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「顛末にどんでん返しを求めるのは、人の性だ」
コトの真相というのは、予想を大幅に裏切るくらいの方が、ウケはいい。
「ただし、その裏切りが許容されるのは、フィクションの中だけだ」
現実においては、どんでん返しなど混乱の種でしかない。
「現に、この場にいるほぼ全員が、現実を嚥下できずにいる」
誰にも聞こえない声で呟き、ボクは夕張雅と山月楓の二人を視界に収めた。
二人の魔女は、対象的な面持ちで対峙していた。
一人は、狩人のように鋭利な瞳で。
一人は、案山子のように空疎な瞳で。
「今日の午後二時四十五分から三時までの間に、一人でいたのは楓くんだけだ。そして、その二時四十五分から三時までの間に、彩夏は殺された」
噛んで含めるように、雅さんはゆっくりと語る。
「あの…私、確かにその時間は、一人でいましたけど」
それが、なんですか?
そう言った楓の表情は、虚無そのものだ。自身が容疑者だと名指しされていることにも、気が付いていない。
「…もしかして、私が疑われているの、ですか?」
ようやく、楓の心が現実に追いついた。
「他に該当する魔女がいないんだ」
「…私は、彩夏先生の弟子です」
「ああ、楓くんは彩夏の一番弟子にして『不死の魔女』のたった一人の愛弟子だ」
「私は、彩夏先生に、拾われたんです…」
「そうだね。身寄りのなかった楓くんにとって、彩夏は育ての親でもある」
「だから、私は、あの…」
「しかし、彩夏が殺された時間帯、一人で自在に動けたのは楓くんだけだ」
「私、そんなこと、しませ…」
丈の短い割烹着の裾を握り、楓は言葉を絞り出そうとするが、出てこない。言葉の代わりに溢れてきたのは、色のない涙だ。これまで堰き止められていた楓の感情が、ここで決壊した。
「彩夏先生は…私にとっての、お母さんでした」
ようやく出てきた楓の言葉には、痛みが加味されていた。
「施設にいた頃から、ずっと不思議に思っていたんです…どうして、普通の子には家族がいるんだろう、て。どうして、私には家族がいないんだろう、て」
山月楓の声は、沈む。不可視の亀裂を伴って。
「みんなは、当たり前に持っているはずなのに…何もしていなくても、普通の子には、普通に家族が与えられていたのに」
楓が口にした家族という言葉に、小麦の吐息が小さく乱れた。小麦は、神様から与えられたはずのその家族に、裏切られていた。
「小さい頃は、ずっと、不思議に思っていて…でも、いつかは、私の家族が私を迎えに来てくれるんじゃないかと、子供心に思っていました」
それぞれの感情を交えた全員の視線が、楓の独白に注がれていた。
「でも、待てど暮らせど、私を迎えにきてくれる家族は、私の前に現れてはくれなくて…それなのに、世界は何も変わらなかったんです」
楓が語るように、この世界は変わらない。
泣いても叫んでも、小麦の世界が変わらなかったように。
「…この世界は、与えられた者と奪われた者が一緒くたにされた世界だったんです」
世界は、そういうスタンスで構成されている。不平等で不均衡で、それでも、何の不具合もないままに回り続ける。誰かの泣き言になど、世界が耳を貸すことはない。
「そのことを悟って諦めかけたその時…あの人が、私を引き取ってくれたんだ」
そこで、楓の口調が変わる。
「それは、私に魔女の素養があったからだけど…あの人は私のことを弟子だとしか思っていなかっただろうけど、私からすればあの人は姉であり、母だった。修行の時は厳しかったけど、時々は、私のことを娘みたいに甘えさせてくれたんだ。だから、私にも家族ができたんだ」
楓の想いは言葉と共に伝播する。
若い年輪のように、高い密度で。
