第三十九話『闇魔法の謎を追え!』
重苦しい沈黙を破ったのはチンタローだった。
「一つ、分からないことがある。アナルニア滅亡計画にはヴリーリァの復活が不可欠だ。これを計画した者は、ヴリーリァを復活させる条件を知っていたんだろうか。いや……そもそも、復活の条件なんてものがあるのか?」
そう言ってチンタローはヴリーリァに振り向いた。
ヴリーリァは顎に手を当て、考え込む素振りを見せた。
「我が目を覚ます明確な条件などというものは、考えたことさえない。だが、我は眠りに就く前にオーベンデールと約束をかわした」
「約束って、どういう?」
「慌てるな、チンタロー。順を追って説明する」
ヴリーリァはコホン、とかわいらしく咳払いをしてから、言葉を紡いだ。
「まず、一つめ。我の土地であるベンピァックの地を不必要に開発せず、可能な限り緑を残すこと。二つめ。アナルニア人とクソシタール人が互いに手を取り合って生きること。三つめ。政治と経済の中心はベンピァック以外の土地とし、オーベンデール自身が王となり政務と祭事を司ること。そして四つめ。四十年ごとにベンピァックの地で供物を捧げ、近況報告をすること。以上じゃ」
チンタローはミャーコが語ったアナルニア建国史を思い起こしていた。
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暗黒と邪悪の化身たる魔龍を討ちし剣聖オーベンデール、アナルニアの地に千年の平穏と繁栄をもたらさん。
大アナルニア興らん。オーベンデールが王たらん。
王たる者、オーベンデール。
ベンピァックを聖地とし、ケツァーナを都とし、アナルニアに住まう者どもの心を一つにせよ。
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「オーベンデール王がヴリーリァと交わした約束が、アナルニア建国史では巫女ブルーレから受けた女神の神託として語られたわけか。そして四十年に一度の豊穣祭は、王家が約束を履行していることを伝える為の定期報告だった」
「左様。よく分かっておるではないか」
「オーベンデール王も、嘘なんかつかずにありのままを語ればよかったのに」
チンタローが眉をひそめると、ヴリーリァは苦笑した。
「うぬも言っておったろうが。皆それぞれ事情があり、立場がある。二つの民族と国をまとめる為には、多少の脚色もやむを得なかったのやも知れぬ」
「それはそうかも知れないけど、何も暗黒と邪悪の化身だなんて」
「まぁ仕方があるまい。あの時は我も荒れ狂っておったからのぅ。王家の歴史に記された暴れ様は概ね事実じゃ。それについては弁解のしようがない」
チンタローは困ったように笑うヴリーリァの顔をしばし見つめていた。
自らの名誉を汚されたことを笑って許す大らかな姿は、豊穣の女神に相応しいものに思えた。
「だいたい分かった。旧クソシタール辺境伯領での鉱山開発とその後の分離独立で、アナルニア王家はヴリーリァとの約束を履行できなくなったわけか」
「それで、ヴリーリァさんは魔龍として復活しちゃったんでしょうか?」
「うーむ。まぁ、そんなところであろうが……」
ヴリーリァが口ごもると、ミャーコが手を挙げた。
「その件、いろんな要因が絡んでて単純な話ではなさそうなんだゾ。まず、ここ……ベンピァックの地は元々、闇の魔力を多く含んでるようなんだゾ」
ヴリーリァが目を大きく見開いた。
「察しがいいな」
「ミャーコは賢いから分かるんだゾ。ヴリーリァがどういう神様で、どうして魔龍になったのかも、理由が見えてきた」
「ほぅ。話してみよ」
「うん。各地で奉られる神様にも色々といるんだけど、ヴリーリァはこの土地の管理人みたいなものなんだゾ」
「管理人さんか。そう聞くと神様の印象も変わってくるなぁ」
「みたいなもの、なんだゾ。あくまで便宜上の言い方」
ミャーコはそう釘を刺すと、説明を再開した。
「まず、土地には過去の生命や意思の痕跡が蓄積され、それらが力となって存在してる。力には人間にとって有益なものだけじゃなく、有害なものもあって、ふとした時に有害な力が放出される。それが魔力災害なんだゾ。ではここで問題です。その魔力災害を防ぐにはどうすればいいでしょうか? はい、チンタロー君」
「えっ、俺? えーと……管理人さんがいるなら、話し合って有害な力が放出されないようにするかな」
ミャーコが満足そうに笑った。
「ご名答。さっきチンタローが言ったように、祭祀は土地の管理人への定期報告や陳情みたいなものなんだゾ。書式と体裁を整えて役所に書類を提出するように、しきたりに沿って祭祀を行うことで、土地から放出される力に人間の意思を少しだけ反映させてもらうというワケ」
