9.ディーマン・ザクルト
ディーマン視点です。
「何!それはまことですかな!?」
ヴァムリア帝国の王宮の一室で、大臣たちが円になって座っている。その中央に悠然と構えているのは、この国の王、ルスター・ザクルト・ヴァムリア。周りの大臣たちがざわつき、焦りに顔を歪ませているのに対し、彼だけは射抜くようにこちらを見つめるばかりだった。
おー、怖い怖い。さすが父上。
もちろん、内心はおくびにも出さず、王の真正面に位置する席に座っているディーマンも、彼の視線からじっと目を逸らさずにいた。
「ディーマン」
「はい」
「次代大聖女が逃げたというのは本当か」
重々しく王の口から発されたその言葉に、大臣たちも押し黙る。室内は、ディーマンの言葉を一言一句逃さないという気概が鎖のようにピンと張り巡らされているかのようだ。
「はい、彼女は昨日神殿の自室の窓から抜け出しました。そこから魔術を駆使して神殿の裏へ到達。最後の最後で引き止めましたが、足止めを食らって逃げ出されてしまいました」
「…つまり、お前は聖女と言えど女に逃げられたというのか」
「申し訳ございません」
ディーマンがぐっと頭を下げる。その皇子の姿に、大臣たちは再びざわざわと騒ぎ出す。
ディーマン・ザクルト・ヴァムリア。彼はこの国の第二皇子だ。帝国は軍事国家でもある。そのため、国の上層部に立つ存在であるほど現場に出る経験が必要という風潮だ。なので、彼も例に漏れず騎士団に所属している。
今回、彼がシェリーの護衛についたことは、イレギュラーなことだった。
ファルマの行った神託によって、次代大聖女の力が顕現されたことが判明。
シェリーの存在に目星がついた時、ディーマンは騎士隊長として迎えに行く役目を遣った。
…そして、シェリーと初めて対面したとき。
一目ぼれって本当に存在するんだなぁ……。
彼女のことを思い出すと、ディーマンの心の内にはゾクゾクとした熱い思いが湧き上がってくる。
炎の中、彼女が力を放ったことで居場所を見つけることができた。幼いシェリーは母親にしがみついていた。
死者を蘇らせることなどできないのに。
気を失って腕の中に堕ちてきた彼女は、髪が乱れていたし服もボロボロ。顔に煤もついて可愛らしいとは言えなかった。
だが、そんな彼女に無性に惹かれた。
ディーマンの任務としては聖女を迎えに行くことで終わりのはずだった。しかし、無理を言って彼女の“護衛”という任務の継続を訴えたのだ。
そして。神殿に来たばかりの、寂しさで当たり散らした時も、寂しくて一人泣いていた時も、周りに取り繕うようになった時も。
いろいろな彼女の表情に見れば見るほど、どんどん彼女にのめり込んでいって。
自分だけに依存してくれればいいと幾度となく考えるようになったのだ。
だから、彼女から離れるなんて考えられなくて。
脱走については驚いたものの、時期を考えれば納得いくものだった。あの時の薬は非常に強力なものだった。それは私の落ち度だ。
ただ、私は一生、彼女から離れる気はない。だから、最後の休暇をあげてもいいだろう。そして、今離れているこの間にも、私のことが頭から離れなければいい。
―――彼女をこの腕に抱きしめた時の感触が蘇る。白く滑らかな肌に、華奢な細い腕。すっぽりと自分の中に納まった彼女の愛らしさに、あの時は何とか理性を保ったのだ。そうでなければあそこで既に組み敷いていた。さすがにハジメテが外では可哀想だろう。ああ、でも慣れてきたらたまには嗜好を変えるのもいいだろう。ふふふ、彼女は一体どんな顔を見せてくれるのだろうか―――…。
「次代大聖女のお披露目はどうするのだ」
「ファルマ様の御力も全盛期のより衰えが見えているのだろう?」
「このままでは更なる帝国の威信の強化が…」
ディーマンがつらつらと考えている間も、もちろん会議は終わっていない。
再び大臣たちがざわざわと騒ぎ始めるが、スッと王が手を横にかざす。王の仕草に大臣たちが再び黙る。
「今回のことはどう落とし前を付けるつもりだ」
頭を下げているディーマンへ、先ほどよりもドスの効いた声色で王が尋ねてくる。
ディーマンは、顔を再び上げる。そして王をまっすぐ見つめ返して緩く微笑んだ。
どう、なんて。そんなことは決まっている。
「私が彼女のことを逃がすとお思いで?」
「……どういうことだ」
「彼女の滞在場所には見当がついています。セントネラ王国です。かの国には彼女の母の故郷があります。自分のルーツを探る時間くらいは与えてもいいのではないでしょうか。最後にはこちらに来てくださるのですから」
「…あの国に取り込まれることはないと断言できるのか?」
「彼女は責任感の強い方ですよ。今回、ファルマ様に役目を任せて出てきたことを本心では非常に後悔していらっしゃる。彼女のために、必ず戻って来られる」
――――逃がすつもりはないですよ、シェリー様。
もう、騒ぐ者は、誰もいない。
ディーマンの確信に皆、口を挟めなかった。そして何より、王が何も言わないのだ。
誰もが王の言葉に注目する。
―――そして。
「必ず連れて帰れ。その時は聖女との婚姻を命じる。一生手放すな」
―――――聖女との婚姻。
この国は“聖女至上主義”の国だ。そのため、神殿においても表向き主導権を握っているのは聖女である。
つまり、聖女との婚姻によっても主導権を握るのは“聖女”の方であり、夫はサポート側に回るのだ。
……もちろん、聖女の力量によって傀儡とするかは夫の能力次第でもあるのだが。
ただ、表向き賞賛・名誉などを受けるのは聖女。
男性優位のこの帝国で今、この国の王族として君臨しているディーマンにとって、それらを捨てるつもりでいろと言われているのと同じことだった。
皇帝のこの発言に、大臣たちは驚きを禁じ得なかった。今の地位や名誉を捨てろと言われて了承するなど自分ならできない。彼らが固唾を飲んで答えを待っていると…。
「願ってもないことです」
ディーマンは、ただただ幸せそうに微笑んだ。
過去編終了です。次回から薬師シェリー始動です!
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