第十七話『チンタロー王都を発つ』
国防省庁舎の客室で目を覚ましたチンタローは、綺麗に洗濯された衣類を従兵から受け取って着替えた。
一人一部屋あてがわれた客室のベッドは清潔で寝心地も良く、普段寝泊まりしている安宿とは雲泥の差だった。
慌ただしい二日間の疲れを癒したチンタローは冷たい水で顔を洗い身支度を整えると、朝食を摂る為に将校用食堂へ向かった。
食堂にはモミーナとミャーコがいた。
「おはようございます、チンタローさん。よく眠れましたかぁ?」
「おはよう。昨日はよく食べたし、部屋も快適だったからよく眠れたよ。あれ? ミャーコはなんか眠たそうだな」
元気なモミーナとは対照的に、ミャーコはあくびをしながら眠たそうに両手で目をこすっていた。
「にゃむーん……夕飯食べてから、ちょっと頭が痛くて……なかなか寝付けなかったんだゾ。昨日と一昨日は何時間も馬車に乗ってたからナー」
「大丈夫か? ドエームに治してもらおうか」
「寝たら治ったから大丈夫なんだゾ。それに、この後もまた馬車に乗るわけだし」
「あんまり無理しちゃ駄目ですよぅ、ミャーコちゃん」
ミャーコが笑った。
「にゃははっ。これから無茶なことしにいくのに、無理も何もないんだゾ」
ミャーコの返答にモミーナの顔が引き締まる。
「……そうですね。確かに」
チンタローは大きく深呼吸すると、背筋を伸ばして二人に向き合った。
「二人とも、よろしく頼む」
「らしくないんだゾ、チンタロー。こういう時こそ平常心が大事なんだゾ」
「……それもそうか。とにかく頑張ろう」
三人がうなずき合ったその時、軍靴を鳴らして食堂に入ってくる者があった。
「確かに平常心は大事です。心技体、いずれも日頃の鍛錬がものを言います。おはようございます」
青と白の軍服を纏った騎士――ネイピアが涼やかな声で挨拶した。
その美しい顔には相変わらず愛想の欠片もない。
「ネイピアさん。おはようございます」
ネイピアは挨拶を返すチンタローたちにうなずいてみせると、食堂の中を見渡した。
「下衆・クリムゾンは? まだ来ていないのですか」
「えーと、そのうち来ると思いますけど……何か?」
「今後の打ち合わせをしようと思ったのですが、朝食が済んだ頃にしましょう」
ネイピアはそう言って踵を返した。
「あっ……ネイピアさん、行っちゃうんですか? 朝ごはん、一緒に食べるのかと思ったんですけど」
「いいえ。昨晩も今朝も、あなた方と食事をする予定はありません」
背を向けたまま食堂を出ようとしたネイピアが不意に立ち止まり、振り向いた。
「そうでした、パイデッカー殿。あなたは昨日『報酬はいらない』と言いましたが、そのようなことは二度と口にせぬよう。よろしいですね」
「えっえっ……私は、その――」
「この国と国民の為に命を賭ける勇士に対し、何の報酬も用意しないなどアナルニアの流儀に反します。あなたは報酬を受け取らないことを美徳と考えているのでしょうが、閣僚の方々が話し合って決めた、あの報酬は困難な任務に臨むことへの敬意の証でもあります。そのことはお忘れなく」
ネイピアはモミーナの言葉を遮って言い切ると、食堂から出ていった。
チンタローは、魔龍対策会議でのやり取りを思い出した。
ハインセッツ公の「ここにいる閣僚よりも高い爵位を得られるやも知れぬぞ」という言葉は、冗談ではなかったのかも知れない。
そうだ。これは、ただのクエストではない。
魔龍を倒さねば、アナルニアとクソシテネーレの戦争が起きるかも知れない。
最悪の場合、周辺国を巻き込んだ大戦争に発展する恐れすらある。
これは一国の運命を、場合によっては大陸の運命をも左右する、一世一代のクエストなのだ――。
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「暗黒と邪悪の化身たる魔龍を滅ぼすべく旅立つ、若き勇士たちよ。汝らの剣に光あれ。汝らの手に勝利あれ。神の御手が示す先に汝らの歩みあり」
曇り空の下、王宮前の広場で出立式が執り行われた。
