第四十二話「基地」
「――」
長い長い沈黙を挟んで父が出した結論は。
「分かった。君を使用人として雇用しよう」
「お父様……!」
「ありがとうあなた! 愛してるわ!」
「ソニア、落ち着いてくれ。公衆の面前だ」
感極まって飛びつこうとする母をなだめる父。
さすがに騒ぎすぎたためか、遠巻きに人々の視線が集まってきている。
それらを気にしつつ、父はこほんと咳払いをした。
「細かな条件については家で話そう。ノーラ、彼女に外套を。その格好では目立つ」
「かしこまりました……!」
セラの華美な入学用の服を、使用人用の外套で包む。
ノーラも鼻をすんすんと鳴らし、今にも泣きそうな表情だ。
「ありがとう。レイラ妹の使用人さん」
「よかったですねセラ様……本当に……えぐ、うぐぅ」
「もう公爵令嬢ではないのだから、様付けで呼ぶ必要なんてないわ」
――私がずっと素だと思っていたあの険しい表情のセラは、公爵令嬢としての仮面だったのだろう。
すべての重圧から解き放たれた今が、本当のセラの素顔なのだ。
「セラ」
「……レイラ」
「改めて言わせて頂戴」
お姉様はセラに、すっ、と手を差し伸べた。
「私と、お友達になってくれる?」
「……はい。こんな私で良ければ」
一度は拒絶したその言葉を、セラは握手と共に優しい笑顔で受け入れた。
それらの光景を視界に収めながら、私は小さく拳を握った。
(入学式のイベントは、これでクリアだ……!)
公爵令嬢の立場を失ったセラは、見る人によっては不幸かもしれない。
しかし彼女の表情を見る限り、公爵令嬢であるかどうかは些末なことのようだ。
「お父様っ」
「ソフィーナ」
私は父の傍にてくてく近づき、にぱ、と微笑みかけた。
「提案を受けて下さりありがとうございます。お父様の懐の深さに感激しました」
「そうかそうか。ところでソフィーナ」
「はい、なんでしょう」
少しだけ満足そうな笑みを浮かべた後、父はおもむろに私の頭を、わしっ、と掴んだ。
「家に帰ったら少し話をしよう。盗み聞きをしていたことに関して、言っておきたいことがある」
続けて父はノーラを呼びつけ、彼女の頭も、わしっ、と掴んだ。
「ノーラ。君もだ。親善試合の時間を意図的に間違えたことに関して、少々聞いておきたい」
表情こそ場の空気を壊さないよう笑顔を保ってはいるが、内心ではその反対の感情が渦巻いているらしい。
気のせいだと思いたいが、指が頭蓋に食い込む痛みが妄想に逃げさせてくれない。
「ええと……」
「はは、あはは……」
私とノーラはどちらともなく視線を合わせ、力なく笑った。
▼ ▼ ▼
「そっち終わったか」
「うん」
「よし。あとは備品だな」
「地下はどうする?」
「どうせ今日では終わらないから、明日にしよう」
「分かった」
――入学式の翌日、私とノーラは使っていない離れの掃除に勤しんでいた。
これが父から与えられた「罰」だ。
今は春の季節。
昼間は暑すぎず寒すぎずで快適に過ごせるが、これだけ体を動かせば話は別。
手の甲で額を拭うと、じっとりと汗がにじんでいた。
こう見えて掃除は、令嬢に対する罰の中ではそこそこ重いほうに分類される。
教育方針によってはスプーンより重いものを持たせないような家もある中、汗が滲むほどの労働をさせられるのだから。
ついでに使用人と同じことをさせている、という点も多くの令嬢にとっては屈辱だろう。
幸いにもイグマリート家は重いものを持つなとか過激な運動はするな等の教育方針ではないが、ここまで汚れた部屋を綺麗にするのはなかなかの重労働だ。
(ま、一人じゃないだけマシだな)
ノーラの背中を見ながら、私は唇の端を持ち上げた。
「一時はどうなることかとドキドキしたけど、うまくいって良かったね~」
罰を受けているとは到底思えない表情をしながら声を弾ませるノーラ。
一人だったら鼻歌でも歌いそうな様子だ。