「蜜柑だって、私の家族だ。あの子は魔法人形だったけど、私にとっては妹だった。普通の家族しか知らない人には、私の家族はおままごとにしか見えないかもしれないけど…それでも、咽から手が出るくらい欲しかった、私の家族なんだ」
嗚咽が混ざっていたが、楓は、自分の言葉を綴る。
「その私が、自分の家族を壊すはずが、ないんだ…」
楓は、丹念に言葉を尽くした。
それらは、彼女を形成する源流から溢れた奔流だ。
「だとしても、彩夏を殺害できた可能性があったのは、楓くんだけだ」
雅さんは、決まりきった所作で懐から乾燥梅を取り出し、淡々と口に運ぶ。
楓は、言葉を失っていた。尽くした言葉が届かなかったことで、瞳から色が失われた。過去にも目の当たりにした、魔女に絶望させられた人間の表情だ。
「斑くんも、そう思うだろう」
そこで、雅さんがこちらに視線を向けた。
余熱すら感じられない、フラットな瞳で。
「…………」
立ち竦むだけで、ボクは、うんともすんとも言えなかった。雅さんに同意をする言葉も、楓を庇うための言葉も。
「もしかして、斑くんは楓くんが犯人だとは思っていないのかい」
「…そうですね、楓は犯人ではありません」
ようやく出た言葉は、それだけだった。思考と感情の歯車が噛み合わず、二の句が出て来ない。
「それじゃあ、聞かせてもらおうか。どうして、楓くんが犯人ではないのか」
「それ、は…」
言いだしておきながら、ボクは言い淀む。
そんなボクに代わって、雅さんが続けた。
「彩夏が死んだ時間帯に一人でいたのは、楓くんだけだ。事情や私情だけで彼女を白だと主張するのは、些か虫がよすぎるんじゃないか」
「いや、だから、楓は…」
口は開いたが、楓を擁護する言葉が出て来ない。
これまでにも、ボクの周囲では何人もの魔女が、死んだ。
その魔女の数だけ、ボクは、誰も救えなかった。
そして、ここで何もできなければ、楓もその中の一人に、なる。
師を殺した不逞の弟子の烙印を押され、『魔女裁判』で裁かれて。
それが、魔女の世界だ。
そして、何も変わらないまま、魔女の世界は回り続ける。
「…彩夏さんが殺害されたのは、二時四十五分から三時までの間だ」
ボクは、誰にも聞こえない声で思考の整頓を始める。
「その時間帯にアリバイがなかったのは、楓だけだった」
だから、彼女は糾弾されている。それでも、楓が彩夏さんを殺害した犯人だとは、思えなかった。
楓のあの涙は、あの時の小麦の涙と同じものだ。
念入りに心を砕かれた、あの時の小麦と。
「…ボクたちは、正しいのか」
不意に、そんな言葉が洩れた。その漏れた言葉は、ボクの中に少しずつ沈殿していく。それらは澱となり、警鐘を鳴らす。山月楓は殺していない、と。
「けど、その場合は、矛盾が生じる」
彩夏さんが死亡した時刻、一人でいたのは山月楓だけだ。
蜜柑が水遣りを終えていたことから、その時間は割り出された。
「正しい、時間…」
小さく、呟いた。
模糊としたナニカが、ボクの中に浮かぶ。それらは抽象で、形をなさない。
「…正しい、水遣り」
もう一度だけ呟いた。
呟き、息を吸い込む。
模糊としていたモノが、少しずつ像をなした。
「ああ、そうか…」
ボクの中で模糊としていたモノが、一つの形となる。
「…水遣りは、できなかったんだ」
また、小さく呟いた。
「御託を並べる準備は、整ったかい」
雅さんの声は、この局面でもフラットだった。
「そうですね…とりあえず、楓が犯人だという雅さんの主張は、ご破算にできそうです」
ボクは、雅さんの瞳を見据えた。魔女の瞳をしていた彼女は、ボクの視線などでは微動だにしない。
だが、次に彼女の口から出た言葉からは、魔女の匂いが感じられなかった。
「その場合、後悔をするのは、君だよ」
雅さんのその声には、それまでとは違ったわずかな起伏が含まれていた。
「…それは、どういう、意味ですか」
ボクは、問いかけた。
彼女の意図が、少しも汲み取れなかった。
しかし、先代の『調停人』は、それ以上は何も語らなかった。