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「真実ほど、人を狂わせるものはない」


 ボクは聞こえない声で(うそぶ)く。

 誰も、ボクを見てはいない。


「真実には、不純物が含まれてはいないからだ」


 だから、真実は人の胸の深奥に刺さる。

 刺さり、その人間の根幹に根を張る。

 そして、それらが普遍で絶対のものだと信じ込ませる。


「ただし、真実には善も悪もなく、裏も表もなく、虚実すらない」


 真実とは、ただただ甘いだけの甘露だ。

 それに浸っているだけで、人は酩酊(めいてい)する。

 自分は真実からは外れていない、と。

 何一つ自分は間違ってはいない、と。

 間違ってはいないのだから、(ゆる)されている、と。


「だから、真実ほど人を狂わせるものは、ない」


 そこまで言ったところで、ボクは口を閉ざした。普段から、ボクの独り言は世迷言でしかなかったが、今のは特に支離滅裂だった。けれど、この場でボクを見ている人間など、ただの一人もいない。全員の視線が、夕張雅という魔女に釘付けにされていた。


「下総小麦くんは、『操獣魔法』によって操られていた」


 雅さんが語るシンジツは、魔女たちを引き寄せる甘い引力を持っていた。


「けど…ずっとこのホールにいた雅さんが、証言したはずだ」


 ボクはその引力に抗うために口を開く。


「殺害現場である書斎には、誰も近づいていない、と」


 彩夏さんが殺されていたのは、彼女の書斎だ。そして、その書斎に行くには、このホールを通らなければならない。だが、ホールにはずっと雅さんがいて、ホールを通った人間は一人もいなかったと、彼女自身が証言している。


「なら、仮に小麦が操られていたとしても、小麦も現場には行っていないことになる」


 ボクは、道理にそった反論をした。

 けど、雅さんは泰然としたままだ。


「小麦くんには、魔法で操られている間の記憶はないのだったね」


 雅さんは、そこで小麦に視線を向けた。小麦は、その視線から逃れるようにボクの背中に身を隠す。ボクの頼りない背中では、小柄な小麦すら、隠しきれなかったけれど。


「ない…らしいですよ」


 小麦に代わり、ボクが答えた。

 小麦には、『操獣魔法』で操られている間の記憶はない。だからこそ不安は汚泥(おでい)のように山積する。彩夏さんを殺したのは自分ではないと、小麦は主張することができない。記憶がないということは、その程度の権利すら認められてはいない、ということだ。


 そんなボクたちを、雅さんは起伏のない視線で眺めていた。

 そして、そのフラットな視線のまま、次の言葉を口にする。


「ホールを通らずにあの書斎に行けたのは、『ヒトオオカミ』である小麦くんだけだ」

「ホールを、通らずに…?」


 雅さんが何を言っているのか、理解が追いつかなかった。


「小麦くんは、この館の外から直接、彩夏の書斎に侵入したんだよ」


 雅さんは、どこまでも平坦な声で語る。


「…そんなことは、できない、はずだ」


 速いレスポンスではなかったが、ボクは雅さんの主張を否定した。


「彩夏さんの書斎には、窓がなかった…なら、あの書斎に出入りするには、扉を開けて正面から入るしかない」


 ボクと小麦は、彩夏さんから呼び出されて書斎に入っている。あの部屋に窓がなかったことは、確認済みだ。


「魔法だよ」

「魔法…?」


 思わず、声が小さく裏返った。

 耳慣れた言葉だと、いうのに。


「壁越しに館の外からあの書斎に侵入することも、魔法を使えば可能だ」


 雅さんは、事も無げに言う。

 ボクは、たどたどしく言う。


「…そんな魔法は、存在しない、はずだ」


 壁をすり抜けて屋内に入り込む魔法など、聞いたことがない。

 魔法とはいえ、そこまで万能ではない。


「あるじゃないか、『転移魔法』が」


 雅さんは、簡潔に言ってのけた。

 魔女ならば、誰にでも扱えるような『普遍魔法』の名を。

 そして、簡潔だからこそ、それはシンジツを感じさせる。


「遮蔽物を超えて小麦くんを屋内に転送することも、『転移魔法』なら可能だ」


 雅さんはさらりと言うが、そこには矛盾があった。


「それは…無理だ」


 だから、ボクは喰らい付いた。

 野犬のように、脇目も振らず。


「確かに、『転移魔法』は物体を転送させられる便利な魔法だ…遮蔽物だって、すり抜けられる」


 確かに、『転移魔法』ならば遮蔽物を超えて対象を転移させられる。そういった説明を小麦にもしたし、実際に小麦の目の前でこぼれた牛乳を転移させたこともあった。


「けど、『転移魔法』で転移させられるのは、無生物だけだ」


 軽く呼気を整えた。そして、間髪を入れずに続ける。


「生物を転送しようとした場合、その生物が持つ生来の魔力が『転移魔法』に干渉し、魔法の波長を乱して正常に機能しなくなる…そして、どんな生物でも、生きている間はその身に魔力をまとっている」


