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Xeno-A.I.D.  作者: 草薙薙ノ
第一章:秘密結社ブラッド
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第二話:自分に嘘はつけない

シエル「普通って言うにはちょっと特殊すぎる環境の高校生シエル・グラントは、ある日無自覚無神経性格ゴミクソ最低男のソーン・ワイズくんと出会い、ゼノシステムというなんかこうヤバいパワーを持ってるアイテムの存在を知ってしまった!」

ソーン「色々とツッコミ所が多いんですけど……もうちょっと詳しく書かない?」

シエル「前書きで千文字くらい使って前回の復習して何が楽しいのって。大事なとこだけぱーって語れば良いのよ」

ソーン「僕の性格が悪いとこ、大事ですかね……?」

シエル「性格悪いのは認めるんだ……こほん──そしてゼノを狙う、昔のソーンの仲間リノ。ゼノを手に入れるため、残虐な行為も厭わないリノを止めるべく、何とシエルは、常人には点火できないゼノシステムを点火させるのでありました! さあどうなる第二話!」

ソーン「ところで、あらすじ紹介なんかしてる暇あるんすか?」

シエル「ううんまったく! もう守衛兵が銃構えちゃってる」

 僕は7年前から、儚いものが好きだ。

多分それは……彼女と出会ったから──あるいはそして、彼女と別れたからなんだろう。


「シズクくんって、自分の故郷のこと好き?」


 ある日の休み時間。体育館の上、プールサイドから校庭を見下ろしながら、彼女は僕に問うた。


黒くて長い髪、茶色の瞳。ここらでは全く見ない外見。何より……触れるだけで割れてしまいそうな、硝子細工のように儚い風貌。


「故郷? 俺……一応エリアI(ここ)生まれここ育ちなんだけど」


「じゃ──この街は好き?」


 その時の僕は、街というより、自分の生活を鑑みて正直に答えた。


「──好きだよ」


「なんで?」


「なんでって……別に。生まれ育った場所だから。もしくは──好きだから?」


「好きだから好きってさ……」


「ご、ごめん……」


 僕はこの街が好きだ。いや、僕を取り巻く全てが好きだ。僕を構成する人間、街、その全てが好きなんだ。それらのおかげで僕という人間は生きていられる。幸せでいられるのだ。


だから僕は不思議に思っていた。

彼女は──ナヴは、自分とは何の関係もない他人のために、命を賭すことを厭わない人間だった。


家族でも何でもない……赤の他人のために。何なら、自分を虐め、排斥するクラスメイトでさえ。卑屈で、自分の周りにしか視線を向けられない僕の目の前で、彼女はそうやって救う価値のない人間を救って見せたのだ。


「──私、お姉ちゃんに捨てられたの。たった一人の肉親」


「お姉さんのこと、好きだったの?」


「うん」と即答した少女は、即座に──


「でも今は、大嫌い」


 と溢した。


「なんだ」


 捨てられたなら恨むのも当然か。とはいえ、もっとオブラートに包んでくれないものか。


彼女は、家族と上手くいっていないんだ。だから、自分とは関係のない赤の他人を救おうとする。自分を見て、とSOSを発信する。


ゼノシステムは──そういう頭のおかしい人間にしか点火できない……そう思っていたのに。だから僕は、そういう人間を探して彷徨っていたのに。


どうして彼女が……仲間のために憎しみを燃やすシエルが、ゼノを点火できたのだろう。


○●


【Approve the ENTRY.

Initialize the A.I.D.signal.

A.I.D.code is──Xeno-N(ゼノン)


 ゼノのスイッチを押し、クリスタルに点火した途端──そんな文字の羅列が、私の瞳に映し出された。


「エイド……?」


 次の瞬間……私の身体が淡い光に包まれ、衣服が黒を基調としたややオーバーサイズのジャケットと、無地の白いトップス、タイトのミニスカートに変化……これホントに戦闘用か? ってヤツばかりだけど、それは一旦置いといて。最後に、首元に首輪を模した一画の光輪ヘイローが形成された。


──これで終わりのようだ。戦闘服にしてはちょっとヒラヒラしすぎな気もするけど……とにかく、変身成功ってことで良いのかな。


『シエル! 何があった!? 君の方角から、ナヴと同等の濃度のエーテルを感じるぞ!?』


「むふー、どうよ!」


 ソーン本人がその場にいるわけではないのだが、自慢げに胸を張っていると、正面の守衛兵ガーディアンが容赦なく実弾を発砲してきた。


「やばっ!?」


 変身に気を取られていた私は、回避を諦めて両腕で胴体を守る。


「って──痛く、ない?」


 さっき撃たれた時は、弾が当たったところが真っ赤に腫れてたのに──今度の銃弾は痛くも痒くもない。ただ漠然と、固いものが勢い良く当たったなという感覚が残るのみだ。


「これがゼノシステム……! 守衛兵ガーディアンの機関銃もへっちゃらなんだ!」


 全身が湯船に浸かったみたいに熱くて、心地が良い。この感覚には覚えがあった──駅でソーンと初めて会った時、ソーンが持つゼノに惹かれて……自分を制御できなくなったあの時と同じ。


ただ、一つ違いがあるとすれば……今はあの時の全能感を、自分でコントロールできる!


今ならなんでもできる気がする。守衛兵ガーディアンの身体なんか──全力で振りかぶって、守衛兵ガーディアンの頭部に正拳突き。


すると──首から下はそのままに、守衛兵ガーディアンの頭部だけが、遥か彼方まで吹っ飛んで行ってしまった。


「うっそ……こんなにあっさり……?」


 自分でやっておきながら、唖然とする。守衛兵ガーディアンって、鉄でできてるよな……? 一撃って……殴った手も、ちっとも痛まないんだけど。


「これなら楽勝っ!」


 ブォン──と、空間を裂くような、不快な音が鼓膜を震わす。残りの守衛兵ガーディアンの……ビーム砲! さっき貧民街を焼いた、あのビーム砲だ!


「でも今の私なら──痛ぁっ!? こっちはちゃんと痛いのかよ!」


 ビーム砲を防いだ腕が、軽傷だがちゃんとしっかり火傷してる。そりゃそうだ、本来ならくらった時点で灰も残らない代物。これで済んでるだけゼノは凄い。


ビーム砲を放った守衛兵ガーディアンが、すかさず機関砲を捨ててジェット噴射で接近してくる。砲門が真っ赤に発熱してるし、そう何度も撃てる代物ではないんだろう。守衛兵ガーディアンは左腕部から、ビームソードを出現させ、生物的な躊躇いなく私の首を斬らんと飛びかかってくる。


──あれ……でも、遅い……? 守衛兵ガーディアンの動きがスローモーションに見える。ゼノを点火する前は、反応して防御するのが精一杯だったのに……。


一瞬、よく聞く走馬灯というヤツだろうかと考えるも、私の身体はいつも通り……否、いつも以上に軽快に動き、即座に守衛兵ガーディアンたちの背後に回っていた。


防御だけじゃない……スピードも、元の私とは比べ物にならないほど速くなってるんだ!


「くらえっ!」


 鋼鉄の身体と俊速──私は守衛兵の首目掛けて手刀を。火花が散るが、銃弾ですら無傷の身体なのだ、恐れることなく、Ⅱ型の首を切断してやった。機械だから罪悪感ナシ!


「よっしゃ! 見たか!」


 と、大人げない煽りを機械相手にする矢先、背中に熱い衝撃。


「いぃっ!?」


 慌てて振り返ると先ほど頭部と身体をバイバイさせたはずの守衛兵ガーディアンが、熱で赤く変色した砲門をこちらへ向けていた。


「なんで生きてっ──」


 って、そりゃそうだ……相手は機械、生き物じゃない! CPU……だっけ!? 機械を動かしてる頭脳的な部位を破壊されないと、活動は続けられる!


くそ……ビームが当たった背中が熱い……! 威力自体はⅡ型と同じなのか……Ⅱ型よりも動きはノロいけど、サポートに回られると厄介だ。


しかも、初期型の守衛兵ガーディアンがまだ生きてるなら──


「やっぱりⅡ型(そっち)も、まだ動くよねぇっ!」


 切断部からパチパチと火花を散らすⅡ型が、ビームソードを振りかざす。


「ここは一旦、逃げる!」


 私は即座に踵を返し、この妙な地下通路の奥の方へ真っ直ぐ走った。


正直舐めてた……! あっちはちゃんと連携して、スペックじゃ敵わない私を相手取ってる。こっちも作戦を立てて挑まないと痛い目を見ることになる。そりゃ、多少の怪我を覚悟すればすぐ終わるだろうけど……できれば目立つところに傷ができるのは勘弁だ。昔、歩いてるだけでいちゃもんつけてきたゼーレス人と喧嘩して傷だらけになって帰った時、母さんに一時間近く正座させられて叱られた地獄を思い出す。あんな怪我より苦しい拷問をもう一度受けようという気は起きない。


とにかく、今は逃げの一手。もちろん行き先なんてわからないが、とにかく守衛兵ガーディアンたちから距離を取るため、闇雲に走る。


さっきまではジェット噴射で移動する守衛兵ガーディアンにスピードで負けてしまったが、今じゃ体力の心配をしながら走ってもぐんぐん引き離してる、ゼノがあれば敵無しだな。


と、調子に乗っていた私は数秒後、行き止まりに相対してしまい、地面に跡が残るほどの急ブレーキ。


「うっ、私ってば運悪いな……」


 ゼノを点火してる状態だし、後ろの守衛兵ガーディアンを飛び越えるのは容易い、か。私は再び踵を返すと、立ち幅跳びの要領で大きく跳躍する準備を──が、何かおかしい。


「なんだ……こいつら」


 振り返った先にいたそいつらは、その場に突っ立って……ビーム砲を構えることもせず、ただこちらを見やるだけ。挨拶すれば通してもらえそう、なんてくだらないことを考える。不気味なほど静か。


「よくわかんないけど……とりあえず隙だらけだから──」


 指先に力を──正確にはエーテルなのかもしれないけど、とにかく力を込める。すると、私の右手が淡い光に包まれた。


よし──これなら。さっきは首や腕を切断しちゃったけど、胸に突き刺してみれば……機械が爆発して跡形もなく吹っ飛ぶはず。


「はぁっ!」


 大きく振りかぶって──その瞬間、周囲の明かりを保っていたランタンの光が、薄暗い白から突如としておどろおどろしい真紅に変化した。


「は? え何?」


 次いで……ブーッ、ブーッ、と警告音アラーム。イメージとしてはドラマとかで爆破装置を起動した時に鳴るようなやつ。少なくともこれから良い事が起こる前触れではあるまい。私は周囲を警戒しながら見渡した。


「ん……?」


 そこで──私は背後の行き止まり……壁上部、首が痛くなるほど見上げたところに、ゼーレス語で『警告』と表示されているのを発見する。


「これ……もしかして、ただの壁じゃ……ない?」


 確かに……よく見てみると、普通の壁にしては変な凹凸がある──長方形型の壁の上から、でっかい円形の何かが取り付けられたみたいな形状をしているではないか。


そう、まるで……扉みたいに──


ここまでずっと何も無い殺風景な空間だったのに、この壁だけ何か妙だ。電子モニターなんか付いてるし、妙にお金がかかってる……不気味なくらい。まるで、この壁がとても重要な役割を持ったものみたいで……。


「警告、ゲート……扉? が、開きます──」


 モニターに表示された一覧の文章を読み上げて、頭の中で自分の母語に翻訳していく──言葉通り、低い機械の駆動音を響かせながらゆっくりと扉が開いてゆく最中、私はようやく異常事態に気がついた。


黒──扉の向こうが黒い。


一瞬、向こうが明かり一つない部屋なのかと思ったけど、違う──黒の他に、点々と……無数の白い光が。


「……は?」


 頭の中に浮かんだのは、あまりにも荒唐無稽な推測。


「い、いやいや……だってここ地下……どっちかって言うと真逆の──」


 その時、鼓膜を震わしたのは風……正確には空気の音。空気が、扉の向こうにどんどん流れてゆく音。原理は知らないけど、ドラマとか漫画でよく見る──


「冗談……よね!?」


 慌てて振り返り、少しでも扉から離れようとすると……待ってましたと言わんばかりに守衛兵ガーディアンたちがビーム砲を構える。


「この人でなし!」


 思わず叫ぶ。こいつら……さっきこのゲートの開閉システムにハッキングしてたから無防備だったのか!? リノの奴、私をこんな惨い方法で始末するつもりなの……!?


「ちょっ、ほんとにヤバい! あんたらそんなに私を殺したいわけ!? あんたらだって死ぬわよ!?」


 私の制止も聞き入れず、その場に居座って実弾も交えながらビーム砲を発砲。そりゃそうだ、こいつらは機械……命なんかありやしない。


仕方ない、強行突破だ。ビーム……は痛いけど! 死ぬよりはマシ! ビーム砲を全身で受け止める覚悟を決め、その場から走り出す──が。


「うぎゃっ」


 豪快にすっ転ぶ。正確には、身体が扉の向こうに吸い込まれてゆく──ゼノシステムの身体能力補強でもカバーしきれない……強力な力で外に流れされてるんだ。


ヤバい……ヤバいヤバいヤバい!! 足にエーテルを纏わせて、一気に跳べばまだなんとか──


ブォン──と、例の不快なビーム砲の音。反射的に身を屈めるが……狙いは私ではなく、円形の扉を壁に固定している留め具の部分。上、下。二体の守衛兵ガーディアンがそれぞれ。一度では破壊しきれなくとも、冷却もせずに真っ赤な砲門のままビーム砲を連発。


「ぃっ!?」


私はその光景を目撃し、顔を真っ青にさせる。


「馬鹿……馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!!」


 どう表現すれば良いのかもわからない、とんでもない音と共に、既に半開きになっていた扉が吹き飛んで。


身体が浮き上がって、ついにゼノの力でも踏ん張ることさえできなくなり……そのまま外へ──


「馬鹿ぁっ!!!」


──私は外……宇宙空間へと放り出された。


「息っ、息が、息が! ヤバい死ぬっ──って、呼吸できてる……!?」


 そういえば、忘れてた……これ一応宇宙服だから、宇宙空間でも活動できるんだ──と、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間のこと。


折角落ち着かせた心が、また混乱の渦に呑まれる。宇宙空間に放り出されて数十秒──私は、目の前の光景の異常に気づいた。


「ゼーレス……じゃない!?」


 ゼーレスから放り出された私の視界にはもちろん──私たちが住む星ゼーレスが在るはずである。

しかし、今私の目の前にあるのは、教科書なんかで何度も目にした衛星写真通りの惑星ゼーレスではなく……惑星と同等のサイズの、巨大な鉄塊だったのだ。


「これって、建物……? 要塞……?」


 建物だ。宇宙にぽつんと、建物が浮かんでいるのだ、惑星と同じくらい大きな。


「ど、どういうこと……? は? ゼーレスは惑星じゃなかったってこと……!? でも重力とか太陽とかはちゃんとあるし…………星空だって見たことあるのに……!」


 見てはいけないものを見てしまったのではないか──信じ難い光景に理解が及ばずパニクっていたところ、背中に鋭い痛み。


「いっつぅ……何よ!」


 振り返ると、守衛兵ガーディアン二体が──ビームソードを構えて、まだ追って来ていた。宇宙空間にまで追い出したのに、私の首でもご主人様に持って帰らないと気が済まないの!?


実はでっかい建物だったゼーレス──頭がこんがらがってるけど、考えてる暇はない。ていうかずっと考えたくない! とりあえず今は、目の前の敵を処理しないと、私は一生宇宙空間を彷徨うハメになる!


