第二十二話「秘密兵器」
「……」
セラがゆっくりとした、けれど優雅な所作でティーカップに口をつける。
その様子を、私は胸をドキドキさせながら見守っていた。
「……じろじろ見ないで」
「あっ、申し訳ありません」
味の感想が気になって、つい食い入るように見てしまっていた。
さっと視線を逸らしながら、尋ねる。
「お味のほうはいかがでしょうか」
「……まあ、ましにはなったわね」
「っ。ありがとうございます!」
六日もかかったけれど、ようやくセラを満足させられる味を出すことができた。
嬉しさのあまり、ガッツポーズを取ってしまう。
「この程度で喜ばないで。あくまでも『まし』になっただけだから」
「はい。今後も精進します」
セラの味覚はすごく独特で、かなり渋い味が好みみたい。
(ガイウスに相談してよかった)
セヴェリウスの専属使用人、ガイウス。
彼からセラの好みを聞かなかったら、この味には絶対してない。
普通の人だったら怒り出す――それくらい渋くしてある。
ガイウスに騙されてたらどうしよう……なんて、心臓が破裂しそうなくらいドキドキしていたけれど、素直に従って良かった。
「夕食まで読書するから。下がりなさい」
紅茶を飲み干し――本当に気に入ってくれてるみたい――、セラはいつものように背を向けて本を手に取った。
「まし」の評価はいただいたけれど、やっぱりまだ気を許してくれている素振りはない。
入学式は明後日だ。
朝になったらソフィーナがループを発動させてしまう。
「セラ様。入学式も近いことですし、良ければ当日の打ち合わせをさせていただけないでしょうか」
「必要ないわ。その辺りはライザに任せているから、彼女と話してちょうだい」
「もちろんライザさんからも伺っておりますが、やはりご本人でしか分からないことも――」
「読書の邪魔なの。口に出して言われないと分からない?」
取りつく島もなく拒絶された。
これ以上粘っても機嫌を悪くさせるだけなので、しょぼんとしながらティーセットを片付ける。
そこで、あることに気がついた。
「セラ様。お菓子は召し上がらないのですか?」
紅茶と一緒に用意したクッキーが手つかずのままだ。
前は紅茶の味が気に入らないから食べなかったと思っていたけれど……。
「私、甘いものが苦手なのよ」
「そうだったんですね」
初耳だった。
どうやら紅茶と同じく、デザートも口に合わないらしい。
「お口に合うものがないのではありませんか?」
「そうなのよ。甘い以外のお菓子があったら良いんだけど」
「例えばですが、どのような味がお好みでしょうか」
「そうね。辛いものとか、ちょっと苦めのものとか……」
そこまで言ってから、セラは、ハッ、と我に返った。
「どうでもいいことを聞かないで。さっさと下がりなさい」
▼
「辛いお菓子と苦いお菓子かぁ」
それを用意できればセラを満足させられる。
満足してくれたら、もっと気を許してくれるかもしれない。
真っ暗な暗闇の中、一筋の光が差したような気がした。
……けれど、セラが求めているものは簡単に用意できない。
クレフェルト王国に流通しているお菓子はみんな甘いものばかりだ。
というか、この世界には甘い以外のお菓子は存在しない可能性がある。
外国に行けばあるかもしれないけれど……少なくとも、公爵令嬢でも「あったらいいな」とぼやくくらいには珍しい品物だと思う。
「――だったら、作っちゃえばいいんだ」
前世でたくさんY●uTu●eを見ていたおかげで、辛いお菓子のレシピも一応は頭の中にある。
苦いモノに関しては……シナモンたっぷりのシナモンクッキーとかがいいかも。
善は急げだ。
さっそく厨房を借りられないか聞いてみよう。
▼
コックさんにお願いすると、あっさりと使用許可をもらうことができた。
けれど……。
「ない……」
肝心の材料が全然ない。
香辛料はもちろん、シナモンすらも。
話を聞くと、以前勤めていたコックさんがスパイスとして香辛料を入れたことにウェルギリウスが激怒して、そのコックさんを酷い目に遭わせたとか。
以来、間違えて入れてしまわないように厨房では取り扱い禁止になっているらしい。
セラの専属使用人の間は外に出られない。
せっかく解決できそうな糸口を掴んだのに……。
(こっそり外に出る? ……いやいや、現実的じゃないよ)
シナモンはその辺でも売っているけれど、香辛料はそう簡単に手に入らない。
私が知る限り、買える場所は一つしかない。
『セラの口に合うお菓子を作る作戦』は、早々に止まってしまった。
「……」
残りあと二……ううん、一日半もない。
その間にセラと距離を縮められる手は他にない。
けれど、今の知識を持ったままやり直せれば……。
もっと早くセラの懐に入ることができる。
私は悩みに悩んだ末、ソフィーナがくれた匂い袋を手に取った。
紐を外し、それをぶわっとばらまく。
一回で情報を持ち帰ってみせる――なんて豪語しておきながらこの体たらく。
まだ私はソフィーナの相棒とは言えないのかもしれない。
少し時間を置いて、視界にノイズが混じり始める。
ソフィーナに合図が伝わったみたいだ。
戻ったらすぐに謝ろう。
それだけを決め、私は目を閉じた――。
RESTART
▼ ▼ ▼
「大丈夫か!?」
「……へ?」
セーブポイントに戻って開口一番、ソフィーナは私を揺さぶった。
