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第二十四話『魔龍からの誘い』

 赤い瞳の少女――魔龍は、幼さを残す姿に似合わぬ冷たい笑みを浮かべてチンタローたちを見据えていた。


「剣士が三人に、魔法使いが一人か。我も甘く見られたものよ。ところで、そこの男」


 魔龍が不意にチンタローを指差した。


「その剣……覚えておるぞ。オーベンデールめが我のもとへやって来た時の剣。アナルニア王家は物持ちがよいことよ。フフッヒ」


 血のように赤い瞳を向けられたチンタローは構えていた剣の切先をゆっくりと地面に向けた。


「……ふむ?」


 訝しむ魔龍の視線から目を逸らすことなく、チンタローは静かに剣を鞘に納めた。

 続いて、モミーナとネイピアも剣を鞘に納め、ミャーコも杖を腰のベルトに差し込んだ。


「何のつもりじゃ。うぬら、我を倒しに来たのであろうが」

「……俺たちは」


 チンタローは高鳴る鼓動と全身の震えを必死に抑えながら、声を絞り出した。


「俺たちは……あなたと話をしに来た。どうか、俺たちの話を聞いて欲しい」

「……我と話がしたい……じゃと?」


 魔龍の顔から笑みが消えた。

 それと同時に周囲の気温が急激に下がったような悪寒が、チンタローたちを襲った。


「そうだ。あなたがパンを食べるように、俺たちもパンを食べる。こうして、言葉が通じる。それなら……戦うより前に、話し合うべきだと思ったんだ」

「くだらぬ。うぬらの話を聞いて、我に何の利益がある?」

「え……っ。利益……!?」


 口ごもるチンタローを前に、魔龍が再び冷笑を浮かべた。


「話し合いなどと言うて、どうせ王家の者どもの都合を、一方的に押し付けるつもりであろうが。生憎あいにく、我は今の暮らしをやめるつもりはない。うぬらの要求を聞くつもりもない」

「そ……それは……」


 魔龍がため息をついた。


「王家の輩も、もう少し頭の回る男を寄越せばよかろうに。見たところ、剣の腕もオーベンデールに遠く及ばぬようじゃのぅ。何故、うぬのような男が選ばれたのか皆目、見当がつかぬ」

「お待ちください。この人……チンタロー殿は、そんないい加減な人ではありません。アナルニア王国第一王女にして摂政、第二百六十五代宰相ウォシュレ殿下の名代たる私――侍従騎士ネイピアが保証します」


 ネイピアがチンタローの隣に歩み出た。


「チンタロー殿は確かに、剣ではオーベンデール陛下に及ばないでしょう。ですが、その勇気はオーベンデール陛下にも劣りません」

「ネイピアさん……」


 チンタローの呼びかけが聞こえないかのように、ネイピアは言葉を紡いだ。


「何が待ち受けるか分からないこの坑道で、股間を晒して先頭に立ち、我々を導いたのはチンタロー殿です。そして、あなたを前にして最初に剣を納めたのもチンタロー殿です。私は王女殿下の名代としてチンタロー殿の勇気に敬服し、心よりの信頼を置いています。チンタロー殿に今回の任務をお命じになられた王女殿下のご判断に間違いはないと私は考えます」


