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 魔女と呼ばれる人種とそうでない人間との差異は、『柄杓(ひしゃく)』を持っているかどうか、の一点だけだった。


 ここでいう『柄杓』とは、この世界とは異なる次元にある、『甕』と呼ばれる異界にアクセスができる特異な能力のことだ。その『甕』に接触をすることで、魔女は魔法などという奇跡の行使が可能となっていた…というのが、魔法の原理とされている。だが、実際には『柄杓』だの異界だのといったものの存在は、当の魔女たちでさえ微塵も解明できていない。


 ただ、この世界とは異なる理屈の世界がどこかにあり、自分たち魔女はそこから不可思議な力を()み取れるのではないか、程度のあやふやな認識と感覚を持っていただけだ。


 しかし、これから起こる現実は、そんな曖昧なものではない。坂下彩夏が『魔女裁判』を開廷した、この緋色の現実だけは。


「…本気で、世界から小麦を消すつもりか」


 恩人であるはずのアノ人を、ボクは睨む。


 彩夏さんが発動させた『盟約魔法』は、元々は魔女たちの盟約…『魔女は魔女を傷つけてはならない』という規律に違反した魔女に鉄槌を下す『制裁魔法』の極致系だ。


 その『盟約魔法』を、現代の魔女たちは『魔女裁判』として流用しているのだが…。

 そこで有罪だと判断された魔女は…いや、魔女以外の人間であっても、その存在ごと世界から消滅させられることになる。『盟約魔法』の支配下にあるこの領域では、下された裁定が因果すら覆すからだ。


 ここで無罪を勝ち取れば、同じ案件で『魔女裁判』にかけられることはなくなる。しかし、『魔女裁判』で無罪になる魔女は、ほぼいない。そして、一度でも発動した『盟約魔法』を止める術はない。


「言ったはずです。これは『魔女協会』の総意です、と」


 総意という言葉を笠に、『不死の魔女』である彩夏さんは小麦の消滅を当然と仄めかした。


「…なら、ボクが小麦の弁護人だ」


 ボクは、無二の恩人である『不死の魔女』と対峙する。


 世界の全てから騙されていたことを知ったあの日、小麦は、魂が枯渇するまで泣いていた。

 その時、ボクは小麦と一つの約束をした。

 ボクが小麦を幸せにする、と。


 だから、ボクは背中で小麦を隠した。だが、魔女はそれすら許さない。


「小麦さんの弁護は、彼女自身にしていただきます」

「…小麦は、まだ十歳になったばかりの女の子だ」


 誰かの庇護を受けて、当前の存在だ。


「その十歳になれば、『ヒトオオカミ』は『操獣魔法』で魔女に操られるようになるのです」

「…だから、小麦を野放しにはできないってのかよ」


 最初から、これは裁判などではなかった。これは、魔女たちの世界から小麦を排斥(はいせき)するための出来レースだ。


「魔女にとっての『ヒトオオカミ』とは、いつ暴発するか分からない拳銃よりも危険な存在です。しかも、その銃口がどこで自分に向けられるか、知れたものではありません」


 彩夏さんは、『ヒトオオカミ』の危険性を端的に語る。


「それは、小麦を操るような魔女がいるからだ」

「ええ、『操獣魔法』の難度はそれほど高くはありませんから、彼女の悪用を試みる不届き者は遠からず現れます」


 彩夏さんはそう断言したが、その不届き者は、既に存在していた。小麦を『ヒトオオカミ』としてこの世界に生み落とした、小麦の実母だ。


「現代社会で魔女たちが『ヒトオオカミ』の争奪戦を始めれば、魔女の存在を隠匿し続けることは不可能となります。それだけは避けなければなりません。人の社会のためにも、魔女の社会のためにも」

「…ボクが濡れ衣を着せられたあの件では、貴女がボクを救ってくれた」


 過去、魔女絡みの事件で容疑者にされたボクは、『魔女裁判』にかけられた。

 勿論、ボクはその件の下手人などではなかった。


 だが、あの時、あの場にいた魔女たちにとって、本当の犯人など二の次でしかなかった。ただ、事件に(かこつ)けて『異端の魔女』であるボクを消滅させられれば、それでよかった。魔女の世界においては、このボクも『ヒトオオカミ』に負けず劣らずの厄介者だ。


