Final 故郷は遠く
視界が殆ど効かない闇が拡がる。漆黒そのもので、新月の夜に鬱蒼とした森の中を歩くような――いや、それ以上の闇に思えた。何も見えなかったが、遥か彼方にぼんやりとした輝きが見えてきた。目が慣れてきたお陰もあり、次第に周囲のものが見えてきた。
大勢の人々が歩いているのが見えた。1人2人に留まらず、かなりの数の――無数と言っていいほどの人々が見えてきた。見回すと視界の彼方から、そして反対側の彼方まで列が続いているのが分かった。地平線の彼方まで続いているかのようだ。その反対側とは、輝きのあるところだ。そこに向け、彼らは歩みを進めている。整然と隊列を組んでいて、何となく何かに操られているようにも思える。人々の隊列は膨大な規模に及ぶと思われるが、驚くほどの静けさに満ちていた。話し声どころか息遣い1つ聞こえて来ない。更に言えば足音も全く響いてこない。彼らは実在しているのだろうかと疑いたくもなる。顔立ちなどは十分に確認できず、ぼやけて見えるだけ。幽鬼のようなものに見えてくる。
彼らはこの世のものなのか? 全ては幻なのではないか――そんな感じだ。
だが俺には分かっていた。彼らは確かに幻ではある、だが確かに実在した存在だ。過去に、この世に生きていた者たちなのだ。
過去に――それは現在には存在していないことを意味する。
隊列の中に見知った存在を感知した。感知するや、彼の姿はまるで浮き上がるように明確となり、顔立ちもはっきりと見えてきた。
――“少年”……15歳くらいの白色人種の少年だ。彼は無骨な鎧を見にまとっている。そうだ、俺は彼をよく憶えている。何故ならば、俺がこの手で殺したのだから……
手を見る、知らずに細かな震えが現れているのを知る。彼を殺した時からこの症状が出るようになっていた。それが何なのか――罪の意識だとでも言うのだろうか? 今でも分からない。ただ……途轍もなく重い何かが俺の内に撃ち込まれたのは自覚している。重く、深く沈殿し……俺の意識に常にこびり付くようになった“何か”だ……
“少年”は俺の方を見ることもなく通り過ぎて行った。やがて姿はぼやけていき、隊列の中に埋没していった。そのまま人々の流れは続く。
彼らは死者の隊列だ。長大な列はまるで大河のような光景を生み出し、闇の中を流れて行く。その先の輝きは――――
あれはあの世への扉のようなものか……あんなところに向かうというのか。どうしてか安らかなものとは感じさせない。地獄の扉なのか? そこに堕ちていくのだろうか……
ならば――と、思う。
ならば俺もいずれあの扉を潜ることになるのだろう。いつの日か必ずあの扉を……その先へ向かうことになる……
俺は殺した……殺し続けたのだ……
堕ちて逝くのに最も相応しいのは……俺なのだ……
――死にたくなかった、それだけだった……
だから軍を選び、何とか食いつなごうとした。だがそれは他人の命を奪うものだった。誰よりも多く、激しく、奪い続ける日々を意味していた……
俺は戦った、戦い続けた。果てしなく、いつまでも……殺して、殺して、殺して、殺し尽くす……それ以外に考えられない日常となってしまった……
いつしか心は枯れ果て、虚ろになっていった。もう何も感じない、何物にも動ずることもない機械となり果てた。それでも……
それでも何かが蠢く。重く、深く、奥底にこびり付く何かが俺を……
審判は下るだろう。いつからかそう思うようになっていた……
西暦2070年6月12日、月面・ティコクレーター――――
〈ナムトム弾、接近!〉
支援AIの警告、視界に全周から自分たちに向けて集まって来る軌跡のグラフィックが現れた。地中を進行する掘削型ミサイル、クレーター外壁の奥から突如出現し(その時点でセンサーに反応が現れた)、地中を進行するにしてはかなり高速で自分たち――第4特殊作戦群に向かって進行しているのが分かった。時速70キロで接近、普通ならば余裕でかわせる速度だが、地下進行弾なので安穏とはできない。
『回避だ!』
三尉は叫び、AIが高速演算によってはじき出した最適回避ルートの情報を特戦群全ての部下に送った。そのまま彼はルートを辿ろうとするが、動きが止まる。進行先の足元の砂礫が激しく飛び散ったからだ。火花を伴っている。
『逃さないというわけか』
敵強化装甲宇宙兵が一斉に銃撃を開始している。その火箭は彼らを直接狙うものではなく、主に足元を狙って進行を阻もうとするものだった。意図は明白だった。ナムトム弾の爆発圏に釘付けにしようというのだ。