 その声には、これまでに聞いたことのないような熱がこもっていた。

 チンタローは横目でネイピアの表情を窺った。

 この場を収める為の方便とは思えなかった。そもそも、常に真剣で誇り高い侍従騎士――ネイピアが、そんなことをするとも思えなかった。


 チンタローは再び、まっすぐに魔龍の目を見た。

 モミーナとミャーコも、静かに魔龍の目を見つめていた。


「……ふぅむ、なるほど」


 魔龍が再び笑みを浮かべた。

 これまでのような冷笑ではない。新しいおもちゃを前にした子供のような笑みだった。


「まぁ、よかろう」


 魔龍がくるりと背を向けた。

 腰から伸びた、トカゲのような黒く長い尾が、地面から浮いて躍っていた。

 チンタローたちがその小さな背中を目で追っていると、魔龍が呆れた顔で振り返った。


「何をしておる。ついて来ぬか」

「えっ……?」

「命知らず共の話を聞いてみたくなった。うぬらを客と認めよう。坑道内の護衛も下がらせる。うぬらは、あのニオイに辟易へきえきしておったようじゃからのぅ」


 チンタローがネイピアに笑顔を向けたのを見て、魔龍が再び背を向けて歩き出した。

 チンタローたちも、それに続いて歩き出す。

 魔龍が歩く間も、その尾は楽しそうに躍っていた。

 やがて、部屋の入口まで来たところで魔龍が振り向いた。


「最低限の礼はわきまえておるようで安心した。背を向けた我に刃を向けるようであれば、この尾がうぬらを八つ裂きにしておったぞ」


 その赤い瞳と鮫のように鋭い歯を見た瞬間、チンタローの背に再び悪寒が走った。


「フフッヒ」


 独特の笑い声――。

 それは、鼓膜が張り詰めるほど大きな声に聞こえた。


「ああ、言い忘れておった。チカチカ眩しくて不快じゃ。股間のそれを早う、仕舞え」

「あっ……はい」


 下半身を丸出しにしていたことをようやく思い出し、チンタローは慌ててズボンを履いた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 かつて鉱山の作業員たちの休憩所だったという一室は、思いのほか広く清潔だった。