『シ──ル』


「へ?」


 剣を再び構え、気合いを入れ直したところで……インカムからザザッ、とノイズ。


『シエルちゃん! 聞こえる!?』


 この声は、ええと確か……。


「クヲーさん? 宇宙って電波届くんですか!?」


『原理聞きたい!?』


「いえ結構です!」


『それじゃ話続けるよ! ゼノシステムの反応をこっちで補足してる……君は今宇宙にいるだろ? でも、一度宇宙空間に出たら戻って来ることは容易じゃない』


「え、私帰れないんですか……!?」


 それは困る……! 宇宙空間で永遠に一人ぼっちとか、考えるだけで気が遠くなりそうだ。背筋が冷たくなる。今ばかりはゼーレスが恋しい。実態は惑星じゃなくて変な要塞のようだけど……地に足がつける場所があるなら何だって良いとも。


『一つだけ方法が──君ごとこっちに転送する』


「転送って……テレポーテーション的な!?」


 もう完全にファンタジーの世界だ……いやまあ、ゼノシステムとかいう変なのが出て来る辺りで……私の15年積み重ねた常識は通用しないんだってのは察していたけど。


『だけど、転送は資金もエネルギアも大量に消費する……一回が限度だ』


「じゃあ大丈夫じゃないですか! ちゃっちゃと転送してくださいよ!」


『それが……体長100から200センチメートルの物体に絞って探知すると、君と思しき対象の他に二つほど──』


守衛兵ガーディアンか」


 要は、転送しようにも守衛兵ガーディアンとごっちゃになって、転送対象を間違えてしまう危険性があるってことだ。


万が一、この状況で転送を強行し、三分の二の確率で転送対象を間違えたら……私は永久に、宇宙空間を漂うことになる。


「──了解ッ……つまり、守衛兵ガーディアンをぶっ壊せば良いんですよね!」


 最初はパニックになっていたけど、この状態だと、空間の面を把握することすら容易いようで──足に力を込めると、まるでクッションみたいに空間がぐにゃりと歪んで……私の身体を押し出す。


「フッ!」


 そのまま接近。Ⅱ型を守るように間に現れた初期型の守衛兵ガーディアンがビームソードを構えるが──むしろ好都合! 一列に並んでくれたなら、一網打尽にする!


「はあぁっ……」


 裂帛の勢い──身体中のエネルギーを右手のひらに収束させてゆく。

今なら、何だってできる──そんな気がするんだよね。


「いっけぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」


 ガーディアンの胸部──CPUが内蔵されていると思しき急所目掛けて、集めたエネルギーを放出する。


次の瞬間、私の手のひらからピンク色に光る波のようなものが溢れ、それは濁流の如く守衛兵ガーディアンに押し寄せ、盾になった初期型だけでなく、のⅡ型まで──一撃で爆破してしまった。


「うぅっ!?」


 目の前で爆発が起きて、思わず両手で身体を庇ってしまったが……ビーム砲が痛いで済むような宇宙服が爆発如きで傷つくはずもなく。


「……」


 ビビってしまったことが途端に恥ずかしくなって、乱暴にインカムを叩く。


「ク、クヲーさん、転送!」


『りょーかい、任せて!』


 クヲーさんからが言うと同時──私の身体が淡い光に包まれ、無重力なのに……身体がふわりと浮き上がる。まるで頭の上から重力が働いてるみたいな──これが転送……変な感じ。


転送の直前──私はふと、惑星ゼーレスを見やった。いや……惑星と言うべきではないのか。銀河にぽつんと漂う、私たちを閉じ込める寂しい要塞を、視線の先にやる。


「みんな、ゼーレス人も……私たちと同じ、檻の中に閉じ込められてたんだ……」


 内側を覆い隠すような、巨大な鉄塊。私からは、ゼーレスの中の様子が一切見ることができない。

それは正しく……外の世界と隔絶された……牢獄のようだった。


○●


 シエルが逃げ去ってから、間もなくしてリノさんも消えた。きっと、ゼノが起動したことを察したんだろう。その時点であの人に勝ち目はなかった。


『シズクくん、どー? カッコい?』


 100パーセント適合者がゼノを起動した際のエーテルの波動は、何度も感じたことがある。あの人も……あの時の思い出を忘れるほど薄情じゃあなかったってとだろう。


「シエルが……ゼノの」


 ゼノから漏れ出たエーテルに浸されただけで人格に影響が出るような虚弱体質だったのに……一体、何が彼女をそうさせたんだ。


様々な思考が頭の中で交錯する中──僕の視界に残ったのは、何も意味をなすことのなくなった……人間の醜い悪意が招いた戦禍の爪痕だけだった。


『少年、戻って来なさい。シエルもいるわ』


「──はい」


 僕にできることは何もない。消防車を呼んだって、貧民街には来てくれやしないんだから。

僕は廃墟の階段を降り、リボルカジノ内、チームバスターズの拠点へと戻った。


──ごめん、ナヴ。折角お前に、この力を分けてもらったのに……僕は、何一つ守れやしなかった。

それどころか、一人の少女を巻き込んでしまった……。


「うん、だから……友達ん家で遊んでて」


 陰鬱な気分で拠点に足を踏み入れると、そこには、スマホを片手にしたシエルがソファの端っこに座っていた。


「え? あー、そう、アトラ。うん。そういうことだから。帰りちょっと遅くなる。うん、うん。はい、それじゃあね」


 スマホの画面をタップして、彼女は一息。


「親御さん?」


「あ、ソーン。うん、ウチ、門限19時までだから」


 とても高校生の門限とは思えないが。それだけ親御さんも、彼女を大事に思っているのだろう。彼女にとっては……どうやらそれが息苦しいものに思えるらしいけど。


「貧民街にいるってことは」


「伝えてない。もうニュースになってるし、心配させちゃう」


 スマホを開くと、どこのサイトも貧民街で発生した大規模火災について取り上げている、らしい。十六にも満たない娘がそんな街にいると知ったら、確かに親御さんは気が気じゃないだろう。


守衛兵ガーディアンのせいなのに……まるで、私たち難民が馬鹿したみたいな記事ばっか……。どこもリノのことを書いてない」


「リノさんは守衛兵ガーディアンを従えてた。ユグドラシルもこの一件に関わってる。真実が世間に晒される日は来ないよ」


「……なんか、嫌」


 シエルはソファの上で三角座りをして、顔をうずめる。余程同族が好きなんだろう。しかし──気の毒だが、僕が話題に上げたいのは、こんな不毛なトピックじゃない。


「シエル……宇宙に出た?」


「あ、それ……!」


 この反応、だと……まさか──


「ゼーレス! 私、宇宙に出てゼーレスを見たんだけど……ゼーレスが惑星じゃなかったの! 要塞というか監獄というか……とにかく建物だったんだよ!」


「……」


 やっぱり……。見てしまったか。まあ、宇宙空間に流されて、惑星規模にデカいゼーレスを見るなという方が無理な話か。


「え……なんか反応薄くない?」


「ごめん……知ってた」


「はあ!? えっ、アルターさんたちもポカーンってしてたよ!? なんであんたが知ってんの!?」


「あの人たちにも喋ったのか?」


「え、だめ?」


 どう考えてもトップシークレットだろ……。それくらい察してくれ。


「はぁ……もういい」


「ご、ごめんなさい……」


 しかし……困った。ユグドラシルやCPTの上層部しか知らないゼーレスの真実……一般人で知っているのは、恐らく僕だけで──墓場まで持って行こうと思ってたのに、アルターさんたちにまで知れ渡ったなんて。


「とにかく、もうそれ以上この話を誰かにするなよ……例え親でもだ。口封じのために殺されたくなかったらね」


「口封じ……!? どういうこと?」


──話さない……わけにはいかないか。これを聞いたら、シエルは激昂すると思うけど。


「──昔、この事実を知って、ユグドラシルに殺された難民の女の子がいた……」


 それを聞いた途端、シエルは目を見開くが……憎しみを向けるべき対象がここにいないことに気づいて、やり場のない怒りを何とか収めた。


「っ、ホント、ゼーレス人って最低……! そんなくだらない理由で、難民(私たち)の命を奪うなんて」


 ふと──おもむろにシエルは、制服の胸ポケットからゼノシステムを取り出した。


「──この力なら……もう、難民がゼーレス人に怯えて、こんなボロい街で暮らさなくても済むんだよね」


 ゼノシステムの、100パーセント適合者。その力は正しく、世界を揺るがす力。難民を守るのはもちろん、難民の立場をゼーレス人と同等にすることさえ夢物語じゃないだろう。


シエルはじっ、と……ゼノを見つめながら、呟いた。


「私……アルターさんに協力するべきかな」


 今だ──逡巡からか、野生動物のような反射神経と身体能力を誇るシエルがようやく隙だらけになったタイミングで、ゼノを奪い取る。


「はっ? ちょ、何すんの!?」


「やっぱり、君にこれは託せない」


「何でよ! それ使えるの私だけなんだよ!? 私が使わないとリノを倒せないじゃん!」


「ダメだ。これは君には早すぎる」


「ッ!!」


 どうしてか、僕のこの言葉がきっかけで、今まで身体能力にかまけて無理矢理ゼノを奪い返すような真似をしなかったのに……シエルが突然激昂して飛びついてきた。


「どうせッ……私がそれを使ってゼーレス人を懲らしめようとしてるんだって思ってんでしょ……!」


 嘘をつく理由が無い──怒りが籠った眼差しでこちらを睨むシエルを、強く睨み返す。


「ああ──そうだ」


「ッ……ふざけんなぁッ!!!」


 激昂したシエルが僕の胸倉を掴み、軽々と僕の足裏を地面から離した。


「っ!?」


 人間離れした腕力とスピードにも驚いたが……僕を一番困惑させたのは彼女の容姿──棒のように細いシエルの腕に、幾重にも重なった血管が浮かび上がっているのだ。


それ自体は不思議ではない。片手で僕の体重全てを支えているのだ、込められている力も生半可なものではあるいまい──奇妙なのは、その血管の色……。


淡い桃色の輝き──間違いない、無属性のエーテル光だ。彼女の血管を、大量のエーテルがかよっているのだ。


「君は……」


 この子、普通の人間じゃない……! 少しばかり運動神経抜群がすぎるアウトドアな女の子かと思っていたけど……やっぱり何かおかしい! 彼女はエーテル適応体質じゃないし、そもそも適応体質の人間でも血液とエーテルを融合させたら無事ではいられない。


「ソーンは私を何だと思ってるわけ!? あのリノとかいうクソ野郎じゃないんだからっ……私は誰も傷つけたりしない!」


「──リノさんは、君の思ってるような悪い人じゃない!」


「きゃっ!?」


 このままじゃゼノを奪い返される……距離を取るため、エーテルの衝撃波を。女性にしても小柄なシエルの身体が、紙飛行機のように吹き飛び、彼女は臀部を強かに床に打ちつけた。


「つぅっ……何すんのよッ!」


「……認めるよ、リノさんは確かに、無関係の難民を手にかけた! でも……あの人をただの悪と片付けるようなら、僕は君を軽蔑するっ」


「はぁ!? 無関係って言ってんじゃん! 私たちはあいつに何もしてないのに、なんで殺されないといけないわけ!?」


「君──学校で虐められてるって言ってたよね。虐めて良い理由は決してないけど、虐められる理由は往々にして存在するものだ」


「あんた……それ本気で言ってるの?」


「い、いや……今のは失言だった」


 まあ、これはデリケートな問題だったか。虐めを肯定するような発言に聞こえる。言い直そう。


「僕が言いたいのは、自分をただの被害者だと思ってるのなら考えを改めた方が良い──ってことだ。ゼーレス人(僕ら)がどうして難民を嫌ってるのか、もう少し歴史の教科書でも真面目に読み漁ってみたら?」


 ひとえに、僕は人間の真骨頂というのは知能だと思っている。動物には決してない、他人の心を思いやれる聡明さ。


「憎しみに支配されて……自分を見つめることもできなくなった奴は、もう人間じゃない。ただの獣だ」


「ッ……私は難民を救うためにコレを使う! ゼーレス人を傷つけるためには使わないって、何度も言ってるでしょっ!?」


「そういうことじゃない。君にこれを持たせたら早死にするから渡せないんだ」


「うるさいうるさいッ! とにかく返して!」


 人間離れした敏捷性──いつの間にか肉薄していたシエルが、僕の手の中からゼノを奪い取った。


「あっ、シエル!」


 そのままシエルはゼノを胸のポケットに収め、出口の方へ。ハッチへと続く梯子ではなく、正面玄関の方角だ。


追いかけようともしたが、僕の身体能力では、どうやっても彼女に追いつけない。

諦めて、初めて会った時みたいに彼女が落ち着いた頃を狙って奇襲するしかないだろう。


「はぁ」


 ゼノを没収したのは、彼女を危険に巻き込まないため──だけど、彼女が言う懸念が確かに僕の中にあるのも事実だ。彼女は、少しばかりゼーレス人への恨みが強すぎる。


あの力は……ナヴみたいな、ちょっとばかし頭のおかしい子くらいに渡っておくのが、一番良いんだ。普通の感性の子には過ぎた代物なんだ。


少なくとも──同族が大好きで、それを排斥する僕らゼーレス人を恨んでいる彼女の手にある状況下では、彼女にとっても、世界にとっても、良い影響を及ぼさないだろう。


シエルが悪い子ではないってのは、このたった二日間で嫌というほどわかったんだけどね……。


さて──同じ手は通用しまい……どうやってゼノを奪い返すか。


と、僕が頭の中で作戦を組み立てていると、外から物音が。何かが倒れるような音だ。何かって……外に倒れるようなものなんてあったか?


不審に思った僕は外へ出て様子を見に行く……と──


「なっ」


 シエルが、うつ伏せになって倒れていた。


○●


く マイハニー          通話 ≡


『ごめん、ちょっと貧血になっ

ちゃって』


                『なぬ』


『来れる? 位置情報送る』


           『だいじょぶそ?』


『多分。ただ、家まで運んで

くれると嬉しい』


      『行きます行かせてください』


 そういう連絡を受けて、指定された場所──高校近くの公園まで来ると、ベンチでうたた寝しているシエルの姿を発見。可愛いなもう。


あ、ヤバい──このまま見惚れてると一時間くらい鑑賞してしまいそうだ。

頬をぺちんと叩き、気を落ち着かせてから駆け寄る。


ベンチに座ったまま、寝息を立てている彼女は毛布代わりに大きめのブレザーを肩にかけていた。まだ衣替え前なのにブレザーを持ち歩いてるなんて、そこまで寒がりだったとはね……。


「シエル、来たわよ」


 声をかけても瞼を開かない。今ならどんなことも……という欲望は、ギリギリ人としての理性が抑えてくれた。


刑務所に入ることを阻止してくれた自分に感謝しながら、シエルの肩をゆすってみる。


「う、うぅん……?」


 思ったよりも速く起きてくれたようだ。とはいえ、よっぽど辛いのか、彼女は視線だけをこちらへやった。


「シエル、大丈夫?」


「アトラ……? あれ、私、なんでこんなとこに……」


 寝ぼけているのか……私を見て困惑してるようだ。シエルは立ちあがろうとして、そのまま顔面から砂場に飛び込む。


「いでっ」


「ちょっ、具合悪いんだから無理しないっ」


「っ……ごめん、充電切れちゃったみたいで……。丁度よかった、家まで運んでくれる?」


「え、貧血じゃないの?」


「貧血?」


「あんたが呼んだんでしょ、貧血だって」


「私がアトラを……?」


 目を丸くしたシエルが重い動きでスカートのポケットに手を突っ込み……スマホを確認する。


「……ソーンか」


「どうしたの?」


「や、何でもない……エネルギア、は持ってないよね」


「うっ……不覚だわ。いつもなら持ち歩いてるのに」


「エネルギア常備の女子高生中々いねぇよ」


 シエルは力なく笑うと、こちらへ両手を伸ばす。


「ん……とにかく、家までお願い」


「さ、触らせていただきますわ……」


「緊張のしかたがキモいからやめて」


 気を変えられたらたまったものじゃない。私は努めて普通の感情を心がけ……シエルをおぶる。めちゃくちゃ重い。ていうか、胸が……ポケットの中に多色ボールペンでも入ってるの……? 鉛筆にしては太くて長い棒状のものが入ってるようだ。


