#3 蒼き輝きを前にして
〈2次加速終了、このまま慣性飛行を7分継続し、パーキング軌道に到達します〉
兵員輸送シャトルの飛行制御AIからのアナウンスが流れた時、身体にかかる荷重が消えた。代わって訪れたのが浮遊感だった。加速Gが消えて無重量状態になったのだ。訓練で何度も経験していたが、やはり“本場”のそれは一味も二味も違うと感じさせた。俺はこの浮遊感を存分に味わってみたくてシートのロックを外そうとしたが――――
〈離席は認められていません。このまま座り続けていて下さい〉
脳内に支援AIの声が流れた。そして身動き一つできないことに気づいた。結局俺はシートに縛り付けられたままだった。外部から強制的にロックされていて、装甲服がピクリとも動かなかった。だが頭は動かすことができるので、それで周囲を見回した。
似たような外観の無骨な鎧に身を包んだ者たちの列が見える。強化装甲宇宙兵の部隊員だ。静止衛星軌道上の航空宇宙自衛軍の基地に向かうところだ。カーゴベイを改装した装甲服を固定するブロックに俺たちはいる。その固定された強化装甲宇宙服の中に押し込まれた状態でだ。
「ちっ、別に出撃するわけでもねぇのに、何で今から装甲服に押し込まれにゃならんのだ?」
誰かが悪態をついている。ヘルメットの気密バイザーが開けられているので、肉声としてカーゴベイに響いている。
「常在戦場とか、何かそういう発想なんだそうだ」
別の誰かか応えている。どこか投げやりな言い方だ。
俺たちは地上から静止衛星軌道の基地まで移動しているわけだが、この時はシャトルの乗客のようなものだった。そんな状況で装甲服の着用を強制されるのはどういうことなのか――と彼らは言いたかったのだ。着たままではいたくないのだ。これはいつ攻撃があるか分からないという現状を反映したものだが、過度なものにどうしても見えてしまう。
装甲服の内部は高度な閉鎖環境が維持されていて、快適さで劣ることはない。ヘタな外部環境に晒されるよりも余程いいものだと言われる。だが、それでも息が詰まる感覚がある。
強化装甲宇宙服は外部環境から装着者を物理的に切り離すことができる。制御システムと神経接続し、センサーからの情報がダイレクトに脳に送られ、感覚のフィードバックが行われるので実際は――感覚的に――切り離されるわけではない。それでも、“閉じ込められた”――と感じるのだ。それは俺も同じだった。
これは“慣れ”の問題だ――と、訓練教官は言った。超自我領域と呼ばれる深層意識の奥底にまで接続される〈サイバネティックメカニクス〉の神経接続は装甲服を自身の肉体も同然に感じさせる。接続を何回か繰り返せば、いずれ閉塞感は消える。その後は逆に開放され過ぎる感覚に襲われることもあるので気を付けろ――などと言われた。
突如視界に蒼い光が飛び込んで来た。その元に自然と眼が向かう。窓の外にそれはあった。
「地球……」
視界の大半を覆う巨大な蒼い惑星の姿だ。まだ高度数百キロ程度のため球体として見えることはないが、それでも大きく弧を描いた縁が見えるので、ここが高高度を超えた低軌道なのだと理解させる。俺たちはこの低軌道を慣性飛行の状態で赤道上空まで移動し、その後再び加速噴射を行ってホーマン軌道に遷移して静止衛星軌道上の航空宇宙自衛軍の基地へと向かう。
「日本列島だ」
右上から地図や写真などで何度も見た列島の姿が見えてきた。列島は見る間に視界の中央に全体像を現す。秒速8キロほどで周回しているので目まぐるしく光景が変わるのだ。
――俺はあそこからここまで昇ってきたのだな……
別に感慨を感じたわけでもなかった。ただ事実を機械的に認識しただけのようなものだ。目は向けたまま、思考する。
――離れられればせいせいするだろうと思っていたが……
家族を失い、浮浪児に堕とされ地べたを這いずりまわることを強いられた世界だ。ロクな思い出はない。だからお別れできてスッキリするだろうと思っていたのだが……
軍に入隊後、半年の訓練期間を経て俺は前線に送られた。その最初の任地が地球外――静止衛星軌道と知った時は些か驚いた。入隊間もない20歳にも満たない子供がいきなり最重要戦略拠点の1つである静止衛星軌道基地なのが予想外だったのだ。
経済復興を成し遂げた皇国はその目を海外に向けるようになった。だがそれは周辺国への侵略を意味するものではなかった、かつての大日本帝国とはここが違う。皇国の目は宇宙に向けられていた。
