役目は終えましたので
ーーーああ、この時を待っていた。
『聖女よ、そなたのおかげで我が国はまこと平和になった。私を含め皆、感謝している。褒美を授けよう。何でも申すが良い』
大勢の重鎮や騎士達が朗らかな雰囲気で見守るなか、
この世界の国王が、世界を救った英雄である聖女に言い渡す。
ーー長かった。
全てが終わったら、絶対にコレを言いたかったのだ。
世界を救った聖女は、こちらへ来てからずっと胸に抱いていた願いを告げる。
『では…』
その場にいる全ての者が、緊張と興奮を抑えつつ彼女の発言に集中する。
……私はたっぷり息を吸い、言い放つ。
『私を元の世界へ帰らせてください』
……シーン…………………。
とんでもない静寂が訪れた。
さっきまでの雰囲気が嘘のように凍りつく。
全員面白いくらいに固まっている。
"時止めの魔法" が使えたら、こんな感じになるのだろうか。
たっぷり間があったのち、堰を切ったように全員が動揺を露わにし始めた。
重鎮たちは陛下と私を交互に見てオロオロしてるし、
騎士たちはガクブルと震えていたり、泣きそうな者もいる…というか泣いてるな。いつもの逞しさや屈強さは見る影もない。
普段は動揺する素振りを見せない陛下ですら、瞳孔が開いている。唇もプルプル震えているような…。
……追い討ちをかけるようで申し訳ないが、私は再度言い放つ。
『元の世界へ帰してほしいです。私は、この世界で役目を果たしました。望みを聞いて頂けますよね?』
会場にいる全員が『ヒイィ!!!!』となった。
ーーいや、むしろこう言われないと思ってたのか?何で?
最後まで固まっていた宰相が…ハッ!と我に返り、慌てて発言する。
『せ、、聖女様!我々はあなた様に何か失礼を致しましたか!?何かご不便が!?もしそうであればぜひ仰っていただきたい!必ずやご満足のいくように取り計います!!』
そうだそうだ、と言いたげに全員が頭を上下にブンブン振っている。
……私はため息を吐きながら返答する。
『何か失礼を致しましたか?って……そもそも、そちらの事情で勝手に呼び出して、危険な魔王討伐を強いたことが失礼だと思いませんか?』
全員がぐっ、と息を詰めた。
『何かご不便が?と仰いますけど…、私が生まれ育った世界はこちらと比べようがないほど文明が進んでいて、申し訳ないですが不便でしかありません。私が知る豊かな生活を送るのは、こちらの技術では不可能です。ーーご存じですよね?』
全員がぐぐっ、と押し黙る。
以前、聖女の能力で "幻影魔法" が使えるようになった時に、私の故郷を見せたことがある。
ーーーそう、召喚されるまで暮らしていた『日本』だ。
そびえ立つ高層ビル、整備された交通機関、自由なファッションに音楽、数えきれない娯楽、バラエティ豊富な食文化など…。
様々なテクノロジーにあふれた世界を見て、
その場にいた全員が口を開けて呆然としていた。
『突然こちらへ呼び出されてから、私は様々な苦痛に耐えてきました。異世界に来たことへの動揺と不安、元の生活ができない苦しみ、家族や友人と会えない寂しさ、慣れない戦いへの恐怖……。あなた方を恨んでもおかしくないお話です』
『そ、、それは……』
『確かにそうですが…その…』
何か言い返したいのに何も言えない重鎮たち。
私は『それでも…』と続ける。
『私はそれを試練だと受け入れ、聖女としてこの世界の人々を救いました。もう私が召喚された目的は果たされたはずです。であれば、私はこちらの世界に不要ですよね?ーーあるべきところへ戻りたいのです。』
言い切ると、また静寂に包まれた。ゴクリ…と視線を陛下へ移す。
皆、陛下の返答を待っているのだろう。そこは私も同じだ。
……ていうか早く何か言ってほしい、気まずい。
そう思っていると、陛下がコホンと咳払いをした。
おお、やっと発言を…、
『ーー静粛に』
その場の空気が『え………?』となった。
言われなくても静粛だよ。
陛下はだいぶ動揺しているらしい。落ち着け陛下、国王だろ。
ずっと思ってたけど、この国王様は見た目は威厳があるのに中身は天然だよな。
気を取り直した陛下はもう一発コホン、と咳払いして……話し始めた。
