看破、そして会議室へ
ラーネン大尉が退出し二人きりとなった室内で、ムラル中将はロスバルク大佐へ諭すような口調で話しかけていた。
「そう怒るな、フリッツよ。」
「………」
「私とて予想外だったんだ、まさか本当に見破るとは。」
そう言いつつ引き出しからグラスを二つ用意すると、先ほど取り出した果実酒を半分ほど注ぎ、大佐へと差し出す。
彼はそれを受け取ると、閉ざしていた口をゆっくりと開いた。
「わざと、ですな。」
「………」
「大尉が…彼女が見破れるよう、わざと魔法強度を下げましたな?」
その問いかけに対する答えはなかった。
自分の持ったグラスを眺め、貴族らしい優雅な所作で黄金色の液体を喉へと流し込んでいる。
彼の目には金髪で長身の、片眼鏡を掛けたエルフにしか見えない。しかし、それは作られた虚構であると大佐は知っていた。
「ムラル中将、あなたの"厚化粧"のやり方は分かっています。このまましらを切るおつもりですか?」
ムラル中将が自らにかけている魔法は、一帯の魔力を吸収しそれを身に纏って幻を投影するものだ。その性質上、使用すれば周囲の魔力は根こそぎ無くなる。屋内であれば尚更だ。
「いかに私に才能が無いといっても、この部屋に充満している魔力に気付かぬ訳が無いでしょう?」
中将はグラスの底に僅かに残った酒を一息で飲み干すと、机の上へ静かに置いた。
大佐を見据えるその目には、僅かに好奇心の色が見え隠れしていた。
「少しばかり手を抜いたのは確かだが、なんだって君がそんなに怒る必要がある?彼女に一目惚れでもしたのかね?」
「誤魔化さないでいただきたい。一歩間違えれば、ラーネン大尉に撃たれていたのですよ?」
「撃たれたとしても死にはせんよ。それに、君が止めてくれるだろうと思っていたからね。」
「…どういう意味です?」
「そのままの意味さ。」
予想外の返答に思わず聞き返してしまう大佐。その一瞬の隙を突いて、ムラル中将が足音も立てず滑るように彼の正面に詰め寄る。
「書類上、彼女は"実戦経験のない事務上がり"だった筈だ。君もそう言っただろう?その経歴で、迷いなく銃を抜くことができる、と思うかね?」
彼の胸に、その端正な顔立ちのエルフは軽く人差し指を押し当てた。
「フリッツ、君は彼女の正体を知っていたのではないのか?だからこそ、あんなにも素早く彼女を制止出来たのではないのかね?」
ロスバルクの額を一筋の汗がつたう。
焦りを気取られぬ様に憮然とした表情で否定の言葉を口にする。
「まさか。そうであれば、最初に忠告なんぞしませんよ…。ただ者ではない、とは思ってましたが」
ムラル中将はそんな大佐の様子をじっと目を細めて視ていたが、やがて小さくため息をつくと彼に背を向けた。
「まあいい、彼女の目的が何であれ、我々は我々の仕事をするだけだ……一時間後に作戦会議を行う、君も準備したまえ。」
全て見透かされているのでは?
ロスバルクは直感的にそう感じた。
今のところは動かれようとも脅威ではない、と考えたのだろうか?
内心冷や汗をかきつつ、大佐は静かに一礼をして部屋から退出しようとした。
「フリッツ。」
「はい。」
「君は相変わらず腹芸が下手だな、出世できんぞ?」
この人には敵わない。
扉を閉めつつ、ロスバルクはそう思った。
執務室での一幕から二時間後、城の中心部に位置する天守の地下三階。
軍司令部の置かれた楼門と地下通路で繋がったその場所は、元は宝物庫として造られたもので、今では軍の主力である第九装甲軍団の司令部が置かれていた。広さは縦横十数メートル程の空間で、仮設の仕切りによって幾つかに区切られている。大型無線機が並んだ通信区画や書類が飛び交う事務区画の中に、周囲よりも若干広い一画があった。
中央に据えられた大きな机と、その上に置かれた地図、出入口に"会議室"とだけ表示されたその場所に、十数人程の将官が集まっていた。
獣人、リザードマン、エルフに妖精、ケンタウロス、ゴブリンと、種族は実に多種多様である。
(まさに寄せ集め、といったところか)
ラーネン大尉は心中でそう呟いた。
通常、連邦軍では補給円滑化の為に師団単位で種族を統一する傾向にある。例えば、山岳猟兵はドワーフ、戦車兵はゴブリン、海軍歩兵はリザードマンや人魚といった具合である。
軍集団といった規模の司令部であれば珍しくもないのだが、前線に近い司令部にこれだけ多様な種族が集まっているさまは、現状のメルターギの苦境を表しているかのように思えた。
「本国からの命令を伝達する。」
ムラル中将は部屋を見渡し、メルターギ防衛の陸海空の指揮官達へと視線を向ける。
彼の魔法は先ほどよりも強力にしているようで、少し離れた位置で待機しているラーネン大尉の眼にもエルフにしか見えない。
中将はチラリとロスバルク大佐へと目配せをする。彼は軽く咳払いをした後、手に持っていた紙片を広げた。
「発 連邦軍最高司令部、宛 "フォン・ムラル"特別作戦軍…」
大佐はそこで言葉を途切らせた。ことさらに全員の注目を集めたかった訳ではない。書かれた文章の短さと簡潔さに戸惑ったのである。
困惑七割、憮然三割といった表情で命令文の続きを読み上げる。
「万難を廃し、メルターギを死守せよ……以上です。」
一瞬、この空間だけ時間が止まったように感じた。
「つまり…南方軍集団が撤退に成功したとしても、この時代遅れの、化石のような城を守らねばならぬと?」
第五保安師団のザッシュ少将が、コボルトとしては長めの毛並みを震わせつつ、独語にしては大きな呟きを吐く。
人格者として知られる彼だが、この時ばかりは言葉に大きなトゲがあった。
「最高司令部の参謀連中、穴蔵に籠り過ぎてまともな語彙力すら失ったとみえる。せめてもう少し上手い言い回しはなかったのか?」
第二義勇兵旅団"エルフェンラントⅡ"所属のラガス中佐が、自嘲気味な笑みを浮かべる。
会議室内でもっとも背の高い、第七騎兵師団のジュート大佐は特に何も言わなかったが、憤懣やるかたない、といった面持ちで腕を組んで虚空を睨み付けていた。
他の将官も似たような感想を持ったらしく、戸惑いと若干の怒気を含んだ風が、会議室の中に侵入してきたようであった。
(これは一波乱ありそうだな。)
参加者達から湧き出る不平不満を諫めるでもなく、この状況を楽しむかの様にニヤニヤとした表情で眺めるムラル中将の横顔を見ながら、ラーネン大尉は心のなかで嘆息した。