白い世界 side マシュー
「我が国の経済発展は殿下の力にかかっています。文武に優れた殿下なら必ず両国の架け橋となり、お互いの国を実り豊かな国となるよう力を尽くして下さると信じておりますよ」
公爵のそれには言外に、結果を出すまで国に戻ってくるな。失敗しても戻ってくるな。という意味が含まれている。
社交用の笑みを浮かべているが、その瞳に宿る怒りを隠しきれていない。
要は、同盟による結婚という名の、
───国外追放だ。
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セイラに二度と関わるなという父上の命令に逆らって、学園でセイラに近づいた日。
僕はそのまま謹慎処分を受けて、
学園に行くことはなくなった。
卒業試験を受けてそのまま卒業まで出席しなくていいらしい。
セイラとの婚約解消で公爵家の後ろ盾を失ったのと、複数の生徒の前でマリアが熱愛宣言してしまったせいで、高位貴族達に僕の悪評が一気に広まり、国内貴族の令嬢との婚姻は絶望的になった。
そして、
「お前を廃太子とする。第二王子のフェルナンドを立太子するからお前は卒業後、他国に婿に行け」
「・・・っ!何故ですか!?フェルナンドはまだ12歳ですよ?王太子教育も受けてないでしょう!」
「───受けている。2年前からな」
「・・・・・・っ!?」
「──学園内の事に王家があまり立ち入らないのは、王太子と王妃候補の資質を3年間の学園生活で見る為だ。いわば王太子教育、妃教育の最終試験だな」
───最終試験。
その言葉に冷や汗が流れる。
「お前は確かに文武共にとても優秀だった。だが視野が狭く、思い込みが強く、人の心の機微に疎い。それを私と王妃はずっと危惧し、お前に何度も人の気持ちに立って物を考える視野を持てと戒めてきたな。忘れたとは言わせんぞ」
父上の抑揚のない淡々とした話し方に、言い知れない恐怖を感じる。
「学園に入ってさまざまな人間と関わり、人脈を広げ、未来の臣下となり得る学友達と色々な事を学び、経験し、切磋琢磨し、王太子としての本分を尽くして欲しかったのだがな」
父上が一瞬、辛そうに顔を顰めた。
「文武が優れているだけでは王にはなれない。国は人が資本だ。この国に住まう民の全てが国の宝なのだ。未来の臣下となり得る学友達を、お前を支えた側近達を、婚約者を、自分以外の人間を軽く扱うお前に、人望が集まらないのは当然だろう。人望の無い者に、この国の王は務まらぬ」
「・・・・・・・・・」
──つまり僕は、マリアに恋をした時点で王太子の本分を放棄したと見做され、最終試験に落ちていたのだろう。
それでも今日まで廃太子にならなかったのは、以前母上が言っていたように、僕が目覚めるのを待ってくれていたのかもしれない。
その親心を踏み躙った事を、父上の淡々とした声に僅かに乗せられた悲しみから、己の愚かさを知った。
そして僕は王命により、モルワ王国の第一王女の王配として婿入りすることになった。
モルワ王国からは貿易取引と王配候補の打診があったものの、王配については適齢者がいないとして断るつもりだったらしい。
しかし急遽公爵が僕を推薦し、捨てるなら国の為に有効活用せよ。とのことで満場一致で議会で決まったんだとか。
それから僕は部屋に軟禁状態で、必要最低限の公務をこなしながらモルワ王国に行く為の準備を進めていた。