 けど、四面楚歌のその状況で唯一、ボクに手を差し伸べてくれたのが、この人だった。

 坂下彩夏という魔女がいなければ、その事件の犯人として、ボクは処分されていた。にもかかわらず、その恩人が世界から小麦を消し去ろうとしている。


「それでは、これより下総小麦さんの『魔女裁判』を開廷します」


 ボクの声には耳を貸さず、『不死の魔女』は『魔女裁判』の開始を告げた。


「罪状は、『ヒトオオカミ』として彼女がこの世界に存在していることです」


 彩夏さんが告げると、『盟約魔法』の核である『秤』が、淡く輝く。

 これは、『秤』がこの『魔女裁判』を受理した証左だ。


 魔女世界の安寧を脅かす存在に、『秤』は容赦をしない。『秤』とは名ばかりで、そこに公正性など存在しない。


 だが、『魔女裁判』といえど、理不尽な罪で被告を罪に問うことはできない。罪と罰の比重が釣り合わなければ、『盟約魔法』による『魔女裁判』は成立しない。


 それでも、小麦の『魔女裁判』は開廷された。


 中空に浮かぶあの『秤』には、過去に行われた全ての『魔女裁判』の記録が残されている。その記録を元に、『秤』は被告の刑罰の妥当性を判定する。


 その『秤』が、この裁判の結果如何では、小麦の消滅も止む無しと判断した。


 それだけの災禍を、過去の『ヒトオオカミ』が魔女世界に振りまいたからだ。

 下総小麦にとっては、最悪のとばっちりでしかない。


「では、『ヒトオオカミ』である小麦さんに尋ねます」


 そこで、彩夏さんは小麦に視線を向けた。その視線には、熱も色も、何もない。ただ、完全に空疎(くうそ)というわけでも、なかったように感じられたが。


「貴女の罪に相応しい罰とはなんですか」


 彩夏さんの言葉は突飛で、ボクも小麦も、その意味をすぐには理解できなかった。

 小麦の罪に相応しい、罰?


「貴女は『ヒトオオカミ』という魔女たちの天敵であり、魔女にとって都合のいい操り人形であり、既に失われた秘術の残滓(ざんし)です。その貴女に相応しい罰とは、なんですか」

「…答えなかったら、どうなるんですか」


 ボクの背後で、小麦の声は尻すぼみに小さくなる。


「答えなければ、その後の皺寄せは斑さんに行くことになります」

「斑に…皺寄せ?」


 不意に出てきたボクの名に、ボクよりも小麦の方が驚いていた。


「この『魔女裁判』で貴女が有罪となれば、魔女たちの矛先は、次は『異端の魔女』である斑さんに向くからです」

「斑、に…」

「過去、『異端の魔女』が魔女世界に壊滅的な災いをもたらしたという記述が、幾つもの文献で散見(さんけん)されています。魔女たちが『異端の魔女』である斑さんを危険視するのは、必然なのですよ」


 背中越しにも、小麦が固唾を呑んだことが伝わってきた。なので、こちらも背中越しに言葉で伝える。


「ボクのことは、気にしなくていい」

「でも…」

「魔女たちに邪険にされるのは、小麦よりもボクの方が慣れてるんだよ」

「斑…」


 少女が口を閉ざすと場も停滞した。

 隔絶された世界が、凝縮を始める。

 淡い痛みを、伴いながら。


「…『ヒトオオカミ』であることが、アタシの罪だというのなら」


 その痛みを掻き分け、小麦は、震える言葉を紡ぐ。


「アタシは、既にその罰を受けています」


 ほんの少しずつ、小麦の声音から震えが薄れていく。


「斑と一緒にいることが、アタシにとっての罰だから」

「それはどういう意味でしょうか」


 問いかけたのは彩夏さんだが、その疑問が浮かんだのは、ボクも同じだ。小麦にとって、ボクと共にいることは苦痛でしかなかったのだろうか。


 小麦は、そこでボクの背中に掌で触れた。

 それは、拒絶とは真逆のシグナルだった。


「今ここにいるアタシは…歪められたアタシなんだ」


 ボクの背に触れている小麦の手に、かすかに力が加わる。


「本当のアタシは…狂ってしまいたいんだ」

「狂ってしまい…たい?」


 一瞬、小麦の言葉がボクは理解できなかった。


「だけど、斑が約束してくれたんだ。アタシがこの世界で幸せになれなかったら…責任を取るって」

「責任、ですか」


 その台詞は、彩夏さんの意表をついたようだった。


「少し前までのアタシは、この世界の人たちが分け(へだ)てなく支えあって生きていると、本気で信じて疑っていなかった…でも、それは空々しい絵空事(えそらごろ)だと、思い知らされた」


