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第四十三話『復讐の旅路(後編)』

「……というわけです、シリーゲムッシルさん。ご清聴ありがとうございました」


ミャーコは走りながら、ぺこりと頭を下げた。 


「……なるほど、よく分かった。ありがとう、ミャーコ君。みんなとにかく、ご苦労だったね。ことが済んだら格別のご高配を賜るよう、私から殿下に言上ごんじょうしよう。本当にご苦労だった」


 ベンピァックでの出来事を一通り聞いたシリーゲムッシルは、マッスロンのたくましい腕の中で感慨深げに何度も頷いた。

 ミャーコの聞き取りやすく理路整然とした語りにも、深く感心した様子だった。


「さて……問題はこれからだが」

「あのあの……シリーゲムッシルさん」


 モミーナが遠慮がちに話を切り出した。


「何かね、モミーナ君」

「ミャーコちゃんが話した通り、ネイピアさんはインモーハミダス大臣の動機が復讐だと言っていました。ネイピアさんがインモーハミダス大臣の心情を察していることが、気にかかります。こんなことを聞いてはいけないのかも知れませんが……ネイピアさんはインモーハミダス大臣と何か関係が?」

「ああ、うん……」


 シリーゲムッシルは傍らを走るモミーナに顔を向けたまま、口ごもった。


「教えてください。シリーゲムッシルさん」

「俺からもお願いします。教えてください」


 モミーナがはっきりとした口調で告げ、チンタローがそれに続いた。

 共にクソシタール人であるというだけではなく、性格も真面目を絵に描いたようで似ている面がある。

 チンタローもまた、二人には何らかの関係があるのではと考えていた。

 やがて、シリーゲムッシルは躊躇ためらいがちに口を開いた。


「……インモーハミダス卿が旧クソシタール辺境伯領出身だということは、知っているね」

「はい。チンタローさんから聞きました」

「クソシタール人であるインモーハミダス卿にとって、侍従騎士殿は特別な存在なんだよ」

「特別な……?」

「そう。侍従騎士殿は旧クソシタール辺境伯……ヨータス=レーストゥルム卿の孫なんだよ」


 全員が言葉を失った。

 ネイピアに対して抱いていた疑問が、その一言で氷解した。

 彼女がクソシタール人たる自身の出自を誇りとしているだけでなく、部分的にアナルニア史の虚構を知っていたらしいこと、ヴリーリァがその素性の特殊性を感じ取っていたこと。

 ネイピアがクソシタール辺境伯の血筋という事実を考えれば、いずれも説明がつく。


 どこか距離を測りかねるようだったハインセッツ公ら閣僚の接し方も、これが最大の理由だろう。

 ネイピアが国外での武者修行を経験していないことは、クソシテネーレ共和国への亡命を警戒した王国政府の意向によるものと考えられる。

 そして、ネイピアに剣術を授け、剣を譲り渡した『お祖父様』とは、国王に次ぐ剣豪であったという旧クソシタール辺境伯――ヨータス=レーストゥルムであることは間違いない。


「合点のゆくことが、あったようだね」

「はい……あ、でも」


 チンタローはあることに気が付いた。


「ミャーコがクソシタール辺境伯領独立の話をしてる時、ネイピアさんは一言、補足をしただけで反論はしませんでしたよ? その……ネイピアさんにとって、納得のいかない話もあったはずですが」

「チンタロー君。侍従騎士殿がこの国で生まれ育ち、侍従騎士となるまで……いや、今に到るまで、同じような場面はいくらでもあったろう。彼女はそんな話を聞かされるのは、もうすっかり慣れているはずだ」

「あ……」


 チンタローの脳裏に軍の演習場での出来事が蘇った。

 後ろを走っていたミャーコが、恥じ入るように顔を伏せた。


「ネイピアさんにひどいことをしちゃったんだゾ。ネイピアさんのお祖父さんのことを、悪く……」

「あぁ……言っておくがね」


 シリーゲムッシルが眉根を寄せてミャーコの言葉を制した。ミャーコが辺境伯をどのように語ったか、聞かずとも理解している様子だった。


「レーストゥルム卿が無類の女好きだったのは、本当だよ」

「えっ」


 話を聞くチンタローたち全員が同時に声を発した。


「現に侍従騎士殿は正妻ではなく、愛妾の血筋なんだ。百人はいた愛妾の中に、リエールという美しい女性がいた。レーストゥルム卿と、そのリエール殿の孫が侍従騎士殿だよ」

「ひゃ、百人って……凄いですね」


 チンタローには、その暮らしが全く想像できなかった。


「リエール殿は辺境伯領が独立する前に王都へ移り住んだが、既にレーストゥルム卿の子を身籠っていた。やがてリエール殿は女の子を産み、二人で暮らしていたが、一連の事件で爵位を剥奪され、釈放されたレーストゥルム卿が身を寄せたのが、リエール殿の家だったそうだ」