モルワ王国は大陸の北側の海に浮かぶ小さな島国で、一年の半分以上が雪に包まれ、食物が育たない為に他国からの輸入に頼っている国である。
僕が王配になることで我が国の後ろ盾と食料を得たいらしい。代わりに彼らの優れた造船技術者の斡旋と海産物の貿易取引で同盟を結んだ。
我が国は大陸の中心寄りで海に面していないが、海に繋がる大きな川を有している。
モルワ王国の造船技術を取り入れて海路に乗り出し、貿易による経済発展を狙っているのだろう。
結果を出さなければ、僕は二度と国には戻れない。
公爵を怒らせた事により、貴族の半数以上からの支持を失ってしまった僕には、この国に居場所なんてない。
王宮の者たちも、廃太子になった僕の扱いに困っているようだった。
これ以上立場を悪くしたくないと、与えられた仕事を真面目にこなしていたある日、父上に呼び出されたんだ。
そして驚く事を聞いた。
「お前がのぼせ上がっていた男爵令嬢を貴族牢で監禁する事になった」
「・・・は?マリアを!?」
僕が学園に行かなくなってから、マリアが何度か王宮に来ていたのは知っていた。でも僕は会わなかった。
セイラへの気持ちに気づいたのもあるけど、父上に渡されたマリアの男性遍歴の調査書を読んだのが大きな理由だ。
マリアは僕以外にも懇意にしていた男が何人もいたんだ。全然気づかなかった自分に笑える。
それに父上に渡された調査書は王太子の僕でも調べられる内容だったのに、盲目的にマリアを信じていた。
そういう所も王太子としての資質に欠けると思われたんだろうな。
「あの女は王宮の門番に大声でお前の子供を身籠もっていると騒いでいたのでな」
「子供!?そんな馬鹿な!ありえません」
だって僕は王宮侍医に用意させた避妊薬を毎回飲んでいたんだ。
「関係を持っていた以上絶対ないとは言い切れない。だから出産の日まで貴族牢で監禁する。もし生まれた子が王家の血を引いていなかったら──わかっているな?」
「・・・っ!?」
──────王家の血を騙るのは重罪だ。
生まれたのが僕の子じゃなければ、
マリアは処刑される。
まさかそんな事も知らなかったのか!?
「あの女は罪を重ねすぎた。王家と公爵家の婚約を潰す事に加担し、更に下位貴族の婚約も幾つか潰している。そして公爵令嬢に公衆の面前で不敬を働き、お前の子供を身籠もっていると騙っている。男爵家は既に取り潰しの上に全財産没収が決まっている。それでもあの女のせいで発生した賠償金や慰謝料は払いきれない」
「・・・・・・そうですか」
「お前はあの女に会う事を禁ずる。そのまま国を出ろ。これ以上醜聞を重ねるなよ」
「・・・わかりました」
マリアとはその後、二度と会う事はなかった。
生まれた子はやはり王家の血を引いていなかった為、子供は養子に出され、マリアは娼館で借金返済させた後に処刑すると国を出た後に聞かされた。
そして卒業の3ヶ月前、
セイラとジュリアンの婚約が公表され、
僕はショックで取り乱してしまった。
公爵家に向おうとしたのを母上に止められて、
そして言われたんだ──。
僕が今感じている苦しみは、
セイラが2年以上耐えたものだと。
愛する人が自分の目の前で他の人に愛を向ける姿を、セイラは学園に入学してからずっと耐え、最後に僕に地獄に突き落とされたのだと。
『卒業したら君と結婚する。だから、卒業の日まで恋をする事を許して欲しい』
セイラにそう言われたら耐えられるのか。
他の男と睦み合う姿を見ても、
卒業の日で終わるなら許せるのか?