チンタローたち三人と下衆・クリムゾンのメンバー、そしてネイピアを加えた八人は王宮の正門に向かって横一列に並んでいた。
ウォシュレとハインセッツ公やインモーハミダスら閣僚の見守る中、白い法衣を纏い白く立派な髭をたくわえた高僧が、チンタローたち一人一人の前で杖を振りかざし、祝福を与えた。
高僧が儀式を終えて退くと、白いドレスを纏ったウォシュレがチンタローの前に歩み出た。
その両手にあるものは、アナルニア王家に伝わる聖なる剣。鞘には金具が取り付けられ、腰のベルトに佩用できるようになっていた。
「チンタロー。この剣をあなたに託します。離れていても、私たちの心はあなたたちと共にあります」
「謹んでお預かりします」
ネイピアとの打ち合わせ通りに言葉を発し、両手で剣を受け取る。
ウォシュレが二歩退いたのを見計らい、腰のベルトに鞘の金具を括り付け、剣を提げる。
これも打ち合わせ通り。
チンタローが顔を上げたのと同時に、軍楽隊がラッパを吹き鳴らす。
広場の左右に並んだ近衛兵たちが一斉に軍旗を掲げると、広場から延びる目抜き通りから大きな歓声が上がった。
市民の歓声を背に受け、緊張した面持ちのチンタローにウォシュレが微笑んだ。
王女らしい、威厳と気品溢れる笑顔だった。
続いて、インモーハミダスが副官を伴いウォシュレの隣に歩み出る。
副官が両手に持った象嵌の箱の中には、アナルニアの国章を刻んだ黒い徽章が八個並べられていた。
「諸君らの武運と無事を心から祈っている。この徽章は国防大臣特命の印。諸君らが、私の責任と権限の下で任務にあたっていることを示すものだ。そして、魔力による影響を最小限に抑える効果がある。魔龍の勢力圏へ踏み込む時に力を発揮するはずだ」
「ありがとうございます」
インモーハミダスは大きくうなずくと、盾を象った徽章を取り出してチンタローの上着の左胸に取り付けた。
艶やかに黒染めされた台に金細工で国章と剣が刻まれた徽章を、チンタローはしばし無言で見つめた。
「ようやく八個、出来上がった。これを軍へ配備するにはまだ時間がかかる。すまぬが頼んだぞ、チンタロー」
チンタローだけに聞こえる声で言うと、インモーハミダスはモミーナの前へ移動し、一人一人の胸に徽章をつけていった。
インモーハミダスが全員の胸に徽章をつけ終わると、再びウォシュレがチンタローの前に歩み出た。
「チンタロー、頼みましたよ。魔龍討伐の成功と、あなたたちの無事を祈っています」
「はい、王女殿下。必ずやこの手で魔龍を討伐し、全員で帰って参ります」
チンタローが打ち合わせ通りに応えると、再び軍楽隊がラッパを吹き鳴らした。
沿道の市民から一際大きな歓声が上がる中、七騎の槍騎兵に先導されて二台の無蓋馬車が広場に入って来た。
近衛兵の御者が駆る馬車は純白に染められ、両側面にアナルニアの国章が金箔で刻まれている。
王族と国賓だけが乗ることを許される、特別車だ。
馬車がチンタローたちの前で停まると、控えていた近衛兵が側面のドアを開けた。
空まで届くような歓声の中、チンタローたちは馬車に乗り込んでいった。
馬車のステップに足を架けたチンタローが一瞬だけ振り返り、ウォシュレに何かを告げた。
ウォシュレは息を呑んでチンタローの目を見たが、背を向けたチンタローが再び振り返ることはなかった。
やがて、騎兵が白馬をけしかけて走り出す。
楔形の陣形を取る五騎の騎兵に先導され、チンタローたちを乗せた馬車も走り出した。
前に五騎、後ろに二騎の騎兵が護衛につく形で、二台の馬車が縦に並んで目抜き通りを駆けて行った。
ウォシュレは遠ざかる馬車に向かって、大きく手を振った。
――あなたを、必ず助けます――
歓声にかき消されて聞こえなかったものの、口の動きからチンタローが何と言っているのか理解できた。
ウォシュレは馬車が見えなくなるまで、手を振り続けた。
インモーハミダスは、そんなウォシュレの背中をただ見守っていた。
チンタローたち三人とネイピアは前方の馬車に乗り、沿道の市民から盛大な歓声を受けた。