だけど、私が気になったのはそんなことより──


「……なんか、このブレザー、他の男の匂いがする」


「さ、さぁねぇ……!? さっき買ったばっかだからねぇ……先に男の人が試着してたのかもねぇ!?」


 シエルのマンションに着いたのは19時過ぎ。シエルん家の門限過ぎちゃってるけど、先に連絡はしていたとのこと。


「鍵……スカートのポケット。スマホと一緒に入ってる」


「や、さすがに女性の股間をまさぐるわけには……」


「あんたも女子だろがい!」


 そりゃそうだ。我に返って、鍵を貰う。

いざ、シエルの家へ。夏休みに何回か遊んだっきり、一回も来てないから、ちょっと心配する。


「──ただいま!」


 すぅっ、と息を吐いて、シエルはリビングにいる親御さんに聞こえるように声を張り上げた。


「お帰りなさい──って、あら、ブランジュさん」


 ひょっこりと姿を現したのは、シエルのお母さん──デニ・グラントさん。シエルに似て小ちゃい。それも相まってか、年齢は三十代後半のはずなのに、十くらい若く見える。シエルと並んでいると、小学生の母親と勘違いされそうだ。


ちなみに、どさくさに紛れてお義母さんと呼ばせていただいても快く受け入れてくださる、心の広い女性。美しくて優しいとか、隙がない。さすがシエルのお母様。


「ここまで運んでくれたの。母さん、エネルギア持って来て」


「そういうことね──」


 お義母さんは、それだけで事情を察してくれたよう。そりゃ、親だもの。私以上にシエルの難儀な体質の相手をしてきたはずだ。


とりあえず、シエルも辛いだろうし……ソファに寝かせてあげよう。もう少しおぶっていたかったけど……室内でいつまでもおぶってたら、お義母さんに変な目で見られてしまう。


「いつもなら溶かしてから更に希釈してるところだけど……充電切れなら、原石の方が良いわね」


 と、お義母さんはキッチンの戸棚から、小石くらいの大きさのエネルギアを持って来た。


「へぇ、そうなんですか」


 勉強になる。シエルも日頃気をつけてるだろうし、そう簡単に充電切れにはならないだろうけど……これからは一粒くらいは原石を持ち歩いておこうか。


「えぇ……それ嫌いなんだけど……希釈したやつで良いよ」


「文句言わないの。ほら飲む」


「うぅ……」


 シエルは顔をしかめながらも、お義母さんからエネルギアとコップ一杯の水を受け取り、エネルギアを口から摂取する。


「美味しいの?」


 気になっていたことを質問してみると、若干涙目になっているシエルが恨めしそうな顔をこちらへ。


「ゴミみたいな味。そもそも食べ物じゃないし」


 そりゃそうだ。舐めてみたって、甘味や酸味が味わえるわけじゃない。私も一度試してみたが、ただ鉱物の味がするだけだった。シエルにとっても全く同じ感想のようだ。


「ふぅ……苦労して喉を通しただけあるわ。大分楽になった。というか、力が漲る」


 体力を取り戻したシエルが、うんと身体を伸ばす。先ほどまで指先を動かすのが精一杯だったとは、第三者がここにいれば絶対に信じまい。そこにいるのは、ぴょんぴょん跳ねるいつものシエルだった。


もうお察しだろう──シエルは、普通の人間とは少し違う体質を持っている。


一言で言ってしまえば、定期的にエネルギアを摂取しなければ動けなくなってしまう体質。


「はぁ……ホント、面倒な身体……」


「──シエル……」


 まるで機械じゃないか──それは、シエルが一番言われたくない言葉だろうから……決して口にはしない。


でも……正しくそれなのだ。シエルはまるで機械のように……食事とは別にエネルギアを定期的に摂取しないと、ああして充電切れを起こして身体を動かせなくなってしまう。


スマホは重たいデータの通信をすると、エネルギアを大量消費する。それと同じように、シエルも身体をめいいっぱい動かすと、エネルギアを消費する。別に動かさなくても数日で補給が必要になるんだけど……要は無理をすると充電切れになるのだ。


もし充電切れになったまま放置したらどうなるのか……シエルがゼーレスに来たばかりの頃、一度充電切れを起こしたまま誰にも気づかれず数時間放置されたことがあるらしいけど、そのことを彼女は詳しく話してくれない。


一つだけ教えてくれたのは、あと少しでも発見されるのが遅れていたら……自分はこうしてあたしと出会うこともなかったであろう──ということのみ。


難儀な体質だと思う。まるで機械のように、自分の充電残量に常に気を配らなくちゃいけないなんて。

食べ物じゃない鉱物を胃に収めて、元気が出るその身体を気色が悪いとも表現していたっけ。


シエルがこの体質になったのは7年前──彼女がゼーレスに来た時だと言う。難民を乗せた貨物船内で、いつの間にか気を失って……気づけば、どこか薄暗い部屋に。そこで、何かしらを人体に投与する人体実験を受けさせられたんだそうだ。


恐らく……その時に投与された、薬……? か何かのせいで、シエルは人間離れした身体能力と、この体質を得た。その時に見た蜘蛛の仮面の男と、人体実験のこと──誰も信じてくれないらしい。


あの日難民を運んでいた貨物船内は、満員電車のように難民で溢れ返っていたらしく──もし本当にシエルが拉致され、実験室のような場所に連れ込まれていたのなら、周辺にいた人が気づかないわけがないとのこと。それに、シエルの話だと彼女の他にも人体実験を受けた難民がいるらしいのに、シエルと同じ体質だって言う難民は一人も現れない。そもそも、謎の人体実験の存在を知っているのはシエルだけ。


普通なら、シエルが見た悪い夢だって片付けるところだけど……あたしは、シエルのことを信じてあげたい。


だって、彼女はずっと傷ついて来たから。


故郷を失って、悪夢にしろ現実にしろ……人体実験なんかを受けさせられて、ゼーレス人に排斥されて、今も……高校でクラスメイトに虐められてる。


それだけしゃなく……彼女は人間らしくない自分の身体とも向き合いながら生きている。人間離れした自分を見つめて、ずっと苦しんでる。


虐めっ子が殴りかかってきたのを腕で防いだら、そいつの骨が折れてしまい……報復とばかりに集団リンチに遭って、防御すら許されず泣いていることしかできなかった彼女とあたしが出会えたのは、奇跡のようなものだと認識している。


話を聞くと、その時点で彼女の心は壊れる寸前だったことがわかった。お義母さんたちにも話していないこと……()()()()()()も考えていたと吐露された。


最初はそれがどうしたって感じで、もう話すこともないんだろうって思ってた。だが、自分を助けてくれたあたしに彼女が付き纏ってきて……。正直、鬱陶しかったんだけど──話してみると、彼女の優しさに何度も触れる機会があった。そうして気づけば、友達に。今じゃむしろあたしの方がシエルにべったりだ。


彼女と親密になればなるほど……彼女の人間としての尊さを知る反面、人間離れした体質が浮き彫りになる。


彼女と会って間もない頃、洗面台の蛇口をへし折ってしまい、強すぎる自分の力に苦悩して嗚咽をあげる姿を見た。

携帯用エネルギアに繋げスマホを使うクラスメイトを尻目に、エネルギア電池を飲み込む彼女を見るのは毎日だ。


彼女が望まず手に入れたのは……異常な運動能力と、機械のような体質。


耳と尻尾だけじゃない。この星において、明らかに普通の人と違う身体に十分すぎるほど苦しんでいる彼女が、これ以上他人から突き放されて良い理由がどこにあろうか。


だから私は彼女の隣で、これからも彼女を支えるし、彼女のことは無条件に信じている。


そうやって私はシエルと付き合い続けてきたから……お義母さんやお義父さんほどじゃないかもしれないけど、彼女の異変には敏感だ。


シエルが充電を大量に消費する、もう一つの要因。それは──ストレス。


「ねえ、何かあった?」


 身軽になった腕をぶんぶんと回し、身体をぼぐしていたシエルが豪快にすっ転んだ。


「へっ!? な、なな、何!? 何がっ!? えぇっ!?」


 異常な慌て様……図星にしても、なんか反応がおかしくない?


「シエルが全力で動くことなんてそうそう無いだろうし。何か嫌なことでもあったのかなって思ったんだけど……違うの?」


「何でも!? 何でもないよ!?」


「でも……」


「だからないってば! はいこの話おわり! 帰った帰った!」


「ちょ、シエル?」


 玄関まで、ブルドーザーみたいな馬力で押されて抵抗できず。仕方なく、帰りの支度をすることに。シエルは拗ねてしまったのか、部屋に籠ってしまった。


「ごめんねぇ、あの子、怒りっぽいから」


「いえ、お気になさらず」


 玄関先まであたしを見送りに来てくださったお義母さんが、ちらとシエルがいる方角──リビングの方を見やった。


「……好きな子にフられたりでもしたのかしら」


「なんですとっ!? シエル、好きな人いるんですか!?」


 まずいことになった。どうやって始末したものか……。なるべく手を汚したくなかったけど、そうも言ってられまい。


「い、いえ……私の勝手な予想だから気にしないで」


「あ、そうですか」


「ただ、ちょっと妙なのよねぇ……。あの子、嫌なことがあったら結構積極的に愚痴るというか……余程のことじゃなければ私たちに隠さないと思うんだけど」


 余程のこと──というのは、シエルが今も高校で受けているような幼稚な嫌がらせみたいなことを指す。特に──先日ベークにやられたような度が過ぎた虐めのこと。有り体に言ってしまえば、両親に心配をかけさせてしまうような大事だ。


実際、お義母さんはシエルの高校生活を、精々クラスに馴染めていない程度にしか思っていない。確かに……シエルは、そういう『余程のこと』はお義母さんに隠しているのだ。


裏を返せば、シエルはそれ以外(以下?)のことは本当によく喋る。虐めについては聞いたって喋らないが(あまりにも打ち明けないのであたしが四六時中彼女に付き纏ってボディーガードをすることにした)、それ以外のストレスは放課後決まってあたしかお義母さんに愚痴るのだ。小一時間ほど。


初めて会った頃みたいに無気力に泣いて、色々と抱え込んでしまい最終的に爆発して寝込むくらいなら、こんだけやかましくなってくれた方が安心だから──あたしやお義母さんとしては別にそれで良いんだけど。


ああつまり、何が言いたいかと言うと……。


「何かあったんでしょうか……」


 シエルがお義母さんに隠すくらいの出来事が、あたしのいないところで。


心配だ。何か変なトラブルに巻き込まれてないと良いけれど……。


「ブランジュさん、シエルのこと……よろしくね?」


 お義母さんも、娘が自分より同年代の友人の方が秘密を打ち明けやすいことを察しているのか、あたしに視線をやる。


「任せてくださいっ、シエルのことはあたしが守ります」


「ありがとう、ブランジュさん。あなたのようなお友達ができて、シエルも私も幸せ者だわ」


 とにかく、もう遅い時間だし、あまり長居するわけにもいかない。私はお義母さんに一言ご挨拶して、グラント宅を後にした。


○●


「先生っ!」


 燃え盛る街、赤黒く染まった空に浮かぶ無数の黒い点々(ガーディアン)、瓦礫が散らばっていて足の踏み場も無い。


つい先日まで当たり前に住んでいた世界とは思えない……先生が見せたくれた映画の中みたいに、荒廃した終末の世界。


「先生っ、どこにいるの!? 先生! 返事をして!」


 数時間前……みんなで乗るはずだった宇宙船に先生の姿が見当たらないことに気づいて、私は単身抜け出した。


そして──先生がいそうな場所を片っ端から探しているんだけど……もう、私の記憶なんて使い物にならないほど街の姿が様変わりしてしまっている。ゼーレスが送り込んだ守衛兵ガーディアンによる破壊活動によるものだ。


「酷いっ……」


 今も、私の近くだったり遠くだったりに鮮やかなピンク色の線が天から落ちて来て……私たちの街を灼いている。


もし、あの直下に先生がいたら──ゾッとする。


いや、それ以前に……いつあの光が私に落ちるともわからないんだ。早く先生を見つけ出して、一緒に避難しないと……!


「先生っ、先生ッ──うっ!?」


 叫びすぎて、声も掠れてきた頃……地面の瓦礫に足を取られて転ぶ。


「ぐっ……うぅっ」


 膝が熱い……擦りむいたみたいだ。


ダメ……もう力が湧かない。とっくに限界なんて超えていた身体だ……ただそれだけの怪我だけで、私の心は折れて動けなくなってしまった。


辛い……痛い……母さんたちに会いたい──なんで私がこんな目に、って苦しさで、私の視界はぼやけた。目尻に熱い粒が溜まって、まともに視覚が機能しなくなる。


その時、上空から守衛兵ガーディアンが放ったミサイルが……かなり近い所に着弾したようだ。鼓膜が悲鳴を上げるような爆音が轟き、体勢が崩れた私は仰向けにすっ転んだ。


灰と思しき粉塵が降りかかる。もう嫌だ……身体中痛いし、汚いし。指先一本動かす気力が湧かない。


あの頃の日々に戻りたい……なんで私が、私たちがこんな目に遭わなきゃいけないの……? 私たちが何をしたって言うの……?


「先生……あなたに、会いたいよ……」


 ダメ、だ……。立たないと──独りぼっちって、こんなに苦しいんだ。辛くて苦しくて、泣きたくてたまらないほど怖いんだ。


先生も、きっとこんなに怖い思いをしている。こんな思い、先生にはして欲しくないっ……!


もう一度みんなで、家族で平穏に、幸せに暮らしたい。ここで私が諦めちゃ……先生も私も助からない!


私は立ち上がった。棒のように硬くなって、一度曲げるだけで途方もない苦労を要する脚を、無理矢理動かして進んでゆく。


「あれ……?」


 そして。それから幾分か経った頃。私は先生の姿を見つけた。


「誰かと、一緒にいる……?」


 見覚えのない女の人だ……先生と同じで、逃げ遅れた人? とにかく、見つかって良かった!


「先生!」


 私の存在に気づいた先生が、目を見開き私の名前を呟く。ようやく見つけた──大切な人との再会で胸が熱い気持ちでいっぱいになって……私は足の疲労も忘れて先生に駆け寄った。


だけど──


「ダメだ、来てはいけないッ!」


「へ……?」


 次の瞬間。天の彼方から極太の光が降りた。


「くそっ!」


 身体に強い衝撃……地面に倒れた私が見たのは、光に呑まれる先生の姿。


「ふざけるなッ!!」


 刹那、最後に私が見たのは……怒りに染まった彼の顔だった。


○●


「っ!?」


 視界には、ようやく見慣れてきた新居の天井。


「──また、あの時の夢……」


 さっきまでの光景は、7年前に実際にあった出来事の追体験だったのだ。


「サイアク……」


 気持ち悪い……身体中がびっしょりと湿っている。酷くうなされていたようだ。お風呂入らなきゃ……。


あの日のことを思い出してうなされるのはこれが初めてじゃない。むしろ毎週のように見る悪夢だ。ゼーレスに来たばかりは、寝ていなくてもフラッシュバックする光景だったんで、これでもマシになったんだけど。


「うっ、ぐ……」


 トラウマが頭痛と蘇る。

あの時……私は先生を助けるため、一人抜け出して街中を探し回った。そうして見つけた先生……私が駆け寄った時、不幸にも放たれた守衛兵ガーディアンのビーム砲。


先生は私のせいで死んだ。私が馬鹿な真似を起こさなければ……先生はあのまま、普通に避難していただろうに。


『ふざけるなッ!!』


「っ……!」


 こめかみを押さえてうめく。あの時の先生の顔は今でもトラウマだ。私が先生を探そうとしなければ──私のせいで先生は死んだ。


馬鹿な姪の愚行により命を捨てることとなってしまった彼は、最期に私への恨み言を吐き捨て死んでいった……。


「ごめんなさい……先生」


 この場に、先生はいないのに。

私は、誰にも届くことのない謝罪を呟いた。


頭の中で、何度も先生の最期の言葉が響き渡るのだ。

どこへ逃げようとも、どれほど時が流れようとも、あの時の記憶は一切色褪せることなく……私の胸を締め付ける。


先生を殺してしまった──その過去は、ずっと私の肩に重くのしかかっているのだ。


「起きるか……」


 水の中にぶち込んだみたいにびしょびしょなパジャマを洗濯機に放り込み、顔を洗う。


「うわ……」


 鏡を見ると、自分の顔が結構やつれていることに気づく。ゼーレスに来たばかりの頃みたいだ。母さんたちを心配させたくないし、例の悪夢を見たことは内緒にしておきたい。


私は湯船に浸かることにした。大量に汗をかいていたというのもあるし、疲れている身体を癒すならお風呂が一番だ。


「ふぅ……ちょっとはマシになったかな」


 部屋着に着替えて、あくびをしながらリビングに顔を出す。


「おはよー……」


「おはよう、シエル」


 リビングにいたのは母さんだけ。キッチンでいそいそと動く後ろ姿。


「あれ……父さんは?」


 いつも5時くらいに起きて体操するとかいうジジ臭い趣味持ってるくせに。6連休に力尽きてお寝坊?


