第14話 山に登ろう
「お話し中のところすみません」
「うわっ!」
突然話しかけられて驚いた一志はイスから派手に落ちた。
「大丈夫ですか?」
話しかけてきた人が手を伸ばしてくる。
呼吸が落ち着いてから見ると、帰ったばかりの本山が立っていた。
一志はその手を借りずになんとか自力で立ち上がる。
「ど、どうかしたんですか? なにか、忘れ物ですか?」
まだプロットに言い足りないことがあるのか。
おみやげのあげパンを買い忘れたのか。
本山は、どちらでもない、という風に首を振る。
「お二人は、この後なにかご予定がありますか?」
予想もしていなかった質問に一志と玲は視線を交わす。
なんのことかわからなかったので首をかしげるほかなかった。
「もしお時間があるなら、いっしょに行きたいところがあるのです」
やはり本山の言葉には、有無を言わせぬ圧力のようなものを感じる。
「私は、大丈夫です」
玲は弱々しくも自分の意思を声に出す。
「すみません。僕は……」
途中まで言いかけてやめた。
こちらに拒否権はないと気づいたからだ。
目は口程に物を言う。
ついて来いと言わんばかりの本山の眼光にやられ、いつの間にやら車に乗せられていた。その時の一志の心象は、売られていく仔牛に少しだけ似ていた。
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化物退治伝説やもみじの妖精たちの生息地として知られている秋葉山。
山といっても登山家が登りたがるような標高の高い山ではない。人が歩けるようにしっかりと舗装された道があり、腰を下ろして休める場所や子どもが遊べるアスレチックもある。地元住民にとっては憩いの場や遠足で訪れる自然公園として親しまれている。春には桜の花見、秋には紅葉狩りが楽しめる、秋葉市の観光名所である。
「ここに来るの久しぶりー。小学校の遠足でよく来てたよね」
「僕も中学の遠足以来だ。0番街からそんなに離れてないけど、あんまり用事がないし」
先ほどまで元気のなかった玲の声にいつもの明るさが戻っている。一志は少しホッとする。
これが連れて来られた理由なのかと考えたが、本山の無表情からはまったく真意が読めない。
道順に沿って進むと獣臭さが鼻をつき、柵の中で飼育されている鹿たちが見えてきた。
「あ、見てみて! 鹿だよ! かわいいー!」
まるで子どもの頃に戻ったかのような喜び方をする玲に一志は反応に困る。
元気がないよりはいいけれど、それが演技ではないかという不安にも駆られるのだ。
道の脇には杉の木やコナラ、もみじの木や笹が生えている。
もみじの葉は、まだ色づいていない。
かわりに清々《すがすが》しいほどの緑が広がり、さわやかな木の香りや土の匂いが漂っている。
秋になって空を見上げれば赤や黄色に彩られ、足元にはどんぐりや栗が転がっているだろう。
人に慣れていて好奇心の強い鹿たちが柵の近くまでやってくる。残念ながらエサを与えることはできない。
鹿の頭をなでてやっている玲が思い出したように言う。
「そういえば一志が好きな作家さんって、この山を舞台にした小説を書いてなかった?」
「うん。書いてたよ」
「やっぱり。じゃあ秋葉山を舞台に脚本を書くからその作家さんとお揃いになるね」
「どうせなら秋功学園の文芸部もお揃いだったらよかったけどな」
廃部になった現実を今も乗り越えられない一志は涙まじりの声をもらす。
「ご、ごめん。本当にごめんね」
その場にいづらくなったのか、玲は平謝りしてから早足で先へ進んで行く。
べつに玲が悪いわけではないのに。一志は申し訳ないことをしたと頭をかいた。
「文芸部がどうかしたのですか?」
事情を知らない本山が聞いてくる。
一志は仕方なく説明する。
「今年の春に廃部になったんです」
「部員が集まらなかったのでしょうか」
「いえ、部員が問題を起こしたんです。文豪の気分を味わいたくて川に入ったそうです」