「だからネイピアさんは、生まれも育ちもアナルニアだと言ってたのか……」

「それから月日は流れ……侍従騎士殿が産まれてすぐ、流行り病でリエール殿が他界し、次いでその息子夫婦……つまり侍従騎士殿のご両親が他界した。侍従騎士殿にとってレーストゥルム卿は、たった一人の家族だったんだよ」


 チンタローたちはしばしの間、無言で走った。

 誰もが、返すべき言葉が見つからなかった。


「実を言うと……私は一度だけ、その頃のレーストゥルム卿に会ったことがあるんだ」


 チンタローたちの様子を察してか、シリーゲムッシルはやや明るい声で話を切り出した。


「ペンペコ王国に領事として赴任する前、どうしても必要な本があってね。王都の古書店を回って、その本を見つけたのがレーストゥルム卿の営む、小さな古書店だったんだ」

「元辺境伯が、古書店を?」


 かつては貴族として放埓ほうらつな暮らしをしていた男が爵位を失い、小さな古書店を営み孫と二人で暮らす――。

 チンタローにはヨータスという人間が、ますます分からなくなった。


「そう。見るからに屈強で品も良い老紳士だったが、飾らない人柄の明るい方だった。髪は白くなっていたが、クソシタールの方言を使っていたこと、黒い髪の女の子が店の奥にいたことで、クソシタール人であることは分かった」

「黒い髪の……って! ネイピアさんは、その時のことを?」

「その頃は物心つく前さ。覚えてはいないはずだよ。私が店主をレーストゥルム卿だと知ったのも、ペンペコに赴任した後のことだ。そうと知っていればね」

「そう……だったんですか」

「侍従騎士殿が王都で育つにあたって、辛いことも確かにあっただろう。でも、レーストゥルム卿との暮らしは、楽しかったはずだと思うよ」


 チンタローはシリーゲムッシルの横顔を無言で眺めた。

 気休めを言っているようには見えない、自然な笑顔がそこにはあった。


「レーストゥルム卿が領民たちからどれほど慕われていたか、私にはよく分かる。あの方には強く人を惹きつける魅力と、自然な優しさがあった」

「……だから、インモーハミダスさんは復讐を……?」


 黙って話を聞いていたチンタローが、遠慮がちに尋ねた。


「考えたくはないが……おそらく。アナルニアにとって最高の忠臣だと思っていたのに。今や、インモーハミダス卿ほど信頼されている閣僚はいない。なんということだ……」


 シリーゲムッシルが絞り出すような声で言った。

 チンタローたちの考えをあくまで仮説としていたシリーゲムッシルだが、もはやインモーハミダスの陰謀を確実視していることが窺えた。


「インモーハミダスさんがどれだけ尊敬され、感謝されているかは、俺たちも旅の途中で見ました」

「インモーハミダス卿が国民から慕われているのは、その功績や手腕、実直な人柄……それだけではない。彼は平民出身で初めて大臣に……それも国防大臣に就任した男なんだ」

「平民出身で……ですか」


 チンタローは閣議室にいた閣僚が全て伯爵以上の爵位を持つ貴族だったことを思い出した。


「私が物心ついた頃……50年前は閣僚の全員が名門貴族で占められていた。私のような零細貴族が外務大臣になることも、インモーハミダス卿のような平民出身の軍人貴族が国防大臣になることも、考えられなかった。この国は50年かけて少しずつ変わってきた。彼は、平民出身でも実力と忠誠心があれば国家の要職に就ける新時代の象徴として、多くの国民を勇気づけているんだよ」


 シリーゲムッシルの誇らしげな表情にチンタローの胸が痛んだ。


 ――インモーハミダスさんの活躍に勇気づけられたのは、シリーゲムッシルさんも同じ……いや。シリーゲムッシルさんはその活躍に、誰よりも勇気づけられたんだろう――。


「アナルニアでは古くから尚武の気風が根付いている。だから国防大臣は宰相と内務大臣に次ぐ要職なんだ。私はこの国の臣民で彼より強く、彼より努力している者を知らない。そんな、彼が……」


 シリーゲムッシルの表情に影が差した。


「シリーゲムッシルさん……」

「いや。まだ、そうと決まったわけではない。インモーハミダス卿に会って確かめることが第一だ」

「にゃっ……」


 不意にミャーコが頭を押さえた。


「ミャーコ。どうした?」

「要塞で感じた闇の魔力と同じものを感じる……向こうなんだゾ!」


 ミャーコが足を速め、一行の先頭に立った。


「みんな、ついてくるんだゾ!」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ウォシュレとネイピアは、跪くインモーハミダスの視線を正面から受け止めていた。

