邂逅
艦が離陸し、広大な軍港が眼下に消えるまで、ラーネン大尉は窓際で任務に関する書類に目を通していた。
カール・フォン・ムラル…帝政時代から続く由緒正しい貴族の三代目で、他の尊き方々と同じくエルフ族とされている。結婚しており実子はいないが、戦死した友人の子供を養子として複数人育てている。また、自らの私財で孤児院と戦災孤児の為の基金を設立し、地元では有名な名士らしい。
二十年前の第十四次停戦協定の時点で少将、開戦後は数多の防衛戦で名を上げている。数年前のノルトヴァルト大突破戦の戦功で叙勲と中将へ昇進、最近では突撃砲の開発にも携わってようだ。
昇進がかなり遅いことを除けば、別段怪しい点はない。むしろ、尊敬に値する人物のようだ。
正確な年齢が分からないのはエルフ族では珍しくないからな、と思案しつつ、カップに注がれたコーヒーを飲む。その時、不意に扉が叩かれた。すぐさま書類を鞄に隠し、拳銃嚢の蓋を開ける。少尉かと思ったが、聞こえてきたものは幼い子供の声であった。
「すみません…。少し、宜しいでしょうか?」
「……?」
少々警戒しつつ扉を開くと、そこにはエルフ族の少女が立っていた。歳は十四、五ほどに見えるが、種族の特性的に倍はあるだろう。空軍特有の青灰色の軍服を身に纏っているがサイズが合っておらず、ぶかぶかの袖部には義勇兵を示す腕章を着けている。アラクネと会うのは初めてのようで、一目見ただけで怯えていることが分かった。子供にとってこの容姿では無理ないか、と思い、出来るだけ穏やかに話しかける。
「何か用か?」
「あの、実は、出港直前にある大佐殿が乗って来たのですが、どの部屋も荷物か便乗する方でいっぱいで、余裕のある部屋があとここくらいしか無いのです。こちらに案内してもよろしいですか?」
既に幾人かに断られたのであろう、問いかける少女の目には、諦めの色が見てとれた。
それを聞くと、彼女は形のよい顎に手を当て思案する。
大型種族のアラクネとはいえ、士官用の二人部屋を占拠できるほど大柄でもなかった。睡眠時はハンモックを"作って"寝るのでどのみち寝台は使わない。少々窮屈にはなるが入らないことは無いだろう。
「私は構わない。案内するといい。」
「えっ…あ、ありがとうございます!」
なるべく怖がらせないように身を屈め、目線を合わせるようにして笑顔で頷く。私が断ると思っていた様で、その返答を聞くやいなや少女は満面の笑みを浮かべた。少しどもりながら礼を言うと、丁寧なお辞儀をして狭い通路を駆け抜けていった。
任務の内容を考慮すれば、本来なら断るべき依頼である。
二課の所属だと相手方に筒抜けだった場合、任務前に口封じされる可能性もある。
他人との接触は危険が伴うとクラウヴィッツ大佐から忠告を受けてはいた。
「…子供に頼まれては断れないな。」
しかし、彼女は自分の安全を優先することをしなかった。。自身を死地に追いやった(少なくとも、大尉はそう思っている)上官の言葉よりも、目前の少女の力になりたいという気持ちの方が優っていたのである。
「まぁ、あの子の方が年上だろうがな。」
彼女は苦笑しながらそう呟く。もし敵対者であれば容赦なく返り討ちにしてやる、と物騒な事を思いながら、数日間の同居人となる人物の到着を待った。
艦橋から爆弾庫改造の貨物室を抜け、居住区へと繋がる通路を進むと搭乗員用の休憩室がある。そこに一人の獣人がいた。獅子族の様で、特徴的なたてがみは短く切り揃えられ、体は明るい茶色の体毛で覆われている。顔には歴戦を思わせる傷が左の頬に入っていたが、鼻の上に乗った小さな眼鏡がその剣呑さを緩和していた。
肩には大佐の階級章を付け、参謀を示す飾緒を胸に下げたその将校は、名をフリッツ・ロスバルクという。彼はひどく不機嫌であった。
三日前まで、彼は帝都の人事部に所属していた。
勲章授与の候補者の選定を主とするその職場は、それまで前線勤務ばかりだった彼にとっては天国だったが、終わりは突然であった。
いつものように朝食を済ませ出勤した彼を待っていたのは、最前線行きの辞令だった。参謀総長の名で発せられたその任務の内容は、ある部隊の司令部要員としてメルターギへ赴け、というものだった。
「表面だけ見れば出世なのだかな。」
フォン・ムラル特別作戦軍の参謀長…部隊名からして、またムラル中将と組んで仕事をせよとのことらしい。鉄仮面で名の通った参謀総長直々の指名だったが、ムラル中将が裏で手を引いていたのでは?と疑っている。
あの人はこういう事も得意だからな…と去年を思い出し苦笑する。
別に中将と仕事をする分には良いんだが、問題は指揮下の部隊が碌なものでは無い、ということだった。
帝都駐屯の教育部隊に、新編の海兵旅団と現地の敗残師団の寄せ集め、他に追加で与えられたのは一個師団のみでは、軍と呼ぶことも烏滸がましい。せいぜい軍団に毛が生えた程度のものだろう。司令部は、ひねり出した予備戦力を南方集団撤退の"時間稼ぎ"として使い潰すつもりのようだ。そんな部隊の幕僚とは、とんだ貧乏クジである。
「お、お待たせしました大佐殿、お部屋に案内いたします。」
飛行艦に乗った際に案内を頼んだ少女が息を切らして駆け寄って来る。どうやら寝床が見つかったらしい。
「相部屋となりますが…よろしかったでしょうか?」
「構わない。案内してくれ。」
もともと参謀本部の名まで出して無理に乗った私に非があるのだ。相部屋となる士官(少女の話によると大尉らしい)には申し訳無いが、さすがに高空を飛行する艦の中で野宿するのはさすがにきつい。
「こちらの部屋です。」
「ありがとう。助かったよ。」
艦に乗ってからここまで部屋探しと案内をしてくれた少女に礼をいい、間食用にと買っていたチョコレートを渡す。年頃の少女が喜びそうな物はこれ位しか持ち合わせていなかったのだ。
「これは…ありがとうございます!」
どうやら贈り物を気に入ってくれたようだ。目を輝かせた少女は満面の笑みを浮かべて何度も礼を言った。
嬉しそうに去っていく少女の背中を見送り、案内された部屋の前に立つ。ノックをしようとしたその時、軽合金の扉が静かに内側へと開いた。
「はじめまして大佐殿、アクア・ラーネン大尉です。数日間よろしくお願い致します。」
―――この出会いが、全ての始まりであった。