第十六話『一人ぼっちの異邦人』
これまでの人生で一番気持ち良い放尿の後、貸し切りの浴場で身を清めたチンタローは新しい衣服に身を包み、仲間たちの待つ国防省の庁舎へ向かった。
上質な紳士服を纏い、従兵を伴って歩くのはまるで自身が偉くなったようで嬉しいような、こそばゆいような何とも言えない気分だった。
赤いレンガ造りの庁舎は見るからに堅牢そうで虚飾がなく、質実剛健を絵に描いたような造りだった。
チンタローが従兵と別れて夕食会場の将校用食堂へ向かうと、出入り口の前でドエームが尻をかいていた。
こちらに気づいて振り向いたドエームのすまし顔に、チンタローは渾身の正拳突きを見舞った。
「あべし!」
もんどり打って床に転がるドエームだったが、すぐに立ち上がってチンタローをにらみつけた。
「いきなり何をするんです! 私が何をしたというんですか!」
「うるせー! 自分の胸に聞いてみろ、この変態野郎!」
ドエームはそっと胸に手を当て、考え込んだ。
「うーん、元はといえば全て私のせいか」
ウォシュレの為に一矢報いたチンタローは、ドエームを無視して食堂に足を踏み入れた。
内装は軍の施設らしく簡素だが、白を基調とした上品なものだった。
「あっ、チンタローさん!」
「やっと来た! 遅いんだゾ!」
鎧を脱いだモミーナとミャーコがチンタローを笑顔で迎えた。
二人も入浴を済ませたらしく、さっぱりした顔をしている。
「チンタローさん、その立派な服はどうしたんですかぁ。よく似合ってますよぉ」
「ありがと。えぇと……転んで服を汚しちゃってさ。近衛部隊の人達が代わりの服をくれたんだ」
「ふーん。そんなことより、ミャーコはハラヘリヘリハラなんだゾ~。ん……チンタロー、なんかちょっとにおうんだゾ。くんくん……このニオイは――」
「気のせいだよ、気のせい! そんなことより、早く食卓に着こう!」
やがてタケヤら下衆・クリムゾンのメンバーが揃うと、インモーハミダスが姿を現した。
「諸君、待たせてすまない。心ばかりの食事を用意させてもらった。存分に食べて明日に備えてくれ」
長いテーブルに着いたチンタローたち一人一人の後ろに従兵を配し、それぞれに飲み物が行き渡ったのを確かめると、インモーハミダスはグラスを掲げた。
「魔龍討伐の成功と、諸君らの無事を祈って……乾杯!」
「乾杯!」
乾杯の合図と共に、それぞれがグラスを傾ける。
「……これは!」
スパークリングワインを一口飲んだヤーラシュカの表情が変わった。
「あぁん……おいしーいっ! 果実の爽やかさとスパイスの香ばしさが溢れる香り、フレッシュな口当たりに豊かで深いコク……口の中を心地よく撫でる、きめ細やかな泡立ち。さすが、アナルニアのワインですわぁ~!」
ヤーラシュカが妖艶に身を揉んでワインのおいしさを表現する傍らで、同じく酒を嗜むタケヤとドエームもまた、感じ入ったようにワインを味わっていた。
酒が飲めないチンタローは炭酸水を飲んでいたが、各地を旅して舌の肥えたタケヤたちを唸らせるあたり、ワインがいかに良いものかが窺えた。
「シリーゲムッシル卿が迎賓館の貯蔵庫から、よいものを選んで届けてくれた。ビールもある。好きなだけ飲んで、食べるがいい」
「ありがたいですわぁ。あら……閣下は、ワインを召し上がらないのですか?」
インモーハミダスが飲んでいたのは水だった。
「私は下戸でな」
インモーハミダスはにこりともせず、グラスを呷った。
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「はふぅ。お腹いっぱい……満足したんだゾー」
「おいしかったですねぇ、ミャーコちゃんっ」
ミャーコとモミーナが満足そうな顔でうなずき合った。
前菜から主菜、デザートに到るまで、供された料理や菓子はどれも素晴らしい味で、軍隊らしく量も多かった。
肉や川魚、野菜や香辛料に到るまで多種多様な食材がふんだんに用いられ、アナルニアの食文化と農・水・畜産業の豊かさがわかる献立だったが、その一方で生の野菜が少ないことにチンタローは気づいていた。
朝に食べたソーセージの値段が、かつての四倍に高騰していたことを思い出す。
これも災害の影響だと考えると、自ずと危機感が高まってゆく。
料理は全て目の前で取り分けられ、必ずインモーハミダスが最初に口をつけた。
大臣自らが同席することで信頼ともてなしの心を示すという意図は伝わったが、冗談など場を盛り上げようとする言動は一切なかった。
世間話など他愛のない話を振られても「うむ」「そうか」などと簡潔な相槌を打つだけ、しかし魔龍による災害や戦い、政治に話が及ぶと的確で説得力のある言葉を述べる。
インモーハミダスは会食の間も殆ど笑うことがなかった。
一方でテーブルマナーは洗練され、所作の一つ一つに隙がない。