「それがね……急にお仕事が入っちゃって。朝から出て行っちゃった」


「えっ、マジか」


 7連勤……笑えねぇ。


「私も8時から出ないといけないから、今日は一人でお留守番しててね」


「ん、わかった」


 二人とも休日まで仕事なんて……珍し──くもないか。理由なんてわかりきっている。私を学校に通わせるため──ただそれだけのためだ。


特別編入生──って言葉。貧民街の知り合い……特に子供たちは「カッコいいね!」って褒めてくれるんだけど……それって要は体の良い金づるとしか思われてないってことだ。


難民でありながら高校に通うことができる……。それは推薦とか飛び級みたいに、私の能力が認められたんじゃなくて…………ただただ他の学生よりも高い学費を払っている──難民だからって搾取されているだけだ。


私なんかを高校に通わせるために……母さんと父さんは毎日休まず働いてる。


「ねえ母さん?」


「あら、どうしたの?」


 私は、朝食の準備をする母さんの背中に呼びかけた。


「……帰りたくない? 私たちの母星に」


 ピタッ、と母さんの手が止まる。


「シエル……故郷の話はしちゃいけないって、何度も言っているでしょう?」


「良いじゃん、ここには治安官なんていないんだから」


「それは、そうだけど……」


 故郷に関する話がこの星じゃ禁句だってのは百も承知だ。でも、家族だけの空間でどうして縛られなくちゃならないんだ。


「私はみんなに幸せでいて欲しい。でも難民(私たち)は、居場所をお金で買わなきゃいけないじゃん? そんなの、幸せじゃないよ」


 お金……そうだ、お金があれば、故郷に帰ることができる。アルターさんはそう言っていた。


「もし……故郷に──みんなで暮らしてたあの家に帰れるかもしれないって言われたら、母さんは嬉しくないの?」


 その方法を見つけた……お金さえあれば──帰れるんだ。なんて、馬鹿正直に母さんには告げられないけれど。


「もちろん嬉しいわよ。だけど、今はこれがルールなんだから……我慢しなくちゃ」


「我慢、かぁ……」


 みんな、よくできるよなぁ。私にはとても無理だ。


「──母さん、無理して働かなくたって良いんだよ? ちょっとは休まないと、二人とも倒れちゃう」


「ありがとう。でもシエルを高校に通わせるには、沢山お金が必要だから」


「だから……別に。それも良いって」


「え?」


「お金があればさ、帰れる……家に帰れるかもしれないじゃん? それなら……私なんかの学費に使わない方が良いんじゃないかって」


「馬鹿なこと言わないの」


 こつん、と小さな拳骨が私の額を襲った。こんな身体だから、ちっとも痛くないんだけど……ちょっと痒かった。


「私やお父さんも、シエルの幸せを一番望んでいるの。あなたの身に危険が及ぶなら──例え故郷を取り戻すためだったとしても……そんなこと、親としてあなたにはさせるわけにはいかない」


「母さん……」


 母さんは私の頭の上にポンと手を置き、かつての先生がやってくれたように優しく撫でてくれた。


「あなたは何も考えなくても良いのよシエル。私たちはあなたに、普通に、平凡に、ただの人間らしく幸せな人生を歩んで欲しいの。それさえしてくれれば、私たちは何も──故郷に帰ることだって望まないわ」


 母さんが私の耳元へ口を。久しく使うことのなかった私の真名を添えて──いってきます、と。


「ご飯作っておいたから。お腹空いたら適当によそってね」


「うん。い、いってらっしゃい……」


 仕事に出かける母さんを見送って、私は脱力する。


母さんはああ言ってるけど……やっぱり私は、故郷を取り戻したいと思う。


なぜかと言われれば──先生は私のせいで死んだ。私が生きるために、先生は命を落とした。


先生が死ななくちゃいけなかったほどの人間──私はそれになりたいんだ。そんな偉業を成し遂げなきゃ、私は生き延びた意味が無いんだ。


でも……母さんたちには心配をかけたくない。悲しませたくもない。嬉しいことに、二人は私をこれ以上ないほど愛してくれている。

そんな二人が「嫌だ」と言うのなら……私も、余計なことに首を突っ込むべきじゃないのかも……。


「先生……私、どうしたら良いのかな」


 あれから7年……私はみんなに迷惑をかけてばかりで──私の理想からどんどんかけ離れていた。


○●


 8年前──僕とナヴが、リボルカジノ名義で、行方不明となったナヴのお姉さんの事件を調査していた時のこと。


「友達?」


 ナヴはこくりと頷いた。


「ゼーレスに来る前……よく遊んでた、近所の子がいたの。その子が言ってた。諦めずに手を伸ばせば──どこの誰とでも手を取り合えるって」


 なんだ……そのヒーローみたいな友達は。将来有望だな。


「喧嘩して……私が意地っ張りになった時も、ずっと家のドアを叩いて──ごめん、でもそっちもこういうとこ酷くない?──って叫んでくんの」


「……迷惑じゃない?」


 僕が言うと、ナヴは思わず吹き出した。


「ぶっ、ぷはっ、あはは、そうかもね」


 情緒がまるで子供だ。とてもナヴと同年代の子の所業とは思えない。まさか──


「私より8つも年下……小学生のくせに、私よりずっと大人っぽいの。マジ腹立たない?」


「あんたの方が歳の割にガキっぽいって思ってるよ……」


「ふふ、言うね……」


 ち、ちゃんと傷ついてる……。何か言ってあげるべきか?


「でもさ……もう二度と話してやんねー、って思ってたのに……その子がずっと、私に寄り添ってくれようとしてたから。なんか私も、全部忘れて……その子のこと、また好きになっちゃうの」


「手を、伸ばし続ける……か。確かに、しつこいくらい粘着してれば、大抵仲直りできるかも」


「──私……お姉ちゃん(ミナ)と仲直りしてみようかな」


 手を伸ばし続ける──何と言われようと……受け入れてもらえるまで寄り添う。諦めずそうしていれば……どこのどんな相手とも、いつか分かり合える。


ナヴは、たった一人の肉親である姉と離別している。喧嘩別れ……とは聞いてるけど。


「その子に倣って……お姉さんに粘着するつもり?」


「うん。ま、生きてるかもわかんないけど」


「例え世界の果てでも、地獄の底でも、最後にあいつに会って……ごめんって言いたい」


「──必ず探し出そう、お姉さん。絶対に」


 そして実際に、ナヴはそれをやり遂げた。

自分がこの立場になってみると、中々どうして上手くいかない。というより……自分(の意思)を殺して他人に寄り添ってやるというのは、思いの他難しいことのようだ。


僕はリノさんにも、シエルにも、手を伸ばすどころか…………振り払ってばかりだ。一度拗れた相手との関係修復を諦めて……わざと突き放す。

すると、あの人が僕のせいで危険に巻き込まれることがなくなったんだ、と……自分を慰める。


僕にも大義名分はある──シエルを、僕らのいざこざに巻き込むわけにはいかない。


だけど……僕はもう少し、独りよがりな正義感を捨てて、シエルに寄り添ってあげるべきなのだろうか。


──9月7日、午後1時。貧民街に炎が放たれてから一夜が明けた。僕は、シエルが住む507号室の前にいた。


結局……昨日ゼノを取り返すことはできなかった。シエルにゼノを持たせておくのは危険だけど……だからって、気絶している彼女の身体をまさぐるわけにはいかなかったし……あの時はシエルの友人──アトラ・ブランジュさんを呼び出すしかなかった。


どうやら命に別状はない……それどころか、今は元気いっぱいのようだけど。果たして、真っ正面から会いに行って、ゼノを返してくれるだろうか。


インターホンに人差し指を──やめだ。僕はシエルに酷いことを言ってしまったし、シエルにとっては難民を救う希望であるゼノを奪おうとしているんだ。


もう、彼女にとって僕は仲間でも何でもない。顔も見たくないだろう……話し合いの余地はない。

後で、また襲撃するしかないか。エーテルを使うのは疲れるんだけど……。


「あれ、どちら、様……?」


 グラント家が借りてる部屋を離れようとしたところで……僕は、見覚えのある顔に出会った。


「──アトラ・ブランジュさん……」


「え、ええ……まあ」


 シエルの友人──ブランジュさんだ。昨日僕が連絡して、シエルを介抱してくれた人。その前にも一度目にしたことがあったが……あの時はシエルが呼び出して、僕は近くに隠れていたから、これが実質初対面。


「あ、邪魔ですよね。今帰ります」


「シエルの友達ですか?」


「……」


 不審人物と思われたか。引き止められてしまった。さて、どう返したものか。友達……? と言うには、あまりにも付き合いが浅すぎる。そもそも僕とシエルは、もう決別したようなものだ。


「……まあ、そんなところです」


 結局、曖昧に返すことしかできなかった。


「ウチの高校の人?」


「多分、はい?」


 一応……そうだよな? 確かソーンは──リュアリークハイスクールの生徒のはずだ。今は休学届を出しているけれど。というか僕だってそうだ。学生証は7年前のものだけど。


ブランジュさんはビニール袋を手に提げている。中には、お菓子やジュース……お見舞いかな? なんでエネルギア原石……?


彼女は──シエルのことが好きみたいだ。わざわざ後日に、こんなお見舞いの品を持って来るほど。エネルギアはちょっとよくわかんないけど。


──あの時、僕にゼノを取られて、シエルは怒っていた。取り乱して……僕に乱暴することも辞さなかったほど。

でも……それと同時。僅かに、微かにだけど──彼女は泣いていた。


僕はシエルに、彼女を傷つけるほどの何をしてしまったんだろう。


「──あの」


「はい?」


「シエルのこと、教えてくれませんか?」


○●


 リュアリークハイスクール。僕やナヴも7年前まで通っていた……エリアI某所の公立高等学校だ。


僕はブランジュさんと共に、校舎裏の人が少ない木陰にやって来た。

そういえばここ──僕とナヴが初めて会った場所だ……いや、クラスメイトだったから正確には違うけど、少なくとも僕とナヴの関わりは、ここがオリジンなのは間違いない。


「ここ……私──とシエルが初めて会った場所。多分、シエルは覚えてないと思うけど」


 僕に言っているようには見えない。まるで、自分に言い聞かせるみたいな……独り言のような語りだった。


「僕は、ソーン・ワイズ。彼女とは……知り合いです」


「友達だよ」


「へ?」


 ブランジュさんは、木陰のベンチに腰を落とすと、こっちを真っ直ぐに見据えた。


「友達。シエルと知り合いになったんでしょ? それじゃあ、あの子にとっては友達よ」


「待って……話を聞いてください。僕はそう名乗る資格がありません。僕は、彼女と喧嘩してしまって。彼女の心を、傷つけてしまいましたから」


「──なんか、よくわかんないけど……多分、あんたが正しいんだと思うよ」


「はい?」


「座って」と、ブランジュさん。確かに、このまま立ち話するのか、と思っていたところだけど……僕は恐る恐る、彼女とは距離を取ってベンチの隅っこに腰かける。


「とりあえず、ワイズはシエルと仲直りしたいってことで良い?」


「えぇ……まあ」


 いや、仲直りというか、単にゼノを返して欲しいだけなんだけれど。馬鹿正直に昨日の出来事を全て打ち明けてしまって、ブランジュさんまで巻き込むわけにはいかない。


ブランジュさんは、シエルとの仲直りの方法とやらを思案。そして──


「──あの子のこと、褒めてあげて」


「褒める? どうして」


「シエルと仲直りしたいんでしょ? それじゃ、顔が沸騰するまで褒めちぎるの。それか、王子様然とした態度で優しく接してあげる」


 指を順番に立てて、彼女はまるで学校の先生のようにシエルと仲直りする秘訣を教えてくれた。


「お、思ったより普通の女の子に対する接し方のレクチャーが来ましたね……」


「シエルも所詮は女の子だから。少なくとも心の内は私よりよっぽど乙女」


 あんまりそうは思えないけどなぁ……。付き合いはたったの二日間だが、彼女が見せたのは野生動物然とした身体能力と、猪のように後先考えずに首を突っ込む短絡的な性分だけだ。


「どうせ……ちょびっとばかし厳しい言葉を投げかけたら、ヒス気味になっちゃったんでしょ?」


「…………」


 当たっている。というか、僕以上に辛辣な言葉だ。さっきも、僕が正しいと決めつけるような発言をしていたけれど……ブランジュさんも、シエルの情緒が少しばかり幼稚すぎることを感じているようだ。


「ゼーレス人を必要異常に恨んで、罵倒する彼女が頭にきて。僕にとって、人生の師匠のような人を貶された時、少し……大人げない言葉をかけてしまいました」


「ま、確かに……難民も私たちも、どっちもどっちみたいなところはあるけどね……」


「──それ、シエルが聞いたら怒りますよ」


 今から8年前。惑星ゼーレスに、たった数十人の難民が移住してきた。しかし、彼らは赤死病という感染症を患っていた。


赤死病──身体の一部が赤く変色して……やがて、全身に回って死ぬ。そういう恐ろしい病気だ。


彼らはこの感染症を患っていたことが原因で、母星で迫害され、住む場所を追われてゼーレスに逃げてきたのだと言う。当時は難民ではなく、感染者と呼ばれゼーレス人から忌避されていた人々だ。


その中には──僕の、大切な相棒……ナヴ・アルマもいた。


そして……来る7年前。運命の日。彼らの故郷の惑星は、更なる感染者を生み出し……惑星ゼーレス(宇宙監獄レグロス)への収容を申し出た。しかし──これ以上感染者を受け入れては、ゼーレス全域でのパンデミックも推測される。ゼーレスはこれを拒否。


それが──戦争の始まり。僕とナヴは、輸送前の感染者を皆殺しにする作戦を企てたリノさんたちリボルカジノから離反……ゼーレス内で、ワクチンの入手を試みた。


結果──輸送前の感染者を治療し、ゼーレスが滅ぶ未来は防ぐことができたものの…………赤死病が末期症状を表していたナヴは息を引き取り……ナヴと長く共にいた僕も赤死病を患って──シズク・フランとしての身体を捨てざるを得なかった。


こうして……僕とナヴの犠牲で、7年前の戦争は平穏に終息するはずだった。


しかし──それもまた一歩遅かった。ナヴがワクチンを感染者に使用したと同時期……ゼーレス上層部はCPTと結託。ユグドラシル製の兵器──守衛兵ガーディアンをもって、感染者の星を爆撃。滅却処分を下した。