 十メートノレ四方はある部屋の壁は漆喰で白く滑らかに塗りこめられ、八人がけのテーブルと椅子を中心に、クローゼットや食器棚など真新しい家具が配置されている。

 奥には別室へ通じる扉があり、一見して廃鉱山の中に設けられた部屋――それも、人ならざる者の住処とは思えなかった。


 チンタローたちが何より驚いたのは、ランプも蝋燭ろうそくもない部屋が昼間のように明るいことだった。


「一つ、お願いがある。俺の仲間――ミャーコが頭痛で苦しんでいる。先に彼女の治療をさせて欲しい」

「チンタロー……ミャーコなら大丈夫なんだゾ」

「無理するな」


 魔龍はミャーコの青ざめた顔を一目見ると、一瞬だけ考え込む様子を見せた。


「かまわぬぞ。その間に、うぬらをもてなす準備をするとしよう」

「えっ。もてなす……?」


 不意に魔龍が右手の指をパチン、と鳴らした。

 ややあって、エプロンをつけた男がパンや果物、ワインの瓶を詰めた大きな籠を持って室内に現れた。


「!?」


 呆気に取られるチンタローたちを尻目に、男は籠から食べ物やワインを取り出してテーブルに置き、大きなパンを切り始めた。

 チンタローたちは、虚ろな表情でパンを切る男に見覚えがあった。


「あの……! ノァトーニさん! ノァトーニさん、ですよね?」


 ノァトーニ商店の店主――トゥイレソ=ノァトーニはチンタローの声がまったく聞こえていない様子だった。

 無言でパンを切り、食器棚から皿やグラスを取り出し、テーブルに置く。

 てきぱきとした動きと虚ろな表情が不釣り合いで、とにかく不気味だった。


「安心するがよい。休みも食事も与えておる。それに、もう少し働かせたら解放しようと思っておる。それより、どうした? 仲間の治療をするのであろう。早うせぬか」

「えっ? あ、うん……」


 チンタローがネイピアに目配せすると、ネイピアはミャーコの額に左手をかざした。


「ありがと、ネイピアさん」

「礼には及びません。ファバンリ・ロンナスーエ……我は汝の血と肉に安らぎをもたらさん。目覚めよ、内なる力よ……」


 やがてネイピアの手が輝き、蒼ざめていたミャーコの顔に血の気が戻ってゆく。

 部屋の隅でうずくまるミャーコとネイピア、心配そうに見守るモミーナを、魔龍は椅子に座って、どこか莫迦にしたような目で見下ろしていた。


「なるほど。これが現代の魔法か」


 その言葉からは現代の魔法に対する侮蔑と、自らが操る魔法への自信が透けて見えた。

 やがて、ノァトーニが食べ物や飲み物の用意を終えると、魔龍は再び指をパチンと鳴らした。

 ノァトーニは籠を持ったまま、チンタローの目の前で消えた。

 チンタローたちは、驚きのあまり声すら出せなかった。


「今のは空間転移術なんだゾ……呪文の詠唱もなしに……!」


 頭痛から解放されたミャーコが、額の汗を拭いながら言った。

 チンタローも、現代の魔法がどんなものかは知っている。

 生きた人間を空間転移させることがどれだけ危険で、膨大な魔力を使うものかも知っている。

 それを呪文の詠唱もなしに使う魔龍の魔力がどれほどのものか、一目で理解した。


「見るのは初めてのようじゃな。まぁ、座るがよい」


 魔龍に促されてチンタローたちが向かいの席に着くと、魔龍は大きな木皿に盛られたパンを食べ始めた。

 決して無作法というわけではないが、上品ともいえない。

 強いて言うならば、見た目相応の子供らしい食べ方だった。


「千年前と比べて、この地は随分と豊かになったようじゃのぅ。パンも柔らかく、うまくなったものじゃ。生憎、我は現代の作法を知らぬ。うぬらも好きに食べて飲むがよい」


 魔龍は厚切りの白パンを食べ終わると、もう一切れ取ってキイチゴのジャムをスプーンでたっぷりと塗りつけ、うまそうにかぶりついた。

 チンタローたちは空腹であったが、直前に遭遇したウンコ・ゴーレムと今の状況を思えば、とても飲み食いする気にはなれなかった。


「目覚めてしまった時はどうしたものかと思うたが、悪いことばかりではない。何せ、千年前よりも食べ物と飲み物がうまい。家や調度品も造りが良くなった」


 魔龍はそう言って白ワインを瓶からグラスに注ぎ、喉を鳴らして飲み干すと気持ちよさそうに息を吐いた。


「ぷはぁ。さて、うぬらの要求を聞く前に、ここしばらくの情勢を聞くとしよう。誰がよいか……」


 魔龍はチンタローたちの顔や装いをしばらく見比べた後、ミャーコに目を向けた。


「狐の耳をした小娘。簡単に、でよい。我が眠りに就いてからの、この国の歴史と五十年前からの出来事を話せ」

「えっ……ミャーコが話すんだゾ?」


 魔龍がワインをグラスに注ぎながらうなずいた。


「左様。うぬは魔法使い……それも、東方の魔獣狩りの一族と見た。話を聞くならば、物事を俯瞰して見られる者から聞いた方がよい。アナルニア人もクソシタール人も、それぞれの立場と都合がある」


 そう言って魔龍はネイピアに目を向け、にやりと笑った。

 ネイピアはしばしの沈黙の後、渋々といった表情でうなずいた。


「……わかりました。それでは、ミャーコ殿。お願いします」

「わかったんだゾ」


 ミャーコが大きく深呼吸をする間に、チンタローが背筋を伸ばして真っすぐに魔龍の目を見た。


「……何じゃ? 無遠慮に見おってからに」

「俺はチンタロー。この国の外からやって来た冒険者だ」

「……ふむ?」


 チンタローがモミーナに視線を向けると、モミーナは思い出したように慌てて声を発した。


「わ……私はモミーナ=パイデッカーと申します。大陸北部にあるエルフの里からやって来ました。冒険者としてチンタローさん、ミャーコちゃんと旅をしています」


 モミーナの自己紹介を聞き終えた魔龍が無言でネイピアに目を移す。


「私は……アナルニア王国第一王女にして摂政、第二百六十五代宰相ウォシュレ殿下の侍従騎士ネイピアです。今回は王女殿下の名代として彼らに同行しています」


 魔龍の表情がにわかに曇った。


「……先ほども聞いたぞ。それで、己が何者か述べたつもりか」

「はい。大事なことは二回言うものだと幼い頃に教わりましたので」

「フン……まぁ、よい」


 気色ばむ室内で、ミャーコは大きく深呼吸をすると居住まいを正して咳払いをした。


「コホン。ミャーコ=ケモニャンコ。大陸東方、ケモーニア地方から来たんだゾ。モミーナ、チンタローと一緒に旅をしてるんだゾ」

「……ほぅ。他国の者が三人に、この国の者が一人……か。フフッヒ」


 魔龍は全員の顔を見渡すと、グラスを傾けながらミャーコに話すよう片手で促した。


「それじゃ……アナルニア王国公式の歴史書『アナルニア年代記』の記述を中心に話すんだゾ。ミャーコだってこの国の歴史は把握してるけど、完璧じゃない。そのあたりは、あらかじめ言っておくんだゾ」


 ミャーコが鋭い視線を向けると、魔龍は満足げにうなずいてオレンジを手に取った。


「かまわぬ。さあ、話すがよい」


 魔龍の鋭い歯がザクリと音を立てて、オレンジの分厚い皮に突き刺さった。

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