そう聞かれた時に、僕は本当の意味で理解していなかったと気付かされた。
セイラの受けた傷が、
どれほどの痛みを伴っていたのかを。
何故毒を飲んで僕を消した?なんて、
僕は口が裂けても言ってはいけなかった。
だって今、僕は死ぬほど苦しい。
セイラ。
ごめんよセイラ。
苦しいよ───。
それからの僕は、食事も喉を通らなくなり、
もうすぐ国を出るというのにどんどん痩せ細っていった。
それを心配した父上が公爵に頭を下げて、最後に一度だけ、セイラに会わせてやって欲しいと頼んでくれたらしい。
国を出る前に、僕にセイラを諦めさせてやって欲しいと。
そうして僕は、最後にセイラに会えたんだ。
久しぶりに会うセイラはとても美しかった。
衰弱してベッドに背を起こした状態の僕の姿は、きっととても情けなく映っているのだろう。
「殿下。そんなに痩せてしまって・・・。モルワ王国への旅路は長いと聞きます。しっかり養生して体力をつけなければ」
あんなに酷く傷つけた僕の体を心配してくれるセイラの優しさに、涙が出た。
「ごめん・・・っ、セイラっ、すまなかった・・・っ。毒を飲ませてしまうほど君を追い詰めてしまって、本当にごめん・・・っ」
「・・・・・・もういいのです、殿下。許します。だから泣かないで下さい。だって私は殿下を愛した記憶も、裏切られた時の記憶も覚えていないんですもの。だから貴方を恨んでいませんし、怒ってもいません」
許されているのに、
その言葉は僕の心を抉った。
もう僕は、セイラに何の影響も与えない、取るに足らない人間なのだと言われているような気がした。
「もう・・・、どうしても、無理なのか・・・?僕と君が、もう一度寄り添う事は、・・・出来ないのか?」
悲しくて声が震える。
僕の問いに、セイラは静かに首を横に振った。
「愛してるんだよ、セイラ」
嘘じゃない。
本当に、愛してるんだ。
「私はジュリアンを愛しています」
頬に涙が伝う。
もう、これが最後なのだ。
もう、セイラには会えないのだ。
愛する人の前で、みっともなく嗚咽をこぼして泣きじゃくる僕に、セイラがハンカチを渡してくれる。
「私からひとつ、いいですか?」
「・・・何?」
「これから妻になる方には、私に言ったようなセリフは絶対に言ってはなりませんよ。心通う夫婦でいたいなら、浮気もダメです。誠意を持って相手を思いやり、相手の心も守ってあげてください。そうすればきっと、お相手の方は殿下を愛して下さいますわ」
そう言って微笑むセイラは、
まるで女神のように美しかった。
初めて見る笑顔だった。
───そうか。
君は今、幸せなんだね。
そして学園卒業後、僕はモルワ王国へ旅立った。
一面雪に覆われた、想像を超える白く美しい景色に、僕は感嘆のため息を漏らす。
白い世界に建ち並ぶ街並みや王城は、まるでおとぎ話に出てきそうなほど幻想的で、これからこの景色を僕も守っていくのだと、凍える寒さに身を引き締めた。
初めて会った第一王女は僕の1つ年下で、雪の妖精のような白くて可憐な、可愛らしい女性だった。
僕が膝を突いて手の甲にキスを落とし、挨拶をすると、彼女は頬を染めてはにかんだ笑顔を見せる。
「こんな貧しい国に、大国の王子である貴方が来てくれたこと、誠に感謝の気持ちでいっぱいです。両親を流行り病で亡くし、未だ内政は慌ただしいままですが、どうか私と共にこの国の民を守ってくださいませ」
そう言って王族らしい、
とても美しいカーテシーを見せた。
「貴女は女王になられる方です。私に頭を下げなくても宜しいのですよ。命じて下さい。私に国と民を守れと」
「いえ、私は貴方と対等でいたいのです。政略結婚による女王と王配ではなく、───出来れば父と母のように、仲の良い・・・・・・夫婦になりたいのです」
途中から顔を真っ赤にして言葉を紡ぐ彼女に、何故か僕まで釣られて頬が染まる。
それをこの国の宰相や大臣達が生温かい顔で見るもんだから余計に恥ずかしくなった。
これから僕はここにいる人達と、この国の民を守っていかなければならない。
両国発展の為に、目の前の小さな女王と力を尽くして僕は生きて行く。
今度は、間違えてはいけない。
僕がセイラに与えた苦しみを、
セイラを失って初めて気づいた自分の愚かさを、
忘れてはいけない。
あんな苦しみを、
もう誰かに負わせてはいけない。
セイラ。
僕は彼女を、この国ごと幸せになれるよう力を尽くすよ。
だから君が願ってくれたように、
僕も遠いこの地で願っている。
どうか君がいつまでも、
愛する人と幸せでありますように。
完