
○●
「シエル……?」
例え鼻から下をマスクで隠したとて……我が子がわからぬ親はいないだろう。デニ・グラントは愛する娘の姿をテレビ画面の向こうに見つけた。
そこに映る愛娘の手には……最近ニュースでよく報じられていた、ユグドラシルから盗まれ持ち出されたという最新型兵器が握られていたのだ。
当然、デニには事情は計り知れない。しかし……途方もない悪寒が背を伝った。
彼女は知っている。自分の娘は、小さな頃から、どうしようもなくヒーロー気質であることを。そして、誰かを救わんがために、取り返しのつかない傷を自身に刻むことを躊躇わない性分であることを。
予感ではない──確信としてここにあった。
○●
全身が熱い……これには二度、覚えがある。身体中に異能が行き渡る全能感……私が全力ダッシュして多少背伸びする程度とは比べ物にならない異能が全身を満たしているのだ。
ゼノシステムの点火──エーテルアーマーを身に纏った私は、一瞬にしてどんな超人も、どんな兵器も超える力の化身となったのだ。
「──攻撃しろ」
ソーンが、自分の銃と、新たにナイフを取り出して、それを私の足下に投げ寄越した。
「防御を捨てるんだ。どうせ耐久無視の理不尽な攻撃しかしてこない。四次元空間に放り込まれたら、そこに必ず潜んでいる奴を血眼になって探せ」
「ん……」
ソーンから支給されたリボルカジノ同盟の装備を拾い上げると、私は今一度鼻から下を覆っている仮面が外れないよう押さえると、目の前の化け物目掛けて駆け出した。
「悪いけど、ここから一歩も通さないよ」
弾力のある肌……? に、ナイフを突き刺す。紫色の血液がぶしゃっと噴き出ると同時、私は背後の病院の中に放り込まれた。
「……?」
病院のメインホールだ。正確にはあの病院ではないのか……? ディメイトが創り出した、病院に似た四次元空間──何でもアリの、奴の腹の中……といったところか。
次の瞬間、私の身体がぐるりと回転し、先ほどまで床だった物が壁となる。
重力が……これがソーンの言ってた四次元攻撃! しかも、重力の向きが変わったのは私だけ……机やソファ、観葉植物だって落下してこない。私だけが突き落とされたみたいに落下しているのだ。
「そりゃそうかっ……ここはあいつの作った四次元空間……あいつの夢の世界みたいなものなんだ!」
無駄に広いホールだったんで、着地をミスって最奥の壁《床》に叩きつけられる。
体勢を立て直そうとしたところで、視界の端……十メートルくらい離れた脇にあった扉が、まるでベルトコンベアみたいに光速で私の真下に移動し、勢い良く開放された。
「っ!?」
そんなのあり!?
落っこちたのは……手術室。メインホールの扉の向こうが手術室だなんて、さすが何でもアリって感じね。
一息つく間もなく……手術室の壁で尻餅をついている私に、メスなどの大量の医療器具が浮かび上がり、凄まじい速度で飛んできた。
「っ!」
避けようにも、銃弾以上のスピードで飛んで来るもんで、私は早々に諦めて胴体を守るように腕を構えた。
が──
「痛ぃッ!」
ただのナイフの威力じゃない……! 見やると、エーテルアーマーを突き破り数本のメスが私の腕に突き刺さっていた。
防御なんか諦めろ……的なことソーンが言ってたっけ。こりゃその通りだ。ナイフなんて見せかけ……形のある物なら、例え紙切れでも異能の鎧だろうが私の鋼の肉体だろうが突き破ってくるだろう。
いや……さっきのソーンの話だと、例え形のない物でさえ──この世界では私に牙を剥く!
