船室の中で
ロスバルクと名乗ったその大佐に、ラーネン大尉は好意的な印象を抱いた。
彼女のもつ能力―――相手の感情を感覚的に読み取るもの―――では、帝都で当たり前の様に晒されていた差別や偏見といった負の感情を、彼から読み取ることが出来なかったからだ。
ロスバルク大佐は身を屈めつつ窓際の椅子に座り、申し訳無さそうに彼女へと話しかける。
「済まないな大尉、部屋を狭くしてしまって。」
「いえ、問題ありません…。コーヒーでも如何ですか?」
「あぁ、ありがとう、頂くよ。」
低く、落ち着きのある声で礼を言うと、彼は窓の外へと視線を移した。
保温機能のある魔法瓶からコーヒーを注ぎつつ、横目で彼を観察する。
左頬の傷と眼鏡をかけた特徴的な顔に、彼女は見覚えがあった。正確に言えば、書類上で、であるが。
(ムラル中将子飼いの部下、中将の左遷後、帝都勤務だったはずだが…)
ムラル中将の調査任務を受けた士官と、その調査対象の関係者である佐官が、偶然同室となる事などあるのだろうか?
(…ムラル中将に関して、情報を得るいい機会かもしれない。)
彼がこちらを警戒していない以上、これは偶然なのだろう。
そう結論づけ、コーヒーのなみなみと入ったカップを彼へと手渡した。
(アラクネ族の者を見るのは初めてだな。)
カップを受け取り、湯気の立つコーヒーを啜りながら、ロスバルク大佐はそんなことを考えていた。
獣人としての本能からか、もしくは長年の軍人生活で培った勘からだろうか、ラーネン大尉がどうやら只者では無さそうだと気が付いた。私が部屋に入ってからここまで、警戒を解く素振りを見せなかったからだ。
この面では警戒するのも無理ないか、と苦笑し、窓の外を流れる雲を眺める事とした。
女性士官というのは今時珍しいものでも無い。
数百年に渡って続く戦争は、女性だからといって軍役を免除するほどの余裕すら連邦から奪い取っていた。
勿論、優先的に後方に回される為、前線勤務で会うことは稀だ。
しかし、彼女の様な雰囲気を身に纏う軍人は、連邦軍広しといえどもそうそう居ない。
シワ一つ無い制服からは新任の士官の様にも見えたが、使い込まれ、良く手入れされた拳銃嚢とその中に収まった拳銃―――二世代程旧式だが、信頼性と整備性において新型より勝る―――によって、彼女が歴戦の兵士であると認識できた。
ラーネン大尉に一言コーヒーの礼を述べ、あまり気を遣わなくてよいことを伝える。
(確か、クラウヴィッツのとこの部下だったかな?)
窓際に据え付けられた椅子に座りなおし、ロスバルク大佐はチラリと彼女のほうへ目を向ける。
連邦は、"帝国"を中心とする多種族国家である。もちろん、種族ごとに人口に対する割合は異なる。オークやゴブリン、ドワーフといった亜人族が四割、獣人族が三割、魔族とも呼ばれるダークエルフやエルフが一割、人間一割とその他が一割となっている。
分布的にはある程度の偏りがあるのだか、帝都では各地から人が集まる為必然的に少数の種族の割合が高くなっていた。
もちろん、その中でも細分化していけばキリが無いのだが、アラクネという種はその他の中に含まれる種族で、更に個体数も僅かしかいない。大型種で、数も少ないとなれば嫌でも目立つ為、記憶に残りやすいのだ。
「クラウヴィッツ大佐は元気かね?」
彼は、何気ない世間話のつもりで彼女へとそう尋ねた。
クラウヴィッツという名を聞いた瞬間、彼女は驚きのあまり持っていた魔法瓶を落としてしまった。
「なぜ、クラウヴィッツ大佐の名を…」
ラーネン大尉にとって心理的な一撃だった。
彼が警戒していない以上、正体に気がついていないとばかり思っていたのだ。
その質問は、戦研二課の所属だと知っているぞ、と言っているように聞こえた。
「私の口封じをするつもりですか?」
彼女は率直にそう尋ねた。
任務を完遂することは出来なかったが、囮としては十分に機能しただろう。
せめて相討ち位にはしてやる、と彼女が覚悟を決めたその時だった。
「いや…彼と私は同期でね…君が部下だと聞いていたんだが…」
彼女の前には、困惑した一人の獣人がいた。
「口封じ…?何の話かね?」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
「詳しく、説明して貰えるかな?」
彼女は、自分の早とちりによって墓穴を掘ったのだとようやく気がついた。