「なるほど。そう考えると分かりやすいな」
「有益なものは節度を持って、有害なものは影響が小さく済むよう少しずつ放出させる。あんまり人間の都合ばっかり押し付けると、それも災害や土地の荒廃につながるから、加減が難しいんだゾ。治水工事や建築工事の前は地鎮祭をやったりするけど、あれは人間の都合で土地に手を加えることの許可申請みたいなものなんだナ」
ヴリーリァが大きく頷いてみせた。
「よく分かっておるではないか。我が見込んだだけのことはある」
「なるほどなぁ。ヴリーリァが魔龍になったことについては?」
「チンタローもちょっと考えれば、分かることなんだゾ」
「えっ……?」
チンタローは先ほどの戦いを振り返り、ヴリーリァが黒い炎を纏って魔龍の姿になったこと、魔力の大半を使い果たして少女の姿に戻ったことを思い出した。
「ヴリーリァが魔龍になったのは、闇の魔力の影響……?」
「そ。膨大な魔力には生物や無生物を変化させる作用があるんだゾ。かく言うミャーコのプリティーな耳と尻尾も、物心つく前から魔獣の肉を食べてたことによるものだしナ」
「えっ……初めて知ったよ、それ!? 生まれつきだと思ってた……」
「チンタローには話してなかったしナ。ていうか、それくらい知ってると思ってたんだゾ」
ミャーコはこともなげに言うと、壁の地図に目を移した。
「土地に元々あった闇の魔力に、それを増大させる人々の対立と殺し合い、信仰の衰退。土地神様が、魔物に変異する条件としては十分過ぎるんだゾ」
「左様。あれこれあって増大した闇の魔力の大半を、我が抱え込むこととなった。五年のうちは耐えられたが、十年も続くと何が何やら分からなくなり、気がつけば龍の姿になって自棄食いと自棄酒の毎日を送っておった」
「伝説の災害が、女神様の自棄食いと自棄酒だったとはなぁ……あれ、待てよ」
チンタローが、あることに気づいた。
「『アナルニア年代記』と時系列順が違うよ。年代記だと、オーベンデール王がベンピァックを訪れてクソシタール人と戦い始めて、それから魔龍が現れたって話だったよな」
ヴリーリァがため息をついた。
「オーベンデールがベンピァックを訪れたのは、既に我が魔龍となって暴れておった頃じゃ。奴はクソシタール人からの求心力を失った巫女に目をつけ、弱みに付け込んで連れ去ろうとしておったのじゃ」
「あぁぁ……そんな話を、そのまま書き記すわけにはいかなかったのか」
「巫女を蔑ろにしておったクソシタール人も、それだけは我慢ならなかったらしい。それまでの争いが嘘のように一致団結して、オーベンデールとその郎党に襲いかかった。我はその間も自棄食いと自棄酒を続けておったが、やがてクソシタール人たちは人間同士で争っている場合ではないことに、ようやく気付いた」
呆れているような、悲しんでいるような表情だった。
「そしてクソシタール人は、かつて神と崇めた我に刃を向けた。まぁ、先ほどの戦いで分かった通り、我には剣も矢も投石も魔法も殆ど効かぬから、困り果てておったがのぅ」
暗い笑みを浮かべたヴリーリァの横顔を前に、チンタローは鋭い胸の痛みを覚えた。
「勝手な話だな……あんまりだよ」
「まぁ、仕方のない面もある。千年前は寒冷な気候が続いて、大陸全土で凶作と飢饉が起きた。飢えが争いを起こすのは古より変わらぬ。あの凶作さえなければクソシタール人も平穏に暮らしておったろう」
「なるほど……クソシタール人はヴリーリァに勝てないからベンピァックを出て行こうとした、という部分は正しい?」
「そこはアナルニア年代記の通りじゃ。見かねたオーベンデールが我の下へやって来たのも、な。オーベンデールは強欲で好色で威厳に乏しい男じゃったが、勇気だけは当時の誰よりも勝っていた」
ふと、ヴリーリァがチンタローに振り向いた。
「チンタローはオーベンデールにどこか似ておる。我がうぬの話を聞こうと思ったのも、その為じゃ」
「俺が、オーベンデール王に?」
「うむ」
そして、照れくさそうにうつむいた。
その様子を前にして、チンタローも気恥ずかしくなった。
頭には二本の角が生えてはいるが、しおらしく振舞う姿は可憐な少女そのものだった。
「あのあの……オーベンデール王とは、どんなやり取りがあったんですか? その、オーベンデール王がヴリーリァさんに勝った、というのは……」
「フフッヒ」
ヴリーリァが楽しそうに笑った。
「負けたといえば負けたのやも知れぬ。いや……違う。確かに我の負けであった」
自らの敗北を語っているとは思えない、晴れやかな笑顔だった。
チンタローは、ヴリーリァの発した言葉の意味が気になったが、その笑顔を前にして尋ねるのは野暮に思った。
話を切り出したモミーナも同じようで、ただ無言でヴリーリァの横顔を見つめていた。
