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「注目を浴びて喜ぶ人間とは、被虐趣味の側面を持った人物ではないだろうか」


 視線には、その人間の意思が灯る。

 時には質量すら感じられるほどに。


「不特定多数の視線を浴びるということは、それだけの意思や感情を他者から注がれる行為に他ならない。好意的な視線であれば受容できるかもしれないが、奇異なモノを見る視線はそれだけで精神を圧迫してくる」


 しかし、周囲からその奇異の視線が注がれる中、ボクは独り言を呟いていた。ここで口にしなければならなかったのは、山月楓の容疑を晴らすための台詞だったというのに。


『後悔をするのは、君だ』


 ボクを躊躇わせていたのは、雅さんから言われたこの言葉だ。あの人の意図は分からなかったが、楓を助ければ、ボクが後悔をするという口振りだった。


「…けど、ここで二の足を踏み続けていても、意味がない」


 何もしなければ、楓が彩夏さん殺害のホンボシとして処分されるだけだ。


「結論から言うと…」


 独り言を止め、周囲にも聞こえる声で言葉を発した。先ほどからボクに注がれていた視線の数々が、さらにその色を濃くしていく。鶴賀沙織は何かを言いたげで、間宮灯子は困惑をしていて、間宮京子は瞳を伏せていて、遠江柘榴は不安そうで、下総小麦は縋るようで、山月楓は感情の行き場をなくしていた。それらの視線が錯綜する渦中で、ボクは言葉を紡ぐ。


「彩夏さんは、犯人によって生かされていたんだ」


 周囲からの反応は茫然の一色だった。

 当然。としか言いようがないけれど。


「彩夏さんは、犯人によって殺されていました…よね」


 間宮姉妹の姉である灯子ちゃんは、ボクが言い間違えたと好意的に解釈してくれたようだ。けれど、ボクは告げる。


「彩夏さんは、殺された後で生かされていたんだよ」


 再び、周囲は静けさに包まれた。

 ひどく白けた空気を、内包して。


「…それは、どういう意味ですか」


 しばしの沈黙の後、灯子ちゃんが尋ねた。生真面目な彼女は、ボクの言葉をなんとか咀嚼しようとしてくれている。そんな灯子ちゃんに、ボクは言った。


「被害者である彩夏さんが死んだと思われる時刻は、二時四十五分から三時までの間だ」


 これは、この事件の前提だった。

 同時に、足枷でもあったけれど。


「この時間は、彩夏さんの遺体を午後三時に発見したことと、二時四十五分から予定されていた花壇の水遣りを、蜜柑が終えていたことから逆算された」


 魔法人形である蜜柑は、創造主である彩夏さんからの魔力供給を受けることで活動を可能としていた。だが、その創造主が息絶えて魔力を失えば、リンクが途絶えて蜜柑はただの人形に戻ることになる。彩夏さんが殺害された時刻は、そこから割り出された。


「…では、その十五分の間に他の誰かと一緒にいた私たちは、犯人ではないはずですよね」


 灯子ちゃんは、『私たち』と言ったところで妹の京子ちゃんに視線を向けていた。彼女が真っ先に確認しなければならないことは、妹が安全圏にいるかどうか、だ。


「ソレが正しければ、だけど」

「正し、ければ…?」


 灯子ちゃんの声が小さく上擦る。

 表情にも、動揺が浮かんでいた。


「あの時間、蜜柑は水遣りができなかったんだ」

「それは…どういう意味ですか」


 灯子ちゃんは、訝しげな視線をボクに向ける。


「バケツだよ」

「ばけ…つ?」


 聞きなれたはずの言葉を、灯子ちゃんはぎこちなく発音していた。


「蜜柑は…魔法人形たちは、魔術文字である『ルーン』が刻まれた道具しか、扱うことができない」


 そういった制約が、蜜柑たち魔法人形には課せられている。危険な道具などを、勝手に使用することがないように。


「そんなことは…魔女なら誰もが知っている基礎知識です」


 焦燥の混じる灯子ちゃんの口調は、やや早口だった。そんな彼女に、ボクはやや緩慢な口調で続ける。


「蜜柑も同じだよ。掃除をする時には『ルーン』の刻まれた箒で掃いていたし、花壇に水をやる時には、『ルーン』の刻まれたバケツに水を汲んで撒いていた」


 そこで、ボクは雅さんに視線を向けた。

 彼女だけは、歪なほどフラットだった。


「だから、それがなんだと言うのですか…」


 雅さんに視線を向けていたボクに、灯子ちゃんが問いかける。


「彩夏さんが死んだと思われた二時四十五分から三時の間…そのバケツはずっと、花壇とは別の場所に放置されていたんだ。『ルーン』の刻まれたバケツは、この館に一つしかなかったのに」