気を取り直した頃には遅く……先ほどまでは手術室だったその空間がぐるりと様変わりし、いつの間にか私は病院の屋上に放り出されていた。
しかも……ふわりとした浮遊感に包まれたかと思うと、床にお尻をつけた瞬間、臀部がとてつもない激痛に襲われた。まるで高所から転落したみたい……私でこんなに痛むのだ、高層ビルから落下したくらいの衝撃はあったんだろう。もし四次元空間に閉じ込められたのがソーンであったのなら……今ので絶命していたに違いない。
「数十センチの落下でこの痛みッ……初めっからだけど、もう物理法則なんて完全無視ね!」
どこかに本体が……そいつを倒せば、この空間は瓦解して、病院の人たちを助けられる!
まともな戦闘なんて初めてで……さっきからパニックになりっぱなしだった私は、何よりも大切なその使命を頭の中で反芻させた。
そう、余計なことは考えるなバカ。私はバカなんだから、難しいことは考えずに……とにかくやりたいことを思い出せ。
誰かを助けたいって気持ちが、ゼノの力を引き出してくれるはずだ。なんでかは知らないけれど、これはそういう風に作られてる。それを私は確信している。
注意深く辺りを観察する──そんな時、
「ぅっ!?」
不意に呼吸が苦しくなった……一体何なの!? 一応は宇宙服なんだし、酸素補給機能くらい付いてるはずなのにっ──
「ま、まさか、毒ガス……!?」
それしかない……ゼノを点火してる私を、呼吸困難に陥らせるなんて!
無味無臭だし……噴射機っぽい物なんて見当たらないけど……、私の周囲の酸素だけ、有毒な性質の物になってるんだ。
──何も無い所で溺死……だっけ? ソーンが言ってたやつ──それと似たようなものだ。
「時間制限を押し付けられたってとこか……早く本体を見つけないと!」
考えろ、私ならどこに隠れる? この障害物一つない屋上に……。ここはディメイトが創った四次元空間……本物の病院じゃない。単なるハリボテで、内装まではもう一度作り直さないと存在しないはずだ。隠れられる場所は少ない。
「私なら──」
屋上の端……高く聳える金網の穴を掴み、頬擦りさせて外側を見やる。
「ビンゴ……!」
ハリボテの病院の壁に、重力を無視して引っ付いている。『外』で見た時と違って全身からトゲトゲした突起が現れて厳かなフォルムになっているけれど……エネルギーの過剰消費による防衛反応ってとこかしらね。なんだ、エネルギー効率悪いんじゃないの。
「消耗戦……にしてやっても良いけど、お生憎さま、苦しいのは御免なんでね!」
足にぐっと力を込めて、跳躍する──本来ならよじ登らないと飛び越えられない高さのフェンスを一っ飛びで飛び越え、フェンスの外側の僅かな足場に着地する。
「名前わかんないけど、エーテル銃? ファイアー!」
ソーンから渡されたリボルカジノ同盟の装備……エーテルを充填して放つ銃の引き金を引こうとしたところで、不意に背後から悪寒がする──慌てて飛び退くと、一瞬前まで私がいた所に、金網が解けて鋭利な針の先端が突き出ていた。丁度……私の肺とか心臓とか、重要な臓器がありそうな場所である。
「マジか……」
最後の最後まで油断ならない……。こんな所一秒だって長居は御免だ。息もあと十分は止められる自信はあるけど、今みたいな攻撃で肺に穴が空けられタイムリミットを短縮でもされたら最悪だ──私は意を決して飛び降りると、病院の壁に引っ付いてるディメイトに銃口を向けた。
「くらえっ──!」
蓄積したエーテルをぶっ放す──明らかに銃口よりも大きな極太のレーザーが放たれ……ディメイトの身体を飲み込んだ時、私の首の根を刈り取らんとしていた四次元空間が、音を立てて崩壊してゆくのを感じた。
