第四十一話『復讐の旅路(前編)』
チンタローが再び目を開けた時、視界に映り込んだものはアナルニア建国神話を描いた天井画だった。
極彩色の天井画は薄暗闇の中でも見る者を圧倒する迫力を持っていた。
自身の見ているものが、白銀の鎧を纏った金髪碧眼の美丈夫と巨大な龍が戦う様子だと気づくと、チンタローは歯噛みして顔を背けた。
顔を向けたすぐ近くにマッスロンの寝顔があった。
「わぁぁぁぁっ!!」
危うくマッスロンの唇にキスしそうになり、チンタローは慌てて跳び起きた。
その大声にマッスロンが目を開けると、周囲に寝転がっていたモミーナとミャーコも目をこすりながら身体を起こした。
「う……う~ん。ここ……王宮、なんだゾ?」
「そうみたい……ですねぇ」
「ふわぁ~……」
寝起きの悪いマッスロンは、あくびをして周囲を見渡すと不機嫌そうにため息をついた。
眉根を寄せ、目の据わった表情は、普段の笑顔が嘘のような険しさだった。
「よかった。全員、無事――」
言いかけて、チンタローはそこにヴリーリァがもういないことを思い出した。
同時に、モミーナたちの表情が凍りついた。
「あ……っ」
全身から力が抜け、膝を着いた。前のめりに倒れる身体を辛うじて両手で支えると、目頭が熱くなった。
必死にこらえようとしたが、涙が溢れ出す。
「ヴリーリァ……! くっ……くそっ……! どうして……!」
絨毯の敷かれた床に、何度も拳を叩きつける。
己の無力さが腹立たしくてたまらない。
知り合ったばかりだが、不思議と気が合った。
殺し合いをした相手に対して、神に対して適切な表現ではないかも知れないが、いい友達になれると思っていた。
もっと一緒にいたかった。もっと話したかった。
涙と共に様々な思いが溢れ出し、胸を焦がした。
「チンタロー……さん……うっ……」
モミーナのくぐもった声とすすり泣きが聞こえた。
ミャーコの涙ぐむ声も聞こえる。
二人が自身と同じ思いでいることを知ると、余計に胸が苦しくなった。
モミーナは優しい。
誰に対しても分け隔てなく、困っている人を見れば必ず手を差し伸べる。
この任務も、モミーナの優しさがなければ依頼を受けることはなかった。
ミャーコはといえば、高飛車で乱暴で口が悪く手も早く、即物的な考え方で自身と関わりない物事には冷淡な態度を隠さない。
その一方で、事情を知れば苦労を惜しまず力を貸す情の厚さを持っている。
そんな、年下ながら姉御肌の性分に助けられてきた。
ああ、そうだ。モミーナとミャーコのそんなところが好きなんだ。
そんな二人だから、一緒に旅をしているんだ。
ヴリーリアも、きっと二人と仲良くなれたはずだ。
そう思うと、余計に涙がこみ上げてくる。
モミーナとミャーコだけじゃない。マッスロンとも――。
「なぁ、チンタロー」
ちょうど、心で思ったマッスロンの優しい声が耳に届いた。
チンタローが返事をするより早く、マッスロンのたくましい腕が肩にそっと触れた。
「なんというか……頭の悪い俺にはうまく言葉にできぬが。ヴリーリァは俺たちをここへ急いで届ける為に、大切な命を使ったんだ。だから……悲しくても、こうしていることはよくない。行こう、ヴリーリァの為にも」
チンタローはハッとして顔を上げた。
マッスロンの笑顔がすぐそこにあった。
目を合わせているだけで心が安らぐ、優しい笑顔。しかし、その目は涙で潤んでいる。
思いは自分たちと同じ。
それなのに、必死に涙をこらえている。
「マッスロン……」
マッスロンがチンタローの呼びかけに無言で頷いた。
涙で揺れる瞳を見つめているうちに、心に勇気と闘志が蘇ってきた。
同時に、これまでなかった何かが頭の中にある――そんな感覚に気づいた。
何を得たのかは分からない。しかし、それはこの状況において役立つものだという不思議な確信があった。
「……ごめん。そうだよ、マッスロンの言う通りだ」
チンタローは涙を拭い、立ち上がった。
あらためてマッスロンの強さを思い知らされた。最上位冒険者パーティーで戦い続けているだけのことはある。
マッスロンが両手で涙を拭い、モミーナとミャーコに微笑みかけると、モミーナとミャーコも涙を拭い、大きく頷いた。
「行こう、みんな。何としてでもインモーハミダスさんを止めて、ネイピアさんを助けよう。そして王女殿下を……この国を救おう」
「おう!」
ミャーコが拳を天井に突き上げると、全員がそれに続いた。
「……さて。問題は、インモーハミダスさんがどこにいるかだ。おそらくはネイピアさんも同じ場所にいるだろうけれど」
「そこまで無事に辿り着けるかも重要なんだゾ。インモーハミダス大臣がヴリーリァと同じ魔法を使えるなら、王宮を守る近衛部隊が敵になる可能性がある」
