そして到着
先程まで響いていた砲撃音が止み、どうやら戦域を離脱し始めたようだと思っていたその時、伝声管を通じて私を呼ぶ声が聞こえた。
『ラーネン大尉、下に降りて来てくれ。ロスバルク大佐がお呼びだ。』
やっとこの気囊の隙間からおさらばできる。
狭くて暗い場所は嫌いではないのだが、発動機の重低音と大口径砲の発砲音、敵砲弾の弾片が船体を叩く乾いた響きを聞き続けるのは中々の拷問だった。
戦闘前の僅かな時間に自らの糸で作った移動用梯子を片付けつつ、トラス構造の補強材の間を滑るように下へと向かう。
「御苦労だったな、大尉。良い経験は出来たか?」
狭い連絡通路上で待っていたロスバルク大佐が、ニヤリと笑う。大佐の後ろには案内役なのだろう、シュミット少尉が待機しており、私の視線に気が付くと軽く会釈を送ってきた。
「…二度とごめんです。地上の方が私には性に合ってますね。」
「やはりそうか、私も同感だ。空中はどうも肌に合わん。」
そう言うと踵を返して後部へと歩き出す。
「艦長のご厚意でメルターギまで送って貰える事となった。行李は積んである。」
シュミット少尉を先頭に進んでしばらくすると、航空甲板へと辿り着いた。
吊り下げ式の格納庫に小型の連絡機が二機待機している。軽い輸送任務にも用いられる機体で、前線でよく見かける型式のものだった。
既に操縦士が乗っており、暖機運転も済んでいるようだ。ロスバルク大佐は操縦士の隣に、私は貨物室へと案内される。
「ではシュミット少尉、世話になった、艦長にも宜しく伝えておいてくれ。」
「はい…。ロスバルク大佐、ラーネン大尉、ご武運を。」
敬礼しつつシュミット少尉が後ずさり、通路へ戻ると少し離れた位置にいる兵士に合図をする。
その兵士はひとつ頷くと傍らにあるレバーを引いた。
耳障りな電動機音と共に、格納庫の床を構成していた折り畳み式扉が開く。それと同時に機体上部の連結機構がゆっくりと下降し連絡機を船体の外側へと送り出す。
「発進します!」
機内に警報音が鳴った十数秒後、下方向への軽い衝撃と強烈な浮遊感が襲ってくる。
反射的に上へと顔を向けると、ガラス越しに巨大な船体が見える。開いている格納庫の内部には、こちらへずっと敬礼している少尉の姿が確認できたが、すぐに見えなくなった。
"グライフ"の姿が雲中に隠れ、機体が安定して飛行すること十分。うっすらと町並みが見えてきた。
「ようやく着いたぞ、大尉、見てみろ。」
ロスバルク大佐が前方を指差す。
まるで絵画の様な、美しい朝焼けで朱色に染まった光景の中に、その都市は静かに佇んでいた。
「レウィン湖畔都市同盟の中核、東方の要衝…メルターギだ。」
大陸中央の南部、中央海とレウィン湖に挟まれた地峡に位置する古い港湾都市、それがメルターギである。
その起源は帝国成立以前、旧きエルフ達の統べる国の都として造られたという話もあるが、度重なる戦禍によって記録が消失し詳しいことは分かっていない。
東方の植民都市として整備され、短い平和な時代には東西交易路の終点として栄えたが、今やその面影は町並みに微かに残る程度である。
五百年前の王国占領時代には聖騎士団直轄領となったが、メルターギを統治していた聖騎士団の指導者が穏健派であり、他種族に対してかなり寛容な政策を行っていたことで知られる。
王国軍が撤退したのちメルターギ主導のもと湖畔の都市が都市同盟として独立、連邦所属となった後も多くの人間が残留を希望した為、主要都市の中では最も人口に対する人間の割合が多い。
「思っていたより損傷してないな。瓦礫の山というわけでも無さそうだ。」
ロスバルク大佐が双眼鏡を覗き込み、そう判断する。彼に続いて私も鞄から取り出した単眼鏡で街を観察する。
全体としては確かに大規模な攻撃のあとは見られなかったが、街の何箇所からは小火と思しき細い煙が上がっていた。
地形としてはこれといった特徴はなく、泊地として最適な湾と、周囲の丘よりも少しばかり高い山が目を引くくらいである。
湖を見下ろすことのできるその高地の上には古城を改装した要塞が腰を据えており、それを中心として市街地が広がっている。
街の南部には大規模な操車場と港湾施設があり、港内には何隻かの小型艦艇が停泊していた。北西側には簡易ドックと飛行場、飛行艦船用の空中桟橋が並んでいるが、砲撃と爆撃で使用不能となっている様で、使われていないようだ。事前情報では北から東側にかけて防衛線が構築されている筈だが、上空から見ることは出来なかった。
「もう少し東へ行けるか?陣地を確認したいんだが…」
「了解しました。」
大佐は時折双眼鏡から目を離して地上の様子を手帳に書き込んでいる。
白亜の建造物群の上空を旋回し、連絡機が東へと舵を切る。機体を軋ませつつ大きく右に傾いた、その時だった。
横殴りの衝撃が三人を襲った。
一度だけではない、二度、三度と同じように強烈な振動が機体を揺さぶる。周囲に幾つかの黒煙が咲き、その度に弾片が胴体をカンカンと叩く。
「対空砲火に狙われています!」
敵の戦線からは遠いはず、何処から撃たれているのかと下へと目を向ける。
揺れがおさまった一瞬、地上の味方陣地と思しき場所で発砲炎が複数きらめいた。味方撃ちである。
「腕は良いな、初弾から至近弾か。」
ロスバルク大佐はというと、かつてこういった経験があったのか、もしくは単に肝が据わっているのか、傍目から見てもかなり落ち着いていた。私はもはや大佐に話しかける余裕すらなく、ただただ身体を強張らせ、墜ちぬ様にと必死に願うことしかできなかった。
「このままでは墜とされます!離脱します!」
操縦士が高度を急激に下げ、味方だとわかるように何度もバンクする。その間も地上からは相変わらず砲火が浴びせられる。
機首に数発被弾し、薄く黒煙を吐き出したときに、対空砲火はようやくおさまった。どうやらやっと味方機だと気がついたようだ。
「着陸します!これ以上の飛行は困難です!」
損傷した機体をいたわる様にゆっくりと降下する。幸いにも、さほど時間をかけずに臨時の飛行場を見つけることができた。
既にエンジンは対空砲弾の弾片によって停止している。しかし操縦士の腕はかなり良く、まるで機体を滑らせるように飛行場へ進入する。
連絡機は危なげなく着陸し、十数メートル程進んだ後に完全に停止した。
機体が止まったとみるや真っ先に側面の扉を開けて機外へと出る。地面がまだ揺れている気がするが、それよりも安堵感で大きく溜息をつく。
「大丈夫かね大尉?顔色が良くないようだが…」
続いて降り立ったロスバルク大佐が私の肩に手を乗せ気遣ってくれる。
「はい、大丈夫です。如何せんこういった経験は初めてで…ご心配おかけしました。」
上官に心配をかけてどうする、と両頬を手でぱんと叩き気合いを入れた。大佐と共に先程の飛行で憔悴した操縦士が機体から降りるのを手伝う。
「兎にも角にも到着はしたな。」
大佐の独り言を耳にし顔を上げる。
朝霧が霞む先、上空から見た重厚な城塞が朝日を受けて光り輝いているように見えた。