○●
この世界は、不平等で満ちている。
右には金持ちがいて、左にはホームレス……いや極端か。
でも、例えば玩具屋に行ってみりゃ、今やってる特撮番組に登場するヒーローの変身アイテムだけでなく強化フォーム用のアイテムまで買ってもらえる子供もいれば、んなモン一つも買えなくて近くのガチャガチャで我慢してる子供もいる。
世界に平等なんて一つもねぇ。それが大なり小なりどちらにせよ……不平等極まりない。
──あの日……俺が出会った女は、そんな酷い世界の摂理の被害者だった。
ユグドラシルの開発部門に勤務していた俺は、異星への抑止力となる兵器の開発を課されていた。お国の方々はそんなに戦争が好きなのか……とはいえ、言われてみれば、何の武器もなけりゃ俺たちは異星人に支配されちまう。抑止力としての武力は確かに必要だと思ったんで、色々考えた。
異星に比べりゃ俺たちなんざ古代人に等しい。異星人は機械を自分の手足みてぇに操るらしい。じゃあどーすっか。って考えると、未だ解明されていない部分が多い未知の物質──エーテルに目をつけた。
体内のエーテルを活性化させて威力を強化するナイフや銃……後にリボルカジノ同盟の装備になる物を沢山開発したが、精々一般の銃火器に毛が生えたようなもんで。
結局、俺の家族を、ダチを、俺の日常全てを守ってくれる抑止力ってヤツにはならなそうだった。
まあ別にそれも良いかなと思った。どうせ戦争なんて起こりっこねぇんだ。兵器とか……そんな物騒なモン、わざわざ精力かけて造る必要ねぇって。のほほんと、最低限の結果だけ出しておいて給料さえ貰えりゃ……そんで家族を養って、ダチと偶に美味い酒でも飲み交わしていられりゃ、俺は他に何も要らねぇよ。
そう、漠然と思って生活していた──ある日のことだった。
「君に会わせたい人物がいる」
上司に案内されたのは、ユグドラシルの地下研究所。そこにいたのは──
「ああん?」
中学生くらいの幼い少女だった。フードを被っていて人相はよく見えないが、身長から推察するにまだまだ子供。
だが、俺が困惑したのは、かの有名なユグドラシルの研究所に、義務教育も終えていないであろう子供がいたとか……そんな陳腐な理由ではなかった。
──俺は一瞬、自分がいる場所が研究所だってことを忘れそうになった。目の前に広がっているのは、赤黒い血液で染まった白い布を被せられた、老若男女様々な死体だったのだ。
「ンだ……これ」
人体実験──フィクションでしか聞かないような、頭のイカレたマッドサイエンティストが行うようなそれが、目の前で行われているのだ。
「ロブ、リノを連れて来た。我が社で最も優秀なエーテル適応体質だ」
「……」
屈み込み、物言わぬ骸となってしまった被験者の一人をじっと観察していた少女は無言で膝を伸ばした。
少女が目深に被っていたフードを外す。相貌が露わになった。美しい純白だが、もじゃもじゃと荒れていて不潔感の漂う短い頭髪、見るからに不健康そうなカサカサの乾燥肌、瞳の下を分厚く彩る隈、光の無い瞳。
まるで負という概念が擬人化したかのような、途方もない闇を抱えた少女だった。
「良いですかお兄さん。これは正義の実験です」
長いことフードを被っていたのか、すっかり折り目がついてしまった兎の耳をぴんと伸ばし、少女はこちらへ歩み寄った。
それに合わせて、俺は静かに後退る。
「イカレたマッドサイエンティストが執り行う人体実験に見えるかもしれませんが、違うのです。これは正義──来る厄災に備えての、許されるべき悍ましさなのです」