改めて言葉にしてみると廃部理由がひどすぎる。
文豪の気分を味わいたいなら猫を飼うとか書店に檸檬を置くとか他にも方法があるのに。よりによって、なぜそれを選んだのか。
「そうですか。なくなったのですか」
本山はポツリと言葉をもらすと、そのまま前を向いて歩いて行く。
鹿たちはエサ欲しさに鳴きながら後を付いていこうとするが、銀色の柵がそれを阻む。黒い瞳をうるませる鹿に同情しつつ小走りで追いかける。
道なりに進んで行くとアスレチック広場が見えてきた。ジャングルジムやターザンロープなどの遊具ではしゃぐ子どもたちとその姿を写真に収める親たちがいる。いかにも休日の公園らしい風景である。
そんな日に、こんな場所で、スーツ姿の女性が立っているのは少し異様な光景とも言える。時々、子どもや親たちが不思議なものを見るような目で見ているのがわかった。
「休日なのにスーツなんて大変ですね」
「仕事ですから」
「そうですよね。変なこと言ってすみません」
それなら、ここに連れてきたのも仕事の一環なのだろうか。
一志は頭の中で自問するだけで、相手に聞こうとはしなかった。
今はそれよりも気になることがあったから。
「また変なことを聞くかもしれないんですが」
「なんでしょう」
「本山さんって秋功学園の卒業生なんですか? それで部活は文芸部ですよね?」
「ええ」
先ほどの口ぶりからなんとなく察していたが、やはりそうだった。彼女が秋功学園の黒いセーラー服に着替えたら、まさしく“文学少女”といった姿に見えるだろう。
「文芸部では、どんな活動をしていたんですか?」
「いろいろです。読んだ本の感想を話し合ったり、書いた作品の批評をし合ったり」
「部員は何人くらいいたんですか?」
「三十人くらいはいました。文化系クラブにしては大人数でしょうか」
玲がいなくなって本山と二人きりでなにを話せばいいのかと緊張していた。
しかし、秋功学園文芸部に所属していたという事実が一志の心と口を軽くさせる。
「いいなあ。うらやましいです」
「うらやましい、ですか?」
「うらやましいですよ。僕は文芸部に入るために秋功学園を受験したくらいですから。文芸部がなくなったとわかった時には、自分も川に入ろうかと思いましたよ」
一志は、冗談まじりの本音をもらす。
それだけ強い想いがあったということだ。
目標にしていたものが自分の意志とは関係なく達成できなくなる。これほど辛いことはないだろう。
本山は失笑も苦笑もしなかった。
かわりに抑揚のない声で聞いてくる。
「中野零先生は、どうしてそんなに文芸部にこだわるのですか?」
「どうしてって……それは……」
一志は玲にも似たような質問をされて返答に困ったことを思い出す。それでも気持ちを整理して理由を説明する。
「あの文芸部には、尊敬する作家さんが所属していたことがあるんです」
「先ほど天ヶ沢さんとのお話に出ていた作家さんですね」
「はい。僕はその人みたいなプロの作家になりたいんです。だから、仲間といっしょに小説を書いたり批評し合ったりできる環境にいたかったんです。それなのに廃部なんて……」
目標を軽々しく他人に話す気にはならない。
今までに話したのは、幼馴染の玲と付き合いの長い千代子だけだ。しかし、本山なら問題ないと思ったから話すことにした。知り合って日が浅くても信頼できるという確信があった。なぜなら、表情と同じくらい口も堅い人だから。
「こんなことを言うのは、あまりよくないかもしれませんが……」
「なんですか? 言ってください」
言いたいことは気にせず言ってほしいと続きを促す。
「あそこには、入らなくてよかったと思います」
一志は面食らう。
尊敬する作家が所属していたという文芸部は聖地という感覚に近い。
だがその場所に価値がないと言われ、尊敬する作家の存在まで否定されたような気がした。