大戦前より地球レベルでの環境悪化は続いていて、地殻変動の活発化とも相まって地球上での産業経済活動には大きな制約が表れていた。周辺国を手中に収めたとしても余り大きな利益にならないことは明白だった。
だが宇宙は違う。未だ未踏のフロンティアであった真空の世界はただそこに到達するだけで大きな利益を上げるものだった。それは軍事的にも大きな意味を持っていた。
軌道を制する者は世界を制する――皇国は軍を筆頭に宇宙進出を開始した。国を挙げた大事業の開始だった。西暦2065年の暮れの話だった。
軌道を征し、月を手に入れ、そして火星、木星――太陽系全域へと乗り出すのだ――――
新フロンティアへの夢は大仰なプロパガンダの効果もあって国民の多くを酔わせた。大戦の痛手とその後の全体主義統治により鬱積していた国民の気持ちを晴らすには十分なものがあった。熱狂的な歓呼を受け航空宇宙自衛軍の兵士、装備が次々と打ち上げられたのである。
だがそれは、争いを宇宙に拡げただけだった――――
宇宙進出への野望は皇国だけが抱いていたわけではない。大戦を生き延びて再興を果たした国家の大半は同様の道を歩んだ。誰もが競って軌道上を目指したのだ。それが新たな衝突を宇宙で生み出すこととなった。
宇宙開発競争は軍備開発の一環なのは別にこの時に始まったものではない。20世紀後半の米ソ冷戦期の記録が証明している。冷戦後も本質は変わらず、一時は民間開発が進むかに見られたが、大戦が歴史を巻き戻した。2060年代後半のポスト大戦期の宇宙開発は例外なく国家主導の軍事的色彩の強いものとなっていた。
当然ながら衝突は起きた。軌道上の権益を獲得し、守るために他の勢力を力づくでも排除しようとする動きが起きたのだ。政府間の話し合いで調整しようとする努力も行われたが――これは大戦後の空気なのか、或いは価値観の転換なのか――力の行使に対する忌避感が薄く、敷居が低くなっていた。比較的簡単に武力衝突に発展するようになっていたのだ。
第三次世界大戦は終わっていない、未だ続いているのだ……
そんな風に言う軍事評論家や歴史学者などの声もあった。宇宙での衝突は言わばフェイズ2とでも言うべきもの、新たな戦争のステージが開幕したのだ――と。
2060年代後半に成立した有力新国家群は大半は全体主義体制だ。軍事力行使に対する抵抗感が少ないのかもしれない。国民を意のままに操るシステムを構築した為政者たちには都合のいいものなのかもしれない。
――戦争の記憶は生々しい、厭戦気分は社会を覆っている。それは為政者どもも変わらないと思うのだが……
戦時は継続したままだったというのなら、為政者の意識も同じならば……武力行使は避けられないと思考しているのかもしれない。嫌でもやらねばならないと意識しているのだろうか?
犠牲者は今も増え続けている、軌道の闇の中で日々刻々と。兵員不足は常なる課題で、新兵の投入は避けられない。俺みたいな子供がいきなり軌道上に送られるのも当然なのかもしれない。
蒼白い輝きが急速に薄れ、窓外は直ぐに闇に覆われてしまった。夜半球に達したのだろう。いや、全くの闇ではない。星の光のような光点が地球上のあちこちに見える。都市の照明が生み出すシティライトだろう。他に船舶や工業プラントなどの輝きが見える。
大戦から数年――4年ほどだったか――に過ぎなかったが、人類の経済活動はかなり活発になっているのが分かる。ただこれでも戦前に比べれば半分程度と言われていた。復興半ばということもあるが、経済活動の主体が宇宙に移りつつあることも関係している。完全復興したとしても地球上での活動はかつてのレベルには戻らないのだろう。
俺は窓外から目を離し、機内に向ける。
無骨な鎧に身を包んだ奴らが並んでいる。俺と同期の新兵どもだ。こいつらと一緒にいずれ宇宙の戦場に駆り出される――――
そこで思考が止まった。
〈兵員輸送シャトル〈韋駄天〉前方約1200キロの軌道上に高速飛翔体の存在を確認。彼我の相対速度から接触まで約150秒と予測される〉
飛行制御AIからのアナウンスは皆に動揺を与えた。
「飛翔体? 何だ? デブリなのか?」
観測情報が皆の脳内に送られた。よって彼らは全員その正体を知る。
「これは……機動爆雷じゃないか!」
刺々しい突起を全面に備えた球状の物体が編隊を組んで飛行している。その進行方向はまっしぐらに俺たちの乗るシャトルに向けられているのが分かった。