「みんな。その話はひとまず、ここまでにしておくんだゾ」
ミャーコがポン、と手を叩いた。
「そうだな。これからどうするかが先決だ」
全員の視線がチンタローに集中した。
しばらく沈黙を保っていたネイピアは、大きく深呼吸をしてからチンタローに向き合った。
「とにかく、ずっとここにいるわけにはいかない。なるべく急いで王都に戻って、闇の劫火を阻止しよう」
「歩きで二日はかかるんだゾ。どれほど体力と魔力を消耗するか分からない。しかも、その間に魔法が発動しない保証はない」
悲観的な言葉を口にするミャーコだが、眦を決したその表情はチンタローを叱咤するようだった。
「賭けるしかない。術者はその気になればいつでも魔法を発動できるのに、まだ発動していない。あるいは、何らかの考えがあって発動を思い留まっているのかも知れない」
「……その根拠は?」
ミャーコは鋭くも落ち着いた声で問うた。
「まず、考えたくないけど……国土防衛計画と称した魔法装置の建設とそれによるヴリーリァの復活、そして闇魔法の発動。全てがインモーハミダスさんの計画だったとすれば、辻褄が合う」
しばしの間、重い沈黙がその場を支配した。
反論する者はなかった。
「そして、インモーハミダスさんを首謀者とした上での根拠がある。国防省での晩餐会の時、インモーハミダスさんは俺とマッスロンにこう言ったんだ。全員で無事に戻ってくるようにって。そして、ネイピアさんを守って欲しいって」
傍らで聞いていたネイピアがハッと息を呑んだ。
「根拠としては不十分だナ。方便かも知れないんだゾ」
「俺には、そうとは思えない。真の目的が何であれ、インモーハミダスさんにとって俺たち全員が……ネイピアさんが無事で戻ってくることは、本当に重要なことなんだと感じた」
「マッスロン。どうなんだゾ?」
ミャーコに意見を求められるとは思っていなかったのか、マッスロンが目を丸くした。
「うーん……難しいことは分からぬが、インモーハミダスさんが嘘やいい加減なことを言っているようには思えなかったな。チンタローの言う通りだと思う」
「なるほど。チンタロー、それで?」
ミャーコはあくまで真剣な表情だった。マッスロンの意見を心から尊重する様子が窺えた。
「うん。インモーハミダスさんがこの事態の首謀者であり、考えがあって魔法の発動を思い留まっているのだとしたら……それはきっと、俺たちの王都への帰還にかかっている。であれば、インモーハミダスさんを止めるチャンスはあるはずだ」
「ふむ……」
ミャーコが小さく頷いて続きを促した。
「俺たちが王都でインモーハミダスさんの前に立つことは、場合によっては罠に飛び込むことになるかも知れない。それでも、他に道はない。みんな、いいだろうか」
チンタローは一人一人の顔を見回した。
全員がチンタローと目を合わせ、大きく頷いた。
「ありがとう、みんな。あと少し……と言っても、かなりの旅路になるけど。なんとか頑張ろう」
チンタローは疲れきった顔に精一杯の力を込め、明るく笑ってみせた。
「よっしゃ。そうと決まれば早速、旅程を組むんだゾ。この様子じゃ馬車も使えないけど、できる限り体力と魔力を消耗しない方法で王都へ向かうんだゾ」
「そうだな。どこで休息を取るか、どの間隔で休むかも重要だ。途中で立ち寄った軍の宿駅と演習場が使えればいいけど。ネイピアさん、地図を出してくれないか」
「はい。少々お待ちを」
ずっと無言だったネイピアは淡々と答えると、懐を探った。
「それにしても、インモーハミダス大臣はどうしてこんなことを。ネイピアさんは……何かご存じなのではないですか」
モミーナが柔らかな口調で問うた。しかし、その瞳には腰に下げた刀と同じ、鋭い光が灯っていた。
チンタローは、先ほどの戦いでのことを思い出した。
ヴリーリァがアナルニア建国史の虚構を指摘した時、ネイピアは確かに動揺していた。
その様子に気づいて後で説明するよう求めたのがモミーナだった。
ネイピアは懐から取り出した地図を執務机に広げてから、姿勢を正しモミーナの視線をその瞳で受け止めた。
「私には分かりました。インモーハミダス卿はアナルニア王国に復讐する気です。故郷を奪われたクソシタール人として」
ネイピアの声は確信に満ちていた。
「ネイピアさん。君は一体――」
チンタローが問いかけた瞬間、ネイピアの胸の徽章――国防大臣特命の徽章から黒い靄が溢れ出た。
「これは!?」
「ネイピアさん外すんだ! みんなも――」
チンタローが言い終わる前に、全員の徽章から黒い靄が溢れ出す。
「まずい! 早く――」
全員が胸元の徽章を掴んだ瞬間――ネイピアの姿が靄に包まれ、消えた。
「ネイピアさん!!」
チンタローの叫びと共に、手の中の徽章が閃光を発して砕け散った――。




