3.聖女じゃない
そこで見た光景は、本当に悲惨なものだった。家屋は焼けて瓦礫になり黒い煙が立ち上り続けており、今もまた家の屋根が崩れ落ちた。
だが何よりも違和感があったのは、住人の声が一切聞こえないのだ。轟々と燃え盛る炎の気配しか感じることができず、異常な静寂に包まれた空間がそこには存在していた。
涙を堪えてシェリーは走る。火を避けるように、他のものは見ないように、ただただ必死に走り続けて自宅の中へと飛び込んだ。
「お母さん!お父さん!どこ!?」
咳き込みながら部屋の中を歩き回る。荒らされた室内の中、所々で火が燃え移っていた。あまり長くここにはいれない。早く見つけないと。気持ちばかり焦って仕方ない。溢れ出てきた涙を服の袖でぐいっと拭う。
…その時だった。テーブルの裏側で倒れている両親の姿をようやく見つけたのは。
「ふ…二人とも、しっかりして!」
シェリーは、母を、父を、揺すった。でも、彼らが目を覚ます気配は一向に訪れない。
「薬…いや、違う」
シェリーはゆっくりと深呼吸をする。母に常日頃から言われている言葉が脳裏に過った。
『焦ってもうまくいかないわ。特に、治療の前は必ず深呼吸をして。気持ちを落ち着けてから目の前の人に向き合いなさい』
こんな形で向き合いたくなかったけど……。
頬を伝って涙は流れ続けるし、気を抜けば嗚咽が零れそうになるのだ。だが、そんなことは言ってられない。シェリーはぐっと歯を食いしばる。逃げても何も変わらないし、もう私しかいないのだ。やるしかない。手の平にすべての意識を集中させる。
「女神ルミーナよ。我は貴女の愛を受けた者。貴女の意思を継ぐ者。貴女の力をお貸しください。愛する者を救う、希望の光を、我が手に」
その瞬間、シェリーの翳した手のひらから光が溢れ出した。自分の中の、最大最高の力を全力で思い切り出す。
お願い、どうか―――………!!!
「……シェ、リー?」
ハッと顔を向けると、母がゆっくりと目を開けるところだった。
「お母さん!」
涙で前が見えない中、シェリーは母の手を強く強く握りしめた。
「お母さん!平気?大丈夫?」
「…げて」
「え?」
「逃げ、て。シェリー…。…早く、見つから、ない、うちに……」
「お母さん?どういうこと?それより早くここを出なくちゃ…」
「ようやく見つけましたよ」
その声を聞いたのと同時に、シェリーの意識は途切れた。
◇◇◇◇◇◇
「ん……」
シェリーがゆっくりと瞼を開けると、まず目に入ったのは真っ白な天井だった。窓からは優しい光が差し込んでくる。
『…逃げ、て』
「っ!お母さん!」
意識が途切れる直前の母の顔がフラッシュバックする。弱弱しい手の感触を思い出し、シェリーはがばっと起き上がる。
しかし、そこは炎が燃え広がる村の中でも、家の中でもない。荒くなった呼吸を落ち着けて周りを見渡してみると、ここは今まで入ったこともないような広くてきれいな部屋の中だと分かった。ピカピカに磨かれた床や、本が何冊も入っている大きな本棚に、窓際においてある優しいダークブラウンの色合いの机。すべてが今まで見てきた物よりも高そうな物だった。
「ここは…」
シェリーが室内を呆然と見渡しながらぽつりと呟いたそのとき。ガチャリと部屋の扉が開き、一人の騎士が入ってきた。初めて見るその騎士を、シェリーは体を強張らせながら警戒するようにじっと見る。絹糸のようなホワイトアッシュグレーの髪が、窓から差し込む日に照らされてキラキラと輝いている。翡翠色の瞳を持っている17か18歳くらいのその青年は、シェリーを見るとパッと破顔して、彼女のもとへ足早に向かってきた。
「ああ、よかった!目を覚まされたのですね、聖女様!」
……聖女様?
後ろからカートを押しながら侍女も一緒に入ってきた。流れるような美しい所作でお茶の準備を済ませると、ベッドサイドにあるテーブルにそれらをセットして頭を下げる。
「何か御用があれば、こちらのベルで遠慮なくお呼びください」
去っていく侍女を見ていると、一緒に入ってきた騎士がシェリーの傍までやってきた。
「お加減はいかがですか?」
シェリーはその問いには答えず、ゆっくりと体を起こす。
「ああ、ご無理なさらないでください。3日も眠っていらしたのですから」
「……3日?」
シェリーは顔を顰めながら目の前にいる青年をじっと睨みつけた。
「…ここはどこですか」
「神殿ですよ、聖女様」
「神殿?」
「はい。ヴァムリア帝国にあるルミーナ教の総本山である、レノディア大聖堂です」
「……………?」
「簡単に言えば、首都にある神殿ですよ」
シェリーは今までそれを聞いたことはなかった。ルミーナ教が国教であることは知っていたが、シェリーにとっての神殿は麓の町にある神殿。
そして、首都というのは村から馬車を乗り継いでも20日以上はかかると聞いたことがある。
…つまり、私は今、すごく遠いところに連れてこられたのか。
それも詳しく聞きたいが、今はそれよりも。
「あの!お母さんは?村の人たちはどうなったんですか!?」
先ほども夢に見たばかりなのだ。弱弱しく自分に話しかける母の声を。そして業火に見舞われた村の様子が彼女の脳裏から消えることはない。今も、気を抜くとあの時の光景がありありと瞼の裏に浮かんできてしまう。
溜まっていく涙を必死に堪えて騎士の言葉を待っていると、彼は無情にもその一言を告げた。
「亡くなられました」
「…え?」
「貴女があの村人の中で唯一の生き残りです」
ユイイツ ノ イキノコリ
耳からちゃんと言葉は入ってきているのに、それを理解することを脳が拒絶する。
「あの被害の原因はただいま調査中です。情報が入り次第お知らせいたします」
「聖女様がこうしてご無事でいてくださって本当に良かったです」
「まだお疲れでしょう。お眠りになられてはいかがでしょうか」
死んだ?みんな?イキノコリって何?なんで?昨日までは笑ってたじゃない。なんで、なんでなんでなんでなんでなんで………っ!!
呼吸が短くなる。うまく息が吸えない。
お母さん、お父さん、みんな―――!!
「聖女様!」
シェリーの傍にいた騎士が、背中をさすって口元を覆うように袋を被せてきた。
「この中で呼吸をしてください」
騎士の手を振り払おうとする。しかし、頭をしっかり押さえられ、手が外れることはなかった。
「ゆっくりです。私に合わせて。…吸って…吐いて…」
シェリーのすぐ横で、騎士が呼吸をする。背中をさする手が優しくて、呼吸音が聞こえるようになってくると、シェリーも大分落ち着いた。
「大丈夫ですか?聖女様」
心配そうにこちらを見てくる騎士に、恥ずかしくて気まずくて、視線を合わせないように頷いた。
…だが一つだけ訂正しなければいけない。
「あの」
「はい」
「私、聖女じゃないです」
私が聖女なら、なぜ両親は助からなかったのか。
あそこで放った癒しの力は不発だったのか。
…いや、お母さんと話せたんだ。それはきっとない。
じゃあ、なんで、今隣りにいないの?
「いえ、貴女様は聖女です。それも、歴代最高の力をお持ちになられていらっしゃる」
面白かった!続きが気になる!という、お優しいそこのあなた!!
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