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第四十話『女神の償い』

 チンタローが閃光に眩んだ目を恐る恐る開けると、モミーナたちの姿があった。

 ネイピアだけが、そこにいない。

 不安げに周囲を見回す仲間たちを前に、チンタローは呆然としたまま口を開いた。


「ネイピアさん……」


 その名を呼ぶのが、精いっぱいだった。

 目の前で起きたことを受け止められなかった。

 モミーナ・ミャーコ・マッスロンも同じなのか、その場に立ち尽くすばかりだった。

 重い沈黙の中、ヴリーリァが跪いて徽章バッジの欠片を手に取った。


「ヴリーリァ?」


 ヴリーリァはチンタローの呼びかけにも応えず、掌に乗せた黒い欠片をじっと見つめていた。

 その様子を見ていたミャーコがハッとして、自らもかがんで徽章の欠片を拾った。


「これ、もしかして……」

「うむ」


 ミャーコとヴリーリァは頷き合うと、欠片を手に立ち上がった。


「ちょっと。俺たちにも分かるように説明してくれよ」

「チンタロー、案ずるな。ネイピアは生きておるはずじゃ」

「えっ……!?」

「この徽章には転移魔法がプログラムされてたんだゾ」


 どうして、とチンタローが言う前にミャーコが理由を述べた。


「なっ……転移魔法? ど、どうして気づかなかったんだよ!?」

「無茶、言わないで欲しいんだゾ。ミャーコの知らなかった古代の闇魔法なんだからナ」


 落ち着き払って答えると、ミャーコは静かに立ち上がった。


「……ごめん、ミャーコ。それじゃ、ネイピアさんは王都に?」

「行先までは分からないんだゾ。でもチンタローの読みが正しければ、きっとそのはず」

「左様。しばし待て」


 ヴリーリァが立ち上がり、手にした欠片を握り締めて目を閉じた。


「ふむ……単純な構造じゃが、周囲の魔力と身に着けた者の思考を感知する仕組みになっておる。闇の結界が発動し、身に着けた者が王都へ向かおうとすることで転移魔法が発動するプログラムが組まれていたのじゃろう」