 地均(じなら)しをするように、ボクは言葉を敷きつめた。

 ここで引くわけには、いかない。

 引いて失われるのは小麦の命だ。


「下総小麦くんは『ヒトオオカミ』だ」


 雅さんは冷たく起伏のない声で遮る。

 それが、無二のシンジツである、と。


「一切の魔力を削ぎ落されて生まれてくるのが、『ヒトオオカミ』という異物だ」


 カノジョの言葉は、この場の全員を沈黙させた。


「そして、一切の魔力を持たないのなら、自身の魔力が魔法に干渉することはない。『ヒトオオカミ』が『操獣魔法』で操られるのはそういう理屈だ」


 減らず口を挟むこともできなかった。

 雅さんの時間だけが、悠々と流れる。


「そして、それは『転移魔法』にも適用される」


 夕張雅は、さらにシンジツを重ねる。


「つまり、一切の魔力を持たない小麦くんなら『転移魔法』で館の外から直接、あの書斎に転移させることも可能だった、ということだ」


 重ねられたシンジツは飛散し、この場に吸着する。


「…………」


 小麦なら、『転移魔法』での転送も可能ではないかという仮説は、ボクも立てたことがあった。ただ、今はその可能性を心が拒絶していて、脳裏には浮かばなかった。しかし、その現実を、今ここで鼻っ面に突きつけられた。


「…………」


 下総小麦は、『痛い』とも『苦しい』とも『悲しい』とも『辛い』とも口にできなかった。弱音を吐くことも取り乱すことも、泣き出すことも逃げ出すことも、何一つ、許されてはいなかった。ただただ、一人ぼっちで打ちのめされていただけだ。ボクは、紅葉を思わせる小さなその手を握る。小麦は、ボクの手を握り返すことも、できなかった。


「いや…」


 そこで、小さな違和感に、ふと気付く。

 それらは欠片となって散らばっていた。


「雅さんは、言ったはずだ…このホールを通った人間は一人もいなかった、と」


 違和感の欠片を拾い集める。

 それは、か細いけれど蜘蛛の糸だ。


「…帰りは、どうしたんだ」


 ボクの言葉に、周囲は首を傾げる。

 雅さんだけは、平静だったけれど。


「気を失っていた小麦を見つけたのは、この館の外だ」


 呼気を整えながら、ボクは続ける。


「小麦が館の外から魔法で書斎に転送されていたとしても…小麦は、その後で館の外に出たことになる」


 静かに、語気を強めた。


「けど、書斎から館の外に出たのなら、その時、小麦はこのホールを通らなければならなかったはずだ」


 館の玄関に向かう場合は、このホールを通る必要がある。廊下には窓があるが、その窓は格子で覆われていて出入りはできない。


「そして、雅さんは証言していた…ホールを通った人間は一人もいなかった、と」


 ボクは踏み込む。雅さんの語った、シンジツの亀裂に。


「なら、小麦はどこから館の外に出たんだ」


 ボクの鼓動が、早鐘を打つ。


「行きと同じように『転移魔法』で外に出ることは、できなかったはずだ」


 その早鐘に合わせ、アップテンポで言葉を紡ぐ。


「魔女が対象に触れなければ、『転移魔法』は発動させられない」


 体が、芯から熱を帯びる。


「館の外にいた犯人には、窓のない書斎の中にいた小麦と接触する手段は、なかった」


 体の熱が、ボクを加速させる。


「つまり、小麦を『転移魔法』で書斎から館の外へ連れ戻すことはできなかった、ということだ」


 呼吸も忘れ、ボクは無心で続ける。


「それなのに、小麦は館の外で発見されている…」


 徐々に、肺の中の空気が減っていく。


「これは、明確な矛盾だ」


 酸素不足で軽い目眩を感じながら、ボクは最後の言葉を口にした。


「なら、小麦は最初からあの書斎には行っていなかった、という結論になる」


 そこで、ボクは手の平に小さな温もりを感じた。


「…小麦」


 小麦が、ボクの手を握っていた。

 小麦が、ボクの温もりを求めてくれた。


「いや、彩夏を殺した凶器は小麦くんだ」


 雅さんの声は、やはり起伏がな…。

 …夕張雅の魔力が、波打っていた。


 周囲の気圧が、滲むように歪む。

 臓腑の底から、気圧(けお)されていた。

 そこで微笑んでいたのは、先代『調停人』にして、『最悪の魔女』だった。

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