第二十九話『二大魔獣の恐怖! 魔力大龍巻!』
内務大臣・ハインセッツ公トワレー=ハバカーリーはじめ閣僚の下にベンピァック要塞からの第一報が届いたのは、午後の閣議の最中だった。
近衛軍の大佐が青ざめた顔で魔龍とその配下の魔物による侵攻の可能性を伝えると、閣議室に静寂が訪れた。
沈黙を破ったのは国防大臣にして陸軍上級大将・ソラーヌ=インモーハミダスだった。
「公爵閣下。私はひとまず国防省へ戻ります。参謀本部にてベンピァックならびに各地の防衛計画を策定して参ります」
一様に表情を強張らせる他の閣僚とは違い、インモーハミダスは全く動じた様子を見せなかった。
ハインセッツ公は美しく整えた顎髭を右手でそっと撫でると、深く息を吸った。
「万事、抜かりなく行いたまえ」
「はっ。では、これにて」
軍靴を鳴らして閣議室の出口へと向かうインモーハミダスの大きな背中をハインセッツ公は無言で眺めていたが、やがてためらいがちに声をかけた。
「インモーハミダス卿。彼ら……チンタローたちは。侍従騎士殿は――」
ハインセッツ公の言葉は大理石の床を叩く軍靴の音でかき消された。
インモーハミダスは勢いよく振り返り、ハインセッツ公を見下ろしていた。
ハインセッツ公は息を呑んでインモーハミダスの目を見た。
インモーハミダスの顔に怒りや焦りの色はなかった。
ただ、真剣な表情がそこにはあった。
「チンタローとその仲間たちは見事魔龍を倒し、全員で無事に戻って来るものと私は信じております。私がこの場を離れますのは、王国の防衛を預かる身として、あらゆる可能性を考慮し備える義務がある。ただ、それだけのこと」
「インモーハミダス卿……」
「若き勇士たちを信じ任務を託しましたことは、王女殿下のご意向にして我ら全閣僚の総意。彼らへの信義は何があろうと揺るぎません」
ハインセッツ公は時を忘れたかのように、インモーハミダスの力強い視線と言葉を受け止めていた。
「勝利を託したる者の覚悟。その重さは勝利を託されし者のそれと同じ。私はそう理解しております。だからこそ我ら兵士一同は、先の大戦を戦い抜くことができました。閣下は、それをよくご存じのはず」
ややあって、ハインセッツ公が大きく頷いた。
「……その通りだ。卿が前線にあった、あの時。我らは帯剣して閣議に臨んでいた。あの覚悟を忘れてはならぬ」
ハインセッツ公は、閣僚たちの視線がインモーハミダスから自身に移ったことに気づくと、その場にいた全員に微笑んでみせた。
「各々方、インモーハミダス卿の言う通りだ。我らは我らにできることをせねばならぬ」
「はっ!」
インモーハミダスを除く閣僚たちが声を揃えて応えた。
先ほどまで、この世の終わりのような顔をしていた外務大臣・ティモ=シリーゲムッシルを含め、全員の顔に覇気が蘇っていた。
「では。しばし、お暇いたします」
「うむ」
閣議室を後にするインモーハミダスの大きな背中を見送ると、ハインセッツ公は大きく深呼吸をした。
「さて、次の議題に移るとしよう。昨日から今日までの、王都の衛生状態について報告を」
「はっ!」
緑の礼服を纏った保健衛生大臣は力強く声を発すると、資料を手に立ち上がった。
「一つ、明るい知らせがあります。先ほど、中央下水処理場から届きました報告によりますと、王都から集められた下水に僅かながら水質の改善が見られるとのことです。これにつきましては……」
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「さあ、やれぃ!!」
真の姿を現した魔龍の号令一下、岩石巨人が両手を伸ばすと足を踏み鳴らし、錐もみのように回転し始めた。