「そこまで周到に――」


 言いかけて、チンタローはハッとした。


「待てよ。どうして俺たちには魔法が発動しなかったんだ?」

「そういえば……そうですね」


 考え込むチンタローたちをヴリーリァが見回した。


「気づいておらぬのか。モミーナ、ミャーコ、マッスロン。うぬら全員、小便臭いぞ」

「あ……」


 ヴリーリァ以外の全員が同時に声を発した。

 モミーナとミャーコはビール瓶飲尿作戦でヴリーリァが吹き出したチンタローの小便を浴び、マッスロンはその拳に聖なる力を与える為、チンタローの小便を浴びている。

 そして、チンタローは聖なるチンコの持ち主である。


「しまった……こんなことなら、ネイピアさんにも小便かけとくんだった」

「そそ、そんなことしたら……ネイピアさんに斬られちゃいますよぅ」

「今更、言ったってしょうがないんだゾ。とにかく、一刻も早く王都へ行かなきゃ」

「一刻も早くって……」

「インモーハミダス大臣が何を考えてるか分からない以上、ネイピアさんの身に何があるか分からないんだゾ。もう、悠長なことは言ってられない」


 ミャーコの額に汗が浮かんでいた。いつもの冷静さが失われつつある。


「それは、そうだけど……そうだ! ミャーコ。さっきの転移魔法は使えないのか」


 ミャーコが顔をしかめてうつむいた。


「あれは……付け焼刃だし、遠くまでは無理なんだゾ。やれば見当違いの場所に送られるか、悪くすると死人が出る」

「そんな……」


 チンタローは一瞬だけヴリーリァに目を向けた後、両の拳を執務机に叩きつけた。

 衝撃で机の上の書類束が崩れ、机の上に書類が散らばった。


「くそ。どうすれば……」


 思わず毒づいた。魔力の殆どを使い果たしたヴリーリァに頼ることもできない。

 またも訪れた重い沈黙の中、チンタローの目に一枚の書類が映った。


「これは……」


 チンタローは書類を手に取り、文面を一読した。


「とにかく、こうしていても始まりませんよ。時間はかかっても、王都まで行かなきゃ」

「くっ……仕方ない。もう、それしかないんだゾ」

「そうだな。ボミーナの言う通りだ。なるべく急いで進もう」


 三人が頷き合う間も、チンタローは書類を見ていた。


「チンタロー。聞こえたんだゾ? ヴリーリァも。ほら、一緒に行くんだゾ」


 チンタローは数枚の書類を重ね、三つ折りにして懐に入れると、ミャーコに振り向いた。


「分かった。すぐに出よう」

「ん? チンタロー。何か懐に入れたんだゾ?」

「後で話すよ。もしかしたら、役に立つかも知れない」


 チンタローは踵を返して執務室の出口へ向かったが、すぐに足を止めた。

 後ろからの足音が聞こえてこない。

 振り返ると、ヴリーリァはその場に留まりうつむいていた。


「ヴリーリァ。どうしたんだ? 行こう」

「……近寄るな」


 ヴリーリアは歩み寄るチンタローを手で制すと、顔を上げた。

 口を堅く結び、まなじりを決した表情にチンタローは気圧された。


「ヴリーリァ、何してるんだゾ!? って……ちょっと!」


 歩みを止めたチンタローの代わりにミャーコが駆け寄ろうとした瞬間、ヴリーリァの周囲に黒い靄が立ち込めた。


「あれ? ヴリーリァ、魔力は殆ど使い果たしたんじゃ……」


 チンタローは言いかけて、ミャーコの身体が震えていることに気づいた。


「やめるんだゾ!」

「断る」


 ヴリーリァが両手を上げ、掌をチンタローたちに向けた。

 チンタローたちの周囲を黒い靄が取り巻き、全員が身動き一つできなくなった。


「いやぁん! 何ですか、これぇっ!」

「転移魔法なんだゾ! ヴリーリァ、やめるんだゾ! こんなことしたら――」

「左様。我は消えるであろうな」


 ヴリーリァは平然と答えた。一切の迷いがない表情と口調だった。


「なっ……ヴリーリァ、待てよ! どうしてそんな……!」

「我にも、この事態を招いた責がある。償いをさせよ」

「そんなこと、やめるんだゾ!!」


 ミャーコの必死の呼びかけに、ヴリーリァは首を横に振った。


「この命を使えば、うぬらを王都へ届けることはできる。うぬらの仲間として、女神と呼ばれた者として、こうして役に立てることが見つかって嬉しい」


 ヴリーリァはそう言って微笑んだ。

 その優しい笑顔は女神そのものだった。


「駄目だヴリーリァ! 俺たちと一緒に……!」

「そうなんだゾ! ヴリーリァも一緒に行くんだゾ!」

「お願いやめて! ヴリーリァさん!」

「ヴリーリァ! よく分からぬが、よせ! みんなが疲れたら俺が担いで走る!」

「うぬら……」


 ヴリーリァが苦しげに片手で胸を押さえ、顔を伏せた。

 チンタローたちが更に言い募る中、ヴリーリァが再び顔を上げる。

 その目から一筋の涙が流れていた。


「チンタロー。ミャーコ。モミーナ。マッスロン……ありがとう。その言葉だけで十二分じゃ。僅かな間であったが、うぬらと一緒にいられて楽しかった。うぬらを傷つけたこと、どうか許してくれ」


 ヴリーリァの身体が足元から黒い靄となって少しずつ消え始めた。


「ヴリーリァ!! やめろ!!」

「チンタロー。みんな……どうか、この国を守ってくれ……頼んだぞ」


 涙に曇るチンタローの視界からヴリーリァの姿が消えた。

 続いて訪れた身体が浮き上がるような感覚と共に、チンタローは意識を失った――。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 慣れ親しんだ木々と花々、そしてフローラルの香り――。

 これらを感じ取ったネイピアの五感が少しずつ覚醒してゆく。

 ゆっくりと目を開けると、そこは王宮の中庭だった。

 色鮮やかなはずの木々と草花は闇に上塗りされ、周囲が未だ闇魔法の影響下にあることがわかる。


「ここは……王宮……? どうして――」


 言いかけてハッとする。視界の片隅に純白のドレスの裾が見えた。


「殿下……? 殿下! 王女殿下!!」


 侍従騎士たるネイピアが見間違えるはずもない。

 アナルニア王国第二百二十三代国王クミトリー九世が長子、第一王女にして摂政、第二百六十五代宰相ウォシュレが芝生の上に横たわっていた。


「殿下! 御身に触れるご無礼、お許しください!」


 ネイピアはひざまずいてこうべを垂れると、敬愛する王女の身体を優しく抱き起こした。

 その肌は温かく、脈もあることに安堵した。


「殿下! 殿下! お目覚めください! 侍従騎士ネイピアがここにおります! ネイピアは帰って参りました! 殿下! 殿下!!」


 繰り返し呼びかけるうちに目から涙が溢れ出す。

 ベンピァックで見た光景、交わした会話を忘れてはいない。

 これが魔法の影響であれば、敬愛する王女が目を覚ますとは思えなかった。

 それでも、こうせずにはいられなかった。

 もう何度目か分からないほどの呼びかけの後、ウォシュレが小さく身体を震わせた。


「……っ! 殿下……殿下! ネイピアです! ネイピアは帰って参りました!」

「うぅ……ネイピア……?」


 ウォシュレが微かに目を開けると、ネイピアはたまらずにその身体を抱き締めた。


「殿下ぁ!!」

「……ネイピア……どうして……」

「殿下……殿下。申し訳ございません。申し訳ございません。今はどうか……どうか、こうして御身に触れるご無礼をお許しください。後でいかなる懲罰も受けます。ですから今は、どうか……どうか」


 嗚咽を漏らしながら自身を抱き締める無礼な臣下の背中に、ウォシュレはそっと手を伸ばした。


「ネイピア……わたくしの侍従騎士。気に病むことはありません。しばし、わたくしの身に触れることを許します。よくぞ帰ってきてくれました」

「はい……殿下。身に余る光栄です。ネイピアは……ネイピアは帰って参りました」


 しばしの沈黙の後……ネイピアは抱擁を解き、ウォシュレの前に跪いた。


「殿下。今から申し上げることを、よくお聞きください。チンタロー殿はじめ、殿下の任を帯びた勇士一行は見事、魔龍の無力化に成功しました」

「……っ!」


 ネイピアの頭上でウォシュレが息を呑んだ。


「……よくぞ、やってくれました」


 ネイピアは頭を垂れたまま、涙をこらえるウォシュレの声を聞いた。


「ですが、不測の事態が発生いたしました。ここにいることは危険です。ネイピアと共に――」


 ネイピアが言い終わる前に、背後から誰かが芝生を踏み締める音が聞こえた。

 頭上でウォシュレが再び息を呑んだ。


 ネイピアが咄嗟に振り返った視線の先に、白い軍服を纏った巨漢の姿があった。


「インモーハミダス卿……!」

「お目覚めでいらっしゃいましたか」


 アナルニア王国国防大臣にして陸軍上級大将――ソラーヌ=インモーハミダスは跪き、うやうやしく頭を下げた。


「かかるご無礼をお許しください。お連れに参上つかまつりました。王女殿下、ネイピア様」

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