出港までに
帝都中心部から南へおよそ二十キロの郊外、そこにはなだらかな丘陵地帯が広がっていた。
小規模な集落が丘の上に点在し、遠く離れた中央海から吹き抜ける風を日々の動力とする為に、どの村にも中心部には大きな風車が建てられている。住民の殆どはエルフで、ここでの生活様式は数百年ほど変わっていない。まさに絵に描いたような田園風景である。
そんな美しい景色の広がる緑豊かな大地に、ひときわ目を引く異物があった。
比較的大きな丘の全域を呑み込む様に、灰色の軍事施設が密集している。数本の滑走路と飛行船用の大型ドックが十一、整備用格納庫や多数の係留塔を備えたそこは、名をルバニア軍港という。広大な停泊地に何隻もの輸送船や空軍所属の艦艇が舳先を並べ、出発の時を待っている。上空を大型輸送機がひっきりなしに飛び交う港は空輸拠点としては連邦最大で、帝都からの様々な補給物資や部隊が、はるか東方の戦線へ送られる為に集積されていた。
その軍港の一角、赤煉瓦で造られた事務所の中にラーネン大尉はいた。
「…もう出港したと?」
「ええ、二時間ほど前に。」
搭乗予定の便を確認しようとした大尉だったが、メルターギ行きの輸送船は既に出港してしまったらしい。彼女にとっては低い木製の受付を覗き込み、中の小柄な人物に尋ねる。
「他の船は無いのか?」
神経質そうな痩せたゴブリンが、額を鉛筆の角で掻きながら手元の名簿を捲る。ふと顔を上げ、不機嫌そうに彼女へこう言った。
「失礼ですが、大尉殿は嵩がありそうですから、厳しいと思いますよ。南方行の船は、上限一杯まで荷を積んでいますから。」
その声色には、微かに馬鹿にしたような差別的な響きが含まれていた。
『だから中央は嫌いなんだ』
心の中でそう呟き、これ以上は時間の無駄と判断すると大股で事務所を後にする。
彼女にとっては日常茶飯事のことだった。
多種族国家といえど、かなりの割合をエルフやオーク、ゴブリンといった亜人が締めている。
ケンタウロスやラミア、人魚のような半人半獣の種族は少ない。ましてや彼女は半身蜘蛛の化物のような見た目なのだ。偏見を持つな、という方が無理なのだろう。特にその傾向は帝都周辺で強く感じていた。
「さて…どうしたものか…」
船さえいれば、交渉次第で乗せてくれるのでは、という安易な考えで泊地へと向かった。
広大な泊地は大小様々な飛行船舶で溢れかえっており、一隻出れば一隻入るといった大混雑の様相だった。
敵の攻勢が始まって一週間、軍港内は部隊の緊急移動や南方への補給物資の増大により、混乱の最中にあった。時刻表は当てにならず、南方へ向かう船舶のほとんどが自船の浮揚上限いっぱいまで兵か物資を満載している。
「手当たり次第にいこうかと思ったが、これは無理だな。」
腹立たしいことに、あのゴブリンの言っていたことは本当だったのだ。
飛行船はその性質上、定員や積載量が厳密に定められている。事前に搭乗員と積荷の重量、消費される食糧等を計算しなければならないのだ。たとえ一人だけといえど、それだけで船のバランスを崩すには十分である。周りをよく見れば、彼女と同じ様になんとかして便乗しようと目論む士官らしき姿が、何人か目に入った。
諦めて貨物ターミナルで他の船舶を探すか、輸送機を乗り継ぐしかないな、とラーネン大尉が考えを巡らせたとき、不意に後ろから強い風が吹き付けてきた。
「大尉殿、何かお困りですか?」
振り返るとハーピィの青年が舞い降りたところであった。年齢はラーネン大尉と同じか、少し若いくらい。灰青色の制服と首に掛けた階級章を見るに、空軍所属の少尉のようだ。広げれば3mはあろうかという大きな翼と、鋭く黒い鉤爪が特徴的である。翼を覆っている羽毛は明るい灰色で、彼女の故郷でよく見る種族と同じだった。まるで知己に会ったかのように懐かしくなり、つい顔が綻ぶ。
「…大尉殿?」
彼の再度の問いかけで、ふと我にかえる。
「あぁ、すまない、船を探している。メルターギに行く船だ。なかなか空いているものが無くてな。」
空軍の士官であれば、乗れそうな船を知っているかもしれない。そう思いあたり、彼に尋ねる。
「やはりそうですか…でしたら、」
彼は周囲に目を向け、ラーネン大尉にしか聞こえないよう声を潜ませる。
「私の乗っている船でしたら、任務でウォトブルクまで行きます。旧式ですので2日程かかりますが、それでも良ければ…」