 敵意も、悪意もない。

 二人の前には、頑ななまでに真剣な表情があった。

 やがて、インモーハミダスが徐に口を開いた。


「少々、計画が狂いました。まさか、お二方がお目覚めになるとは。チンタローたちは……いないのですね」


 インモーハミダスの口調には、僅かながら落胆した様子があった。


「……さて。手短に申し上げます。この国はこれより、焦土と化します。お二方には、その前にこの国を脱出していただきたく」


 インモーハミダスが言い終わる前に、ネイピアが立ち上がった。


「インモーハミダス卿。王女殿下の侍従騎士としてアナルニア王家の臣として、ご貴殿の振る舞いを許すわけには参りません」


 ウォシュレは一瞬だけネイピアを見上げた後、再びインモーハミダスの目を見た。

 王族の威厳を以て臣下を戒めんとする毅然とした眼差しを、インモーハミダスは無言で受け止めた。

 ややあって、インモーハミダスが再び口を開こうとした時――。


「インモーハミダスさん!」


 中庭に響き渡る声があった。

 慌ただしい足音と共に現れた一団を目の当たりにしたインモーハミダスの動きが止まった。


「チンタロー!」

「チンタロー殿!」


 自らの名を呼ぶウォシュレとネイピアにチンタローが頷いてみせた。


「王女殿下! 遅くなってすみません! ネイピアさん、もう大丈夫だよ!」


 あやまたず、モミーナとネイピアが進み出てチンタローの左右を固めた。


「モミーナ=パイデッカー、使命を果たさんが為に参上つかまつった!」

「同じく! ミャーコ=ケモニャンコ、ここにあり!」


 二人の目はインモーハミダスを真っすぐに見据えていた。

 マッスロンはシリーゲムッシルを抱えたまま、チンタローの後に立っていたが、ネイピアと目が合うと、にっこり微笑んだ。


「はっはっはっ。マッスロン=マッチョナー、以下略!」


 シリーゲムッシルはマッスロンの腕の中からウォシュレとネイピアの姿を見ると、ほっと息を吐いてこうべを垂れた。


「殿下、ご無事で誠に何よりです。侍従騎士殿も、大事ないものとお見受けした」


 抱かれたまま礼をするなど無礼な振舞いだが、ウォシュレはかまわず笑顔を向けた。

 ネイピアもまた、シリーゲムッシルを咎めようとはしなかった。


「皆、誠に大儀でありました」


 王女直々の労いの言葉に感激する余裕すらなく、チンタローはインモーハミダスの目を見た。

 その顔に一瞬だけ、安堵の色が浮かんだのをチンタローの目は見逃がさなかった。

 が、インモーハミダスはすぐに眉をひそめ、静かに立ち上がった。


「どうやら……私が何をしようとしているのか知っているようだな」

「な……っ」


 シリーゲムッシルの顔が一瞬にして蒼白になった。

 インモーハミダスは疑惑を問い質す機会すら与えなかった。

 言葉を失うシリーゲムッシルを一瞥して、チンタローが一歩、前に歩み出た。


「インモーハミダスさん。あなたの計画は全て分かっています。今なら、まだ間に合います。莫迦な真似はやめてください」

「……フッ」


 インモーハミダスが鼻で笑った。

 彼が初めて見せた悪意の表情に、チンタローの背筋が凍った。

 この男を敵に回すのはまずいと、本能が伝えていた。


「莫迦な真似だと……? ところでシリーゲムッシル卿、貴殿に男色の趣味があったとは知らなかった。ご夫人はそのことをご存じか?」


 マッスロンの腕の中にいたシリーゲムッシルの顔が、たちまち真っ赤になった。


「なっ……これは、その……そんなことはどうでもいい!」


 シリーゲムッシルは慌ててマッスロンの腕から飛び降りた。


「インモーハミダス卿! 君の忠誠は偽りだったのか! 殿下や閣僚、軍の将兵や国民から信頼されている君が、何故こんなことを……!」

「シリーゲムッシル卿。アナルニア人の貴殿には理解できぬことだ。私がクソシタール辺境伯領の出身と知りながら『何故』と問うのであれば、猶更なおさらな」


 インモーハミダスは冷笑を以て問いに答えた。


「君は、アナルニア王の臣下として――」


 なおも言い募るシリーゲムッシルを前に、インモーハミダスが再び眉をひそめた。


「黙れ。私はクソシタール人だ! アナルニア王の臣下である前に、クソシタール人だ!」


 叫びと共に、インモーハミダスが両手をかざした。

 次の瞬間、インモーハミダスの両手から黒いもやが溢れ出し、奔流となってその場にいる全員を取り巻いた――!

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