第十四話『爆笑!! 君も笑え』
シリーゲムッシルは声を震わせながら、なおも居並ぶ閣僚に訴えかけた。
「旧クソシタール時代に起きたことを考えれば、鉱山の閉鎖に到ったクソシテネーレ国民の感情も理解できます。外交を預かる身として、クソシテネーレへの侵攻は支持できません。西方大戦以後、辛うじて保たれてきた均衡が一気に崩れる可能性があります」
「可能性だと!? 確定した事実でものを言いたまえ!」
「卿はクソシタール人に肩入れし過ぎではないかね? 少し頭を冷やしたらどうだ」
シリーゲムッシルに浴びせられる言葉が、やんわりした指摘から糾弾へと変わった。
そんな中でも、インモーハミダスとハインセッツ公は口を開こうとはしなかった。
「シリーゲムッシル卿。そもそも、卿が軍事に口出しすることは――」
「左様。軍事に関する話は、私を通していただかねば」
農業大臣の言葉を遮って、インモーハミダスが立ち上がった。
たちまち、その場にいた全員の視線がインモーハミダスに集中する。
「クソシテネーレ共和国は仮想敵国。また、畏れ多くも国王陛下が下賜された財産を破却し、陛下のご慈悲を無にした無礼は、陛下の臣として、将軍として。また陛下のご慈悲に救われた一人として、断じて許せません」
インモーハミダスの声は決して美しい声ではなかった。
しかし、力強く落ち着いた声音には、心を惹きつける何かがある。
チンタローはそう感じつつ、インモーハミダスの言葉に聞き入っていた。
「加えて、我が国の民を槍で追い散らした此度の蛮行には私を含め全軍将兵、腸が煮えくり返る思い。一度『クソシテネーレを攻めよ』とご命令をいただければ、我が指揮下の精兵は首都・オネーシォへまっしぐらに進撃し、あらゆる抵抗を排してこれを陥落せしむるでしょう」
インモーハミダスの言葉を聞いた農業大臣が「それ見たことか」といった表情でシリーゲムッシルの顔を見たが――。
「ただし」
インモーハミダスは、なおも言葉を紡いだ。
「精強で知られた旧クソシタール辺境軍を前身とし、厳しい訓練と近代化に努めているクソシテネーレ軍の戦力は侮れません。現に先の大戦では北部連合の一翼を担い、南部同盟軍の攻勢をほぼ独力で挫いています。加えて、戦は何が起こるかわからぬもの。戦わば我が軍の勝利は必定。しかし、仮に戦闘が長期化すれば、その隙に乗じて周辺国が動く『可能性』は十分に考えられましょう」
「……インモーハミダス卿。結論を言いたまえ」
それまで沈黙を保っていたハインセッツ公が、憮然として言い放った。
「はっ。現時点においてクソシテネーレへの侵攻は得策ではない。これが国防大臣としての考えです」
閣議室が水を打ったように静まり返った。
やがて、ハインセッツ公が顎髭をそっと撫でて言った。
「よろしい。それが『国防大臣としての見解』ならば、尊重しよう。クソシテネーレへの侵攻は、あくまで選択肢の一つとして提示したに過ぎぬ」
「はっ。ありがとうございます」
ハインセッツ公はインモーハミダスを一目にらみつけると、席を立った。
「本日の会議はここまでとする。三勇士諸君、出席ご苦労であった。この後のことはインモーハミダス卿に相談したまえ。軍が必要な支援を行えるよう、各省と各地方当局には話を通してある」
「はっ……はい!」
緊迫したやり取りにまったくついていけなかったチンタローが裏返った声を発すると、ハインセッツ公が笑った。
「恐縮せずともよい。見事ウンコ魔龍を討伐すれば、君たちも爵位を与えられるのだ。場合によっては、ここにいる閣僚よりも高い爵位を得られるやも知れぬぞ。各々方、彼らには今からよくしておきたまえ。おっと、それは私も同じか」
ハインセッツ公の冗談に閣僚が笑い声を上げる中、シリーゲムッシルは一人浮かない顔だった。
インモーハミダスは小さくうなずいただけで、真剣な表情のままだった。
チンタローは二人の様子を前にしてためらったものの、場の空気を読んで自身も笑うことにした。
「あ、あはははー……」
「あ……あのあの……私は……」
「にゃーっはっはっはっはっ! にゃーっはっはっはっはっ!」
チンタローの作り笑いとモミーナの困惑を吹き飛ばすように、ミャーコが豪快な笑い声を上げた。
ハインセッツ公らは一瞬、呆気に取られたものの、負けじと大きな笑い声を上げた。
ミャーコの笑い声に圧倒されていたチンタローも、勇気を振り絞って大声で笑った。
「わーっはっはっはっはっはっ!」
「えっえっ……チンタローさん?」
戸惑いの声を上げるモミーナに、目で促す。