『ナムトム弾、接近! 接触まであと10秒!』
支援AIの報告が彼らに焦りを招く。
『ううおぉぉっ!』
『くそったれ!』
『待て――』
何人かが突如として飛び上がった。ブースターのノズルを下方に向けてハイジャンプを行ったのだ。だが、それは過ちだった。三尉は慌てて止めようとしたが間に合わなかった。
飛び上がった者たちに向けて無数の火箭が伸びた。敵からの集中砲火だ。高く飛び上がればいい的にしかならない、当然の結果だ。実戦を重ねた兵士だったはずなので、それくらいは当然理解していたはずだが、追い詰められた焦りが判断を誤らせたのだろう、思わず跳んで逃げようとしてしまったのだ。
撃たれた者たちは弾かれたように後方へと飛んでいき、爆発し――ブースターのロケット燃料に引火したのだろう――火球へとなり果てた。火球からは無数の破片が降り注いできた。肉体部分は焼き尽くされたのか確認はできなかった。
『くっ――』
ブースト制御を細かく変化させつつ、破片を回避。三尉は何とか無傷でやり過ごすことができた。だが、その直後に起きた大爆発からは逃れられはしなかった。
ナムトム弾の炸裂だ。地下から進行したこのミサイルは大量の熱と衝撃波を月面上へと放つものだった。火山噴火かと見紛うような赤々とした溶岩のようなものを月面より噴き上げ、特戦群兵士らを巻き込んだ。三尉も例外ではなかった。
『ひっ、ひいぃぃぃーっ!』
『いっ、やめろぉぉぉーっ!』
『たすけ――』
『――――――――ザッ』
阿鼻叫喚としか言いようのない悲鳴が隊内回線を駆け巡ったが、直ぐに途絶えてしまった。そして何もかもが判然としなくなった。
――いつもそうだ、ずっとそうだった……俺の人生に選択肢など無かったのだ……
視界は悪い、ナムトム弾の炸裂で膨大に土砂と粉塵が噴き上げられ周囲に拡散したからだ。地球の6分の1の重力なので大量に飛び散りでもしたら暫く周囲を漂って何も見えなくなってしまう。月面での土木作業に際してはこの点大いに注意すべきだが、戦闘に於いてはどうにもならない。ゆっくりと降り注ぐ土砂と粉塵が舞う中、ヘタに動くわけにはいかず、三尉はジッとしていた。
――どうなったのか? 電磁擾乱も発生しているので分からない。隊内回線も切れたままだ。生存者が他にいるのか不明、かなり厳しいな……
ナムトム弾には電磁障害を引き起こすチャフが同梱されていたらしい。爆発時に発生した熱の影響と合わせて熱電磁領域での観測が全く不可能となってしまった。そして降り注ぐ――と、いうより漂うと言った方がいいか――土砂や粉塵の影響で光学観測も覚束ない。それでも何とか目を凝らして周囲を見回した、そして思考する。
――要するに俺たちは敵の罠の中に飛び込んだようなものか。ナムトム弾は予め設置されていたようだし、まんまと呼び込まれたのだろうか……
その点は定かではない。使用目的は別だった可能性もあり、特戦群の急襲を受けて急遽使用したとも考えられる。それが見事にヒットしたのは確実だった。爆発の衝撃には偏りがあったらしく、三尉は然程浴びなかったので、彼自身はほぼ無傷だった。だが部隊全体は無事ではすまなかったらしい。
思考を重ねながらも彼の警戒観測は続いていた。現状、敵味方共に動きが全く見られない、状況がまるで掴めなくなっていた。だが――――
〈右後方より接近する存在あり。振動種別により米帝強化装甲宇宙服のものと推定〉
支援AIの報告と同時に三尉は振り向き、右腕を突き出した。拳の先に伸びた黒いブレードが“それ”を貫いた。――と、同時にその姿が明確となった。そこには確かに敵の強化装甲宇宙兵の姿があった。AIの報告は的確だった。振動探知機は悪化した視界の中でも十分機能するという証明になる。
刺し貫いた敵の姿は完全に、はっきりと見えてきた。ブレードは秒間万の単位に至る超振動の刀だ。それが作動したまま対象に突き刺さっているのならば、その振動は対象を際限なく震わせ、次第に激しくなっていく。その影響で周囲を浮遊する土砂や粉塵が弾き飛ばされた結果だ。硬直したまま震える敵を三尉は僅かな間、凝視した。
――そうだ、俺がお前を殺したのだ!
その敵の絶命を確認した三尉は素早くブレードを引き抜き反転、駆け出した。
――振動探知機は至近に敵兵7の存在を感知している。これをまず排除する!
