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 二年前、一人の少女とその父親が、命を落とした。


 父親は、これといった才覚のある人物ではなかった。

 ただ、人当たりはよく、絵に描いたように善良だった。


 少女は清音(きよね)という名で、善良な父親に似たのか、人懐っこかった。

 幼稚園に入園したばかりの無垢な少女は、少しだけお転婆だった。


 そんな二人が、大した前触れもなく、この世を去った。

 世間的には何の変哲もない事故だった。

 有り触れた、些細な悲劇の一つだった。


 ただ、少女は、『ヒトオオカミ』と呼ばれる稀有(けう)な存在だった。

 そして、母親は敦賀沙織という名の、魔女だった。


 一つの噂が、まことしやかに囁かれた。

 少女は、どこぞの魔女に殺された、と。


 母親である沙織さんも魔女の関与を疑い、血眼で娘と夫の死の真相を追った。

 それでも、魔女が関わった痕跡は見つけられなかった。警察の調査でも事件性はないと判断され、娘と父親の死は、事故として無難に処理された。後は、少しずつ風化していくのを、待つだけだった。


 しかし、その件を秘密裏に掘り返そうとしていたのが、坂下彩夏さんだった。


「彩夏さんは、『倉庫(アーカイブ)』の中に入ろうとしていた…」


 その場所には、魔女が関わったとされる全ての事件の記録が残されている。敦賀清音の事故に魔女の関与があったとすれば、手がかりくらいは記されているかもしれない。

 ただし、『倉庫(アーカイブ)』を開けることは、魔女たちの『調停人』である彩夏さんにもできなかった。触れた者の魔力に反応する結界で、その鍵は守られていたからだ。だが、一切の魔力を持たない下総小麦だけは、その鍵を持ち出すことができた。


「…ただ、鍵は持ち出しただけだ」


 魔女が小麦を操り、『倉庫(アーカイブ)』の鍵を盗ませたことは明白だ。

 それでも、その魔女の手に、鍵は渡っていない。

 そして、『倉庫(アーカイブ)』が開けられた形跡もなかった。

 なぜか、鍵は小麦のところで止まっていた。

 あの鍵を回収する機会なら、いくらでもあったはずだ。

 なぜ、そうしなかった?


 間宮邸を出たボクは、脳裏で整理をしながら歩く。

 空は、先ほどまでと同じように、分厚い雲に蓋をされていた。


「雅さんから彩夏さんに『調停人』が代替わりをしたのも、二年前だった」


 時期としては敦賀清音の死期と重なる。

 だから、当時は、彩夏さんに疑惑の目が向けられた。彩夏さんが、新しい『調停人』に選ばれるための点数稼ぎに敦賀清音を…『ヒトオオカミ』の少女を殺害したのではないか、と。


「根も葉もない与太話だ」


 彩夏さんが『調停人』になったのは、先代の雅さんが引退を言い出したからだ。

 ただ、雅さんの引退が不自然だとは、ボクも感じていた。全人類の認識や記憶を捻じ曲げられる『廻改変魔法』を持つあの人なら、当分は『調停人』を続けられた。適性という意味では、『不死の魔女』である彩夏さんよりも、雅さんの方が遥かに高い。


 そこで足を止め、空を見上げた。肉厚の雲に覆われた夜空はひどく無口で、何も語ってはくれない。


「ちょいや」


 不意に、背中に軽い衝撃を感じた。

 妙に、気の抜けた掛け声とともに。


「何事だよ…」


 振り返ったボクの目に飛び込んだのは、スカートからはみ出た生足だった。しかも、先刻のようなパチモノではない、本物のうら若き乙女が盛大に蹴り上げた太ももだ。


「ずいぶんな挨拶じゃないか、京子ちゃん」


 ボクの背中に蹴りを入れてきたのは、間宮姉妹の妹の間宮京子ちゃんだ。そんなに蹴りたい背中だったか?