ウォトブルクはメルターギの西方に位置する南方最大の兵站拠点だ。主要な鉄道の結節点であり、舗装道路も通っているので移動手段もある。まさしく渡りに船だ。
「それはありがたいが、重量や定員などは大丈夫なのか?」
「問題ありません。軍艦ですので、浮力に余裕があります…こちらです。十七番係留塔に停泊しています。」
彼は翼で桟橋の方向を指し示すと、彼女の前を歩き出した。その案内について行きながら、ラーネン大尉は彼に尋ねる。
「しかし、なぜ私に声をかけたのだ?他にも士官はいただろう?」
彼は最初、"やはり"と言った。このホームに乗船待ちの士官がいることを知っていたのであろう。高位の将校を優先するのであればまだ分かるが、ホームにいたのはほとんどが佐官で、私よりも階級が上であった。なぜ声をかけたのかという彼女の疑問は、あっさりと氷解する。
「あぁ、いえ、なんといいますか…つい懐かしくなりまして…」
「もしや、ノルトヴァルト出身なのか?」
「はい。」
彼は少しはにかみながらそう答えた。遠い故郷の見慣れた種族を目にし、郷愁の思いを抱いたのは彼女だけでは無かったのだ。
時折故郷の話を交えながら歩みを進めると、程無くして"17"と表示された隔壁にたどり着いた。
「先に艦長の許可を取って参ります、少々お待ち下さい。」
係留塔の根元に着くと、彼はそう言い残し飛び立っていった。取り敢えず上で待とうと考え、彼女は搭乗用の桟橋へと足を向ける。無機質なコンクリートの階段を登りきると、大きな黒い影が覆い被さった。
「こいつは…」
ずっしりと腰を据えたように停泊していたのは、"かなり"旧式な装甲艦であった。全体は暗い緑を基調とした迷彩で、船体のあちこちにまるで寄生生物のように対空砲座やエンジンが幾つも張り付いている。上部には浮遊術式の魔法陣があるようで、微かに光を帯びたそれを保護するように薄い装甲板が張られている。船体下部の前部には艦橋と二つの連装主砲が悌形に並び、中央には爆弾庫、後部の居住区画からは副砲が昆虫の足のように生えていた。艦首の衝角と装飾、独特な主砲配置、後付けとおぼしき対空砲座からして、骨董品レベルの老朽艦であることは一目瞭然であった。
「艦長の許可は取りました。では、乗船しましょうか。」
いつの間に戻ってきたのか、少尉が彼女の背後から姿を表す。
「なかなかに歴史のありそうな艦だな、半世紀は経っているのではないのか?」
声が若干震えていることに気取られないようにしながら、そう質問する。元々、彼女は輸送機や飛行船を苦手としていたのだが、これほど古い船とは思わなかったのだ。
「まさか、就航は七十年前ですよ。少々古いですが、まだまだ現役で使えます。爆弾庫を貨物室に改造して、南洋航路の護衛として飛んでいるのです。」
タラップを登りつつそう説明を受ける。途中で沈んだりしないだろうな、と不安な面持ちで少尉の後に続く。船体下部のハッチから中へと入る。
「こちらをお使い下さい。中型種族用ですが、2人部屋です。」
幅の狭い通路を抜けて、案内された部屋は彼女の予想よりもかなり綺麗であった。内装もしっかり整備され、まるで客船のようである。外の風はかなり強かったが、揺れもほとんど感じず、これなら大丈夫そうだと胸を撫で下ろす。
「何かありましたら、声をおかけ下さい。では、大尉殿、良い旅を。」
「あぁ、少尉、待ってくれ。」
案内を終え、敬礼して通路の開口部から飛び立とうとする彼を呼び止める。
「北方の民の掟を忘れたのか?異国で友と出会ったら、交換するものだろう?」
笑いながら彼女が掲げたのは、小さな護符の束であった。その中から1枚を取り出し、彼に手渡す。北方の古い慣習のようなもので、故郷へ戻った際に誰と出会ったかを確認するためのものである。"アクア・ラーネン"と北方古語で書かれた護符を見て、彼の顔にほんの少し影が入るが、すぐに先ほどまでの爽やかな笑顔に戻る。
「…ありがとうございます。では、私の護符も…」
護符を交換したふたりは、敬礼ではなく抱擁を交わすと、ラーネン大尉は部屋へ、彼は開口部から外へ飛び立つ。
「では、また会いましょう、ラーネン大尉!」
「あぁ、また何処かでな、シュミット少尉!」
エンジンが暖気運転に入る。飛行船独特のその排気煙を嗅ぎながら、彼女は満ち足りた気持ちで出港を待った。