『ーー聖女よ、其方の言い分は正しい。我々は其方に了承を得ることなく召喚し、救いを求めた。やむを得ぬ事情があったとはいえ、それは其方に責のないこと……言うことを聞く筋合いなど無かったはず。しかし其方は、そんな我らの身勝手な行動を恨むどころか、見事この国を…、いやこの世界を救ってくれた。誠、感謝してもしきれぬ。それ故、可能な限り望みを叶える所存であった…のだが……』
……言い淀んでいく陛下を見ながら、だんだんと指先の温度が下がるのを感じる。
ーー私はこの人たちが嫌いなわけじゃない。
国王をはじめこの国の人々は、誠実で優しく、嫌味がない。
召喚されたあの日、
『本当に申し訳ない』と全員で頭を下げ、『多くの人の命がかかっている、どうか助けてほしい』と真っ直ぐに頼み込んできたのだ。私に権力で言う事を聞かせることもできたはずだが、そうはしなかった。身分に関係なくみんな憔悴していて、本当に困っていることが伺えた。
もちろんそれだけで、『はいわかりました』と言えるほど私はお人好しではない。
了承したのは…、
ーー自分にもメリットがあると思ったから。
元の世界では、私はくだらない人生を送っていた。
特殊能力も何もない、ごく普通の女子大生。
目標を立てたことも、達成したこともない。
親に言われてなんとなく受けた大学に合格し、変わり映えのない日々をなんとなく生きる毎日。
なんの才能もないし、打ち込んでいるものもない。
くだらない私の、くだらない人生。
そんな私がまさかの異世界召喚されるなんて。
ラノベのヒロインみたいに…。
ーー誰かに求められることが嬉しい。特別な力で、何かを成し遂げてみたい。
そんな思春期みたいな欲望から了承したのだ。
そんなわけで、勝手に呼び出された時は腹が立ったけれど、今となっては彼らを責める気持ちが全てではない。
実際、世界を救う旅はやり甲斐があり、たくさんの人に感謝されるのは気分が良かった。
だけど、、
『ーーー其方を元の世界へ帰す方法がないのだ』
いざ断定されると、頭が真っ白になる。
『……本当にすまない』
きっと帰れるんだろうと、甘い考えで現実逃避していた。いや、帰れない現実を『やりがい』や『優越感』で埋めようとしていたのかもしれない。だからこの瞬間まで、確認しようともしなかった。『帰れない』と言われるのが怖かったから。
指の先が冷たい。呼吸の仕方がわからなくなる。
胸が苦しい、、
私………、帰れないんだ。
ーー急に、静かだった場がざわつく。
『聖女様………』
騎士の一人が思わずといった様子でつぶやいた。
いつの間にか、温かい雫が頬を伝っている。
『聖女様……どうか……』
泣かないで、という気持ちが全員から伝わってくる。
私だって泣きたくない。でも涙がボロボロと出てきて止まらない。
今になって気づいた。本当はずっと帰りたかった。受け止めきれない状況に気が狂いそうになるのを『栄誉』という喜びで誤魔化していただけ。不安を隠すために、帰れないかもしれないという恐怖から逃げるために。そうしないと、立っていられなかった。
思春期みたいな欲望があったのは事実だけど、でも、
ーーー本当はすぐにでも帰りたかった……!
喉が締まって嗚咽が漏れる。
涙で前が見えなくなり、もう目を瞑って下を向くしかなくなった……その時、
『ヒナタ』
耳が溶けそうなくらい甘い声で名前を呼ばれる。
同時に、大きな手のひらで顔を包まれ、親指で涙を拭われた。
少し開けた視界に、絵画のように美しい青年が映り込む。顔が近い。
『……アル』
名前を呼び返すと、目が溶けそうなくらい眩い容姿の彼は、私を安心させるように微笑んだ。
……この国の王太子、アルベルト・シンシアは相変わらずイケメンだ。
『大丈夫だ、ヒナタ。また私と一緒に旅をして、帰る方法を探そう』
彼の身長がとても高いので、上を向かされているのだが……首がきつい。そして手の力もつよい。
『…でぃぇも、ひぇいかのこひょだから、きっちょひらべちゅくした上でああおっひゃったんでひょう?』
(…でも、陛下のことだから、きっと調べ尽くした上でああ仰ったんでしょう?)