もう、あの星には感染者がいなかったのに。


結果として、感染者の星は滅びを迎えた。


顛末だけ見れば、確かにシエルは被害者だ。だが、どうだろう? 最初に感染者を迫害し、ゼーレスに追いやったのは、その星の原住民たちだ。ナヴたちがゼーレスに追いやられたせいで、一体何百、何千人の罪もないゼーレス人が命を落としただろう。


ナヴは……自身が患う病気と、そのせいで受ける排斥に苦悩していた。


どうしてシエルたち──原住民が被害者だと言い切れるだろう。


戦争は無意味なことだ。それはわかってる。だけど……目の前で苦しみ続けてきたナヴを見てきた僕としては、自業自得──そういう感想が頭の中に湧いてしょうがない。


今の難民差別も、難民が怖い病気を持っているっていう、真実とも嘘とも言えないイメージがゼーレス人に根付いているせいだ。

でも……最初に感染者をゼーレスに追いやったのは、彼らの星の原住民──シエルたちだ。


まあ、シエルはそんなこと自覚してない──自分が被害者だと強く信じてるみたいだけど。彼女にとってゼーレス人は悪、自分たちは不憫な難民。それが彼女の信じる世界だ。


『ま、確かに……難民も私たちも、どっちもどっちみたいなところはあるけどね……』


 そう、だから──さっきのブランジュさんの発言……絶対にシエルの前ではしてはいけない。これはシエルと付き合いが短い僕でもわかることだ。


が──


「そうでもないんじゃない?」


「──え……?」


 ブランジュさんの返答は、僕が予想だにしていなかったものだった。


「シエルは──あの子は、案外あんたが思ってる以上にちゃんとした子だよ」


「ちゃんと……って、どういうことですか?」


「自分たちが過去に犯した過ちをちゃんと理解してる──ってこと。ただ、その上で、命を奪い合うような自分たちとゼーレス人の争いは、やっぱり不毛だって叫び続けてるの」


「勝手じゃないですか?」


「おかしいよね──シエルは……初恋の人を、私たちに殺されてるのに」


「初恋の人……?」


 7年前、ゼーレスがシエルの母星に下した滅却処分──シエルと初めて会った日の深夜、彼女のスマホで調べた、あの後の顛末……原住民のほとんどが死んで、生き残った僅かな人が、難民としてゼーレスに移住してきたそうだ。シエルにとって身近な人が犠牲になっていたなんて、驚くべき事実でもない。


「その人、シエルにとって恩師って感じの人らしくて──それが原因なのかな……。あの子は、表じゃどんなに強がってても、心の内では……自分のことを肯定してくれる人を求めてるんだよ」


 ブランジュさんがシエルに甘いのは、それが理由なのか?


「あの子は……いつもいつも、難民だからって酷い嫌がらせを受けてるのに、ずっと自分の言葉を飲み込んで生きてきた。誰かのために──って言葉で自分を飾り続けて。だから──自分を理解してくれて、優しく接してくれる人にはめっぽう弱いの。一度人を信用したらとことん心を許して……」


 そうだったのか……ナヴと違って、随分と警戒心の薄い奴だとは思っていたけど。


ん……待てよ──?


「それって──もしかして僕のこと……ですか?」


「じゃない?」と、ブランジュさんは口の端を微かに曲げた。


「多分シエル──あんたのこと好きなのよ。だからこそ……一回『好きだ』って思った人に突き放されちゃうと……ホントに我を忘れて、ガーッ、ってなっちゃうの」


「──そんなの……自己中だ」


 これは多分、みっともない……私怨なんだろう。


「シエルにどんな過去があろうと……僕は、ナヴ──僕の大切な人の人生を狂わして、死に追いやったシエルたちを好きにはなれません……。彼女がさも被害者であるかのように振る舞うのは、耐えられない」


 僕は本音を曲げるつもりはない。シエルたち原住民のせいで……ナヴの人生は決定的に狂った。ミナさんとも死別することなく、故郷の星で、例え後先短くても──余生を幸せに生きるべきだった。


シエルたちが、感染者をゼーレスに追いやっていなければ……ゼーレスでの赤死病大流行も、7年前の滅却処分も、全て生まれなかった悲劇なんだ。


「──あんた、やっぱりシエルのこと誤解してるよ」


「……へ?」


 ブランジュさんは懐から、スマホを取り出した。


だけど……かなり古い機種だ。少なくとも今販売している物じゃない。よく手入れされてるようだけど……ブランジュさんにはジャンク品を集める趣味でもあるのか?


いや待てよ……? これ、ゼーレス製じゃあないぞ?


「これ、シエルのスマホ。ゼーレスに来る前の、ね」


「…………」


「ちょっ、引かないでよ」


 労働の対価にシエルの歯ブラシを要求するくらいだし、ヤバい人だとは思ってたけど……まさか個人情報の塊である携帯まで入手していたとは。この人、本当に頭の方は大丈夫なのか?


「シエルの昔の写真が欲しくて譲ってもらっただけだから……!」


「写真だけなら送ってもらえば良いじゃないっすか……」


「フッ、甘いわね……ネットの検索履歴、回ってくるおすすめ記事、これらだけでも、今とは違う昔の『味』を楽しめるのよ」


「ダメだこの人……治安官呼ぶべきだ」


 スマホごと渡すシエルもシエルだ。まあ、それだけ信用しているってことで良いのか……? これも、ブランジュさんが先ほど言っていた、一度信頼した相手には、とことん心を許すということなのだろうか。


と、一旦それは置いといて──ブランジュさんは写真アプリを開き、スクロール。


「あぁっ、いつ見てもちっちゃい頃のシエルも可愛い……!」


「ほとんど変わんなくないっすか?」


 とても10年近く昔の写真とは思えない。もはや間違い探しの域だ。髪を染めてるか染めてないかくらいしかまともな違いが見当たらない。


「あの子、昔から童顔だったんすね」


「命が惜しいならその発言は私の前でもシエルの前でも控えるべきよ」


 なんでブランジュさんの前でも……?


「…………で──結局そのスマホが何なんすか。何の話してたかも忘れそうなんですけど」


「ちょっと待ちなさい。どこかにあったはずなんだけど…………あ、この子。いたいた……んで、わかりやすいのは……ほらこれ」


 数十秒くらい待って、ようやく。僕はブランジュさんの(シエルのか?)スマホの画面を見やる。


「なっ……!?」


「そ、そんな衝撃だった……? あんたの中のシエルのイメージどうなってんのよ……」


 違う──とにかく、ブランジュさんの意図はわかった。シエルは僕が思っているほど悪い奴じゃない……そう伝えたくて、ブランジュさんが僕に見せたのは、幼少期のシエルが赤死病感染者と仲良さげにしている記念写真だった。


指先が真っ赤に染まっている……間違いなく感染者だ。場所は……水族館、だろうか。種はわからないが、鮫らしき巨大な魚影が泳いでる水槽をバックに二人でピースサインをこちら(カメラ)に向けている。


「この人、アルマさんっていうらしいんだけど」


 だが──僕が言葉を失ったのは、シエルが赤死病感染者を差別していたに違いないと、信じて疑わなかった期待を裏切られたから……なんて意地汚い感情由来ではない。


「ナヴ……!?」


 ナヴだ、ナヴ・アルマ。

僕の記憶よりも幾分か赤死病の症状が軽いようだけど……僕がナヴの顔を間違えるはずがない。


間違いない──写真に写っていたのは、小学生のシエル(今とほとんど変わらない)の隣で、なるべく彼女に触れないよう……それでいてできうる限り彼女に近づいて、共に平和の象徴(ピースサイン)を掲げる、ナヴ・アルマの姿だった。


でも、どうしてシエルとナヴが…….!?


「彼女……シエルが小さい頃よく遊んでた近所のお姉さんなんだって。まあ……赤死病に感染してたことがバレて……ゼーレスに移住することになっちゃったみたいだけど」


「小さい頃……」


 それって──


『ゼーレスに来る前……よく遊んでた、近所の子がいたの』


 ナヴが言ってた──歳下の友達……。ナヴが、ミナさんともう一度向き合うきっかけになる言葉を掲げていたらしい、ヒーロー然とした子供。


まさか──シエルが……、


「シエルは赤死病感染者を差別なんかしてないし、自分たちが過去に犯した罪のせいで、母星を失ったことも重々承知してるわ。難民がただの被害者じゃないってあんたの言い分はその通りだと思うけど……せめて、シエルのこと、もう少しだけ好きになってあげて」


 そっか──シエルは、昔からああなんだ。

家族だろうと、他人だろうと、感染者だろうと。そして、ゼーレス人だろうと。どんなに拒まれても、病気を移されても、差別されても……決して諦めず、手を伸ばし続けて寄り添う。そうやって、どんな相手とも分かり合ってしまう。


シエルはそういう、危険な子なんだ。


「どいつもこいつも──頭のおかしい奴ばっかだな」


 頭のおかしい奴にしか……ゼノは使えない。自分なんかどうでも良くて、四六時中他人のことしか考えられない馬鹿にしか……あれは使いこなせない──ナヴがそうだったのは、シエルに倣って……だったのか。


シエルに酷いことを言ってしまったな……、彼女は、本当にただの被害者で、無関係なのに……どうせ感染者を差別していたに違いないって、決めつけて……。


僕は、リノさんの行動を正当化するために……シエルを傷つけた。


──綺麗事じゃ済まされない。リノさんは超えてはならない一線を超えたんだ。もう、庇うことなんかできない。


謝ろう──そしてもう一度、シエルとちゃんと話して……リノさんを止めるんだ。リノさんを傷つけるためじゃなくて……難民を守るために。


「──ごめんなさい……。もう一度、シエルとちゃんと話してみます」


「ん」


 僕の言葉を聞いて、ブランジュさんは慈母のように優しく微笑んだ。


「あの……気になってたんですけど──ブランジュさんはどうしてこんなに怪しい僕にシエルのことを話してくれたんですか?」


 僕が問うと、ブランジュさんは困惑した様子で目をぱちりと瞬かせ──吹き出した。


「──あんた、自分で自分のこと怪しいって思ってるみたいだけど……良い人オーラ、隠せてないから」


「え」


 そ、そうなのか……? 確かに、昔から……ナヴにも、やたらと女の子に懐かれるとは思ってたけど。


「あとは……嬉しかったのかな。シエルのこと、ちゃんと考えてくれる同族がいて」


「ちゃんと……?」


「安心したの。私みたいにただあの子が好きなんじゃなくて……ちゃんと私たち(ゼーレス)人と難民の関係を、忖度無しに見てくれて──シエルと付き合ってくれる同族(ゼーレス人)がいて」


「……いますよ、案外。そういう人」


 今の難民は感染者じゃないんだ。きっと……絶対、シエルやブランジュさんが求めてる、難民とゼーレス人が手を取り合える日は、いつかやって来る。


僕も、そういう世界が見たくなった。

世界をも変えうる力──ゼノなら…………いや、シエルみたいな子なら、それができる。


「よし……そろそろ」


 シエルの所に行こう。ちゃんと、話し合うんだ。


「ちょっと!」


「うわあ」


 ブランジュさんが突然声を張り上げるので、思わずそちらへ視線をやる。彼女はスマホ(ブランジュさんの)を目を丸くして見つめていた。


「どうしたんすか……」


「ワ、ワイズ! これ……これ見て!」


 何やらただ事ではない様子だ。ブランジュさんがそんなに声を荒げるなんて……シエルに何かあったのか?


「あ、いや……多分あんたの思ってるのと違うけど……」


「あ、そうですか」


 どうやらブランジュさんにも、シエル以外でも心揺さぶられるトピックというのがちゃんとあるらしい。安心した。


シエルに何かあったわけではないのなら……僕はざわついていた心を落ち着かせ、ブランジュさんのスマホの画面を覗き込む。


「なに……?」


 しかし、ブランジュさんが声を荒げるのも納得──確かに、これが本当なら、昨日リノさんが落とした戦火による犠牲者以上の難民が、命を落とすことになる。僕は、目の前に提示されたあまりにも信じ難い情報に、訝しげに眉をひそめた。


ブランジュさんのスマホの画面に映っていたのは、貧民街にネビュラゾーンが発生したというニュースだった。


○●


 昨晩の一件があって……やっぱり昔馴染みの安否が気になったので、貧民街を訪れることにした。だけど……いつも門で暇そうにしているダグさんの姿が見当たらない。


まさか──と最悪な想像が頭の中をよぎるが、焼け落ちた街並みに沿って幾分か走ると、すぐに彼の姿を見つけることができた。


「ダグさん!」


 ダグさんは……大部分が欠けた建物の屋根の上。数人の大人と共に、昨日の守衛兵ガーディアンのせいで穴だらけになってしまった建物を再建しているようだった。


「おお、シエル! 無事だったか!」


 私は軽く地面を蹴って──ダグさんのいる屋根の上まで一っ跳び。


「ダグさんこそ……! 昨日は大丈夫だったんですか!?」


「ああ、逃げ遅れたガキ共を探すのに手間取って……、足をやっちまったがな」


 よく見ると、ダグさんは左足首に包帯を巻いていた。松葉杖とかを使ってる様子はないし、大したことない怪我だとは思う……。


いや、それよりも──


「ガキ共──って、嘘っ、まさか……」


 私は足元──今自分が踏みしめている、半壊した建物を見下ろした。


ダグさんは手に持った金槌を置き、小さく息を吐く。


「ああ、ここは……あのガキ共が住んでた孤児院だ」


「っ……」


 言葉を失う。と言っても、驚愕とか悲しみとかじゃなくて……こんなことをしたリノに対する、煮えたぎるような怒りで、頭の中を埋め尽くされたせいだ。


穴の空いた部分がら、もはや建物とも呼べない、孤児院だったものの中に入る。


風通しが良い。そんな感想が溢れてくるほど穴だらけ。木造建築だからかそこら中が黒く焼け焦げていて無事な部分がほとんど見受けられない。椅子や花瓶、子供たちが作った粘土細工などが真っ黒な残骸として幾らか残っていた。


「なんで、こんなっ……」


 私たちとゼーレス人の恨み合いにちっとも関係が無い……ゼーレス生まれの実質ゼーレス人みたいなあの子たちが、どうしてこんな争いに巻き込まれなきゃいけないんだ。


「ここ……」


 大部分が焼け落ちて、ほとんど原型を留めていないが……一年前まで、私が子供たちに読み書きを教えていた教室だ。


「シエルっ、そこはっ」


思い出の場所が壊されてしまったこと……それも大事だけど──壁に、私は信じられないものを発見した。


「何、これ……」


 私よりも幾分か小さな、人の形をした影がべっとりと壁に付着しているのだ。灰……でできているのだろうか。あの子たちに、壁に落書きするような悪い子はいないはずだ。


「ダ、ダグさん……あの子たちって──」


 恐ろしい想像が脳裏をよぎって……私は震える声でダグさんに問う──すると、ダグさんは重々しい動作で首を横に振った。


「っ……!」


 壁に付着した灰──それが、昨日まで人間だったものであることを確信し、腰が抜ける。


それから──ダグさんから亡くなった子供たちを教えてもらった。無事だった子もいるし、怪我で済んだ子もいる。ただ……それ以上に──沢山の子供たちが落命していた。


その中には当然、一年前まで私が面倒を見ていた名前も。


「すまねぇ……俺が守れなかったせいで……」


「──ダグさんのせいじゃないです」


 お尻についたすすを叩き落とし、立ち上がる。


「それに、あの子たちは亡くなってしまったけど、その分他の誰かが助かった……って思えば──なんとか」


 あの日…………死ぬはずだった私が生き残って、助かるはずだった先生が死んだみたいに。


「お前それ、本気で言っているのか?」


 まずい──私は慌てて口をつぐむが、もう全て言ってしまったので遅い。


「ふざけたこと言ってんじゃねぇシエル。お前、人の命を何だと思ってやがる」


「で、でもっ……」


 あの日、先生を失って──当時の私は、うわ言のようにこの世の真理めいたものを呟いていた。


争いが続く限り、人はそれに見合った分だけ死ぬ。誰かが助かれば……運命が修正されるように、他の誰かに凶弾が届くだけ。


先生が自らの命を投げ打って私を救ったあの時──罪悪感から、私はそういう思想に取り憑かれた。ゼーレスに移住した後も、ずっと、ずっとうわ言を呟く。


傷ついてしまった心を殻の中に閉じ込め、これ以上傷つかないように防衛本能が働く。そうして現れたのが、先生を死なせてしまった自分を慰めるような、歪んだ思想であった。


「わかってるのか? お前は今、人の命が失われたことを良いことみてぇに言ったんだぞ」


「ち、違うっ……私はただ、あの子たちが亡くなった分、他の誰かが助かったって……そう、信じてるだけです……!」


「昔、お前の親御さんも言ってたじゃねぇか……そういうくだらねぇ考え方は辞めろって」


 ゼーレスに来たばかりの頃……先生を死なせてしまった罪悪感と、最期に先生に嫌われてしまったショックで、私は前みたいに引き籠もっていた。


母さんや父さん、ダグさん、街の人々に慰められる度に、私は自分を平気に見せようと……自分を取り繕う、自分の罪悪感を拭えるような思想を形成していった。


「目を覚ませ──ガキ共が死んだおかげで助かった命なんざ存在しねぇ」


 誰かが死ねば、その分他の誰かが助かる。こんなことを口にすると……みんなは私を叱った。馬鹿なことを言うんじゃない、と。


だけど──この思想は、壊れかけていた私の心を繋ぎ止めるのにどうしても欠かせなかった。今も気を抜けば、先生への罪の意識で押し潰されそうなんだ。


だから、狂った思考でも何でも良い。先生が死んだのは私のせいなんかじゃない。死ぬはずだった私を先生が助けたから…………そう、私は何も悪くない。そう言い聞かせて、私は私をこの世に繋ぎ止めた。


先生だけじゃない。今回だって……私が面倒を見ていたあの子たちが死んだ…………悲しくて、泣きたくてしょうがない。でも……泣いてばかりじゃ母さんたちは喜んでくれないんだ!