 

「女子中学生の生パンが拝めたんだから、ご褒美だろ」

「いや、見えてないアルよ」


 実際には縦縞が見えていたが、ボクが能動的に覗いたわけではないので判定としてはセーフといっても過言ではないはずだ。というか、姉の灯子ちゃんは横縞で、京子ちゃんは縦縞なのか。


「相変わらず、一人だとじゃじゃ馬だな」


 姉と一緒にいる時はしおらしい京子ちゃんだが、ボクと二人の時は途端に口が悪くなる。


「当たり前だろ。姉ちゃんの前でこんな口をきいたら、お尻叩きの刑なんだぞ」

「意外と容赦ないんだな、灯子ちゃんも」

「ところで」


 そこで、間宮京子の声音が変わる。

 この夜空のように、暗く重く低く。


「アンタ、なんでまだ生きてるんだ」

「死んでないからだよ」

「だから、なんで死んでないんだよ」


 軽い口調で返したボクと違い、京子ちゃんの声は重い。それは、魔女の声音だった。


「アンタ、彩夏さんから懐中時計を受け取ったんだろ」

「ああ、これか」


 先ほども、そのことを凛子さんに確認された。そんなボクに、京子ちゃんが告げる。


「その時計には、呪いがかかっていたんだ」

「呪い…?」


 唐突な言葉に、軽く戸惑う。


「正確には、『呪詛魔法』だ」


 京子ちゃんの視線は、魔女特有の薄暗さを内包していた。


「持ち主が魔法を使えば、即座に命を奪う呪いの魔法が、その時計にはかけられていた」


 呪いを語る京子ちゃんには、中学生らしい明朗さは欠片もなかった。夜空の雲も厚みを増して、彼女の影を色濃く染める。


「呪いをかけたのは、私だ」


 宵闇よりも深い声だった。

 苦悶を煮詰めた声だった。


「私が、アンタを殺すための呪いを、その時計にかけたんだ」


 そこにいたのは、一人の魔女だ。

 先刻の面影など、そこにはない。

 けど、それが真実の彼女とは、限らない。


「京子ちゃんにその『呪詛魔法』をかけさせたのは、ダレだ?」


 京子ちゃんが自発的にその呪いをかけたはずはない。

 口も足癖も悪いが、虫も殺せないのが、この少女だ。


「…『魔女協会』の幹部たちだよ」

「やっぱりそこか」


 協会側からすれば、ボクが彩夏さんの後任になるなど、言語道断だ。歴史上の『異端の魔女』たちは、その大半が魔女社会にとっての厄災となっていた。

 だから、協会は京子ちゃんを利用した。魔女たちの都合に、この少女を巻き込んだ。


「過去にも、『呪詛魔法』を使った手口で、魔女による暗殺は何度も繰り返されてきた…贈り物に呪いを仕込むのは、その常套手段だった」


 俯いたまま、京子ちゃんはスカートの裾を掴む。その指先は震えていた。


「私も、そんな魔女たちの片棒を、担がされた…そんなこと、嫌だった、のに」


 黙って聞いていた。この少女の、消え入りそうな独白を。


「ただの言い訳にしかならないけど…その呪いで死ぬのがお兄ちゃんだとは、知らなかったんだ」


 仄暗さが、間宮京子を取り囲む。暗さの中に、彼女が沈んでいく。


「呪いの対象がお兄ちゃんだって分かったのは、彩夏さんに時計を渡した後だった」


 京子ちゃんの声は、歪められていた。バイアスをかけたのは、魔女世界そのものだ。


「お兄ちゃんがお屋敷で魔法を使った時、本当に、死んじゃうかと思った…」


 あの時は気付かなかったが、あそこで叫んでいたのはこの子だったか。


「あの『呪詛魔法』は一度しか発動しない…けど、持ち主の命を確実に奪うし、他の魔法とかで無効化もできない」


 その言葉は韜晦(とうかい)で、彼女自身の心を削る。

 この少女には、何の咎もないというのに。


「でも、あの時お兄ちゃんが魔法を使っても、お兄ちゃんは死ななくて、だから、私も安心して…」


 京子ちゃんの声には嗚咽が混じり始めていた。

 呪いの魔法など、この子は使いたくなかった。

 彩夏さんが次の『調停人』にボクを指名したことを知った魔女たちが、この子に無理強いをさせた。この子が断れないように、連中は何らかの脅迫をしていたはずだ。だから、ボクは口を開く。