「なんだかすごいことになっちゃったなぁ……」
「こんな体験、たぶん二度とないんだゾ」
「あっ、チンタローさん、ミャーコちゃん! あそこに屋台のおじさんがいますよぉ!」
モミーナの指さす方に、ソーセージ屋台の店主が大きな国旗をかざす姿が見えた。
その隣では店主の家族か、中年女性と幼い兄妹が手を振っている。
「がんばれよぉーっ! 死ぬんじゃねぇぞーっ!」
チンタローたちは笑顔で手を振った。
「行ってきまぁーす!」
「また、食べに行くんだゾーっ!」
「おじさんたちも、お達者で―!」
歓声を受けるチンタローたちを、ネイピアは無言で見つめていた。
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「うーん……やっぱり臭い……」
「我慢してください」
悪臭に弱音を吐くチンタローをネイピアが無慈悲に叱った。
しかし、隣に座るネイピアも顔色が悪い。
城外へ出たチンタローたちは軍の馬車に乗り換え、目的地のベンピァックへ向かっていた。
前の馬車にはチンタローたちとネイピアが、後の馬車には下衆・クリムゾンのメンバーが乗り込んだ。
王都の外では悪臭がチンタローたちを待ち受けていた。
「あのあの……でも、前よりだいぶ臭さが和らいでるような気がしますよぉ?」
「この徽章のおかげなんだゾ。アナルニアの魔法技術は大したモンなんだゾ」
向かいに座るモミーナとミャーコの言葉に、チンタローが居住まいを正した。
「ごめん……もう弱音は吐かないよ。ところでネイピアさん、この後ですけど……」
「ここから先は時間短縮の為、軍の宿駅ごとに馬車を乗り換えて進むことになりますが、それでもベンピァックまでは一日以上かかります。歓談するなり景色を楽しむなりして時間を潰してください」
チンタローはしばしネイピアの横顔を見ていたが、やがてモミーナとミャーコに振り向いた。
モミーナとミャーコはチンタローの意図を察したのか、無言でうなずいてみせた。
「あの、ネイピアさん。好きな食べ物は何ですか?」
「……カブのサラダです」
「あのあの……ネイピアさん。好きな色は何ですか?」
「……青ですが」
「ネイピアさん! ミャーコの見立てでは魔法が使えるみたいだけど、どんな魔法が使えるんだゾ?」
「だゾ……? 私が使えるのは支援魔法全般です。攻撃用の魔法は使えません」
「ネイピアさん。趣味は何ですか?」
「剣術の鍛錬と読書です……って、どうして私に質問ばかりするのです?」
チンタローたちはネイピアの顔を覗き込んだ。
「何ですか。人の顔をじろじろと。失礼ですよ」
「歓談って言うから、ネイピアさんと話をしようと思ったんですけど」
「私はあなた方と友達になった覚えはありません。馴れ馴れしくしないでください」
「ちぇー。ノリが悪いんだゾー」
ネイピアが眉をひそめた。
「ノリが……って、そんなものは戦いに必要ありません」
「あのあの……これから一緒に戦うんですから、もっとお互いのことを知った方がいいと思うんですよぅ」
「そうですよ!」
「そうなんだゾ!」
ネイピアは額に手を当て、大きくため息をついた。
「好きにしてください。ですが、私が話したくない時は無視します。よろしいですね」
「うわー、感じ悪いんだゾー」
「年上の私にぞんざいな口を利くあなたの方が感じ悪いです」
「むー、ミャーコは感じ悪くないんだゾ!」
「あわわわ……喧嘩はいけませんよぅ、ミャーコちゃん」
目の前で繰り広げられる応酬をチンタローは苦笑しつつも、どこか楽しく眺めていた。
一緒にいれば不機嫌な顔だけでなく、きっと笑顔も見られるはず――。そう思った。
チンタローたちを乗せた馬車は暗雲と地平線の狭間に向かって、走り続けた。
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馬車を乗り継ぎ、ウンコ魔龍の住処へと向かうチンタローたち。
そこでチンタローたちが見たものは――?
次回にご期待ください!