「前回の失敗を踏まえて、あらかじめソニアさんに同行してもらったんだけど……なかなか話がまとまらなくて焦ったよ」
「よく母を説得できたな」
「最初は断られたよ。『妻が夫の隣にいないなんてありえない』って。だからこう言ったの」
――万が一、レイラ様の入学式に間に合わなかったらレブロン様は一生に一度の機会を逃します。ですが、ソニア様だけ同行していれば、ソニア様を通じて入学式の様子を聞くことができます。傍にいたいというお気持ちはよく理解できますが、今回はリスクを分散する方に動く方がレブロン様のためになるかと思い、提案させていただきました。
「うまい言い方だな」
母の行動原理は「父のためになることをする」。
それを実に的確に突いている。
「父を呼んできたのも機転が利いていたな」
「私は大したことはしてないよ。ソフィーナが正しい選択肢を選んでくれたから、今があるんだよ」
「いいや。今回は……いや今回もお前のおかげだよ」
ノーラが場を整えてくれなかったら、あの選択肢は出ていなかったと思う。
「ふふーん。何と言っても私はソフィーナの相棒だからね」
えへんと胸を張るノーラ。
実に頼もしい。
頼もしすぎて、私の存在が霞みそうだ。
「そういえばここって、ソフィーナが秘密基地にする予定の建物だよね」
「ああ」
「レブロンさんはここをレイラにあげちゃうって言ってたけど、いいの?」
私がかつて作戦を立てるための基地として使っていた離れ。
ここは昨日、正式にお姉様に譲渡された。
魔法科を専攻したのだから、研究のための場所が必要になるので当然と言えば当然だろう。
今から私が貰うような流れにしてしまうと、お姉様の邪魔をすることになってしまう。
それは本意ではない。
「いい」
「けど……」
「基地なら他にもあるだろ」
磨いたランプを光に透かして残った埃を確認しながら、私は答えた。
「どこ? ……あ、石橋の下とか?」
私は無言でノーラを指差した。
「……私?」
「ノーラが隣にいれば、どこでだって作戦が立てられる」
ノーラさえいれば極論、場所なんてどこでもいい。
石橋の下、自室の中、庭の東屋。
そういった意味では、固定の場所はもう必要ない。
「だからこれからも隣にいてくれよ」
「……そのセリフ、なんだか告白されてるみたい」
「はぁ?」
「私が攻略対象だったら落ちちゃってたかも」
両手を頬に当て、くねくねするノーラ。
汚れた手で触ったせいか、頬に黒ずみが移っている。
その様子を半眼で眺めながら、一言。
「きも」
「きも!? ひどいよ~!」
雑巾をぶんぶん振りながら喚くノーラ。
「いいから手を動かせ。夕方までには終わらせるぞ」
「私のほうが掃除してる部分多いけど」
「ぐふっ」
痛いところを突かれ――というか、単に自爆しただけだが――、私はうめいた。
さすが本職と言うべきか、ノーラの掃除は実にてきぱきとしていた。
私が一の範囲を掃除している間に、彼女は三の範囲を終わらせている上、私よりも綺麗に仕上げている。
戦うこと以外、本当になんでもできるやつだ。
ここまで来るとほぼ万能のチートキャラに思えてくる。
いや、私ができなさすぎるだけか……?
「調子に乗ってすみませんでした」
「冗談! 冗談だから本気で謝らないで!? ほらソフィーナが磨いたランプ、すっごくピカピカ!」
気分が落ち込みはじめる私を励ますように、ノーラが褒めてくれる。
背中をさすってもらうと、沈んでいた気分が戻ってくる。
「ソフィーナ、普段はオラオラしてるのに自己嫌悪しやすいってギャップがすごいよ。あとヤンデレだし」
「誰がヤンデレだ。それ言ってるのお前だけだろ」
そんな風に二人で騒いでいると――。
外に繋がる扉が開いた。
父が様子を見に来たのかと身構えるが、入ってきたのは意外な人物だった。
「お邪魔するわよ」
姿を見せたのはセラだった。




