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第二十六話『この一瓶に思いをこめて』

「作り上げた、歴史……?」


 魔龍の発した言葉をチンタローが聞き返す。

 が、魔龍はもはやチンタローたちに興味を失くしたかのように無言で飲み食いをしていた。


 広いテーブルに所狭しと並んでいた大量のパンが、野菜が、果物が、見る見るうちに減ってゆく。

 それは尋常ならざる食欲だった。

 先ほどまでの笑みはもうない。魔龍の顔には呆れたような、諦めたような冷めきった表情が浮かんでいる。


 何か、まずいことを言ってしまったのではないか――。

 チンタローが冷や汗を垂らしつつ横目でミャーコを見ると、ミャーコは眉をひそめて睨み返した。

 傍らのモミーナが、小さく首を横に振ってみせる。

 そうだ。ミャーコに責任を求めるのは間違っている。


「あのー……魔龍さん」


 チンタローが呼びかけると、魔龍は無言で振り向いた。

 瓶ごと飲み込んでしまいそうな勢いで、ワインをがぶがぶと瓶から直接飲んでいる。

 飲み食いの仕方が目に見えて荒々しくなった。

 気分を害してしまったのは間違いない。


「あの……そんな飲み方をすると、身体によくないかなー……と」

「フン」


 ワインを空にした魔龍が、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「石が当たっただけで死ぬ惰弱だじゃくな人間風情が、思い上がるな。我の身体はうぬらを殺す病など知らぬわ」

「あっ……サーセン」


 赤い瞳に睨みつけられ、チンタローは辛うじてそれだけ答えた。

 やがて重い沈黙が訪れ、室内には魔龍が飲み食いする音だけが鳴り響いた。


「……魔龍殿」


 沈黙を破ったのは、ネイピアだった。


「なんじゃ、王家の走狗いぬめが」


 吐き捨てるように言う魔龍の目を、ネイピアがまっすぐ見据えた。


「我々の話はまだ、終わっていません」

「うぬらには、な。我にはとっくに終わっておる。これ以上、話すことなどない」


 そう言って魔龍は小さくため息をついた。

 ネイピアが口を開こうとすると、赤い瞳で睨みつけてそれを制した。


「その目……何を考えておるか、わかるぞ。我を倒すことは本意ではない、とか適当なことをぬかして恩を着せ、時間稼ぎをして譲歩を引き出すつもりであろう。無駄じゃ。我がその気になっておれば、うぬらはこの坑道で二十回は死んでおるぞ。殺されずに済んでいることを感謝いたせ」

「わ、我々は――」

「ネイピアさん、よそう。俺たちに説得できる材料はない」


 チンタローがネイピアを止めると、魔龍の顔にようやく笑みが戻った。


「フン。チンタローといったか。まるっきりの莫迦ではないようじゃな……ところで」


 魔龍は厚切りの白パンを皿に置くと、テーブルを見渡した。


「パンも果物も野菜もせっかく用意したのに、何故食べぬ。肉と魚はないが、存分に食べよ。野菜は身体によいぞ。ワインも飲むがよい。赤も白も、なかなかの味じゃ」


 少しだけ機嫌を直した魔龍がテーブルのワインを手で示すと、ミャーコが肩をすくめた。


「ミャーコは子供だから、お酒飲めないんだゾー」

「わ、わたしもお酒は……」

「俺も酒は飲めない」

「私も遠慮いたします」


 魔龍が小さくため息をついた。


「なんじゃ、つまらぬ。それでは果物のジュースを持ってこさせるとするか。それに、野菜と豆のスープでも作らせようか」


 魔龍が右手の指を鳴らそうとすると、チンタローが小さく右手を上げた。


「なんじゃ。言いたいことがあるなら言え」

「すまないが、あなたの用意した物に手をつけるわけにはいかない」


 魔龍が一瞬だけ目を丸くした後、苦笑した。


「ははぁ……なるほど。安心いたせ。毒など入っておらぬぞ」

「違う」


 チンタローは魔龍の目をまっすぐ見た。


「そういう意味で言ったんじゃない。あなたが口にしているものは、アナルニアの人たちが汗水たらして育てた野菜や果物、時間と手間をかけて作った飲み物だ。あなたに奪われ、ただで飲み食いさせる為に作ったものじゃない。それを知りながら、飲み食いするわけにはいかない」


