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「白黒をつけるとは言うが、白と黒だけで構成されるほど、この世界はモノトーンではない」
誰にも聞こえない声で、ボクは呟く。
「世界には、原色となる赤や青といった色があり、さらには玉虫色などというファジーな色も存在する。にもかかわらず、白と黒だけで決着をつけようとするのは、横着だ」
ボクは、さらに言葉を紡ぐ。
この現実を遠ざけるように。
「回遊はそれくらいにして、そろそろ帰ってきてくれないか」
ボクの意識を引き戻したのは、夕張雅さんだ。何杯目か分からない梅昆布茶を、ホールの椅子に座りながら優雅に啜っている。
「もしかすると待ち草臥れているかもしれないよ、犯人も」
雅さんが口にした犯人という言葉に、鶴賀沙織が、間宮灯子が、間宮京子が、遠江柘榴が、山月楓が、下総小麦が体を強張らせた。いや、気付かなかっただけで、ボクも同じだったかもしれない。
「誰も言い出さなかったけれど、全員が理解をしていたはずだ。彩夏を殺した魔女は、まだこの中にいるんじゃないかって」
剣呑な言葉とは裏腹に、雅さんの声はフラットだった。だが、彼女が言ったように、彩夏さんを殺害した魔女がこの中にいる可能性は、ある。館の入口に設置された監視カメラにも、ボクたち以外の人間は映っていなかった。
「…でも、犯人を見つけることなんて、できるんですか?」
疑問を口にしたのは、柘榴だ。気後れしたその表情には一縷の笑みもない。
「できるよ」
雅さんは簡素な言葉で答えた。その声は、場に不可視の波紋を広げる。
「彩夏が殺された時間が判明すれば、容疑者を特定することも可能だ」
「彩夏さんは一人で書斎にいました…あの人が死んだ正確な時間は、分からないはずです」
ボクは、雅さんの主張に異を唱えた。
絡みつくような焦燥感を感じながら。
「いや、彩夏が死んだ時間を割り出す方法ならあるよ」
雅さんが言葉を発するたびに、ホール内が彼女の色に染まる。
「この館の中には、彩夏と魔力でつながっている者がいた」
「蜜柑…ですか」
ボクは、魔法人形である彼女の名を口にした。
「ああ、彩夏が事切れたと同時に魔力の供給は止まり、蜜柑も動きも止めたはずだ。だとすれば、彩夏が死んだその時間は、蜜柑が活動を停止した時間から逆算することができる」
「蜜柑が動きを止めた、時間から…」
ボクが呟くのと、小麦がボクの手を握ってきたのは、タイム差なしのほぼ同時だった。先ほどまで気を失っていた小麦は、目が覚めると同時にこの状況に放り込まれたことになる。そんな小麦が、不安を感じないはずはない。
「蜜柑は優秀な魔法人形だったから、ずぼらな彩夏はこの家の雑事を彼女に頼りきっていた。花壇の水遣りだったり、部屋の掃除だったり、お魚をくわえたドラ猫を裸足で追いかけていたりと、八面六臂の大活躍をしていたよ、蜜柑は」
この場で軽口を挟まれたところで笑えなかったが、雅さんの意図には気が付いた。確かに、それなら彩夏さんが死亡した時刻も判明するかもしれない。
「つまり、蜜柑が今日の仕事をどこまで終わらせていたのか、それが判明すれば彩夏が死んだ時刻は割り出せる、ということだ」
雅さんは、彩夏さんの弟子である楓に焦点を合わせた。合わせたまま、さらに踏み込む。フラットな声のまま、少しずつギアを上げて。
「蜜柑は言っていた。二時十五分から掃除、二時半から洗濯、四十五分から花壇の水遣り、三時から夕食の仕込みがある、と。これらの仕事は、普段と変わらないルーティンで行われていた。そして、彩夏の遺体を確認した後、私と楓くんと斑くんの三人で屋敷や周辺を調べていたが、その時、私たちは庭の花壇も横切っている」