真面目を絵に描いたような人――。
王女との謁見から会食まで、チンタローが半日の間、インモーハミダスを見続けて抱いた印象がそれだった。
「はっはっはっ。いやぁ、実にうまかった! おい、チンタロー! 一緒に小便するぞ!」
マッスロンが発した言葉に、モミーナがレモネードを吹き出した。
「いいけど。俺と一緒だと長くなるよ?」
「はっはっはっ。知っているさ。さぁ、行くぞ! きっと気持ちいい小便になるな!」
「お茶飲んでる時に汚い話するな! さっさと行くんだゾ!」
「はーい、サーセン」
ミャーコに追い出されるようにしてチンタローたちが食堂の出入り口へ向かうと、インモーハミダスが近くの従兵に目配せした。
「彼らの案内を頼む」
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「はっはっはっ。王都だけあって大したものだ。水洗式のトイレなど、なかなかお目にかかれんぞ」
ジョバジョバと豪快な音を立てながら、マッスロンが気持ちよさそうに放尿する。
隣の便器で放尿するチンタローも、勢いでは負けるが持続力と総量ではマッスロンの小便を遥かに上回っている。加えて、便器の隙間から漏れ出すチンコの光――。
二人が並び立ち小便をする光景は、壮観だった。
「うん。宮殿のトイレも水洗式で綺麗だったよ。トイレが清潔だと小便も捗るよなぁ」
「はっはっはっ。違いない」
ふと、マッスロンが目を伏せる。
初めて見る、神妙な面持ちだった。
普段はちょっとウザいけど、黙っていれば本当に格好良いな――。
チンタローはしばし、マッスロンの横顔に見惚れた。
彫りが深く男らしい顔立ちだが、柔らかな目元からは温和な人柄が伝わってくる。
タケヤのような刺々しさ、ドエームのような冷淡さはない。
「チンタロー。俺はお前にひどいことをした」
「えっ……」
マッスロンがチンタローに振り向いた。澄みきった青い瞳が揺れていた。
「お前を追い出してしまって、本当にすまなかった。俺は頭が悪いことを言い訳にして、言わねばならぬことを言わなかった。俺は身体ばかり鍛えて、心を鍛えようとしなかったんだ」
「マッスロン……」
程なくして、マッスロンの小便が止んだ。
マッスロンはチンコをしまってズボンのボタンを留めると、無駄のない動きで『左向け左』をして、なおも放尿を続けるチンタローに身体ごと向き直った。
「タケヤたちがお前を追い出した時、反対すべきだった。お前に金とゴットゥーチケットを渡したのは、お前を追い出すのが後ろめたかったから。お前に恨まれたくなかったからだ。俺は卑怯なヤツだ」
そう言ってマッスロンはチンタローの目を見つめた。
チンタローは、マッスロンのこれほど真剣な眼差しを見たことがなかった。
「お前は、そんな俺を……俺たちを助けてくれた。すまない……そして、ありがとう。タケヤたちの分も、礼を言わせてくれ」
チンタローは苦笑した。
「確かに、下衆・クリムゾンを追い出されたことはショックだったけど、お前がくれたお金とチケットのおかげで助かった。その後も色々あったけど、今はモミーナとミャーコと一緒に楽しく旅をしてるよ。だから、あんまり気にしないでくれないか」
「チンタロー……」
下衆・クリムゾンを追い出されてから、チンタローがマッスロンを恨んだことは一度もなかった。
マッスロンの性格は実直そのものだった。
いつも笑顔でパーティーの良心といえる存在だが、「俺は頭が悪いからよく分からぬ!」と言って他メンバーの決定事項には口出しをしない。
そんなマッスロンが、タケヤたちの冷たい視線を浴びながら大金と貴重なゴットゥーチケットをくれたことは、悩んだ末の行為なのだと理解していた。
「チンタロー。お前……本当にいいヤツだな」
チンタローが照れて顔を伏せるのと同時に、大理石の床を踏む軍靴の音がトイレに鳴り響いた。
「チンタロー君に、マッスロン君。失礼する」
軍靴の音を響かせてトイレに入ってきたのはインモーハミダスだった。
「あっ……どうぞ。ちょっと眩しいと思いますが」
「いや、神々しい光だ」
インモーハミダスは、なおも小便を続けるチンタローの隣でズボンの前を開け、放尿した。
一国の大臣との連れション――。これも、人生で二度とない機会だろう。
チンタローは緊張しつつ、小便を続けた。
マッスロンは、二人の小便を笑顔で見守っていた。
「アナルニア国民は規律正しく忍耐強い。だが、その忍耐にも限度がある。一日も早く、この状況を終わらせねばならぬ」
インモーハミダスは、些か唐突に話を切り出した。
「誤って越境した避難民を威嚇して追い払ったクソシテネーレ軍と、クソシタール人への怒りが国民の間でも高まっている。国防大臣の権限において、国民世論を抑えることには限度がある。同時に、軍人上がりの一代貴族である私が諸侯の意見を抑えることにも限度がある」