 魔龍は再び目を丸くした後、にぃっと笑ってみせた。

 開かれた口から、鮫のような鋭い歯がのぞいた。


「ほう……我を前に、ここまで言う人間は初めて見たぞ」

「だから……あなたに飲んでもらう為に酒を持ってきた」


 チンタローはおもむろに鞄を漁ると、一本の瓶を取り出した。


「ビールか、悪くない」


 瓶に貼られたラベルを見て、魔龍が満足そうにうなずいた。


「少しだけでもいい。これを飲みながら、俺たちの話を聞いて欲しい。お願いだ」

「ふぅむ……我に飲ませる酒を、命を賭けて持ってきたというのか」


 魔龍がチンタローの差し出した瓶をそっと受け取った。


「あなたと、腹を割って話したい。でも、あなたが話したくないことは話さなくてもいい。とにかく、まずは少しでもお互いのことを知るべきだと思うんだ」

「……よかろう」


 魔龍がコルクを固定する針金にそっと手を伸ばし、動きを止めた。


「……ぬるいな。外の温度を考えれば、やむなしか。まぁ、よい」

「あっ……! ちょっと、待って。失礼します!」


 チンタローは慌てて魔龍の手から瓶を取り上げると、ミャーコに目配せした。


「水と、風! ちょっと力、貸して! この瓶を冷やすんだゾ!」


 ミャーコがいい加減な呪文を唱えつつ手をかざした瞬間、チンタローの手の中に一瞬で水が集まり、瓶が激しく回転し始めた。

 魔龍はその様子をしばし無言で眺めていたが、やがて感心したようにうなずいた。


「ふぅむ……うぬの呪文……というよりも魔法は少し変わっておるな。自然に直接、働きかけて力を借りるものか」


 不安げな表情を浮かべるモミーナ、ネイピアとは対照的に、魔龍はチンタローの手の中で瓶が回転する様子を面白そうに見守っていた。


「よし……大丈夫、バッチリ冷えてるんだゾ」

「ありがとう。助かったよ、ミャーコ」


 チンタローは表面に水滴の付いた、見るからに冷たそうな瓶を見て満足そうに笑った後、飲み口の針金を外して指で勢いよくコルクを抜いた。

 すぽん、と気持ちの良い音がしてコルクが抜けると瓶の中身が数滴、テーブルにこぼれた。

 隣にいたミャーコが一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに笑顔に戻る。


「あっ……! えぇと……とにかくどうぞ! よく冷えておいしいよ!」


 チンタローが慌てて魔龍に瓶を差し出すと、魔龍は笑顔で受け取った。


「少しこぼれたくらい、気にするな。わざわざ冷やして渡すとは、なかなか気が利いておるではないか……では早速、飲むとしよう」


 魔龍は手の中の瓶を嬉しそうに見つめた後、そっと口をつけた。

 チンタローたちが無言でその様子を見守る中、モミーナだけが目を逸らした。

 魔龍が瓶を呷った次の瞬間――。


「ブーーーーーーッ!!!!!!!」


 その口から凄まじい勢いで液体が噴き出した。

 直撃を受けたモミーナとミャーコが悲鳴を上げた。


「きゃぁぁぁぁっっ!!!」

「うわーっ!!! 汚いんだゾー!!!」

「汚いのはどっちだぁぁぁぁぁぁ!!!」


 魔龍が立ち上がり、瓶を思い切り壁に投げつけた。

 瓶が砕けて黄色い液体が辺りに飛び散り、鼻をつくアンモニア臭が室内にたちこめた。


「あー、やっぱダメだったか……」

「おのれらぁぁぁぁ!!! よりにもよって、小便など飲ませよってぇぇぇぇ!!!」


 魔龍は真っ赤な瞳から黒い炎を迸らせ、チンタローを睨みつけた。


「吐いたじゃないか」

「細かいこたぁいいんだよ!!!」

「はわわわ……! チンタローさぁん。だから、お……おしっこを飲ませるのはやめようって言ったじゃないですかぁ~」


 顔や服に飛び散った小便を手拭いで拭きながら、モミーナが恨めしそうな目でチンタローを見る。


「いい考えだと思ったんだけどなぁ」

「えぇい、黙れ黙れ!! もはや許せぬ……腹を割って話すと言いながら、我をたばかり! 小便を飲ませるとは! やはり人間など生かしておく価値はない! 滅ぼしてくれる! うぬらを灰にした後で、うぬらを遣わした王都の者共も焼き尽くしてくれるわぁぁぁぁ!!!」


 叫びと共に、魔龍の全身に黒い炎が集まってゆく。

 炎が壁や家具を焦がし、少女の姿が炎に包み込まれてゆく。


「あ……! やっべ……どうしよ……」

「……逃げましょう」


 それまで沈黙を保っていたネイピアがそう返すと、チンタローたちは脇目もふらずに部屋を飛び出していった。


「作戦失敗です、チンタロー殿。これからどうしますか」


 トンネルを走りながら、ネイピアが問うた。

 平静を装ってはいたが、顔からは冷や汗が流れていた。


「とにかくここを出よう! タケヤたちと合流して、全員で戦うんだ!」

「はわわ……わかりました!」

「異議なし、なんだゾ!」

 