独裁者の演説のような危うさを感じた。それほどまでに、彼女の後ろの光景はあまりにも非常識がすぎた。どんな理由があろうと、とても正義と呼べる行いには見えない。
「それをしっかり念頭に置いた上で、私に手を貸してくれませんか?」
止めなければならない。どんな理由があれ、人を殺して良いわけがない。しかもそれを、こんな年端もいかない少女が……。
──その日から、俺は彼女……ヘル・ロブの助手という扱いになった。
彼女の目的は、携行型エーテルアーマー転送装置・ゼノシステムの適合者を見つけること。
「それが理由で人体実験を?」
「人聞きが悪い……こいつらはどいつもこいつも、何人も殺した最低の死刑囚だよ。上に頼んで高値で買い取ったんだ。こいつらも最期に人様の役に立てるなら本望でしょ」
「人殺しだからって、殺して良いとでも思ってんのかっ……? 自分の研究のために」
「これは私の研究じゃない……人類のための研究。人類を救うための研究なんだ。それに──他人の身体だけあれこれ弄ってるわけじゃない」
と、自慢でもしているのか──ヘルが注射痕だらけの右腕を捲って見せた。
「私の覚悟……わかってくれたかな?」
来る脅威──厄災について彼女は語った。近い将来、確実に現れ……この惑星ゼーレスを、否──太陽系周辺のあらゆる生命惑星を滅ぼすであろう、紛うことなき厄災。
「アレの力は絶大だ。それに比べ人類はあまりにも若すぎる……身体能力の高いゴリラ、本物の手足より有能な義手義足が当たり前のハンド人、特異体質のミール人、エーテル適正の高いゼーレス人だっている。でも、足りない──どんな代償を払っても構わない……人類を飛躍的に進化させる装置──このゼノシステムが必要なの」
ヘルは、未だに適合者の見当たらない宝の持ち腐れとなったそれを神妙な面持ちで撫でた。
「人類を救う──私の発明で。それが私のやるべきことなんだから……」
一刻も早く適合者を見つけなければならない。しかし、その条件さえ不明なのだ。選定は難航を極めていた。
「エーテル適応体質──君のように選ばれし人間なら、ゼノの適合者になれるんじゃないか……と思ったんだけど」
ヘルが視線をやったモニターには、ここ数日の検査で判明した俺のゼノへの適合率を視覚化した研究資料が表示されていた。
「80パーセント……十分高えじゃねぇか。もう俺で良いだろ。だからあんな人体実験は二度とするな」
「足りないんだよ!」
ヘルは机を乱暴に叩き、頭を掻きむしる。
俺からすればあまりにも急がすぎる豹変っぷりだが──彼女の不健康そうな相貌……ゼノの適合者を選定するため、長いことこのような非道な行いを繰り返しているのかもしれない。
それならばこの容姿も、ヒステリック気味な豹変も頷けるというものだ。
「まだ……まだ足りないんだ──100パーセント、完全に適合する人間がいなければこの星はっ……いや、この宇宙は滅びる! その前に、あと十年もない残り僅かな期間で、一刻も早く適合者を見つけないと……!」
ひとしきり怒鳴ったヘルは、やがてばつが悪そうに口をすぼめると、椅子に座り直した。
「時間が足りないんだ……とにかく、これじゃあゼノのプロジェクトは諦めるしかない」
「諦めるって、どうすんだよ」
「もっと手っ取り早く──ゼノのように『個』じゃなく『軍隊』としての戦力を開発する……一人の百ではなく、百人の一。ゼノの力を幾万幾億の人間に分配すると思えば良い。烏合の衆がどれだけ集ったところでアレに勝てるとも思えないけれど…………」
ヘルは、ふと手にした持ち主のいない棒状のアイテムを見て、キリキリと歯を食いしばった。
「実現もしない、はなから零の百よりかはマシだ……」