モミーナが顔をしかめ、腰の刀に手をかけた。
「ミャーコちゃん。王宮を守る兵力はどれくらいなんです?」
「アナルニア王国軍でも精鋭中の精鋭、第一近衛歩兵旅団第一近衛歩兵大隊、およそ六百名。その他、各部隊を合わせると、総数千名近いんだゾ。実際にそれだけの人数を操れるとは思えないけど」
「……むぅ」
マッスロンが唸った。その顔から笑みが消えていた。
「分かったよ、ミャーコ。その気構えはしておく。でも、おそらく……それはないと思う」
ミャーコが振り返ってチンタローの目を見た。
チンタローは目を逸らすことなく、ミャーコの視線を受け止めた。
「……ふむ」
しばしの沈黙の後、ミャーコが頷いた。理由や根拠を問い質そうとはしなかった。
「話を戻すんだゾ。インモーハミダス大臣がどこにいるかだけど、闇の魔力の波長は覚えたから近付けば、おおよその位置は分かる」
「よし。とにかく王宮内を探索しよう。どこかに王宮の見取り図でもあればいいんだけど」
「そんなもの、手に入らないと思うんだゾ。王家の機密だゾ?」
「あ……そっか。何か代わりになるものがあればいいんだけど……あれ」
チンタローが、廊下に面した一室から漏れる微かな灯りに気づいた。
「そこ、ちょっと見てみよう」
チンタローは部屋の前まで進むと静かに閉まりかけのドアを開け、中の様子を窺った。
そこは小さな資料室だった。
室内には所狭しと本棚が並び、どの本棚にも本や地図などの資料がぎっしりと収められている。
「お邪魔します」
チンタローが室内に足を踏み入れると、モミーナたちも続いた。
部屋の隅にいくつかの机と椅子があり、そのうちの一つに置かれたランプに明りが灯っている。
よく見ると本棚や机から絨毯に到るまで、高級な品を使っていることが分かる。大臣など政府の高官しか使えない部屋であることが見てとれた。
「どうやら偉い人しか使えない資料室みたいだけど、王宮の見取り図とかないかな」
「ひょっとしたらあるかも知れないけど、そんなの探すのに時間かけてたら本末転倒なんだゾ」
「それもそうか……あっ」
チンタローは本棚の陰から人の足が見えることに気づいた。
「そこ、誰か倒れてる!」
本棚の向こうへ駆け寄ると、小柄な男が両手と両足を揃えて可愛らしく横たわっていた。
顔のすぐそばに落ちた眼鏡を見て、チンタローはその男が誰かを悟った。
「この人……外務大臣のシリーゲムッシルさんだ」
「ホントなんだゾ。あ……そうだ」
ミャーコは何か思いついたのか、シリーゲムッシルのそばでしゃがみ込むと横顔をペチペチと叩き始めた。
「失礼しまーす。もしもし、もしもーし」
しかし、シリーゲムッシルは安らかな寝顔のまま、目を覚ます気配はなかった。
「やっぱりダメかぁ……チンタロー。この人、起こせないんだゾ?」
「えっ……あ、そうか。シリーゲムッシルさんに案内してもらえば」
「それだけじゃないんだゾ。インモーハミダス大臣に立ち向かう前に、ミャーコたちの知らない事情を教えて欲しい。あと……これが一番大事だけど、大臣の説得にも力を貸して欲しいからナ」
チンタローはなるほど、と頷いてから、小さな疑問を持った。
「ちょっと待った。説得っていうなら、上役で爵位も上のハインセッツ公の方がいいんじゃ」
「バカ。相手は公爵閣下だゾ? この間の会議ではチンタローに笑って声をかけてくれたけど、あんなこと滅多にないんだゾ。本来なら爵位がない人間が対等に話せる相手じゃない。ネイピアさんだって、騎士に叙された下級貴族。ミャーコたちとあれだけ話をしてくれるのは特別なケースなんだゾ」
チンタローは言葉を失った。
ミャーコが会議室で見せた不遜ともいえる言動は、身分の差に呑まれない為の虚勢だったのだ。
「それに、ハインセッツ公は見たところ立派な貴族だけど、そのぶん権威や格式を第一に考えるタイプだと思うし、説得には向かない。シリーゲムッシル大臣なら爵位はおそらく男爵で、まだミャーコたちも話しやすい。インモーハミダス大臣と仲も良さそうだし、適任なんだゾ」
チンタローは大きく頷いた。
ハインセッツ公が宮内大臣時代にフィンエンダス帝国の使者を殺そうとした事実を踏まえると、インモーハミダスに対しても強硬な態度に出る可能性が高い。
ミャーコの高い見識と深い洞察力にあらためて感服した。
「なるほど、ありがとう。よく分かった。それじゃ、やってみるよ」
チンタローはすやすやと寝息を立てるシリーゲムッシルの前に立った。
これからすることを考えると、心が痛んだ。
「きっと、これで目覚めるはずだけど……」
そして、ズボンのベルトにそっと手をかけた。
モミーナは両手で顔を覆い、チンタローに背を向けた。