「私のどこが間違ってるって言うんですか」


 私は狂ってるの? 私はおかしいの?

それじゃあ──先生が死んだのは私のせいだって……認めるしかないじゃない……私なんかいなければ、先生は助かったって……!


「倫理に欠けた思想でも……そうやって取り繕わなきゃあ、私耐えられないっ……!」


「ガキの頃にあんな戦争モンを体験したんだ。おかしくなっちまうのも無理はねぇけどよ──よく聞けシエル……7年前アキラが死んだのはお前のせいなんかじゃねぇ。お前は悪くねぇんだ」


「じゃあ、先生はなんで死んだんだよッ!」


「シエル……?」


「みんな、みんなっ……父さんも母さんもダグさんもっ、みんなそればっかり! ああでもないこうでもないって──否定だけ! 私のせいでもない、そういう運命でもなかったって……それじゃあ私はっ……私は誰を恨めば良いんだよっ!」


 目尻に涙を浮かべながらダグさんの胸を叩いて──それから、我に返る。制服の裾で乱暴に涙を拭う。


「ごめん……痛くなかった……?」


「ん、あ、ああ……こんくらい、何でもねぇよ……」


「…………ごめんなさい」


 今のは、酷かった。急に神経質になって怒鳴り散らかして……ダグさんもビックリしただろう。私にとっては十分すぎる地雷なのだが……彼からすれば、前触れなく私が豹変したようなものだ。申し訳ない。


「やっぱり、ダメだなぁ私……。昔っから、ちっとも成長してないや」


 拭ったはずの涙が、またぽろぽろと溢れてくる。情緒がまるであの頃のままだ。先生を失って……先生に嫌われて……まるで、あの時から時間が止まったみたい。


そういえば、ソーンに対してだって──すぐ怒鳴って、喚いて……あいつを困らせてた。


嫌なことからは、いつも逃げて来た。

都合が悪くなると怒鳴り散らかして誤魔化す。それでも切り抜けられないとわかるや部屋の中に閉じ籠もって逃げ出す。


先生や子供たち──大切な人の死からは、命を軽んじるような発言までして、自分を鎧で覆い尽くす。


人生には……さすがにこれがピークだと信じたいけど、こんな不幸がごまんとある。逃げてばかりじゃダメなんだよね……。


「ごめんなさい、ダグさん……。私、ちゃんとあの子たちの死に向き合うよ……」


 ダグさんはこれから、亡くなった子供たちを埋葬するそうだ。ダグさん一人に任せるわけにもいかないし、生き残った子供たちに死体を見せるわけにもいかない……私は手伝いの役を買って出た。


身体が震えている。寒がりだけど、ちゃんと厚着して来た。これは多分……怯えてるんだろう。


今まで逃げて来た不幸すべてと、向き合うことに。


「ボンジョルノ! シエル!」


 と、その場を後にしようとした瞬間──荒廃した街の雰囲気とはあまりにも不釣り合いな、ハイテンションな声が私の鼓膜を震わしたのだ。


声の方向へ視線をやると、そこには──


「アルターさん……? なんでここに」


 バスターズ……だっけ? リボルカジノで銃器を売買してるとあるチームのリーダー・アルターさんだった。相変わらずの厚化粧。


「だ、誰だ?」


 厚化粧をした巨漢──文字に起こしただけでもこのインパクト。目の前に本人がいるとなると……ダグさんですら若干物怖じしている。


「ええと、アルターさん……リボルカジノで会った人」


「そこの君。彼女、借りて良いかしら」


「フン、どこの誰とも知らん奴に、人様のガキを預ける大人がどこにいるよ?」


「ごもっとも。ま、あーたは、ワテクシにとっては単なる坊やにすぎないのだけれど」


「なんだと?」


 す、凄い……ダグさんを言葉だけで圧している。


「乱暴はしたくないのよねぇ……。シエル、何とか言ってちょうだい」


「えぇ……私たち忙しいんですけど」


「子供の教育の仕方も知らない坊やよりかは、良き人生相談の相手になってあげられると思うけど?」


「え……?」


 さっきの……もしかして聞いてたのかな?

思えばダグさんも、母さんも父さんも、私と近しい人だ。そういう人たちだけじゃなくって……アルターさんみたいな赤の他人に相談してみるのも、良い……のかも?


「えっ、と共にダグさん。この人……リボルカジノの悪人ですけど、難民同士では傷つけ合わないそうです」


 根拠も何もない私の説得に、ダグさんはやはり首を横に振った。


「ダメだ。それもお前を攫う口実かもしれねぇ。もしお前の身に何かあったら、お前の両親に見せる顔がねぇからな」


「融通の利かない子ねぇ。いいわ、話はあーたの目に入るトコでする。会話を聞かせるつもりはないけど、気が済むまで監視してなさいな」


 譲歩しているようで、有無を言わせない──起こしてはならない猛獣を内に飼っているような威圧感。あのダグさんが、黙って首を縦に振るしかないようだった。もしかしてアルターさんって、凄い人なのかも……?


「わかってないわよねぇ。女は共感を求める生き物だっていうのに、あの坊やったら」


 ダグさんとは声が聞こえない程度の距離を取って。アルターさんは肩をすくめてそう言った。


「いや、アルターさん男でしょ……」


「何か言ったかしら」


「…………」


 どうしてだろう、冷や汗が止まらない。Ⅱ型の守衛兵ガーディアンなんか比べ物にならない威圧感だ。

私は次のように答えるしかなかった。


「なんでもないです」


「よろしい」とアルターさん。どうやら触れてはいけない逆鱗があるらしい。さて、気を取り直してアルターさんは話を始めた。


「人ってね、何かを信じなくちゃ生きていけない生き物なのよ」


「何かを、信じる……?」


 人は時に、大切な人を失うだとか、悲劇的な経験をするだとかの末──宗教とか悪魔崇拝とか、そういう領域に足を踏み入れることがある。自分の中にある──生きる意味。人間にとって致命的なそれを抜き取られ、空っぽになってしまった人が……また新たな生きる意味、支えを求めて、何かを信仰する。

そういう話をアルターさんはした。


誰一人の例外も無い──人は、何かを信じていなくちゃ生きていけない。


「それが友人だろうが、家族だろうが、神だろうが、悪魔だろうが、哲学だろうが……何だってね。人は往々にして、何かを信じ……それを生きるための希望にしているものよ」


 私の場合は……哲学、なのか?


──人が争う限り、それに見合った数の命が失われる。誰かが助かれば、狂った計算式を修正するように、運命が他の死ぬはずのなかった誰かを殺すんだ。

私はそうやって自分を慰め続けてきた。先生を死なせてしまった罪から目を背け……自分は悪くない、先生が死ななければ私が死んでいたんだぞ……と言い聞かせてこの7年間何とか生きてきた。


馬鹿げた話だと思う。運命なんてあるわけがないのに……。そう信じていないと……先生が死んだのは、私のせいも同然だから。運命なんて存在しないものを恨んでいないと……憎しみの矛先が、私自身に向いてしまうから。


馬鹿げた話──そうだ、自分でも何十回、何百回と疑った。その度……罪悪感から首を吊ってしまおうと考えた。


先生は怒っていた……私がのこのこ歩いて来たせいで、自分の命を投げ出さなければならなくなって。

そのことを思い出すと、私は生きなきゃいけないって思い直す。それが私の責任だ。


生きるのが苦しい。いつまでも罪が私の背に憑いて回る。だから必死に言い聞かせた。あれは私のせいじゃない。私が助かった時点で、あの人は死ぬしかなかったんだ──と。どんなに矛盾だらけでも、言い聞かせてなきゃやってられなかったんだ。


「そうやって言い聞かせて生きて来ました……けど、そのせいで、子供たちが死んだのに、それを肯定するようなことを……ダグさんの前でっ」


「別にそれで良いんじゃないかしら」


「え?」


 私は目を丸くして、変な声を発した。

これまで、人徳からかけ離れたこの思想を呟くと、皆私を叱咤した。だから立ち直ったフリをしてやり過ごして……傷を隠して生きてきたのに。まさか肯定されるなんて思っていなくて、どう返せば良いかわからず困惑してしまう。


「物騒な思想だろうが、それに縋らなくちゃやってらんないんでしょう? そう信じなくちゃ……あーたのせいで愛しのナイトが死んだも同然だものね」


「っ……」


 励ましているようで、しっかりと言葉のナイフで刺してくる。何なんだこの人……。


「無理に自分を曲げる必要はないわ。生きるために捻くれた信条が必要なら、そのままにしておき」


「それで良いんですか?」


「ただ──」


 アルターさんは、私より一回りも二回りも小さい私の唇の前に人差し指を置いた。


「あーたにとって一番大事なことを曲げるのはダメよ」


「私にとって、一番大事なこと……?」


 意味がわからず、彼(彼女?)の言葉を反芻する。と、その時──


「おい! ゼーレス人がいるぞ!」


 私たちの鼓膜を震わしたのは、数十メートル離れた誰かの叫び声。その言葉を頭の中で反芻して、私は混乱する。


「は……ゼーレス人?」


 遊び半分で難民だらけの街にちょっかいかけに来た馬鹿か──あるいは、誰かの友達とか?


いや、昨日のソーンみたいに、余程の事情がなければ、難民がゼーレス人の友人を貧民街に招くとは思えない。その難民がゼーレス人を何と思っていようが、ゼーレス人が貧民街に来ることは危険なことに変わりはないから。


疑問に思った私は、アルターさん、ダグさんと共に騒ぎの方角へ走った。


難民の人だかりを掻き分けて進む……が、人が多すぎる。とてもじゃないが向こう側の光景を見ることは叶わない。


「ありゃ、誰かのダチってこたぁねぇな」


「そうね。ま珍しいことではあるけど」


 身長が190近くある二人が、腕を組んで向こう側の光景の感想を述べる。


「ちょ……ダグさん、おんぶ!」


「おう」


 私が所望したのはおんぶなのだが……ダグさんは、まるで私を赤子みたいに、大きな手で両脇を掴んでひょいっと持ち上げた。


子供扱いされてるみたいで癪だし、これだとかなり両脇に負担がかかるのだけれど……どうせすぐに降ろしてもらうからいっか。


人だかりの向こう……そこには、確かにゼーレス人がいた。

顔の雰囲気が似通った同年代の男女二人。おそらく双子。あの耳は……犬? 熊? 相変わらず、ゼーレス人の種族は判別が難しい。


「ゼーレス人が、なんで貧民街に……」


 みすぼらしい格好だ。私たち難民と大差ない。フード付きの薄汚れたローブを羽織っている。僅かに覗く肌だけでも、切り傷や痣、汚れが見受けられる。左手には紙袋……パンの詰め合わせ。遠目から見ただけだが、不味そうという感想を覚えたからには、カビの一つでも生えていたんだろう。


「あんなの……まるで難民みたいじゃん」


「意外といるものよ。あーたが気づいてなかっただけで」


「ゼーレス人が難民……? なんでですか?」


「難民て言葉、別に星を追われた者(ワテクシたち)を指す言葉じゃないもの。あの子たちも……何らかの理由で故郷のシティーを失ったか。あるいはもっと小規模に……家を失ったとか。一つ確かなのは、身をもってワテクシたちの境遇を思い知ったあの子たちだって、ワテクシたちを嫌ってるってこと」


 やられた側の立場になれば、人は改心する──なんて言うけれど……現実は、より一層恨みが膨らむだけだ。


兄妹のうち、女の子……妹だろうか? 足を負傷してるみたいだ。男の子が肩を支えて、必死に進もうとしている。


「リン……しっかり! もう少しでうちだ、頑張ろう」


「うん……ありがとう、お兄ちゃん……」


 お兄ちゃんは、キッと周囲を睨み威嚇。

何十人の難民が集まってジロジロ見てくる……心地の良い感覚ではないだろう──一刻も早く立ち去りたいだろうに、妹ちゃんのあの怪我では、まともに歩くことはできまい。


こっちからしても、見てて気持ちの良いものではない。ダグさんの手を軽く叩き、地面に降ろしてもらう。


「あの子たちにとってもね──あーたが自分でそう思ってるみたいに、自分が世界で一番不幸なのよ。こんなに苦しんでるのに、なんで嫌われなきゃならないんだってね」


「そうやって、憎しみの連鎖が続くわけだな」


「ダグさんまで……二人して説教じみた話が長いよ……私にとって一番大事なこと──その話?」


 結局、それって何のことなんだよ。もったいぶらずに教えてよ。


「ねえシエル、ゼーレス人は嫌い?」


「うん、嫌い」


 当然ながら即答である。訂正──大嫌い。

いくら憎んだって憎みきれない奴らだ。


私の答えを聞き、アルターさんは頷いた。


「同意見よ。でもあーたは、ワテクシたちとはちょっとばかし違う──とっても可愛らしいおバカの匂いがするのよねぇ」


「な、なんですかその言い方っ」


 唐突に罵倒され私は憤慨する。馬鹿と言われて良い気分はしない。

しかし、話の途中──不意に、背筋に氷を押し当てられたかのような、尋常ではない悪寒を感じて身を震わせる。


「な、何が……」


 違和感はアルターさんとダグさんも感じていたようで、私たちは冷や汗を垂らしながら、辺りを見回す。


すると──


「お前ら、上だ! 逃げろォ!」


 ダグさんの怒号のような叫び声で我に返ったと同時、アルターさんの丸太のような腕に抱き抱えられ、私はその場から退散させられる。


それが引き金となって、一斉に周囲の人々が走り出す最中──私は真上……空の彼方に、黒い光を見た。


人魂みたいに丸くて、怪しく光る黒。幻想的と言うべきか、あるいは不気味というべきか。本来在るはずのない黒い輝きを目にした途端、脳の奥底に眠っていた、生涯に渡って縁のないであろうと決めつけていた記憶が呼び起こされた。


