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「シンジツなんてものは、虚像の詰め合わせに過ぎない」


 誰にも聞こえない小声で、呟く。

 周囲で淀む視線、嘲笑、嫌悪、侮蔑(ぶべつ)憐憫(れんびん)などの一切合切を遮断するために。


「願望や展望、理想や妄想といった虚像が一定数の市民権を得た時、それらはシンジツへと変貌する」


 再び呟き、周囲に目を凝らした。ボクを取り囲んでいたのは、魔女の人垣だ。


「そして、シンジツは感染する」


 ここは、音楽堂だった。本来なら、ここでは陽気な流行歌や荘厳な讃美歌、カラオケ大会での演歌などが奏でられていたが、現在のこの場所には、柔和な空気など欠片もない。あるのは、負の感情のチャンプルーだ。


「一定の感染を終えたシンジツは、それらが共有される箱庭の枠組みとして、機能することになる」


 ボクは、魔女たちの不躾(ぶしつけ)な視線を掻き分け進む。魔女たちの中心にいたのは、三人の魔女と一人の少女だ。


「だが、シンジツが共有されていくその過程で、不純物が混ざることは稀ではない。シンジツを媒介しているのが人である限り、そこには人の意思なり恣意(しい)なりが絡む」


 ボクは、さらに歩を進める。

 聞こえない声で呟きながら。


「平たく言えば、シンジツなんてものはダレカの都合で歪曲された杓子にすぎない、ということだ」


 にもかかわらず、真実は絶対の尺度として祀り上げられている。


「これから行われるのは、魔女たちにとってのシンジツを共有するための儀式だ」


 ボクは、中央にいた小さな少女だけを視界にとらえる。少女は、後ろ手に手枷で拘束された痛ましい姿をしていた。しかし、周囲の魔女たちは痛々しい少女を目の前にしても、手を差し伸べたりはしない。


 少女は、ただの供物だからだ。魔女たちが、シンジツを共有するための。


「…どうして、来たのさ」


 顔を伏せたまま、小さな女の子は罅割れた声で呟いた。


「お姫さまを迎えに来たんだ」


 敢えてとぼけた口調をした。

 当然、場が和むことはない。


「アンタまで、殺されるのさ…」

「その可能性は否めないかもな」


 この人垣の大半が、ボクという『異端の魔女』を危険視している。


「…アタシは、あんたが嫌いだ」


 俯いたまま、小さな女の子は声を絞り出す。

 場は静まり返っていた。

 好奇の視線に、よって。


「気軽に話しかけてくるところが、嫌いだ…無神経に頭を撫でるところが、嫌いだ」


 少女の声は、ぬかるむように、重い。


「身嗜みに無頓着なところが、嫌いだ…意外と口うるさいところが、嫌いだ」


 重い声で、少女は言葉を紡ぐ。


「朝は、きちんとご飯とお味噌汁を用意してくれるところが、嫌いだ…アタシが暇そうにしてると、散歩に誘ってくれるところが、嫌いだ」


 少女は、俯いていた視線を上げようとしたが、また俯いた。


「風邪をひいた時、タオルで汗を拭いてくれたりするところが、嫌いだ…あの事件の所為で不眠になっていたアタシが、寝つけるまでずっと手を握ってくれたりするところが、嫌いだ」


 震える体で、少女は震えた声を出す。


「見返りなんて何もないのに…アタシのために死ぬところが、嫌いだ」


 震える声に滲んでいたのは、濃縮された少女の痛みだ。日に焼けた少女の肌を、天井の照明が薄く照らす。


()(かく)、嫌いなんだ…お願いだから、帰ってよ」


 そこで、『ヒトオオカミ』の小さな女の子は大粒の涙を浮かべていた。後ろ手に縛られたままでは、その涙を拭うこともできない。


「奇遇だな…ボクも、小麦のことが大好きなんだ」


 そこで一歩を踏み出し、小麦の頭に手を乗せた。小さな小麦は、全身を震わせていた。

 小麦はずっと、絶望の淵にいる。

 今までも。これからも。

 ボクは、魔女たちの人垣を睨みつけた。この代償は、高くつくぞ。


「お別れの挨拶は、済みましたね」


 中央にいた三人の魔女の一人が、フードの奥から無機質な声を発した。その顔は確認できないが、おそらくは派閥の長クラスの魔女だ。


「ボクは、小麦と二人揃って、あの狭い部屋に帰るためにここに来た」


 フードの魔女とは、目を合わさなかった。


「戯言は控えなさい。その『ヒトオオカミ』の少女は、これから『魔女裁判』にかけられる被告なのです」


 フードの魔女の声には、血が通ってはいない。ただただ冷血に、小麦を処分しようとしている。


「小麦は、彩夏さん殺しの犯人じゃない」


 そこでフードの魔女を視界にとらえた。


「犯人ではなくとも、凶器だったことは確定しているはずです」


 それこそが、この場に集った魔女たちが共有するシンジツだった。坂下彩夏を殺した凶器は下総小麦で、『ヒトオオカミ』という世界の異物に鉄槌を下すことこそが、魔女たちの正義だ。


「小麦は、その凶器でさえないんだよ」


 静かに、その言葉を叩きつけた。それは波紋となり、魔女たちを小さく揺さぶる。


「…ですが、実際にこの少女は『操獣魔法』で操られていたはずです」


「確かに小麦は操られていたよ…だからこそ、小麦は殺していない」


 波紋は小さな渦となり、さらには小さな渦潮となる。


「そんな妄言に、誰が付き合うと…」

「それは面白いですね」


 フードの魔女の言葉を遮ったのは、聞き覚えのある声だった。声の主が、魔女の人垣の中から音もなく姿を見せる。ボクたちの前に現れたのは、『魔女協会』の長である、間宮凛子だ。


「彩夏ちゃんを殺害したのはあの少女ではないと、あなたはそう主張するのですね」


 貫禄のある声で、凛子さんは問いかける。


「そうですよ。彩夏さんを殺したのは、小麦じゃない」

「では、その証明ができなかった場合は、貴方が小麦ちゃんを操り、彩夏ちゃんを殺害させた魔女だと判断いたしますが、それでもよろしいですか」


 魔女の長は、対価を要求する。小麦を救いたければチップを払え、と。

 周囲は、凪いだ水面を思わせるほど静謐なままだった。だが、言葉や音がないだけで、水面下では魔女特有の濁った思念が逆巻いている。


「ああ、かまわないよ」


 二つ返事で命を賭けた。

 さあ、幕を開けようか。


「ここからは、シンジツでの殴り合いだ」

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