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「そもさん!」

「せっぱ」


 夕日が暮れなずむ街角を歩きながら、なぞかけが始まった。言い出しっぺは小麦で、出題者も小麦だ。


「それじゃ、第一問さね。レントゲンのお仕事をしてる人が得意なことってなーんだ?」

「レントゲン技師の特技…ええと、投資(透視)とか?」


 自信はなかったが、他に該当しそうな答えも浮かばなかった。


「おお、正解なのさ」

「ああ、正解なのさ」


 半ば当てずっぽうだったことは棚に上げ、得意気に微笑んだ。

 生暖かい風が、ボクたちの間を素知らぬ顔で通り過ぎて行く。


「じゃあ、二問目は…お医者さんが笑いました。さて、どんな風に笑ったでしょうか?」

「医者がどんな風に笑ったか…くすり(薬)と笑った、とか」

「おお、またまた正解なのさ」

「ああ、またまた正解なのさ」


 それからしばらく、ボクと小麦のなぞかけは続いた。普段と同じテンポで、何食わぬ顔をして。


「そろそろ疲れたんじゃないか、小麦」


 彩夏さんの屋敷を脱出してから、二時間ほどが経過していた。

 あの窮地から抜け出せたのは、ボクが『心侵蝕魔法』を使用したからだ。


 この世界でボクだけが扱えるあの魔法は、他の魔女が唱えた魔法を奪い、一時的にだが、ボクの魔法とする。ボクは、沙織さんが唱えた『操水魔法』を奪い、それを使ってあの場から遁走した。だが、たった二時間の逃避行でも、十歳の少女には強行軍だったはずだ。


「ばっちりてっちり大丈夫さね」


 意味不明な言い回しと共に、小麦ははにかんで見せる。しかし、途中で休憩を挟んだとはいえ、小麦の疲労はかなり蓄積されていた。先ほどから歩幅が小さくなっていたし、目尻のあたりが小さく痙攣している。


「アタシより、さっきの魔法を使った斑の方が辛いんじゃないのさ?」

「平気だよ、ボクの前世はプレーリードックだ」

「…それは体力自慢になるのさね?」


 そろそろ、日が陰る時刻だった。世界が夜に覆われ、昼だった頃の名残が分刻みで失われていく。街は、もう一つの顔を見せ始めていた。日が沈むのと比例するように、ボクの足取りも重くなっていく。さっきは軽口でごまかしたけれど、『心侵蝕魔法』は心身ともに生半(なまなか)ではない負担をかける。それでも、小麦の前で泣き言など口にできるはずもない。小麦は、ボク以上の心的負担を負っている。


「でも、斑…っ!」


 心配そうにボクの横顔を覗き込んでいた小麦が、そこで体勢を崩した。倒れそうになる小麦を、そっと支える。簡単に手折(たお)れてしまいそうなほど、その体は軽かった。


「大丈夫か、小麦」

「ちょっと石に蹴躓いただけだから、平気なのさね…」


 小麦は微笑みを浮かべてはいたが、その表情は限界まで疲弊していた。


「ほら、おいで」


 ボクは、小麦に背を向けて屈み込む。


「斑お兄さんが、おんぶをしてあげよう」

「…でも、斑だって疲れてるはずなのさ」


 小麦はボクの背に少しだけ触れたが、すぐにその手を離した。


「子供っていうのは、ちょっと無遠慮なくらいでちょうどいいんだよ」

「だけど…」

「小麦には話してなかったけど、小さな女の子を背負うのはボクの趣味みたいなものなんだ」

「…それだと逆に安心できないのさ」


 冗談のつもりで言ったのだが、割と真剣に警戒されてしまった。


「小麦…?」


 それでも、小麦は静かに、ボクの背中に負ぶさってきた。


「よし、行くか」


 屈んでいた状態から小麦を背負って立ち上がるが、崩壊寸前の筋繊維では、それだけでも重労働だった。けど、それを小麦に悟られるわけにはいかない。


「お、おお…あおぉ」

「どうしたんだ、小麦?」


 小麦を背負って歩き始めたのだが、その小麦がアザラシめいた声を発していた。


「いや、その…おんぶをされるのって、初めてなのさ」

「おんぶが初めて?」


 割と本気で耳を疑った。子供なら誰でも、誰かに背負われた記憶がある。母親にしろ父親にしろ、祖母にしろ祖父にしろ。『異端の魔女』であるボクですら、幼少の頃は祖母に背負われた経験があった。なのに、下総小麦にだけは、それがない。こういうところでも、小麦は世界から仲間外れにされていた。


「なんだか、ゆらゆらふわふわして、このまま眠っちゃいそうなのさ…」


 あどけない声で呟く小麦は、幼子のようだった。


「少しぐらいなら、寝てても大丈夫だよ」

「ここで寝たらたぶんオネショするけど、斑が大丈夫って言うなら大丈夫なのさね」

「それはちょっとした大惨事です…」


 ボクの中で、取り返しのつかない扉が開いてしまうかもしれないからだ。


「おんぶって、とっても温かいのさね…」

「それはよかった」


 小麦がそう言ってくれるのなら、多少の疲れなど吹き飛ぶというものだ。


「沙織お姉さんに抱きしめられた時と同じくらい、温かいのさ…」

「そうはよかった…って、そんなことがあったのか」


 いつのことだろか。小麦と沙織さんは、今日が初対面のはずだ。


「気絶して目が覚めたアタシは、泣いちゃったのさ…」


 おそらく、目覚めたその時に、小麦は理解した。

 自分に、『操獣魔法』がかけられていたことを。

 だから、小麦は怖くて泣いた。


「そしたら、傍にいた沙織お姉さんが、アタシを抱きしめてくれたのさ」


 小麦のその声には、小さな安堵が含まれていた。


「その時と、同じ温かさがするのさね」


 沙織さんは、二年前に夫と愛娘を失っている。

 たったの五歳でこの世を去ったその愛娘は、天然の『ヒトオオカミ』だった。

 彼女は、失われたその子供と、小麦を重ねた。

 だからこそ、魔女にとって禁忌である『ヒトオオカミ』を、抱きしめることができた。


 …いや。

 あの人の娘は、本当に死んだのか?