「ネビュラゾーン……!?」


 いつも余裕の笑みを崩さないアルターさんが、珍しく切迫した様子で走る──その息遣いを真横に、私は天空から落下するその輝きを見つめる他なかった。


○●


 ネビュラゾーン──発生原因不明。概要、災害。その一言に尽きる。


極めて危険な災害と言われているけど、その実脅威はあまり知られていない。皆、教科書で習って「ふーん」と相槌を打つ程度。


何せ、数年に一度──自分とは縁もゆかりもないコロニーで発生したというニュースを、小耳に挟むか挟まないか……そんくらいだ。


教科書曰く──それは死を運ぶ竜巻。刃のように鋭く吹き荒ぶ風が肉を裂き、骨を粉微塵にする。一度巻き込まれれば、決して生きて帰ることはできない。


それが今──私たちがいる貧民街(ゾーンZ)で発生したのだ。


「わふっ!?」


 しばらくアルターさんに抱えられ、移動していると……お尻に軽い、暖かな風圧。思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、振り返ると……数十秒前まで私たちがいた所に、紫色の竜巻がドーム状になって起こっていた。


「着弾時の爆風がこの程度なら、一先ずは安心ね」


 アルターさんが妙に紳士的な所作で私を降ろしてくれる……辺りを見回すと、ここは貧民街の入り口近く。周囲には、ネビュラゾーンを物珍しそうに見つめながら、避難の準備をする難民たち。


「ダグさんは──他のみんなは……!?」


「全力で走ったもの。凡夫が追いつくには十分はかかるわ」


 アルターさん、ゼノを使ったわけでもないのに、なんて身体能力なの……いやまあ、人のことを言えた口じゃあ絶対にないけどさ……。


「ダグさんたち……大丈夫かな」


「怪我くらいはしてるかも。まあ、死にはしないわよ。発生場所ここが貧民街で良かったわね……都会の広さと人口密集率なら、間違いなくパニックになって逃げ遅れる人間が現れてたわ」


 確かに…………犠牲者は少なそうだ。またも貧民街が壊滅的な被害を被ったのは、本当に釈然としないけど。


ま、今だってアルターさんに連れられてなかったら、頭の中が真っ白になって逃げ遅れてたわけだし……もし家にいる頃にエリアIに発生してたら──ゾッとする。


それから、程なくして──ダグさんや、その他私の昔馴染みの無事な姿を確認できた。何人か担架に乗せられてる奴もいたけど……命に別状はないとのことなので安心だ。死にはしなかっただけでも御の字だろう。


「これで全員……かな?」


 さすがに、ゾーンZの全住民が一同に介したとなると狭っ苦しい。満員電車もびっくりの混み具合だ。


みんなは、避難所で同居かな。不便だろうけど仕方がない。

私は……家に帰ろう。貧民街に行くって伝えてあるし……母さんも心配してるだろう。一応、無事のメールだけは送っておいて、と。


「あれ……そういえば」


 違和感。というか、いないことが当たり前の人物が、当然その場にいない事実に遅れて気がついた。


「アルターさん、さっきの双子(ゼーレス人)は?」


 ゼーレス人の双子の兄妹……妹ちゃんの方が片足を引きずってて、とてもネビュラゾーンから逃れられたとは思えない。


「確かに──この場にいないとなると、誰も手を引いてくれなかったのかもね……あの足だと、逃げ遅れてるでしょう。残念だけれど、ご愁傷様ね」


「ッ……」


「行くの?」


 歯を食いしばる私を、アルターさんはじっと見つめる。


「ネビュラゾーン周辺には、エーテルの乱れが起こるわ。エーテル適応体質じゃない人間が行くのは、とてもオススメできることではないけれど」


 私は懐から、未だソーンに返せていないゼノシステムを取り出した。


アルターさんは深くため息。


「ゼノシステムの適合者には杞憂かしら?」


「別にゼノを使うつもりもありませんよ」


 顔バレしたらヤだし、動けないあの子たちを運んであげるだけだ。もしネビュラゾーンから逃げ遅れていたら…………鋼の猛吹雪の中を突っ切ってまで、遺骨を配達してやる義理はない。


「っ!」


 まだ何か言いたげなアルターさんを置いて、逆戻り。視線の先に見える紫色の竜巻を目指して走った。


ネビュラゾーンの落下により、昨日リノが落とした戦禍とは比べ物にならない遺恨が貧民街に残る。落下時の爆風だけで……半径数キロの建物が瓦礫の山と化している。街道なんてものは見当たらない、全て焼け焦げて、アスファルトの下の土が姿を現してしまっている。


凄惨な景色を見送りながら、ネビュラゾーン直近一キロに到着したが……あの双子の姿は見受けられない。ぐるりと回ってみても同様。双子を見つけることはできなかった。


「なんで……」


 可能性は三つ。

一つ──既に自力で逃れた後か。

二つ──ネビュラゾーンの被害に遭って、跡形も無く消し飛んだか。


三つ──ネビュラゾーンの中心に、安全な地点が存在する……そう先生(学校の)が言っていた気がする。


例えるなら台風の目……周囲は人の命を容易く奪う死の暴風が吹き荒んでいるが、その中心だけは安全、そう聞いたことがある。


あの時──私たちの真上から、あの黒い星はやって来た。


「マジかよ……」


 私は、今も目の前で少しずつ拡大する紫色の空間を目前に、そう溢した。

何せ、私が持つ人間離れした聴覚がネビュラゾーンの向こうから感じ取ったのは……幼い男女二人の泣き声だったのだから。


ネビュラゾーンに巻き込まれて生還した者は確認されていない。先ほどの私たちのように、いち早くその飛来を察知し、被害を免れた者こそ少なくないが……ネビュラゾーンに直接巻き込まれて、生き延びた人間はただの一人もいないのだ。


暴風に巻き込まれ粉微塵になってしまった人は言うまでもなく、今までも、中心部に閉じ込められた人間がいたらしい。その人たちも漏れなく、ゾーンがおさまった後、遺骨で発見されるそうだが…………その原因は判明していない。あんまり心細くて一か八か突っ込んだんだろう。


と、私は自分を納得させていたわけだが、程なくして真実を知ることとなる。


「ッ!」


 背後からただならぬ敵意──否、殺意を感じ取った。風を切るような音が鼓膜を震わす中、私は半ば本能で地面を蹴って跳躍し退避。

空中で、背後に感じた殺意の正体を確認しようと振り返ると、そこには──


「はっ!?」


 見たことのない、異形の怪物がいた。

漆黒の体躯、私の半身くらいはある長い鉤爪、爬虫類のように硬い鱗。他のどの生物にも例えられない──少なくとも、人間ではない化け物が、私の目の前にいた。


化け物は咆哮を上げ、私が地面に着地する前に追撃──長い鉤爪を振り上げた。いくら私でも、何も踏ん張る所がない空中じゃ普通の人間と同じだ……回避なんてできない。反射的に、両腕を胸の前に持って来る。


「ぅっ!?」


 しかし──両腕に熱い感覚。ビリビリッ、と高校の制服が音を立てて破れて……それは良い。だが、私の両腕には何本もの切り傷が刻まれ、赤黒い血が滴っていた。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」


 あまりの激痛に、その場で蹲って悶絶する。


ベークの悪戯で三階くらいの高さから落とされても、守衛兵ガーディアンの銃弾を受けても、衝撃を受けた部分が真っ赤に腫れてその日中は痛むくらいなのに……この化け物の爪は、まるで普通の人間みたいに容易く私の腕を切り裂いたのだ。


こいつ、明らかに普通じゃない。やっぱり、私の勉強不足で知らなかったゼーレスの珍獣とかじゃない。明らかに、エーテル関連の生き物だ!


次が来るッ──化け物が、爪で一突き。私の心臓を狙ってる。すかさず、懐からゼノを取り出し、そのスイッチを押す。


「エントリー!」


 が……昨日みたいに、身体にエーテルが満ちる心地の良い感覚が無い。それどころか、宇宙服もいつまで待っても転送されない。


「え、何で……」


 いや、今はそれよりも、まずいッ──!


地面を蹴って後退し、化け物の爪を避ける。バランスを崩して倒れそうになるが、何とか体勢を整えた。


「どうして点火しないのよ……! 私、適合者じゃないの!?」


 気のせい……なんてことはなく。何度スイッチを押しても、ゼノが点火することはなかった。


「ああもう! 何なのよコレッ、使えないじゃん!」


 こいつッ、元の持ち主に似てとことん私のことが嫌いなのね……! ホント腹立つ!


「余所見厳禁よ!」


 へっ? って──ヤバ、また追撃が来る……!


「きゃっ!?」


 と──私の喉笛を裂かんとしていた怪物の鋭利な爪が、私の首に触れるか触れないかくらいの地点で止まる。


「へ……なに? どういうこと?」


 よく見ると……あるはずの怪物の頭部が、スイカ割りをしたみたいに弾け飛んでいた。


「無事……じゃあなさそうだけど、死んでないみたいね」


 声の主は……脚を振り上げているアルターさん。

は……? 蹴りであの化け物の頭を潰したの……!? なんか変なアタッチメントみたいな物つけてるけど、だからって私以上の身体機能を持つ化け物の頭を一撃で粉砕するなんて……ホントに人間かよ。


「何よ、その顔は」


「い、いえ、深く追及はしませんけど……」


 明らかに現代兵器じゃなかったし、知りすぎると後で痛い目を見そうだから見て見ぬフリをしておく。

にしても……あの怪物、うんともすんとも言わなくなっちゃった。追及しないとは決めたけど……この人だけには、いくら私でも喧嘩を売らないようにしないと。


「それより、あの兄妹は見つかったのかしら?」


「あ、それは……」


 私はアルターさんに、状況を細かく説明した。

私の説明を聞いて、アルターさんは難しい顔をする。


「まずいわね……ネビュラゾーンの中心に追い込まれるなんて」


「へ? 中心部って安全なんじゃないんですか?」


 台風の目みたいに、あの気色の悪い色をした風が吹いてないって学校で習ったんだけど。


アルターさんは今し方自分が仕留めた謎の怪物の骸を摘み上げて、私に見せた。


「この化け物──エネラって言うんだけど。ネビュラゾーンの発生と共に周囲に出現することもある、エーテルで構成された亜生命体よ」


 エーテル──道理で、私の皮膚が簡単に切れるわけだ。てか、そんなの知らなかったんだけど。授業で言ってなかったよね。


「政府が隠蔽してるからよ。それより、エネラは中心部にも現れるわ。中心部はむしろ、逃げ場が無いとも言えるの。中心がゾーンの穴になっているのを良いことに、高を括って避難せず、得体の知れない怪物の餌食になった人間も一人や二人じゃないでしょう」


「そんな……」


 それじゃあ、あの子たちは……。


私は今一度、吹き荒ぶ死の暴風を見やった。


ネビュラゾーンは穴が空いたドーナツ型をしていて、吹雪の範囲はまちまちだが、精々十メートルにも満たないと言う……私が走れば──ちゃんと加速してから突っ込めば……一秒もかからないだろう。


しかし、ネビュラゾーンは徐々に拡大してゆく──迷っていられるほどの余暇は無いのだ。


行くなら行け。今しかない……。

私は、ネビュラゾーンに人差し指の先を触れさせた。


「痛っ」


「何を馬鹿なことしてんのっ」


 慌てて指を引っ込める。見やると、私の人差し指が一ミリほどだが削れていた。


「っ……!」


 やっぱりダメだ……! ちょっと触れただけでこんなになるのに、十メートルも続くこの暴風を往復できるわけがない……。それに、今はどうしてかゼノも点火しないのだ。ゼノが無ければ、私は多少他の人より頑丈なだけの一般人。ネビュラゾーンを突破して、命の危機に瀕している兄妹を助けるなんて、そんなヒーローじみたことがどうしてできよう。


残念だけど、諦めるしか──どうせゼーレス人なんだし、私が力を尽くしてやる義理も無いんだ……。


そう自分に言い聞かせて、アルターさんと共にその場を立ち去ろうとした刹那……、


「誰か……助けてっ……!」


 私の鼓膜を震わしたのは、ネビュラゾーンの向こう……あの兄妹のうちどちらかの、悲痛な声だった。


「…………」


 ゼノのスイッチを押す。先ほどと同様、点火はしない。


「はぁ」


 私は思いっきりため息を吐き出して、ゼノを懐にしまう。


破壊された街並み、小さな子供が啜り泣く──覚えのある光景だ。実感としてこの身に刻まれた記憶がある。


あの時の子供()には、助けてくれたヒーロー(先生)がいた。


「──ッ!」


 決断とか決心とか、そういうのは無かった。ただひたすらに、身体が勝手に動くばかりであった。


「──待ちなさいッ!」


 背中から降りかかるアルターさんの制止を振り切って、私はネビュラゾーンの中に飛び込んだ。


「──シエル! やめろ!」


 死の直前、アルターさんじゃない誰かが私の名を呼んで…………呼び止めていた気がした。


○●


 馬鹿っ、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ッ!!

もう戻れない! 右も左もわからない……もう、一度飛び込んだこの体勢のまま、ひたすら前に進むしかない!


全身が痛い。腕が、脚が、胴体が、エーテルを纏った暴風に切り裂かれ悲鳴を上げている。それを認識した直後には、閉じた目蓋の上から眼球が裂かれ、もう何も見えなくなってしまった。


感覚自体が失せてゆく。目を開けてるはずなのに、何も見えない。暴風の中に突っ込んだはずなのに、何も聞こえない。そもそも自分が地面の上に立っていて、前に進んでいる感覚すら無い。


ただ──痛覚だけを除いて。あらゆる感覚が希薄になってゆく。


ああ……この感じ。あの夢に似てるなぁ……。


死にそうになるくらい辛くて、感覚がどんどん希薄になってゆくのに……都合良く痛みだけは一丁前に機能するんだ。私の身体を弄った蜘蛛男──結局、見つけらんなかったな。


──先生……あなたに会いたいよ。


この7年間、あなたに生かされた命、絶対に無駄にしちゃいけないって……がむしゃらに生きてきた。辛くて、苦しくて、何度も、何度も後を追おうって考えたけど……アトラや、母さんたちが支えてくれて、もう少しだけ頑張ろうって──そうやって生きてきた。


でも──それもこれでおしまい。ようやく……あなたの所に行けるんだよね。早く、あなたに会いたい。今まで会った、辛いこと苦しいこと、全部ぶち撒けて、あなたに甘えたい……。


それくらい、許されるよね……? 私──もう十分、頑張ったもん。


──先生。もうすぐ、そっちに……、


『シエル!』


 聞こえてきたのは……私の名前じゃなくて──忌々しい識別子。私をこの星に縛り付ける囚人番号。

鼓膜なんてとうに切り刻まれた。なのに、幻聴なのか──確かに頭の中に響いて聞こえる、どこか心地の良い感覚すらする少年の声。


『ごめん……! 僕はッ、君の言葉を──君を信じてやれなかった!』


 ソーン? ソーンなの?


『どうせ君も、感染者を迫害した地球人の一人なんだって──君を心のどこかで軽蔑していたんだ! 僕はッ……君の優しさにも、心の奥の苦しみにも、気づいてあげられなかった!』


 どうしてソーンの声が……?


『ゼノを点火するんだ! 君ならできる……強く、ハッキリと──誰かを守りたいって気持ちを胸に想い描け! それ以外の全部を捨てて、願うんだ! その気持ちに応えて、ゼノは力をくれる!』


 誰かを、守りたい……?


相手はゼーレス人だ、どうしてそんな気持ちが湧いてくるのか、私自身にもさっぱりだけど。


どうして……って言われても、わからない。


「私にとって、一番大事なこと──」


 誰かを恨むことじゃない。


目の前で泣いてる人がいる──だから昔から身体が勝手に動くんだ。私の生き方を、考え方を……私をヒーローに変えた一件なんてありやしない。むしろ……戦争や虐めで、私は捻くれた思想に陥るばかりだ。


それでも私は穢れることがなかった。私のこの想いは──性根はこの十五年で一瞬たりとも揺るがなかった。だから多分これは……どうしようもないさがなんだろう。


涙なんてまっぴらなんだ。それが例え誰の──ゼーレス人のものであっても……誰かが泣くのは嫌なんだ。


悲しいことなんて考えたくない……嬉しいこと、楽しいこと、それだけで世界が満たされれば良い。ゼーレス(ここ)も、私たちの故郷も!