滑るような動作で三尉は至近の敵に襲い掛かっていく。まずは最先頭にいた敵を袈裟切りで葬った。それから後に並ぶ位置にいた敵に向けブレードを振るう。そうして次々と敵を始末していった。この間、彼はブースターは使わず移動している。また火器も使用せずブレードのみで敵を倒している。
土砂と粉塵が舞う環境は敵にとっても視界を塞ぐものであり、探知は難しかった。三尉はこれを隠れ蓑のように使い、敵に悟られずに撃破すべくこうした手段を取ったのだ。敵は混乱に陥るかに見えたが、振動探知機は自分の周囲から敵兵が急速に離れていくのを捉えた。
――集中砲火を浴びせる気か!
予測は的中、周囲に激しい爆発が立て続いた。距離を取った敵は三尉がいると思われるポイントにアバウトながらも銃弾・砲弾を集中的に浴びせて仕留めることを目指したのだ。
息つく暇のない集中砲火は次第に彼の意識を揺らしていった。直撃は免れているが、いつまで続くのか? 意識が遠のき、薄れていくのを感じた。そしてあらぬ声が聞こえ、何やら見えてきた、現実にはあり得ないものだ。そんなものが現れるということは、限界が来たということだった。
――地獄とはこの世にこそ現れるもの、生きているからこそ味わうもの……
戦って、戦って、戦い続けて殺し続けたこの生涯……
報いを受ける時が来たのだろう……
闇が拡がる、隊列を組んで進む人々の群れ――その先に薄っすらとした輝きが見える……黄泉が扉を開き、亡者を招き寄せる……
分かっている、俺もそこに行くのだろう……
遂にその時が来たのだな――――
だがせめてその前に……もう一度あの蒼い世界を……
『はい、遠隔観測情報の通りです。ティコクレーター東の敵は殲滅されています。そして第4特戦群も全滅していました。ただ――』
戦闘の跡を何人もの強化装甲宇宙服をまとった者たちが歩き回っている。デザインから皇国航空宇宙自衛軍の強化装甲宇宙兵だと分かる。彼らが歩き回る間には膨大な数の無人機の残骸と酷く破損していて動かなくなっている強化装甲宇宙兵が大勢横たわっていた。米帝の強化装甲宇宙兵と皇国――第4特戦群の兵士たちだ。
〈第4特戦群は目的は果たしたのだな〉
指揮AIが応えた。
『はい、クレーター東側面の米帝の拠点は破壊されています。これで我が方はこの方面からの進軍が容易となりました』
うむ――と応えるAI、続いてそれは質問をする。
〈それで、部隊長の装甲服は確認できないのだな?〉
問われた兵士は周囲を見回しながら応えた。
『はい、彼だけは確認できていません。どこかに移動したと考えられます。その跡らしきものも確認できました。ただ我々には現在位置は分かりません』
〈そうか〉
『〈管理者〉、彼のビーコンはキャッチできていないのですか?』
〈管理者〉とは、作戦管理局・戦術指揮AIの名称である。
〈うむ、送信が停止されているらしい。よって部隊管理ネットワークには彼の現在位置がアップされていない〉
『となると……』
〈いや、軌道上からの探査網にかかっているものがある。君たち第2特機連隊の東20キロ附近を進行している航空宇宙自衛軍の強化装甲宇宙兵が確認できた。ビーコンはないが、状況から部隊長だと判断できる〉
そのデータが送られてきた。ライブ映像だ。たった1人で移動中の強化装甲宇宙兵の姿が映されている。
『いったい何をしているんだ? どこに向かうつもりなのか?』
映像がズームダウンした。月の赤道方向が視界に入って来た。その一部にレイティクルが重ねられ、その部分が拡大表示された。そこには航空宇宙自衛軍のものとは違うデザインの装備を有した強化装甲宇宙兵や他の地球外陸戦部隊が映し出されている。
〈彼の進行方向の北東にこの部隊がいる。移動中の米帝混成機械化部隊だ〉
『いったいこれは? ここに向かっているのですか? 1人だけで撃破できるわけはないし、彼は分かっているのですか? まさか亡命するつもり? いや、幾らなんでも――』
〈それは不明だ。ただこのままいくと接触は避けられない。それは我が軍の兵士、及び装備の鹵獲の危険性を生む。それは是が非でも避けなければならない〉
そこで速やかに彼を確保、米帝部隊との接触を阻止してもらいたい――これが指揮AIの命令だった。特機連隊は1小隊を編成して、即座に追跡を始めた。
『――……い! ――三尉、応答しろ! 直ちに停止するのだ!』