「ありがとう」

「…なに、が?」


 想定外の言葉に、京子ちゃんはキョトンとしていた。


「お兄ちゃんって呼んでくれて」

「あ、え…それ、は」


 陰が差していた京子ちゃんの頬に、わずかな赤みが差していた。


「普段からお兄ちゃんって呼んでくれていいのに」

「あ、いや、あいや、それは…」


 あたふたと、京子ちゃんは両手を振り回していた。


「ボクは一人っ子だからその呼ばれ方はちょっとくすぐったいけど、嬉しいよ」

「う…うるさいぃっ」


 京子ちゃんは、いきなり蹴り上げてきた。しかも、しっかりと腰が入っている。


「危な…危ないって」

「うるさい、死ね…ちゃんと安らかに死んでしまえ!」

「その蹴り方だと安らかには死ねないって…ていうか、スカートが捲れて縦縞が見えるから」

「やっぱり見てたんじゃないか!」


 普段のやりとりだった。

 ボクと京子ちゃんだけの、少しやんちゃなコミュニケーションだ。


「ちょっと聞きたいんだけど、その『呪詛魔法』の『詠唱』は彩夏さんの屋敷でしたのかな」


 もしそうだとすれば、前提が崩れることになる。


「違うよ、魔法自体は自分の家でかけたんだ」

「そうか…」


 なら、その『呪詛魔法』は、彩夏さんの屋敷で観測された三回の魔法のうちの一つ、というわけではない。あの館の結界は、魔女が魔法を使う際の魔力にのみ反応してそれを観測する。『呪詛魔法』のように、条件を満たした時に発動する魔法では、たとえあの場で呪いが発動していたとしても、結界のログには残らなかったはずだ。というか、本当に不発でよかった。普通に死んでたじゃん、ボク。


 その後、二人で並んで歩いた。

 他愛のない、陳腐でとりとめのない話をしながら。

 ボクの隣にいたのは、魔女ではない女の子だった。

 そして、戻ってきた。遠江柘榴に下総小麦を預けたあの場所に。


「ああ、いたいた」


 小麦の姿を確認したボクは足早になる。  

 そこには、三つのシルエットがあった。

 本来なら、二つのはずだ。

 下総小麦と、遠江柘榴の。


「…灯子ちゃんか」


 三つ目の影は、間宮灯子だった。彼女は、無言だった。だが、その目が雄弁に語っていた。今の自分は魔女である、と。


「夜遊びなんてしてたら、お尻叩きのお仕置きをされるんじゃな…」


 言いかけたボクだったが、脇腹に衝撃を受けた。

 根こそぎ腹が抉られたような痛みが走る。

 呼吸もままならず、言葉など出て来ない。

 視野が狭窄し、視界の端が黒に染まる。

 間宮灯子の『魔弾』を、喰らっていた。


「不躾で申し訳ないのですが、問答無用でいかせていただきます」


 間宮灯子は、涼しい声をしていた。

 余剰な感情は、そこにはなかった。


「私は、出来損ないの魔女なので」


 その声にはかすかな寂寥(せきりょう)が滲んでいた。彼女はサラブレッドの魔女でありながら、魔女ではなかった。

 灯子ちゃんは一切の魔法が使えない。

 魔女としては、ただのみそっかすだ。


 唯一、そんな彼女が魔女らしさを発揮できるのが、先ほどの『魔弾』だ。魔力を固めて打ち出すだけの、魔法とも呼べないごり押しの力技だ。しかし、ボクに対しては効果覿面(てきめん)だった。ボクの『心侵蝕魔法』では、魔法ではない『魔弾』は奪えない。


「それでは、『ヒトオオカミ』の少女は連れて行きます」


 事務的に語り、灯子ちゃんは小麦を連れてこの場を去ろうとする。その背には微塵の躊躇もなかった。ボクは、小麦の腕を掴もうと手を伸ばすが、届かずに空振りに終わり、倒れこむ。


「三日後、この少女の『魔女裁判』が行われます」


 間宮灯子は、最後にその言葉を残した。


 倒れたままのボクは、まともな言葉を発することもできず、連れ去られる小麦を見送るだけだった。小麦も、同じようにボクを見ていた。その瞳から涙がこぼれそうになっていたが、ボクは、その涙を拭えない。ボクの手は、小麦には届かない。