「おいっ、どういうことだ? 何で新兵ばかり乗るシャトルが狙われるんだよ?」
「新兵云々なんて関係ねぇっ! 兵站を断つためにやってんだろーよ!」
こんな感じで軌道上に潜み、上昇してくる往還機を狙う無人機は数多くある。敵の兵站を断つために必須の戦術なのだ。航空宇宙自衛軍も同様の作戦を常時展開している。
俺たちはこの時見つかってしまって――たまたまなのか、或いは地上から離昇した時からずっと監視されていたのか――攻撃対象にされたのだろう。
〈総員、強化装甲宇宙服の気密閉鎖! 戦闘起動せよ!〉
ガコンという音と衝撃、装甲服と座席を繋ぐロックが解除されたのだ。身体が宙に舞いかける。ロック解除が僅かに応力を与え装甲服を押し出した。無重量環境なので重厚な装甲服でもフワフワと漂い出すのだ。
〈対軌道兵器防御戦闘装備、個人用長射程電磁投射砲、選択!〉
全ての装甲兵たちが動き出した。カーゴベイの前後に向けて、二手に分かれて一斉に駆け出した。その動きには一切の無駄はなく、乱れもない。
訓練の成果なのだろう。全員新兵だが、百戦錬磨のベテランのように淀みなく動いている。もちろん本当のベテランから見れば無駄だらけに見えるのかも知れないが、新兵だった当時の俺には実に見事なものに見えたのだ。
彼らは前後のエアロックに飛び込んだ。隔壁は瞬時に閉鎖、いつでも宇宙空間に出られる態勢が整えられた。だが直ぐには開かれない。前後のエアロックでそれぞれ10名ずつ、総勢20名の装甲兵が待機する。
エアロックの床面から細長い筒状体がせり上がってきた、兵士個々の目の前にだ。視界に情報表示が現れる。これが個人用長射程電磁投射砲、人間の身長より僅かに大きいだけの代物だが、これは秒速10キロに及ぶ超高速弾を撃ち出す電磁エネルギー兵器だ。個人装備だが宇宙兵器の全種でも最強に位置しており、この時のような長距離狙撃作戦に於いては絶大な意義を持つ。
〈気密解除! 総員、位置につけ!〉
エアロック内の空気はロクに排出されることもなくいきなり開閉扉が開けられた。そのため猛然たる突風が発生し、内部の兵士たちが飛ばされていく。だが彼らは特に翻弄されることもなく、寧ろ突風を利用して上手く機外に出て行った。初出撃のはずだが巧みにコントロールしている。こうした状況を想定した訓練を重ねていたのだ。
音響のある領域から一変、一転して無音の世界が拡がった。俺は振り向いてエアロックの出入り口附近を見た。キラキラとした輝きが開閉扉附近に現れていて急速に拡大しているのが見えた。エアロック内の空気中に存在していた水蒸気が真空暴露の影響を受けたものだ。エアロック開閉扉はこの時影の部分にあったので、絶対零度に晒されて凍結したのである。
兵士たちはシャトルの上下(地球側を“下”、反対の宇宙側を“上”と便宜上設定)に展開し、両足を接触。電磁クランプを起動させて足場を固定させた。
〈距離700キロ、接触まで87秒〉
AIから軌道要素の詳細が流れて来て、リアルタイムで更新されている。
『FCS、思考制御連結と接続、軌道要素情報と連動! 多重照準固定!』
30に及ぶレイティクルが視界に現れた。その中に標的となる機動爆雷が映る。この照準に従って次々と電磁投射砲を撃つのだ。
『くそったれ! 全数が1000に迫っているじゃねぇか! こんなの俺らだけで墜とせるのかよ?』
誰かが悪態をついている。その通りだ、出現した爆雷は見る間に数を増していき、今では983に達している。これを20人の新兵によって墜とさねばならないのだ。
――1人で一度に30程度が限界、残り80――いや、もう60秒くらいか――その間に全てを撃ち落とすのは確かに困難だ。撃ちもらすものも確実に出るだろう。シャトル自体からの迎撃もあるから、多少は何とかなるか? いずれにせよ、極めてシビアな状況だ。
――いつもそうだ、ずっとそうだった……俺の人生に選択肢など無かったのだ……
『ふぅ……』
知らずに息が漏れる。それに従い意識が静寂に包まれていくのが分かった。
――妙なものだ、これから命を懸けた戦闘を行おうというのに、逆に心が落ち着いていくとはな……
警報音が脳内に鳴り響いた。今すぐ撃てという催促のようなものだ。俺は静かに――本当に静かに発砲指令を電磁投射砲に送った。
間髪入れず、無数の閃光が暗黒の虚空に瞬いた。まだ数百キロ離れているはずだが、直ぐ目の前で弾けているように見える。
――た~まや~、てか?