 ボクの背に触れる小麦の手に、ほんの少しだけ、力が加わる。


「この世界では、アタシがどれだけ泣き叫んでも、アタシの声は誰にも届かなかった」


 確かに、あの時、あの場所では小麦の言葉は届かなかった。魔女たちは、小麦の言葉に耳を貸さなかった。


「…アタシという存在が生まれても、この世界は、祝福なんてしてくれなかったんだ」


 ボクは、ただただ小麦の言葉を聞いていた。


「だけど、斑だけが、この世界に生まれたアタシに、花束をくれたんだ」


 小麦の声が、わずかに熱を帯びる。


「そんな斑が傍にいるから、アタシは狂うことが、できなくなった。今この瞬間にも、狂って壊れて()じれて(こじ)れて、自分の命を絶ってしまいたいくらいなのに、もう楽になりたいのに…斑が傍にいると、それができないんだ。その自由を、ワタシは奪われたんだ」


 意を決して、ボクは振り返る。

 つぶらな小麦の瞳は、まっすぐにボクを見上げていた。


「…それが、『ヒトオオカミ』として生まれたアタシに対する、罰なんだ」


 その瞳には、小麦の意思が灯っていた。

 何人も踏み込めない、不可侵の意思が。


「それでは、判決に入ります」


 そんな小麦に対し、『不死の魔女』は抑揚のない声で事務的に告げる。


「こんな大雑把なやりとりだけで小麦の判決を決めるつも…」


 ボクの声を、彩夏さんが遮った。


「裁判員である逢坂斑さんにお聞きします」

「ボクが、裁判員…」


 そこで、ようやく気がついた。

 現代の『魔女裁判』は、現代の裁判員裁判を模している。

 そして、この『魔女裁判』はボクたち三人で役割りを分担して行うと、彩夏さんは事前に説明していた。


 裁判官と検事は彩夏さんが兼任で、弁護人は被告人でもある小麦が担っていた。

 だとすれば、残る役割りは裁判員しかいない。


 この裁判の行方を決める、裁判員しか。

 つまり、小麦の無罪も有罪も、ボクの胸先三寸(むなさきさんずん)ということだ。


「下総小麦さんが『ヒトオオカミ』という存在であることは、罪となりえますか?」


 裁判官である彩夏さんが、裁判員であるボクに問う。

 ボクは、軽く中空を見上げた。


 その場所には、『盟約魔法』の核となる魔力塊の『秤』が浮かぶ。

 この『秤』には、過去に行われてきた全ての『魔女裁判』の記録が残されている。

 魔女世界において、『ヒトオオカミ』は存在そのものが災厄だと、『秤』は判断した。

 ここで有罪だと答えれば、『盟約魔法』により、小麦はその存在を消滅させられる。


 しかし、これで、他の魔女たちが『ヒトオオカミ』だという理由だけで小麦を『魔女裁判』にかけることは、できなくなった。

 無罪となった被告を、同じ案件で『魔女裁判』にかけることはできないからだ。


 これは、救済だった。


 彩夏さんがこうして『魔女裁判』を行わなければ、先走った魔女たちが身勝手に小麦を『魔女裁判』にかけていたはずだ。この人は、それを未然に防いだ。


「この『魔女裁判』が『魔女協会』の総意であることを踏まえ、裁判員は判決を下してください」


 彩夏さんは、念を押すように協会の名を出した。

 それは、ボクに対する問いかけだ。


 魔女世界とこの小さな少女の、どちらを天秤にかけるのか、と。

 ボクはそんな彼女を見据え、口を開いた。


「ボクの答えは、最初から一つですよ」


 選択肢など、最初から決まっていた。


 ボクと小麦は、一蓮托生の共犯者だ。

 死が二人を、分かつまで。

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