ヘルはゼノの代替案として開発中の兵器について語った。それは……人類を救済する武器と呼称するにはあまりにも──惨たらしいモノだった。
一体……実現にどれだけの犠牲が伴うのか。確かに途方もない数の試行を繰り返せば必ず辿り着くだろうが──犠牲に対して得られるものが少なすぎる。彼女の言う通り、幾万の軍隊も、たった一人のゼノシステム完全適合者に及ばない。
それに……戦う者が増えるということは、それだけ犠牲者が増えるということ。彼女が選ぼうとしている道の末では、いずれ女子供も戦地に投入されることとなるだろう。
「──ヘル。ゼノを俺に寄越せ」
俺は半ば、使命感のようなものに突き動かされ、彼女の前に手を伸ばしていた。
「何言ってるんだ、あなたは適合者じゃないんだよ?」
「わかってる。適合者を探すんだ」
ヘルは、人間誰しもが持っているタカが外れてしまっている。俺には彼女を止められない。それに、計算には自信がある……宇宙の滅亡とたった幾億人の犠牲──天秤にかけて一考するほどの馬鹿じゃない。
だが──もしゼノの完全適合者を見つけることができれば……。
こいつの狂気を、止めることができるかもしれない。
「そんなんで、世界にもう一つとないこれを他人に託せるわけ──いや、どうせガラクタか」
ヘルは食い下がろうとしていたが、やがて粗雑な態度でそれを俺に寄越した。
「良いよ、勝手にして。適合者を見つけることができれば万々歳だ」
こうして俺は、ヘルの狂気の実験を止めるため、適合者を探す日々に出た。
そしてあいつらと──ナヴと出会った。
ナヴこそが──俺とヘルが血眼になって探していた、ゼノシステムの完全適合者だったのだ。
だが……ナヴは地球人だった。そして、感染者だった。この時の俺の、歓喜と失望の混じり合った感情は今でも忘れられない。最高と最悪が混在する、クソみたいな気分だった。
ゼノに適合したナヴを主戦力とし、エネラを駆逐するための民間組織リボルカジノ同盟を発足させて約一年。全てのエネラを倒し、平穏な日々が帰って来た。そんな日々の中……徐々に全身を紅のウイルスに侵されているナヴに、俺はゼノの適合者を探していた理由を話した。
「だが……お前は感染者だ。わかってるだろ、もう長かねえ。早急に、新しい──健康な肉体の適合者が必要なんだ」
しかし……依然適合条件は不明。ナヴにヘルの存在を教え、検査をしてもらうよう助言したが、未だゼノについては未知数なことが多いそうだ。
「ゼノの適合条件、か……」
その時、俺たちがいたのは学校の屋上。体育の授業中なのか、校庭で走り回る学生たちを見下ろし、ナヴ思考を回しているようだった。よく見ると、シズがいる。ナヴのクラスじゃねえか。
ナヴは……のんびり授業を受けるってわけにはいかねえか。もう手袋を外せなくなっているし、ワイシャツのボタンを一番上まで留めているのでわかりにくいが鎖骨付近まで侵食されている──半袖短パンになって元気に運動というわけにはいかない。もう数週間足らずで隠しようがなくなって……学校にも通えなくなるだろう。それまで……彼女が保てばの話だが。
「適合者──心当たりありますよ」
「何……?」
「みんなを助けたい。自分のことなんか後回しの、そういう酷い人……それがゼノの適合者なんじゃないか、って思ってます」
「根拠は…………なさそうだな。ならそんな話を信じるわけにも──いや、他でもないゼノの完全適合者の言葉だ……お前がそう思うってんなら、それもゼノの導きなのかもしれねぇ。今はそれに賭けるしかねぇか」
「お願いしますよ」
「心当たりがあんのかよ。そんな頭のおかしい奴。この銀河に、お前の他に」