幼いころ、大戦前、隅田川で見た花火大会を思い出した。あれに似た光景になっていたからだ。10年ちょっと前の記憶だが、途轍もなく昔のもののように思える。
〈撃破数、532!〉
AIからの報告、全ヒットなら600になるはずだが、やはり外したものがある。仕方がない話だ。静止しているように見えるが実際は秒速8キロを超える軌道速度を維持した状態下で相対速度10キロに達する物体を墜とそうというのだ。地球の重力や地磁気などの影響もある。微妙な誤差は修正し切れず、数百、数千キロに達するスケールである宇宙空間での戦闘では絶大な影響をもたらしてしまうのだ。
完全無欠などない、次の手を常に考えなければならないのだ。
俺は次弾を装填、すぐさま発射した。そうして連射を始める。他の兵士も同様だった。シャトル近辺は電磁投射砲の集中起動の影響を受けて高磁場の領域に包まれていった。微小な宇宙塵が帯電したのだろうか、彼らはぼんやりとした蒼白い光輝に包まれていく。
射撃を続けつつ、俺の意識の一部は目前の戦場から離れて行った。それは眼下の地球に向けられる。それを見ていると奇妙な感情が沸き立ってきた。
――何だろう、この気持ちは? 何かが胸に迫るようなこれは……
それが分からない。探ろうと意識するが、ここで思考は終わった。
右手方向に大きな爆発が起きた。その煽りを受けて俺は宇宙空間に投げ飛ばされてしまった。激しくロールし、視界が回る。直ちに装甲服全身に装備されていた高機動バーニヤを噴射して運動制御にかかる。だが激しく乱雑に満ちたロール運動の消去は難しく、なかなか回転が収まらなかった。全てが終了したのは10秒後くらいだったが、まるで何年も回り続けていたように感じた。
姿勢を落ち着かせた後、装甲服の空間位置センサーを表示して自身の現在位置を確認、シャトルからは10キロほど離れたところにいる自分を発見した。シャトルのあった位置にはぼんやりとした赤黒い霧のようなものが拡がっているのが見えた。完全に破壊されていると理解できる。やはり機動爆雷の撃墜は完遂できず、一部がヒットしてしまったのだ。
『たった10秒で10キロか。シャトルの進行とは別ベクトルで飛ばされたのだな』
やはり秒速でキロメートル単位に達する速度下で行われる衛星軌道上の戦闘はスケールが違う。
――友軍は?
“霧”から自分の現在位置までを広域スキャンした。すると細かな飛翔体がてんでバラバラに飛んでいるのが確認できた。幾つかに光学望遠センサーを向けて理解した。
『ダメだ、少なくとも奴らは死亡している』
目に映るものは無数の破片と力なく漂う(実際は軌道速度という高速で飛行している状態なのだが、見た限りでは漂っているように見えた)装甲兵だ。破片はシャトルの構造材と機動爆雷の成れの果てだ。確認できた装甲兵の姿は酷く歪んでいて、鎧が破壊されているのが分かる。ほぼ確実に中の人間も絶命しているだろう。
『これは……全滅なのか……』
全天観測をしない限り断言はできない。だが友軍マーカーの受信は全くなく、少なくとも有効な送信機能を維持した装甲兵が生存していることはないと思えた。機能が消えかかりながらも、ギリギリの状態で生きている兵士はいるかも知れないが、ここでは分からない。
また1人だけ生き残ったのか……
姿勢を変えて目を地球へと向けた。自然と意識は過去の光景を呼び出す。
焔の街、狂った暴徒ども……
ここでも同じことを繰り返すのか……
動くものが何1つ無くなった虚空の只中で俺は力なく漂うだけだった。数百――或いは数千キロに渡ってかもしれない――命ある者など1人も存在しない領域に取り残された。
――いつもそうだ、ずっとそうだった……俺の人生に選択肢など無かったのだ……
地球を見つめる、ひたすら見つめる――それしかすることが無かった。
この後、丸1日経って俺は救助された。あのシャトルに搭乗していた新兵の中で生き残ったのは何と俺だけだったのだと、その時知った――――
4年前、初出撃の時の話だ。