「えぇと……はい!」
モミーナは目をつぶって大きく息を吸うと、自棄になったように大声を上げた。
「あーっはっはっはっはっはっ! あーっはっはっはっはっ!」
モミーナがこれほど大きな声を上げるのを、チンタローは初めて見た。
普段はおどおどするばかりのモミーナが、一国の首脳と張り合っている。
そのことが愉快で、いつしかチンタローは本心から笑っていた。
自身とモミーナを並み居る閣僚――高位の貴族と対等にしてくれたミャーコを、心の底から頼もしく思った。
ふと、シリーゲムッシルとインモーハミダスの様子が気になり、横目で窺う。
シリーゲムッシルは目を丸くしてこちらを見ていたが、インモーハミダスは微かに口元を緩めていた。
それは、初めて見る笑顔だった。
やがて、ひとしきり笑った後でハインセッツ公が咳払いをした。
「うむ。結構、結構。さすがは三勇士、頼もしくて実に結構なことだ」
ハインセッツ公が満足そうな笑顔をミャーコに向けると、ミャーコはにっこりと微笑んで恭しく頭を下げた。
「これほど笑ったのは久しぶりだ……さて。各自、持ち場に戻りたまえ。私も内務省に戻るとしよう」
「はっ」
閣僚が声を揃えて返事をすると、ハインセッツ公が優雅な足取りで閣議室の出入り口へと向かう。
ハインセッツ公への敬意の証か、全ての閣僚が席を立ってハインセッツ公を見送る。
チンタローたちも自然とそれに倣った。
ハインセッツ公が、出入り口の近くに立つネイピアとすれ違った時のことだった。
ネイピアが提げた長剣の鞘にハインセッツ公の左手が触れた。
鉄の鞘が漆喰の壁にぶつかり、大きな音を立てる。
不意に訪れた静寂――。
ハインセッツ公が足を止め、傍らのネイピアを見下ろした。
「失敬」
しばしの沈黙の後、ハインセッツ公は素っ気なく言うとネイピアに背を向けた。
「いいえ、どうぞお気になさらず」
ネイピアは相変わらずの無表情だった。
ハインセッツ公が閣議室を去ると、残る閣僚も苦笑いを浮かべつつ退室していった。
インモーハミダスは一連の光景を無言で眺めていたが、申し訳なさそうな顔で退室するシリーゲムッシルの背中を見送ると、チンタローたちに向き直った。
「諸君。長旅の後で休む間もなく謁見に会議と、さぞ疲れたことと思う。食事と宿舎を用意させよう。今日のところはゆっくり休んで、明日の朝出発してくれ」
「はい、ありがとうございます。ところで、タケヤたちは」
インモーハミダスが口元を緩めた。
「もう近衛軍の術師が拘束具を外しているだろう。その後は宿舎に向かうよう言ってある。侍従騎士殿、後はよろしく頼む」
「承知しました」
インモーハミダスは大きくうなずくと、力強い足取りで閣議室を後にした。
チンタローはその大きな背中を見送ると、内股になってもじもじと身体を揺すった。
「チンタロー殿、どうかしましたか。もじもじして実に気持ち悪いです」
「あの……ネイピアさん。トイレはどこですか? ずっと我慢してたんですが……」
「どうして、もっと早く言わなかったんです?」
「そうだゾ、チンタロー。そもそも、おトイレは会議が始まる前に済ませておかなきゃダメなんだゾー」
ネイピアとミャーコがため息交じりに言った。
「だって……そんなこと言える雰囲気じゃなかったから……」
「まぁ、それは確かに……この部屋を出て廊下を右にまっすぐ行って、中庭の手前にお手洗いがあります。くれぐれも騒いだりしないでくださいね。廊下は決して走らぬよう。よろしいですね」
「はい!」
「あっ、ちょっと! 走っちゃ駄目って言ったでしょう!」
チンタローは廊下を慌ただしく駆けて行った。
どこまでも続くかのような長い廊下を走り、光の差す方へと向かう。
木々と草花が生い茂り陽の光に照らされた広い中庭は、壮麗な宮殿に相応しい美しさだった。
人影もなく、ひっそりとしたその場所は、『秘密の花園』という表現がぴったりだった。
チンタローはしばし、その光景に見入っていたが、すぐに尿意を思い出してトイレへ向かった。
「うっ……ひぐっ……うっ、うぅっ……もう、いやぁぁ……」
どこからか聞こえてくる、少女のすすり泣く声に思わず足を止める。
「もういや……もう、いやぁ……助けて……助けてぇ……」
押し殺した声から、はっきりと助けを求める言葉が聞き取れた。
ただならぬものを感じ、チンタローは声のする方――中庭に足を踏み入れた。
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