陛下は立場に似合わず正直で、誠実な人だ。
持てる力を最大限に使って調べてくれたに違いない………ていうか顔挟まれてて喋りにくいんだけど。せめて緩めてほしい。
『確かに、陛下は他国にも ”救世主である聖女殿を元の国にお送りしたい” と声をかけて、この世界全体をくまなく調べてくれたよ』
『だっひゃら…』
『君も知ってのとおり、うちの国王は特殊でね。誠実で、正直者なんだ』
『ひょうだね、ひゅてき…っ』
『でも他の国はどうかな?』
陛下を誉めようとした瞬間、手に力を入れられて『んぷッ』と変な声がでた。
今、顔どうなってる?私いちおう聖女なんですけど…。
意味ありげな表情でこちらを見る彼の瞳は、満天の星空から降ってきたみたいな碧色だ。
髪は明るい金色。あれだ、金髪碧眼だ。王子様あるあるの。
彼は自分の容姿が整っている自覚がある。それがたまに腹立つ。
『……と、ひゅうと?』
『陛下は君に迷惑をかけたお詫びに、なんとしても元の世界へ送ろうと考えた。でも大抵の場合、王というのは国益を最優先するものなんだよ』
『…ふん?』
『他の国王たちが、素直に君を元の世界へ送ろうとするかな?』
ぷにぷにと私の頬で遊びはじめたので、ぺいッと彼の両手を払い除けた。
『つまり?』
『…他国の者は、聖女の返還方法を隠している可能性があるってことさ』
手を払われて、少し残念そうな彼が言った。
『なるほど…』
『それに君も知ってるだろ?他国にも、君を気に入りすぎている者達がいること』
『あ〜…』
いくつか頭に浮かんだ整った顔を手でシュババッと消す。
面倒臭かった記憶が蘇り、うげぇ…となる。
『……チッ』
アルが周りにわからないボリュームと角度で舌打ちをした。
聖女様からは丸見えですよ、王太子様。
ていうかずっと近いんだけど…。
『ヒナタが元の世界に帰ろうとしてることを知って、彼らは絶対動いてくるぞ。……忌々しい』
うわ〜〜〜それはぜひ遠慮願いたい。
ていうか、最後ボソッとなんか言った?
そういえば、と思い出したように陛下の方を見ると、落ち着いた様子でこちらの話を聞いている……が、よく見ると瞳孔が小刻みに揺れている。良かれと思って行動したのが仇となっている可能性に気づいて、動揺しているのだろう。
陛下、、本当に憎めない人だなぁ。容姿も含めて実は一番好みだったりする。年齢的には父親寄りだけど、見た目が若すぎて実感がない。
それにしても……、
『他国の人たち、もし本当に知ってて隠してるなら、それは何としても聞き出したいなぁ……どんな手を使っても(ニヤァ)』
『だよね。魔王討伐の旅は過酷で他の情報を探す余裕なんて無かったけど、今なら大丈夫だ。……全力で吐かせに行けるよ(ニヤァ)』
聖女と王太子には到底見えない形相で語らう二人。
周りの空気は恐怖でキンキンに凍っている。
ーー対して、私の指先は温かくなっていた。
ともに魔王討伐をした仲間であるアルは、私の扱い方をよくわかっている。
なんか悔しいけど、今はありがたい。
そんなアルが、いつもの王子スマイルで顔をさらに寄せてきた。
『だからさ……、私とまた旅をしよう?』
『……いいとも』
ーーーかくして、『元の世界に帰る方法を探す旅』が決定した。
きっとあの面倒臭い男たちにもまた会うことになるのだろう。
気が重いが、行かない選択肢はない。
ーー必ず、元の世界へ帰ってみせる!ーー
温まった指先をギュッと握りしめて気合いを入れていると、『もしくは…』とアルに腰を掴まれ、抱きしめられた。
『俺と結婚してくれてもいいんだけど』
アルの唇が耳に当たっている状態で囁かれる。
くすぐったさと言われた意味のダブルパンチで、全身に尋常じゃないほどの鳥肌が立つ。
『 誰とも結ばれない!!
ぜっっったいに元の世界に帰る!!!! 』
一国の王太子の顔を両手でパーンした音が響き渡り、絵画のような顔から『ぷひゅっ』と間抜けな音がした。