ナヴは空を見上げた。空──外、宇宙。彼女は、何光年と離れている自身の故郷のことを考えているようだった。
「──私の同族です。あの空の向こうにいます」
俺は自分の顔が引きつるのを自覚した。
「却下だっ。クソッ、ゼノはそんなに異星人が大好きなのか?」
ナヴの同族──つまり、感染者の星。数年前にナヴたちをゼーレスに押し付けることでパンデミックを回避したくせに、最近また大量の感染者が現れたっていうロクでもない星だろ……? ナヴの『心当たり』が感染者じゃねえって保証はどこにもねえじゃねぇか。
いや……それ以前に、ユグドラシルは感染者の星の滅菌処分を決定した。ナヴの故郷はあと数日で滅びるんだ、そいつと共に……。
「………………リノさん」
ナヴは一度、眼下のシズを見やった。クラスメイトたちと仲良くやってる、平穏で幸福な日々の中に生きる、ただの一般人のあいつを。
「今、ヘルさんがワクチンを作ってくれています」
「なっ──それは本当か!?」
「あ、私はもう手遅れです」
「そ、そうか……」
あっけらかんと口にするナヴに俺は思わず肩を落とした。
「ただ……ワクチンの開発には、強いエーテル物質が必要だそうです」
「高濃度のエーテル物質……わざわざ強調すんなら、エーテル適応体質からは採れないモンなんだな?」
「はい」
ナヴは、ぱっと手を開いたり握ったり、感触を確かめるように、全身の隅を動かした。
そして──
「あと、一回か」
と呟くと、こちらを見直した。
「次に託しましょう。私の命、その全てを」
エーテル適応体質の人間からは採れないほどの高濃度のエーテル物質──ならば、方法は一つ。更にその上……ゼノシステムの完全適合者から採取するしかあるまい。
こうして、彼方の星からの移住者は、ゼーレスに入る前に死の病を治療された。滅菌処分こそ阻止することはできなかったが……今は、ナヴが言っていた『心当たり』が、あの時移住船に乗っていたことに賭けるしかない。
──俺の目的はただ一つ。ゼノを……在るべき人間の元に届ける。それはシズと同じだ。
しかし──バンや他のリボルカジノ同盟の仲間を使って移住船の出入り口に張り込んだが…………ナヴに渡された写真と一致する顔は、現れなかった。
数年、見落としの線を願って、根気強く捜索したが……やはり見つからない。
滅菌処分から逃げ遅れた。数ある移住船に不幸にも乗り遅れた。理由はいくらでも考えられる。7年前のあの日はそういう……人の命がゴミのように失われた日だったから。
推定適合者の死を決定づけた俺は、リボルカジノ同盟を解散──リボルカジノの名を使った闇市を開き、ナヴからゼノを託され、別人となったシズを誘き寄せようとした。当然、ゼノを回収するためだ。
ゼノをユグドラシルに持ち帰り……一から適合者を探し直す。それができずとも──ゼノは莫大なエーテルエネルギーの塊のような物だ。アレを基に、いくらでも新たな兵器が作れる。
来る厄災は……もうすぐそこまで迫っている。一刻も早く、ゼーレスは武力を蓄えなければならなかった。
だが──あの日。
再会したシズの横で、泣いたりビビったりしてるだけのガキを見つけた。
髪や瞳の色こそ違う──だが、あの小学生は…………。
『お前……その顔、まさか──』
ナヴに渡された、写真の女──ゼノの、適合者候補だった。
そして実際に、あのガキはゼノを点火してみせた。戦闘経験や天性のセンスこそナヴの足元にも及ばねぇが……出力それ自体は──ナヴと同等の、100パーセントの完全適合者。
そしてそいつは実際に、ゼノを点火して見せた。
その瞬間……ゆっくりと死んでゆくだけだった俺の心は、生き返った。
シエル・グラント……だったか?