巨人の回転は瞬く間に速度を増し、巻き起こった風が赤い光を伴った竜巻となった。
たちまち、半径五十メートノレの範囲で魔力を帯びた上昇気流が発生し、木々が根本からもぎ取られ、土砂が巻き上げられてゆく。
重力を無視した、魔力を伴う強力な竜巻。
魔法の知識に乏しいチンタローは元より、ミャーコでさえ初めて見る魔法だった。
ただ大きいだけの使い魔だと思っていた巨人が高度な魔法を駆使してみせたことに、チンタローたちは戦慄した。
「みんな、逃げっ……うぁぁぁ!」
「わわっ!」
巨人に最も近い場所にいたチンタローとミャーコが気流に巻き上げられ、ミャーコと引き離されたチンタローの身体が空高く舞い上がった。
「チンタローッ!!」
ミャーコの叫びが響き渡ったその時、チンタローの身体は魔龍の手の中にあった。
すかさずミャーコが空中で杖を振りかざしたが、杖が光るより前に巨人は回転を止め、ミャーコをその手に捕らえていた。
その巨体からは想像もできない素早さだった。
「チンタロー! このっ、離せ! 離すんだゾこのデカブツ!! う、くぁっ……!」
巨人はミャーコの身体を握る手に力を込めると、モミーナとネイピアを見下ろした。
四十メートノレ上空にいるミャーコの悲鳴と骨がきしむ音が、精神感応で地上の二人にも聞こえていた。
「しまった!」
「チンタロー殿! ミャーコ殿!」
モミーナとネイピアは巨人の足下で歯噛みした。
「フフッヒ。フフヒヒヒヒッ……!」
魔龍が愉快そうに尻尾を振りながら、笑い声を上げた。
「チンタローとやら……うぬから殺してくれよう。まずは小便を詰めた瓶を我に手渡した、その汚い右手を引き千切るとするか。我をたばかった慮外者を生きたまま解体する、血の宴の始まりじゃ。うぬらもよう見ておけよ」
「くそっ……誰がこのまま、やられるものか……!」
チンタローが魔龍の指の間から出ていた右手を動かし、聖剣を魔龍の眼前に突きつけた。
青い光を発する剣の切先を向けられ、魔龍が動きを止めた。
「ほぅ?」
「俺には、この聖剣があるということを忘れたか! この剣がある限り――」
「忘れてなどおらぬぞ、ほれ」
魔龍の右後脚が動いたと思ったその時には、光が消えていた。
魔龍が人の手のような足を使って『デコピン』の動きで軽く人差し指を弾き、刃を折ったことにチンタローが気づいたのは、折れた刃が地面に突き刺さる音を聞いてようやくのことだった。
ネイピアは両手で長剣を構えたまま、足下に突き刺さった聖剣の刃を震えながら凝視していた。
魔龍を倒す唯一の武器――王家に伝わる聖なる剣が、たやすく折られてしまった。
その事実を前に、チンタローたちはしばし言葉を失った。
「そんな……嘘、だろ……」
「嘘ではないぞ。嘘というなら、うぬらが語るアナルニア王家の歴史こそ、嘘であろうが」
「なっ……! それは、どういう……」
思わず問いかけたネイピアを、魔龍が血のような赤い瞳で見下ろした。
「クソシタール人の小娘よ。ネイピアとかいったな……うぬが、それを問うか? まったく、アナルニア人もクソシタール人も度し難い愚か者共よ。アナルニア王国を滅ぼした後は、クソシタール人が作った国も滅ぼすとするか」
「ま、待て……っ!」
魔龍は、なおも右手を動かし柄だけになった剣を振り回すチンタローに目を移すと、小さくため息をついた。
「矮小で薄汚い人間共が。己より強く大きいと知れば、都合のよい時だけ『神よ、精霊よ』と崇め奉り、都合が悪くなれば『妖よ、魔物よ』と刃を向ける……!」
魔龍の口の端から黒い炎が溢れ出した。
「人間共には、ほとほと愛想が尽き果てたわ!!」
チンタローを睨みつけていた魔龍の口が開き、黒い炎が迸った――!




