5.今代大聖女 ファルマ・クレイラス
ファルマ視点です。
顔を赤くして俯くシェリーに満足すると、ファルマは侍女に目配せして人払いをさせる。もちろんディーマンも対象である。
彼らが部屋を出て、ファルマは防音の魔道具を発動させた。これは、二人で話すときはいつものことだった。
「シェリーも大きくなりましたね」
「……ファルマ様のおかげですよ、私が今こうして生きているのは」
「本当に、貴女はよく頑張っていますよ」
「…へへ、ありがとうございます」
そうやって照れ臭そうにはにかむ彼女を見て、ファルマの胸はちくりと痛む。彼女とファルマは似ているのだ。神殿に連れてこられた経緯も、最初の頃の荒れ具合も。
ファルマは戦争孤児だった。しかし無意識に癒しの力を自分にかけ続けていたので、かろうじて生き残っていたのだ。そして、ただひたすら歩いて流れ着いた先のヴァムリア帝国の神殿に、聖女として拾われた。
あの時の自分のように、体は無事でも心が傷だらけの彼女を、ファルマは見捨てることはできなかった。幸い、“後任”の大聖女としての力を認められた彼女とは、“師”という立場で接することが多かった。シェリーとの初対面での出来事があったおかげか、ファルマへはそこまで当たることはなかった。しかし、聖女教育へは全くやる気の見せない、むしろ嫌悪感を前面に押し出していたシェリーへ教えることは、懐かない野良猫を相手にしているような日々だった。
それは、シェリーがこの神殿に来てから半年ほど経った時だっただろうか。彼女が聖女教育の時間になっても部屋に来なかったのだ。聞けば、シェリーが部屋から出て来ないのだとか。ファルマは侍女を連れてシェリーの部屋に行った。
「シェリー?いらっしゃる?」
ファルマが呼びかけても、軽くノックをしても、中からは一切返事がなかった。ディーマンに聞くと、朝から一切布団から出てこようとしないのだとか。ファルマは話を聞くと、にやりと笑って扉を開け、ずんずんと中に入って行く。慌ててほかの者たちが後を追う。
そしてファルマがシェリーの布団を思い切りめくる―――その時の従者たちの顔は見物だった―――。すると、そこにあったのは大量のぬいぐるみだけ。「シェリー様!?」と慌てる周りとは裏腹に、ファルマは一人、納得した顔をしていた。
「ファルマ様、シェリー様は…!?」
顔面蒼白で問いかけてくるディーマンに、ファルマは少し困ったような顔をして自分付きの侍女を見る。
「ラーサはわかるでしょう?」
侍女はハッとして、仕方ないといった風に笑った。
「……もしかして」
「ええ。実は前、あの子に話したことがあるのよ。…行きましょうか」
そして着いた場所は、神殿の裏庭だった。建物の陰になっているためあまり日当たりはよくないが、柔らかい木漏れ日を浴びて草木が煌めいている、静かな場所だった。ちょうどここは、あまり人が来ないのだ。なので、ファルマも昔はよくこの場所にやってきていた。
案の定、端にある小さな段差のところで、シェリーは膝を抱えて丸まっていた。
「シェリー様…!」
感極まってディーマンが走り出そうとするが、それをファルマが制す。
「私が行くわ。…あなたたちは、彼女から見えないように隠れててね」
「ですが…!」
「貴方が行っても彼女は内に籠るだけです。違うかしら?」
「………っ」
実質、今のところシェリーが心を開いているのはファルマだけなのだ。ディーマンは悔し気に顔を歪めたが、一礼して引き下がる。
そんな彼の様子を寂しげに見ながら、ファルマはシェリーの元へと向かった。
「シェリー?」
シェリーが膝を抱えてうずくまっていると、頭上からファルマの声がした。だが、シェリーは顔を上げない。それどころか、話を聞かない、ことをアピールするために彼女に思い切り背中を向ける。
そんなシェリーの様子を見て苦笑したファルマは、彼女の隣にそっと腰を下ろした。同時に、防音の魔道具もそっと起動させる。
「ここ、私も好きよ」
「…」
「人が来ないですから。かくれんぼするにはぴったりね」
「かくれんぼしてるわけじゃ…!」
シェリーがムッとして言い返したその時、彼女の小柄な体はすっぽりとファルマの腕の中に納まった。
「ファ、ファルマ様っ」