そこで、雅さんは言葉を止めてボクに視線を振った。ボクは、その続きを口にする。
「…花壇の水遣りは、終わっていました」
あの花壇の花見月は、水遣りを終えた後だった。
事前の予定では、蜜柑が花壇の水遣りをするのは、二時四十五分のはずだった。
「そして、私たちが彩夏の遺体と対面したのは、午後三時だった」
そこで、雅さんが一歩、踏み出した。
その足音が響く範囲は彼女の領域だ。
「つまり、蜜柑が水遣りを終えていた二時四十五分頃から、私たちが書斎に踏み込んだ三時までの間に、彩夏は絶命した、ということだ」
周囲は、ひりついていた。いや、凍りついていたのか。それさえ分からないほど、場は張り詰めていた。
「端的に言えば、その時間帯の潔白を証明できない者が、彩夏を殺した犯人だ」
雅さんは、平坦な声で言い切った。
その声は場の空気を圧縮していく。
「先ずは柘榴くんから聞こうか。その時間、どこで何をしていたのかを」
最初の矛先は、遠江柘榴に向けられた。
「私、は…」
そこで、柘榴は視線を泳がせた。いや、小麦の姿を探していたようだ。ボクの背後に小麦の姿を確認した柘榴は、上擦る声で口にした。
「ワタシは、小麦ちゃんの傍にいました。貧血で倒れたっていう小麦ちゃんを、客間に寝かせてもらっていたので…そこには、敦賀沙織さんもいました」
沙織さんも、柘榴と一緒に倒れた小麦の介抱をしてくれていた。
そんな彼女に、ボクは先ほど拾ったあの写真のことを、まだ伝えられていなかった。
ボク自身、心の整理がついていなかったからだ。
五歳でこの世を去ったはずの沙織さんの娘が、なぜ、ランドセルを背負って小学校の入学式に出席していたのか。
「了解したよ。柘榴くんと沙織、そして小麦くんの三人は一緒にいた、と」
雅さんは、そこで間宮灯子ちゃんに視点を合わせた。
「私は…二時半頃からずっと、京子と一緒にいました」
妹と一緒だったことを、灯子ちゃんは証言した。
「京子と二人で、彩夏さんに頼まれていた魔法具の再調整をしていたんです」
「ああ、確かに直っていたね。あれの調整は骨が折れただろうに」
雅さんは、そこで納得したように頷いた。残るは、三人の魔女となった。
「斑くんは、私と一緒にいたね」
「…そうですね」
雅さんと共にいたのは、ボクだ。
場所は、焼き芋をしていたあの裏庭だ。言い出しっぺの楓が、後片付けもせずにどこかへ行ってしまったため、焼き芋で出たゴミやらバケツやらを片づけようかと思っていたところに、雅さんがやってきた。時間は、二時四十五分になった頃だっただろうか。それから彩夏さんの遺体を発見する午後三時まで、彼女とボクは立ち話をしていた。
そこで、ボクの背後から小さな吐息が聞こえる。ボクの無実が保証され、小麦が安堵をしてくれていた。
「最後は彼女か」
雅さんの起伏のない声は、ボクたちの視線を束ね、その場所に誘導した。
「私…ですか?」
その場所にいたのは、彩夏さんの弟子である、山月楓だ。
「この中で、誰か彼女と一緒にいた人は?」
雅さんの声に反応する者は、この場にはいなかった。
既に、他のダレカのアリバイは、他のダレカが証明し終えていた。
そして、その時間帯に楓の姿を確認した者は、いなかった。
「二時四十五分頃だと、私はいつも自室で魔法薬の調合を、していまして…」
楓は、淡々と答えていた。
その言葉の意味を、理解しないまま。
「第三者がそのことを証明するのは、不可能だね」
雅さんの簡素な声が、端的に告げる。
「だとすれば、彩夏の息の根を止められたのは、楓くんしかいなかったことになる」
この場の全員が、息を止めていた。
そんなボクたちを、文字盤を赤く光らせた柱時計が、何食わぬ顔で傍観していた。