追跡隊は程なく移動中の装甲兵を発見した。近くで観測して確かに第4特殊作戦群部隊長の三尉のものと確認できた。隊は彼の周囲に展開して呼びかけたが、三尉は全く応えなかった。小隊長は指揮AIに判断を仰ぐ。
『〈管理者〉、彼は全く反応しません。我々など完全に無視して進み続けています』
その声には焦りの色が表れていた。
『〈管理者〉、米帝混成機械化部隊がこちらの動きをキャッチしたとの報があります。このままでは――』
小隊長の言葉の言葉を遮るように指揮AIが言った。
〈処理せよ〉
小隊長は暫し反応しなかった。
〈何をしている? 処理せよ、と言ったのだぞ〉
小隊長は震える声で応えた。
『つまり……殺せ――と……』
〈そうだ〉
月面の平原の上で瞬く光点の数々、静寂の中にありながらも耳を劈くかのような響きを感じさせるものだった――小隊長はそう感じた。
何故こんなことになったのか? 彼は何をしようとしていたのか? その彼を躊躇なく殺せと命じた〈管理者〉――何もかもが理解できず、ただ不快感だけが彼の胸を支配した。
彼は倒れ伏した強化装甲宇宙兵を見つめた。ふと気づいた、その右腕が伸ばされ、指先が何かを指示しているように見えたのだ。その先を見る。
地球が月平線の上に昇っているのが見えた。
――嗚呼、蒼い……どこまでも蒼いそれ……あれは何だったのだろう……? 俺は……俺……は……
「聞いたかよ、おい?」
「嗚呼、ミイラになってたんだってな」
「そう、真空暴露の結果なんだそうだ」
「その状態で奴は移動し続けていたってことか?」
「そんなのあるかよ! 第2の連中が撃ち殺した時に暴露に遭ったんだろ?」
「いや検死の結果ではもっと前、ティコクレーターの戦闘時には絶命していたって話だぜ」
「いや、それって……」
航空宇宙自衛軍・月方面軍・前線司令基地都市ではまことしやかに噂が流れていた。
[死者が動いていた]――、一種の怪談としてその話が都市に拡がったのだ。死んだ装着者の魂が装甲服に乗り移って操ったのだ――と。軍広報部は即座に否定したが、噂はなかなか消えなかった。
追跡小隊が確保した第4特殊作戦群・部隊長・三尉の装甲服は捕獲後、速やかに前線基地に送られた。そこで解除された装甲服内部を見て皆は驚いた。装着者の肉体は完全に干からびてしまっていたのだ。真空暴露の結果なのは一目瞭然だったが、検死の結果は困惑しかもたらさなかった。
死亡時刻は少なくとも追跡小隊が彼を仕留めた24時間前と判断される。ティコクレーターでの戦闘時だ。ではその後のことは何だったのか? 怪談として噂されるのも当然だった。
「死亡時に装甲服の支援AIが制御を引き継ぐ場合があるだろう? AIが機能できる場合に限るが、保護規定条項の発動で傷病者や戦死者の保護のために制御を引き継ぐんだ。この機能は不具合を起こすことが多い」
小隊長は部隊付きのメカニックの言葉に耳を傾けていた。彼の主張はこうだ。
戦闘時の衝撃は計り知れない。攻撃を受けてしまった場合、大破せず行動が可能な状態だったとしても、どんなダメージが残っているのか分からない。つまり支援AIが不具合を起こすことだってある――ということだ。
第4特戦群部隊長の三尉はティコクレーターでの戦闘で死亡した。死因は出血多量と窒息。装甲を破られ真空暴露に遭ったためだ。だが装甲服の歩行機能は残っていて、装着者のバイタル消失を確認した時点で支援AIが制御を代わった。保護規定条項が発動してAIは装着者を近隣の友軍駐留ポイントのどこかに運ぶはずだった――――
だがここで何らかの不具合が生じた。それがあの不可解な行動の意味だ――彼は説明を終えた。
小隊長はどこか釈然としなかった。あの月平線の先を指した指先が気になって仕方がなかったからだ。それは地球を示していたと彼は感じていた、強く――だ。
彼は窓の外に目を向ける。ちょうど今もその蒼い星は見えている。じっと見ていると、それだけでどこか胸を締め付けられるような気がしてきた。
――生命の存在など欠片も許さない真空の世界で、生命を奪う行為を続ける俺たち強化装甲宇宙兵。いつまでも戦い続けるだけの毎日に心がすり減らされていく。気が付くと故郷を思い出すこともなくなっていた。あの世界はあまりにも遠くなってしまった……
だが……彼は死に際して思い出したのかもしれない――――
「強く想ったんじゃないかな……」
――帰りたい!
予想通り全然ダメだった。
これ以上どうにもならんので、もうやめよう。