あいつの存在が、あの時みたいな絶望の淵にいた俺の心を、ゆっくりと拾い上げてくれたのだ。成すべきことを見失い……ヘルと──ゼノと出会う前のようになってしまった俺を。
俺がするべきことは……ただ一つ。あのガキを……健康な肉体の適合者を、戦いの世界に引き摺り込むことだ。
罪悪感はある。だが……健康な肉体の適合者──もう二度と現れないそいつを、逃すわけにはいかなかった。あのガキは──人類が厄災を超えるための、鍵となる女だ。平和ボケした世界には置いておけない。
エネラの存在を公表するんだ……それしかない。
当然、何百体ものエネラを町中にばら撒くのは危険だ。どこで誰が犠牲になるかわからない……いや、俺だって例外ではない──誰にも手懐けられない化け物が、飼い主の俺に牙を剥かないとも限らないだろう。
それでも……やるべき価値がある。俺の命をベットしてでも……健康な肉体の適合者を逃すわけにはいかない。近い将来来る、厄災に打ち勝つために──
決心した俺は……独断でエネラを街に解き放ったのだ。
──思えば俺は……いつもこうだった。
ユグドラシルで兵器を作り続け……ゼノを手に入れても適合できず、ナヴに託すしかなく……7年前のあの日も、難民を犠牲にしなきゃ俺は何も守れなかった……。
そして今度は、エネラをゾーンC中に放つときた。
シズは……俺を『みんなのヒーロー』だって尊敬してくれてたっけな。
悪ぃなシズ──やっぱり俺はどこまでいっても……あいつみてぇな本物のヒーローにはなれねーみてぇだ。
○●
一つ、わかったことがある。無制限に思えたゼノシステムの点火時間は、何と僅か三分。僅か四十秒ほどでディメイトを討滅させたシエルは、すぐさま元々備わっている高速移動能力で町中を駆け回り、大量のエネラを討滅していた。
しかし……点火から丁度三分が経過した頃、強大なエーテルの反応が消え、慌てて駆けつけた僕は道端に倒れているシエルを見つけたのだ。
ナヴの戦いをこの目で見てきた僕にはわかる……シエルが戦う際のゼノシステムの出力は、ナヴ以上だ。エーテルが強すぎて身体が耐えきれず……制限時間を課されてしまっているのだろう。本当に……心底恐ろしい才能を持つ女の子だ。
残りのエネラは、どうやらバンさんたちが討滅してくれたようだ。何匹か撃ち漏らしているかもしれないけれど……リボルカジノ同盟のレーダーが反応しない程度の弱いエネラなら、犠牲が出る前にユグドラシルが対処するだろう。
今はそれよりも──
俺は、その人を人気の少ない路地裏に見つけた。
エネラに喰われたのか、腕や脚が欠損し、皮膚の表面が所々食い破られているその人を。
生気を一切感じられない……俺の腕の中で、疲れて眠ってしまってはいるが生の活力で溢れている女の子とは比べるべくもない。
「リノさん……」
リボルカジノの名を穢し、最期まで自分勝手に生きた人騒がせな男の骸がそこにぽつんとあった。
「あなたは、俺たちのヒーローだった」
今の彼は許せない。死ぬべき人だったと思うし、俺の手で殺すより無惨に死んだんだから、むしろこれで良かったんだと思う。
「あんたは言ってたよね。人間は誰だって、ヒーローになれるって」
リノさんの前で膝を折って、固く閉ざされた彼の瞼をそっと覗き込む。
「あんたのおかげで俺たちはヒーローになれたんだ。あんたが俺たちを集めてくれたんだ……自分のことしか頭にないつまらない人間だった俺たちを、ヒーローにしてくれたんだ。そのあんたは、こんなに最低な人間に成り下がっちゃったけど」
リノさんの頬に手を置く。人だったとは思えない……人形のような肌に触れる。
「──ありがとうございます。そして、安らかに……」
偶然か……そこでリノさんの肌がボロボロと崩れ落ちる。
ああ、そうだな……いつまでもリノさんに依存していられない。これからは俺たちの足で、歩まなければならないんだ。
──僕は踵を返した。
しかし……ふと、脳裏に一つの疑問がよぎった。
「あれ……でも、エネラを撒いたリノさんが何でエネラに…………」
こうも派手に、そして大量に怪物共をばら撒くものだから……てっきり自分は攻撃されない確信がある──あるいは、そういう逃走経路を確保した上でやったんだと思ってたけど……。
「……」
一時は疑問に思ったが、すぐに記憶からは抜け落ちた。リノさんの真意はわからない。狂ってしまった人間の発想なんて、考えるだけ無駄だと思ったのだ。
「じゃあね、リノさん」
ヒーローでなくなってしまったその人の身体が、跡形もなくなるくらい崩れ去るのを見送ってから……僕はその場を後にした。