チンタローはインモーハミダスの横顔を見上げた。
小便をしながら話しているとは思えない威厳があった。
インモーハミダスの目は、壁を超えた遥か向こうを見ているようだった。
「アナルニアの一部だったクソシタール辺境伯領が分離独立し、クソシテネーレ共和国となってから四十五年。当時、私は十歳に満たぬ子供だった。鉱山開発の影響で住む場所を失くした私を救ってくださったのが、国王陛下だった」
チンタローは閣議で交わされた言葉を思い出した。
閣僚間の意見の対立――その焦点が旧クソシタールの鉱山だった。
「それじゃ、閣下は……」
「私はクソシタール人だ。私が陛下のご慈悲で王都に移住したすぐ後に故郷は独立し、異国となってしまった。私は、自身が忠誠を捧げたこの国と故郷が敵同士となる光景を見たくはない。だが、陛下の臣として、将軍として……戦になれば全力を尽くす所存だ」
やがて、インモーハミダスの小便が止んだ。
インモーハミダスはチンコをしまってズボンのボタンを留めると、敏捷な動きで『右向け右』をして、なおも放尿を続けるチンタローに身体ごと向き直った。
マッスロンが歩み出て、チンタローの傍らに立った。
いつもの笑顔は消え、真剣な表情が浮かんでいた。
「国民の間では、シリーゲムッシル卿がクソシテネーレと通じているという噂が流れている。状況が悪化すれば、シリーゲムッシル卿の失脚は必至。そうなれば、私に諸侯を抑えることはできぬ。だが、君たちが魔龍を倒せばこの状況は終わる。幸いなことに、ハインセッツ公も君たちの勇気を高く評価し期待をかけている。魔龍討伐という一点においては、閣内の意見は一致している」
インモーハミダスが、チンタローたちに向かって深く頭を下げた。
「あらためて頼む。魔龍を倒し、全員無事で戻って来てくれ。軍として協力は惜しまぬ」
「閣下……」
「『閣下』はやめてくれぬか。君たちは私の部下ではあるまい」
インモーハミダスは頭を垂れたまま、言った。
「あの、閣下……いえ、インモーハミダスさん。顔を上げてくれませんか」
「チンタロー君……」
「インモーハミダスさん。俺……自分にも、『君』はいりません」
インモーハミダスが徐に顔を上げた。
「俺はあまり強くありません。そんな自分に……チンコが光るだけだと思っていた自分に。王女様が『この国を救って』と言ってくれたこと……本当に嬉しかったんです。冒険者をやっていて、こんなに嬉しいことはありませんでした」
チンタローはマッスロンと顔を見合わせた。
マッスロンは力強くうなずいてみせた。
「ありがたいことに、俺には頼もしい仲間がいます。マッスロンも、モミーナたちも、俺には勿体ないくらいの強くて頼もしい仲間です。そこに、ネイピアさんが力を貸してくれることになりました。ネイピアさんと一緒に、必ず魔龍を倒して全員で帰ってきます」
「チンタロー君……いや、チンタロー」
インモーハミダスの真剣な瞳に見つめられ、チンタローは思わず目を逸らした。
はずみでチンコの角度が変わった。
小便がはねて周囲に激しく飛び散り、インモーハミダスの右手とマッスロンの左足にかかった。
「おや?」
「あわわわ! ご、ごめんなさい! マッスロンも、ごめん!」
チンタローは慌てて小便の弾道を便器の中に収めた。
「気にせずともよい。洗えば済むことだ」
インモーハミダスが口元を緩めた。この場で初めて見せた笑顔だった。
「はっはっはっ。気にするな、チンタロー」
二人は、アホな放尿犯――チンタローを笑って許した。
I wanna hold your hand……
チンタローは海のように心の広い二人の手を取りたい衝動に駆られたが、すんでのところで堪えた。
やがて、インモーハミダスが、どこか言い出しにくそうに口を開いた。
「君たちには、もう一つ頼みたいことがある……侍従騎士殿のことだ」
「ネイピアさんの……?」
「そうだ。危険な戦いになるが、どうか侍従騎士殿のことを守って欲しい。彼女は王女殿下にとって忠実な臣下というだけではない。殿下にとって、大切な友なのだ。彼女にもしものことがあれば、殿下がどれほど悲しまれることか」
チンタローはにっこりと微笑んでみせた。
「インモーハミダスさん。ネイピアさんと一緒に、必ず魔龍を倒して全員で帰ってくると言ったはずですよ」
「……そうか。うむ、そうだったな。すまぬ、チンタロー」
インモーハミダスは、そう言って再び口元を緩めた。
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王都で盛大に執り行われる出立式。
チンタローはウォシュレにある言葉を告げるのでした。
次回にご期待ください!