「ごめ、ん…」


 遠江柘榴が、ボクの傍にいた。膝をつき、血が滲むほど拳を握っていた。


「…小麦ちゃんを、守れなかった」

「あそこで手を出せば、柘榴の派閥が潰されることになる…」


 だから、柘榴は傍観するしかなかった。小麦と仲間たちとの間で、板挟みで苦しんでいた。


「姉ちゃん…本当は、やさしいんだ」


 京子ちゃんは、声も体も震えていた。姉が人を叩き伏せる場面など、見たくはないはずだ。それだけ、この子は姉が大好きだ。


「あんな風に、お兄ちゃんを傷つけたり、本当はできないんだ…」

「知ってるよ…灯子ちゃんの足、震えてたから」


 そんな間宮灯子を追い込んだのは、魔女たちだ。


「…それに、あの子は猶予をくれた」


 ボクの言葉に、柘榴も京子ちゃんも小首を傾げる。


「本当は、見つけ次第『ヒトオオカミ』は始末しろって命令が来てたんじゃないか」


 あの『魔女協会』なら、平然とその命令を下す。代表である凛子さんは殺せとは命じないはずだが、幹部連中が勝手に暴走をするのがあの組織だ。


「けど、灯子ちゃんに捕まったお陰で、小麦は『魔女裁判』にかけられることになった…少なくとも、先走った魔女に始末される危険はない」


 だが、猶予があろうと、余裕があるわけではない。小麦を取り戻すには、手札が足りない。悲しいが、味方も足りない。

 柘榴や京子ちゃん、そして灯子ちゃんも、本来なら小麦のような小さな女の子を見捨てたりは、できない。しかし、他の魔女たちが、それをさせない。魔女たちの柵が、呪縛のように柘榴たちを縛る。


「月が、赤い…」


 ボクは、仰向けに倒れたままだった。

 いつの間にか、雲間から月が出ていた。


 ただ、その月は、鈍い赤色をしていた。

 生き血でも、(すす)ったように。


「赤…」


 その冴えない赤色には、なぜか覚えがあった。それは、記憶の片隅の辺鄙(へんぴ)なところに引っかかっていた。


「赤…か」


 ボクの呟きに柘榴たちが反応していたが、ボクは記憶を漁るので手一杯だった。


「赤…だ」


 その色を、思い出した。記憶の底から、そっと掬い上げる。


「赤い文字盤…だ」


 彩夏さんの屋敷で見た柱時計のあの赤色と、同じ色彩をしていた。夜空にたたずむ、今宵の月は。


「けど、あの赤は、本来はありえないはずの色だった…」


 青色でなければ、ならなかった。

 にもかかわらず、柱時計は文字盤を赤く光らせていた。


 そして、その赤は、記憶の端々を巡る。

 あの屋敷で起きたいくつかの現象とも、それはリンクした。


 犯人が偽装していた、花壇の水遣り。

 使用された三つの魔法。

 文字盤の赤い柱時計。

 死んでしまった『不死の魔女』。

 死ななかった『異端の魔女』。

 小麦が握っていた、『倉庫(アーカイブ)』の鍵。


 それらが、数珠つなぎになる。

 気が昂り、鼓動が早鐘を打つ。


「斑…?」


 独り言を呟き続けるボクを、柘榴と京子ちゃんが心配そうに覗き込む。そんな二人を、抱きしめていた。


「いきなり何を…?」

「お兄…ちゃん?」


 二人とも困惑の声を上げていたが、高揚していたボクには聞こえなかった。


「捕まえ、た…」


 ボクは力を込めて二人を抱きしめた。

 二人の体温が、そっと浸透してくる。


「気でも触れたのか…?私の胸は小さいから抱いても楽しくないだろ?」


 疑問符がいくつも浮かぶ表情の柘榴に、ボクは答える。


「捕まえたんだよ…シンジツの首根っこを」


 下総小麦は、犯人ではなかった

 まして、凶器などでもなかった。


「それに…もう一人、いた」


 ボク以外にも、小麦を守る魔女は、いた。

 彼女も、必死に小麦を守っていたんだ。

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