もがく彼女の体を、ファルマはさらにぎゅっと抱きしめる。
「毎日毎日大変よね」
「…」
「望んでここに来たわけでもないのにね」
「…っ」
「貴女はよく頑張ってるわ。すごいわシェリー」
「…ぅぁ、ぁ、ぁあああああ……っ!」
ファルマに髪をゆっくり撫でられたシェリーは、彼女の腕の中で声を上げて泣いた。
たった二人だけの空間で、風の音だけが優しく耳を通り過ぎて行った。
「シェリー、ひとつ教えてあげるわ」
ひとしきり泣いて目元を赤くしたシェリーは、ちょっとの気まずさを抱えてファルマの顔を見る。
「貴女の本当の心を守るために、貴女の心を隠しなさい」
「…?」
「ここにいれば誰もがあなたを“聖女”として見るわ。それに今は私の力も全盛期とまではいかない…。そのせいでますます皆は貴女を“次期”大聖女として見る。それを期待してくるわ。…ごめんなさいね、私の力不足で」
「ファルマ様のせいじゃない、です」
少しムッとして言うシェリーに、ファルマは眉根を下げながら、でも嬉しそうにしてシェリーの頭を撫でる。シェリーもその手を気持ちよさげに受け入れた。
「ありがとう。…だからねシェリー、聖女としての“顔”を作るのよ。ふるまい、言動、それらをみんなの理想の“聖女”に寄せるの」
「…なんでそれが心を守ることに繋がるんですか?」
「あなた、ここの人たち、信用できないでしょう」
その言葉に、シェリーはカッと頬を熱くする。図星だったからだ。再び顔を膝に埋めてしまう。ファルマはおかしそうにくすくすと笑って、もう一度シェリーの頭を軽く撫でた。
「大丈夫、私も同じだったから」
「…え?」
「私、もともと戦争孤児でね。一人だけ癒しの力が使えたから、私だけ最後まで生き残ってたの。それでこの神殿に引き取られてきたのよ」
「…そう、だったんですか」
ファルマは過去を懐かしむように、今はもう戻れないその思い出に思考を巡らせた。
両親の笑顔、友達と遊ぶこと、ここにはないたくさんの幸せ―――――。
「もちろん、ここに来て悪いことばかりじゃなかったわ。だってここは、衣食住も保障してもらえるし、危険なこともない。…ただし、“聖女”としての私しか求められない」
「…」
「だからね、逆に聖女らしい聖女になってやろうと思ったのよ。そうすれば文句を言われないかなって。そうしたらあら不思議。随分過ごしやすくなったわ。……こう言ってはいけないけれど、神殿に勤める大半の人は上辺が良ければ大体満足するからよ。“理想の聖女”で過ごすことは、私にとって鎧を着て過ごすことと同じなの」
「…辛く、ないんですか?」
そう言って気づかわし気にシェリーが目を向ける。ファルマは優しく笑って、シェリーの頭を再び撫でた。
「もちろん、幸せとは言えないわね。息も詰まるわ。でも、今こうして貴女に話すことができているんだもの。悪いことばかりじゃないわ。…それにね」
ファルマは内緒話をするように、シェリーに顔を近づけた。それを見たシェリーも、ファルマの話をじっと聞く。
「“理想の聖女”でいれば、大体の人は都合のいいように考えるし、油断する。油断すれば、評価が甘くなる。評価が甘くなれば、味方が増えるわ。ちょっと悪いことをしても、大抵の人は許してくれるの」
片目を瞑ったファルマを見て、シェリーはふふっと小さく笑った。
「シェリー、鎧を着なさい。貴女の柔らかい心を、優しい思い出を守るために」
ファルマの真剣な声音に、シェリーも神妙に頷いた。
「…わかりました」
「だからと言って、いきなり全部できる必要はないわ。まずは頑張る姿勢を周りに見せるのよ」
こくりとシェリーは頷く。
「それと、辛くなったらいつでもいらっしゃい。歓迎するわ」
「…辛くなくても、行っていいですか…?」
少々こちらを伺うように見てくるシェリーに、ファルマは潤む目を隠すように、ぎゅっと、強く強く彼女を抱きしめた。
「っ、もちろんよ!」
シェリーは小さく「ありがとうございます」と言うと、また、彼女の腕の中で涙を流した。
面白かった!続きが気になる!という、お優しいそこのあなた!!
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