 チンタローたちの声は、一人残された魔龍の耳にも届いていた。

 魔龍は燃え盛る黒い炎の中で鼻を鳴らした。


「……莫迦共めが」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「はっはっはっ。他愛のない奴らだったな!」


 気絶した冒険者たちを縄で縛りながら、マッスロンが豪快な笑い声を上げた。


「ったりめーだろ。だから俺一人でいいって言ったんだよ」


 タケヤが吐き捨てるように言うと、隣で冒険者を縛っていたドエームが苦笑した。


「タケヤ。だからって、これだけの人数を縛り上げるのも一苦労でしょう。せめて『おかげで手間が省けた』くらいに考えられませんか」

「チッ……まぁ、そうだな。全部で四十二人もいやがるとはな」


 剣士に戦士、施療士ヒーラーに魔法使い。

 タケヤたちに敗れた冒険者たちは、魔龍討伐という困難な冒険に身を投じるだけあって、ある程度の実力を備えてはいた。

 しかし、若くして豊富な戦闘経験と戦技スキルを身に着けたタケヤたちの敵ではなかった。


「……元から負ける見込みはなかったとはいえ、大怪我させないように戦うのは些か疲れましたね」

「誰か裏切りでもしねー限り、負けるはずがねーよ。とにかく、チンタローたちの所へ急ごうぜ」

「はっはっはっ。冗談でも、あり得ないことを言うのはよせよ、タケヤ」


 マッスロンが大きな手でタケヤの背中を叩いた。

 マッスロンは軽くたたいたつもりだったが、赤い鎧が大きな音を立て、タケヤの身体が揺らいだ。


「いってーな、お前こそ乱暴なことすんなよ。って……あれ?」


 タケヤはヤーラシュカの姿が見えないことに気づいた。


「ヤーラシュカのヤツ、どこ行ったんだよ?」

「そういえば……ついさっきまで、そこにいたはずなんですが……」


「はっはっはっ。おーい、ヤーラシュカ! ヤーラシュカ! もうよいぞ! 出て来いよ!」


 マッスロンが大声で呼びかけるが、返事はない。


「どこに行ったんだよ、あいつ?」

「お手洗いかも知れませんよ。しばらく待ちましょう」


 そう答えたドエームが、不意に不気味な視線を感じた。


「…………っ!?」


 反射的に視線を感じる方へ振り返ると、建物の陰からヤーラシュカがじっとこちらを見ていた。

 一言も発さず杖を携えて佇む姿に、ドエームの背中を冷たい汗が伝った。


「ちょっと……ヤーラシュカ! 脅かさないでください! もう行きますよ!」

「ったく、何やってんだよ。いるなら声かけろって」


 しかし、ヤーラシュカは応えない。


「ヤーラシュカ! なぜ見てるんです!?」


 ドエームが苛立って声を上げた瞬間、ヤーラシュカが杖の先端部ヘッドをドエームに向けた。


「ヨロエモ・ヨロエモ……火炎神の眷属たる我のもとに集いし数多あまたの火よ。我が敵を焼き尽くす烈火となれ」


 生気のない瞳で唱えた呪文と共に、ヤーラシュカの杖から猛烈な炎が迸った。

 間一髪で避けたドエームのすぐ横を猛火が飛び去り、背後にあった二軒の民家が一瞬で燃え上がり、爆発を起こした。


「なっ……ヤーラシュカ! なんてことを!」

「ヤーラシュカ、テメェ!」

「おい、ヤーラシュカ!」


 仲間たちの呼びかけにも答えず、ヤーラシュカは杖を振るって無数の火球を放った。


「さぁ、ゆけ!」


 タケヤたちが避けた火球が周囲に着弾し、地響きがするほどの爆発が連続して起こった。

 タケヤたちといえど、まともに受ければ大ダメージを受ける強力なヤーラシュカの魔法――!


「ヤーラシュカ!! 本当ホントに裏切ったんですかぁ!?」


 ドエームの叫びが、爆発によってかき消された――。

卑劣!


格好いいことを言って魔龍を騙し、小便を飲ませたチンタロー!


いくらなんでもあんまりだ!


魔龍の怒りも、もっともだ!


次回、魔龍の怒りが爆発する!


ソイヤ! ソイヤ! ソイヤ!

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