 不意に、その疑問が脳裏をよぎる。

 だが、ボクもあの少女の葬儀に参列している。

 そこで、夫と娘を同時に失い、泣き崩れる沙織さんを見ていた。はずだ。


 なら、あの写真は?

 五歳で死んでいたはずの少女が、ランドセルを背負って小学校の入学式に出席していた、あの写真は。


「けど、おんぶなんてさせちゃって、ごめんなのさ…」

「…だから、子供はそんなこと気にしなくていいんだよ」

「でも、アタシのお胸がぺったんこだから、斑は楽しくないはずなのさ」

「さっきのは戯言だから忘れてくれ…」


 本気にされるとボクが辛い。社会的にも辛い。


「高校生になる頃にはアタシもばいんばいんのEカップ様になってるはずで、『あー、夏は胸の下に汗がたまって辛いわー』とか、ぼやいてるはずなのさ」

「そういえば、柘榴も小学生の頃に同じこと言ってたよ」

「まさか、アタシも柘榴姉さまと同じ末路を辿ると言うのさね?」

「末路は言いすぎじゃないだろうか…」


 アイツは、二十歳になった現在でも成長の余地があると、泡沫(うたかた)の幻想を抱いている。

 そんな無駄口を叩きながら歩き続け、ボクたちは街の外れに到達した。そこは両側が林になっていて、街灯も届いていない。けど、目的地はもう少し先だ。


「…本当に、ごめんなのさ」

「だから、気にしなくてい…」


 ボクは、言葉を途中で呑み込んだ。背中越しに聞こえてきた二度目の『ごめん』は、小さな小麦が体を震わせながら発した言葉だった。ボクの顔が見えなくなったことで、張りつめていたモノが緩んだのかもしれない。


「アタシが…アタシなんて存在がいるから、こういうことが起こるんだ」


 小麦は、ボクの背中に顔を押し付けた。それでも、嗚咽は小さく漏れてくる。ボクの頼りない背中では、小麦の涙の防波堤にもなれない。


「魔女たちは…『ヒトオオカミ』であるアタシを、怖がってる」


 嗚咽を隠そうとしながら、小麦は言葉を紡いだ。


「だから、魔女は不用意にアタシに近づこうとは、しない…けど、完全に無視をしても、くれないんだ」


 ボクは、小麦の声に耳を澄ます。それは、異物としてこの世界に産み落とされた少女の嘆きだ。その音色は非難でも憤怒でもなく、諦めだった。


「確かに、『ヒトオオカミ』というブランドは、魔女たちの目を眩ませる」


 ボクは、淡々と言葉を発した。

 あの人の猿真似の平坦な声で。


「けど、そこで目が眩むのは、その魔女たちが弱いからだ」


 本当は、『弱い』などと吐き捨てては、いけなかった。その『弱い』魔女たちの実情を、ボクは知っていた。いや、魔女なんてモノは、そもそもが弱者でしかない。社会や時代の気まぐれで、どうとでもなる程度の些末な存在だ。それでもボクは、小麦の肩を持つ。


「彩夏姉さまは…きっと、芯の強い人だったんだね」


 小麦は、今日、初めて会ったばかりの彩夏さんの名を口にした。少しだけ、気恥しそうに。


「彩夏姉さまは、他の魔女とは違ったよ。彩夏姉さまだけは、色眼鏡なしで本当のアタシを値踏みしてくれたんだ…そんな魔女は、一人もいなかったのに」

「ボクだって、小麦を色眼鏡で見たことはないんだけど」


 少しだけ寂しさを感じ、口を挟んだ。


「斑はやさしいよ。だけど、やさしすぎるから、アタシをそのままの女の子では見てくれてないんだよ」

「そんなことは…」


 ないと口にすることが、小麦を傷つけるように、感じられた。


「けど、アタシが、殺したんだ…その、彩夏姉さまを」


 小麦の独白は鎖となり、雁字搦(がんじがら)めに小麦を縛る。

 夕日は、完全に沈んでいた。街の灯りはここまでは届かず、月も雲隠れをしていて光源になるものは何もない。そのまま、暗がりの中に溶けて消える錯覚に溺れそうになった。

 本当にそうなった方が、幸せだったかもしれない。


「…彩夏さんを殺したのは、小麦じゃない」


 ボクは、そこで足を止めた。

 妄想だろうが願望だろうが独善だろうが身贔屓(みびいき)だろうが、これが、ボクのシンジツだ。


「でも、斑…」

「そうだね。彩夏さんを殺したのは、小麦ちゃんだ」


 毒の言葉で小麦を遮ったのは、勿論、ボクではない。

  夜の帳と共に、その魔女は現れた。

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