もう誰も傷つけさせない──この力は、そのためにあるんだ……!


──私にとって、一番大事なこと。

アルターさんが言ってた……ようやくわかったんだ! 思い出した……ずっと前から一度だって揺るがなかった、私の心根を!


確かに……死ぬはずだった人が助かれば、助かるはずだった人が死ぬ。その通りだと思う。この世界はそんなに優しくない。誰かの犠牲なくして誰かを助けることなんてできやしない。


だけど……そもそも間違ってる──犠牲が絶対なこの世界そのものがおかしいじゃないか……! 目の前の人を助けても、犠牲そのものからは逃れられないなら……犠牲そのものを無くせば良い!


私はずっと昔っから……そういう人間だったじゃないか!


「う、があッ……!」


 気絶してしまいそうな痛み。もう指先の感覚が無い──それでも、私は……それのスイッチを押した。


お願い──力を貸してッ!


「エントリー!」


○●


【Approve the ENTRY.

Initialize the A.I.D.signal.

A.I.D.code is──Emotional-Mace】


『なに……これ……?』


 全身がぐにゃりと溶けて、空間と同化してるみたい。そんな奇妙な感覚が全身に浸ってゆく──何だか気持ちが良くて、ずっとこの場にいたいと思っちゃう。


周囲はキラキラと光っている。上下左右、360度全体がライブステージのスポットライトみたいに煌びやかで、暖かい……。


暖かくて心地の良い空間に、どこまでも深く没入してゆくと……頭の中に? 目の前に? よくわからないけど、文字が浮かんで来るんだ。 


これ、私のこと……なの?


『キミが新しいエイドなんだね』


 その時──弦楽器のような美しい声が、私の鼓膜を優しく撫でた。


『だ、誰っ!?』


 どれが上でどこが下なのかわからないけど……見上げると、私と同い年くらいの女の人が浮かんでいた。


(か、可愛い……)


 その人を見た時、私は思わず息を呑んでしまった。

身長は160幾つ……私よりもずっと高くて、モデルさんみたいにスラッとしてる。

美しい小麦色の髪が目にかかっていて、その奥に水晶のような魅惑を秘めた瞳がキラキラと輝いている。

表情は無表情だけど、どこか温かみがあって……儚い?


そうだ……儚い──儚い感じの、息を吐くほどの美人さんだ。


『そっか……シズク、深層ここもぐれるような子を選んだんだね』


『潜る? シズク? 何言ってるの? ここはどこなの!?』


『ここはゼノシステムの深層……ゼノを本当の意味で点火した人間だけが至れる精神世界だよ』


『ゼノを、本当の意味で…………? じゃあ私って、ゼノに認められたってことなんですか?』


『ここに来たってことは、ゼノの力を最大限引き出してるってこと──でも、もう二度とここには来ないでね』


『え……? な、なんでですか……?』


 どうして、そんなこと……。


『ここに来るような人間は、大抵ロクな死に方をしないから』


 まるで、見て来た──体験してきたみたいにその人はそんなことを口にした。


『期待してるよ。君が二度とこんな所に来ないことを──そういう人間に、なってくれることを』


『な、何を言ってるのかさっぱり──』


『キミには自由のために戦って欲しいんだ。私は羽を捥がれて飛ぶことができなかった……あの星の彼方まで。キラキラの世界、キミが代わりに見て欲しいんだ』


 可愛らしい女の人は言って、姿を消してしまった。

そして……背後から。誰かが私の耳を優しく撫でる。


『みゃふっ!?』


『大丈夫、怖くないよ』


 さっきの女の人の声……凄く心地良くて、安心する……。この人が後ろにいると、本当に何も怖くなくなる。


『私に委ねてね──キミの体内を巡るエーテルとゼノのエーテルが拒否反応を起こさないよう調律してるから』


 女の人が私の左手指をつまんで、傀儡のように操って優しく伸ばさせた。まるで先生みたい……優しくて、暖かくて……安心する……。

だ、だけど……ちょっとくすぐったいっていうか、同性なのにドキドキしちゃうっ……!


『あ、あのっ、私……帰らなくて良いんですか……? 勝手に入って来ちゃったし……』


 帰れ、って言ってたよね……私、この人を怒らせちゃったんじゃ……。


『でも、助けたいんでしょ? あの子たち』


 言われて、私は力強く頷く。そのための力を貸してくれるなら、何だって良い……!

その首肯に応えて、女の人は優しい笑顔を浮かべると、私にぴったりと密着した。そして、私の肩に自身の顎をちょこんと乗せた。


『ひゃっ!?』


 突然だったんで素っ頓狂な声を出してしまった。温もりさえも伝わってくるような距離で、女の人が指先だけで私の身体をカラクリ人形のように操る。


『ゼノシステムはね、感情でエーテルステージが上昇するの。今の君の段階は10……最高潮なんだけど、ちょっと危険だから、私の言うこと聞いてね』


『あ、あのっ、くすぐったいです……! 気持ち悪くはないんですけど! なんかふわふわするって言うかっ』


 左手の方は良いんだけど、右手が、その……お腹にがっしり掴まってて。最近お菓子ばっかり食べてるから出ちゃってないのか心配なんだけど……。


『我慢我慢。それに気にしないよ私──それじゃあ私の言う通りに……エーテルの流れを掴んで、ゆっくり、ゆっくりね……馴染ませるよ。身体が火照ってきたら教えてね』


『ず、ずっとです!』


『え?』


 可愛らしい女の人は目をぱちくり。そして、吹き出した。


『──キミ面白いね。うん、好きだ。安心してシズクを任せられる』


『あ、あの……?』


 女の人は優しく微笑むと、やがて私から手を離し、私の背を強く押し出した。


『それじゃあ頑張ってね。新しいエイド……メイス』


○●


 最初に回帰したのは視覚だった。

どうやら私はホントに死んでしまう直前だったようで……ゼノを点火した指は、保健や理科の教科書でよく見る骨格標本そのまんまの、骨だけになっていた。


しかし、それも一瞬のこと。ゼノを点火した途端、私の身体は暖かいエーテルの光に包まれ瞬く間に再生してゆき……気づけば、ゼーレス人の兄妹を抱き抱えていた。


「な、なんだ!?」


「お、おねえちゃん……だあれ?」


 たった一度、地面を蹴るだけでネビュラゾーンを上から飛び越えて抜けた私は、なるべく兄妹たちがびっくりしないよう、穏やかにネビュラゾーンの外に着地。二人を地面に降ろす。


「え、えと……」


「もう大丈夫だよ。頑張ったね」


 未だ状況が把握できていない二人を安心させるため、努めて力強く、頼り甲斐のある笑みを浮かべてみる。


「アルターさん!」


 それから──遠くにいるアルターさんを呼び、兄妹を託した。


「──さて」


 閉じ込めていた兄妹を奪われ、目的を失ったとばかりにネビュラゾーンが霧散し。中から、大量の化け物──エネラ……だっけ? が、姿を現した。


あれを野放しにしてはいられない。ここで、私が駆除しないと。


「シエル……」


 後ろには──いつの間に貧民街に来ていたのやら、ソーンが。目の周り赤いけど……もしかして泣いてた?


「──自分の命を投げ出してまで他人を救うなんて、頭おかしいよ」


「ふふ、よく言われる」


 私が笑って返すと、ソーンは懐からUSBメモリのような物を取り出し、それを私に手渡した。


「ナヴ──僕の相棒が使ってたカスタムパーツだ」


 そして……私の手を、強く握る。


「今、エネラ(アレ)を倒せるのは君しかいない。頼む……」


「任せて」


 ただでさえ人間離れした身体能力を持つ私の身体が、羽毛のように軽い。一瞬で化け物たちの群れに肉薄した私は、アルターさんに倣って頭部に手刀を落とす。


一撃粉砕。恐ろしい威力でエネラの頭部が粉微塵に吹き飛んだ。


「やっば……何このパワー」


 昨日と全然違う……ソーンが言ってた、世界を意のままにできるっていうのがよくわかった。理屈はわからないけど……今なら何でもできる気がする!


「シエル、余所見するな!」


 仲間をやられて激昂したエネラが、集団で飛びかかってくる。しかし、奴らが一ミリ進む頃には、私は空高く跳躍していて、エネラの群れを見下ろしていた。


感情おもいが広がる……心が昂る……私の命が、溢れ出るッ!!」


 先ほどソーンに渡された、USBメモリ。適当に一つ選んで取り出したのは、表面に『ブレイド』と刻印されたもの……ツッコミ所は色々とあるけど、今は置いておこう。ゼノの底にメモリを差す穴があったので、そこに装填。


すると、私の手の甲から、私の腕くらいの長さはある光の剣が顕現し、濃密なエーテルの光をほとばしらせる


「くらえっ……超常斬撃エクシードブレイドッ!!」


 剣を一振り。天に掲げて振り下ろすと……その延長線上を三日月の光が突き進んだ。


「うわっ、やっべ……」


 勢い余って本気出しちゃった、明らかにネビュラゾーンを遥かに上回るエネルギーだ……私の中で、さっき見た可愛らしい女の人が『ちょぉいっ!』とツッコんでいるのを感じる。


「っ!」


 慌てて地上へ瞬間的に移動し、化け物たちを一ヶ所に圧縮。何度でも言うが原理はわからない。望んだ出来事が望んだままに発生するのだ。


「フッ!」


 圧縮したエネラに、私が放った三日月型の光が激突すると同時、エーテルで編んだ結界の中に閉じ込め……爆発を何とか抑え込む。


子供が見たら軽くトラウマレベルの轟音が轟き……衝撃を完全に受け止めたのを確認してから、結界を消滅させる。そこには、ただの一体も、あの異形の怪物は残っていなかった。


「ふうっ」


 いくら気色悪いグロテスクな化け物と言えど、生き物を殺したのは気分が悪い。とはいえ……みんな助かったんだから、最善の結果だね。


私は光の剣を収めると、アルターさんが大きな両腕でまとめて抱えている兄妹に駆け寄った。


「大丈夫? あの変なのに怖いことされなかった?」


 お兄ちゃんの方はまだ警戒している様子だったけど──妹ちゃんがアルターさんの腕から身を乗り出して、ぱぁっと目を輝かせた。


「うん! おねえちゃんがまもってくれたもん!」


「ふふ、そっか。良かった」


 その答えを聞くと、私は自身の顔がひとりでに()()()()()()()のを感じた。


「あっ」


「お姉ちゃん、おもしろいかおーっ」


「む、むう……」


 これ──ブサイクらしいから直さないとな……とはいえ、誰かの命が助かって笑顔が溢れるのは、私にとってほぼ生理現象のようなもので……一朝一夕で直せるようなものではなかった。


私は諦めて変な顔のまま、先生がやっていたように……妹ちゃんの頭を優しく撫でてあげた。


「頑張ったね。偉いぞ」


「うん! 助けてくれてありがとっ、おねえちゃん!」


「ふふっ、どういたしまして」


 本当に良かった。気が抜けて、ふとソーンの方を見やると、神妙な面持ちで私の顔をまじまじと見つめてる──うっ……私の顔、やっぱり気になるよね。


「わ、笑わないでよ。ついこうなっちゃうんだからしょうがないじゃん。ブサイクなのは自分でわかってるから!」


「ああ、いや」


 すると、ソーンは首をぷるぷると横に振り、とても純粋な眼差しを向けた。


「良い顔だなと思って。悪くないよ」


「そ、そう……?」


 私の笑顔なんて、ブサイクなだけなのに……変なの。昔からずっと同級生にからかわれるのに。物好きな奴だな。


ソーンはしばらく、私の顔をずっと見つめていた。


「な、なんなのよっ」


「ううん、何でも。あ、そうだシエル──」


「うん?」


 彼は私へ。まるで愛の告白をするみたいに、どうしても伝えなければいけない大切なことって感じのものを私へ告げた。


「──ありがとう!」


「え? 私……あんたに何かしたっけ?」


 私が首を傾げると、彼はもう一度その否定を口にした。


「ううん、何でも」


 彼は無邪気に笑っていた。私みたいに、思わず溢れたくしやっとした笑み──その笑みを見ると、私の胸の中にいるキラキラとした誰かが、とっても暖かくなった。


いや……多分、私も……私自身も。

こいつの笑顔を見てると、胸の中が、何だか暖かい気持ちでいっぱいになる。


「君にとっては、本当に何でもないことだよ」


「……?」


 ちっとも似てない、似てないはずなんだけど…………私は彼に、先生と同じような心地良さを感じているみたいだった。


とりあえず……これは伝えなきゃと思った。


「私こそ……ありがとね、ソーン」


 なぜだか、私の心を戒めていたトラウマが消えて……心が軽やかになった気がするのだ。

胸の中のつっかえが取れて……今、私が私らしくいられるのは多分、ソーンのおかげだ。


○●


 ネビュラゾーンが去った後。跡地に残る人影を複数発見した。ナヴ・アルマに代わる新しいエイド……シズク・フランが選んだという適合者の顔を、一目拝んでやろうと思ったのだ。


「あれは……」


 スマホのレンズを向け、写真を撮る。

すぐに住民情報がスマホの画面に表示された。まったく便利なものだ……プライバシーというやつはどうなっているのか知りたいところだが、こちらが使用する分には便利なだけなので黙認しておく。


「シエル・グラント、か──この顔……やはり」


 手元にあるのは、収めた写真の少女の顔写真、生年月日、住所、その他家族関係などの戸籍情報。


この顔には見覚えがある。何度か遠目から観察していただけだったが……確かにあの時の子供ガキだ。

7年前からちっとも容姿が成長していないのはお笑い種だが……間違いない。彼女は──


「まさかお前がエイドになるなんてな。面白くなってきたじゃないか」


 呟くと、俺は自身の顔を覆っていた()()()()()()()を外し、何も隔たりのない自分の目に、生存していた彼女の姿をしかと焼き付けた。


「お前に耐えられるかな? これからの地獄が」

シエル「次、ソーン! はい台本読んで!」

ソーン「なんか、顔赤くないすか?」

シエル「大丈夫、気にしないで……思ったより私のプライバシーってもんが無かったことをあのバカを尋問して知っただけだから……」

ソーン「そっすか。ええと……ソーン・ワイズ16歳。4月16日生まれ、趣味は読書、特技はなし──ってこれ、ホントにソーン・ワイズの資料じゃないすか」

シエル「それじゃダメなの?」

ソーン「生年月日はともかくとして、現在の趣味はゲーム……特にRPG。特技は暗算かな? 紙を使わずに4桁割る4桁ができる」

シエル「ひえ……私なんか2桁でも筆算するのに──なんかソーンの自己紹介面白くないな……」

ソーン「酷くないすか?」

シエル「私みたいに、なんかこう恥ずかしいエピソードないの? 私だけ不公平なんですけど」

ソーン「……辛い食べ物が苦手とか?」

シエル「お、良いねぇ! 良い感じにカッコ悪い! へぇ、ソーン辛いの無理なんだぁ……」

ソーン「えーと、シエルの苦手な食べ物はピーマンか。あんま人のこと言えないんじゃないんすか?」

シエル「な、なんであんたが私の台本持ってんの!?」

ソーン「これ出演者全員に配られてますよ?」

シエル「はっ!? じゃあアトラのせいでやたらと詳しく書かれてる私のプロフィール、みんな知ってんの!?」

ソーン「ええと……あっ、他にもこんなエピソードが。実は──」

シエル「ご、ごめんってばぁ! からかったの謝るからもうやめてぇっ!」

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