「それ、は…」


 口を開きかけた灯子ちゃんは、そこで口を閉ざした。そして、再び口を開く。独り言のような、小さな声量で。


「一つしかなかったバケツが…花壇とは別の場所に、ずっと置かれていた」


 やや虚ろに呟いた後、灯子ちゃんは静かに俯き、ゆっくりと息を吸った。そして、数秒ほど沈黙してから、再びボクに問いかける。先刻より、慎重な口調で。


「だから、蜜柑さんには花壇の水遣りができなかった…と、斑さんは言ったのですか」


 灯子ちゃんの表情からは、先ほどまでの焦燥が薄れていた。代わりに、瞳には魔女としての淡い光が浮かんでいる。その表情は、彼女の母親であるあの魔女と瓜二つだった。


「…それなのに、花壇の水遣りは終わっていた、のですね」


 灯子ちゃんが、確認の言葉を口にした。


「ああ、終わっていたよ」

「それは、蜜柑さんの代わりに、他のダレカが水遣りを行っていた…ということでしょうか」

「勿論、やったのは犯人だ」


 ボクの言葉は、簡素だった。

 だからこそ、周囲に根付く。


「なぜ、犯人はそのようなことをしたのでしょうか」


 疑問を口にするというよりは、周囲に聞かせるための口調で、灯子ちゃんは問いかける。


「ボクたちに錯覚をさせるため、だよ」


 ボクも、周囲に聞かせるための声で言う。


「実際に犯人が彩夏さんを殺害したのは、蜜柑が水遣りを始める二時四十五分より前だった。けど、犯人が蜜柑の代わりに水遣りを終えておくことで、犯人はボクたちに思い込ませたんだ。水遣りが終わっていたということは、その時間までは蜜柑は活動していた、と。そして、蜜柑が活動をしていたのなら、彩夏さんもその時間までは生きていたはずだ、と」

「それが、『殺された後で生かされていた』…ということですか」


 そう言った灯子ちゃんに頷いてから、ボクは次の言葉につなげる。


「この方法で、犯人は自身のアリバイを確保した」


 ボクは周囲を見渡した。ボクや灯子ちゃん以外の面々は、困惑の表情を浮かべている。ただ一人、素知らぬ顔をしたあの人がいたけれど。


「だから、彩夏さんが死亡したと思われる時刻に一人でいたというだけで、楓を犯人呼ばわりすることはできないんだよ。そもそも、その時間が正しくはなかったんだから」


 ボクはあの人に…夕張雅に視線を向けた。犯人が彩夏さんの死亡した時間に細工をしていたのなら、それを支点に犯人を特定することはできなくなる。


「確かに、彩夏が死んだ時間が不透明ということになれば、楓くんだけを疑うのは不公平だね」


 雅さんは、含みを持たせた言い方した。

 だが、途中で気付いた灯子ちゃんとは違い、この人は、おそらく最初から気が付いていた。花壇やバケツのことに気が付いていながら、楓を彩夏さん殺害の容疑者として名指しした。


 なぜだ?


 しかし、楓の容疑が晴れたことで、場の空気は変質した。これまで張り詰めていたモノが、わずかではあるが、そこで弛緩する。


「私は…殺してなんて、いないんです」


 容疑が晴れても、楓はまだ、光彩のない瞳をしていた。


「ああ、楓は彩夏さんを殺したりは、しないよ」


 ボクは、楓に声をかける。割れ物を扱うよりも、丁寧に。


「けど、私の家族は…いなくなってしまいました」


 楓の容疑が晴れても、彩夏さんが帰ってくるわけでは、ない。そのための補填(ほてん)があるわけでも、ない。


「でも…」


 唐突に、抱擁されていた。

 楓の香りが、ボクの鼻孔をくすぐる。


「…私のことを信じてくれる人は、いたんですね」


 さらに、抱きしめられた。楓とボクの体温が、そこで混ざり合う。


「斑さんがロリコンじゃなかったら…このまま抱かれてもいいくらいです」

「だから、ボクはロリコンじゃないんだが」


 釈明を試みたが、楓の耳には届かない。そういう呪いにでもかかっているのだろうか。


「あと、君たちはどうしてあらぶっているんだ…」


 なぜか、小麦には腕を齧られていて、柘榴からは地味なローキックを喰らっていた。二人して、無表情のままで。


「中々のお手並みだね」


 平坦なその声の主は、確認するまでもない。


「それはどうも」

「しかし、斑くんはこれから後悔をすることになる」


 夕張雅から発せられたその声音には、一切の起伏はなかった。

 だからこそ、ボクはその声に身構えた。


「アリバイの次は『凶器』の話をしようか」

「凶器…?」


 オウム返しに、その言葉をボクも呟く。

 心中で小波(さざなみ)が起こるのを、感じながら。


「勿論、彩夏を殺害した凶器だ」


 穏やかな声で、雅さんは物騒な言葉を綴る。


「けど、凶器なんて…どこを探しても出てこなかったじゃないですか」


 そもそも、世間一般の凶器で、あの『不死の魔女』をしとめられるはずはない。

 

「凶器なら、そこにいるじゃないか」


 雅さんがそこで指を差したのは、ボクだった…いや、ボクの背後だった。


「彩夏を殺した凶器は、そこにいる下総小麦くんだ」


 突飛すぎる台詞を、雅さんは口にした。

 これまでより平たく底冷えのする声で。

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