「何があった、何をされた、誰にされた!?」
「お、落ち着いてソフィ――いえ、ソフィーナお嬢様」
今回のセーブポイントは私がレイラの萌えを浴びて卒倒したところだ。
もう少しちゃんとしたところでセーブされてほしかったけど、勝手にセーブポイントが更新される以上、仕方がない。
とにかく、そういうシーンなので、当然ながらソフィーナの家族の目がある。
「ソフィーナ、急に大声を出してどうしたの?」
レイラが怪訝そうな目を向ける。
彼女のご両親も同じような表情だ。
「落ち着いてソフィーナ。みんなの前だよ」
「――っ」
他の人に聞こえないよう、ソフィーナに耳打ちすると、ようやく我に返ってくれた。
「すみません。少し二人で話がしたいので、ちょっと席を外します」
かなり強引なごまかし方をしつつ、ソフィーナは私の手を引いて自室に戻った。
▼
「で、誰に何をされた」
いつもより低めの声で、ソフィーナ。
どうやら私が匂い袋を撒いたのは、危ない目に遭ったからだと思っているらしい。
「何もされてな――くはないけど、大丈夫だよ」
「引っかかる言い方だな」
リネアのことが頭に浮かんだけれど、今はそれは脇に置いておく。
私はループの合図を出した経緯を説明した。
「――という訳で、もう一度やり直した方がいいと思って。ごめんなさい」
「どうして謝るんだ?」
きょとんとした顔のソフィーナ。
私の前ではキリッとしていることがほとんどだから、こういう顔を見るのは珍しい。
「一回だけって言ってたのに、結局何も掴めなくて」
「いや、すごいことだろ」
「え?」
「初回で次に繋がる情報を掴めてるじゃないか」
「けど……」
「今までさんざん私のループに巻き込んでるんだ。百回くらい失敗してもらった方が釣り合いが取れるくらいだぞ」
ははっ、と軽く笑ってから、ソフィーナは私の肩に手を叩いた。
「頼りにしてるよ。相棒」
「……ソフィーナ」
ソフィーナの手を通して、もやもやしていたものが、すぅ――と抜けていく気がした。
私はどうしてあんなに焦ってたんだろう。
危ないお屋敷にたった一人で潜入したから、弱気になっちゃってたのかもしれない。
私がソフィーナを思っているのと同じくらい、ソフィーナも私のことを思ってくれている。
今までのイベントとか、すれ違いとかを通じて分かってたはずなのに、やっぱりどこかで疑ってしまってたのかも。
「ごめん! ちょっと弱気になってた」
ぱちん! と両手で頬を叩く。
じんじんとした痛みがほっぺたに広がり、その分意識がシャキッとする。
「今度はもっとうまくやってみせるよ」
両手を握り、決意を新たにする。
「――それで、なんだけど。潜入までの間に用意したい物があるんだ」
▼ ▼ ▼
下準備を済ませてから、二度目の潜入を行う。
基本的には前回のループをなぞるように進んでいく。
リネアとのトラブルはできれば避けたかったけど――セラとの出会いがズレると行動パターンが変わるかもしれなかったので、勇気を出してそのままにした。
「粗相を働いたことに関してはそれで済ませてあげる。以後、気を付けなさい」
セラに痣のある場所をぐにっと押され、その場にうずくまる。
痛みにあえいでいる間にベルが鳴らされ、ライザさんがやってくる。
「お呼びでしょうか」
「彼女を手当てしなさい。このままじゃ使い物にならないわ」
「畏まりました」
そっと肩を抱かれ、別室に移動を促される。
「あの」
立ち去り際、私は深く腰を曲げた。
前回はお腹の痛みで忘れていたお礼をする。
「リネア様の魔法から助けていただき、本当にありがとうございます。セラ様はとてもお優しい方ですね」
前回のループでガイウスが言っていたみたいに、セラが私を守ったのは自分のためだ。
けど、理由はどうあれ私は助けてもらった身だ。
きっと塩対応を返されると思うけど、ここはちゃんとお礼を言っておかないと。
「――別にあなたのためじゃないわ。あいつが勝手するのが嫌だっただけ」
ぽつりとそんなことを口にして、セラはいつものように本を開いた。
「いつまで突っ立ってるの。さっさと行きなさい」
▼
翌日の午後。
「セラ様。お茶の時間でございます」
「……ふん」
手慣れた所作でティーセットを用意し、紅茶を注ぐ。
もちろん味は渋めに調整している。
「――っ」
ティーカップに口を付けた途端、セラが目を見開く。
「お味はいかがでしょうか」
「――え、ええ。なかなかね」
「ありがとうございます」
セラはびっくりしたように紅茶を見て、何度も味を確かめている。
前回ではあれだけ不味いと怒られたけど、今回はばっちりだ。
この時間で、セラの胃袋を完璧に掴んでみせる――!
私は事前に用意した『秘密兵器』を登場させる。
「……見たことのないお菓子ね」
「私特性の手作りお菓子です。少々独特な味ですが、珍しくてやみつきになると評判なんです」
「独特な味?」
「はい。実はこれらは、世にも珍しい『辛い』お菓子なんです」
「――! そ、それは珍しいわね」
セラの表情が、きらりと光った。
まるで手に入らないと思っていた宝物が目の前に出された時のような顔だ。
「どうぞご賞味くださいませ」
「……」
セラは少し警戒しながらも、お菓子をゆっくりと口に運ぶ。
ぱくり、と口に入れた瞬間、彼女の顔を覆っていた仏頂面の仮面が音を立てて割れた。
「お、おいしい……!」




