roots
炊事隊員だって、有事の際は駆り出される。銃を使った実弾射撃訓練もやったし、きついカッター(てこぎボート)教練もあった。
でも、他の部署の隊員と違うのは、隊員の飯の時間が終わり、片付けが終われば、それで終わりである。所謂自由時間は、幹部並みにあったかもしれない。それでも狭い艦での暮らしは、ストレスフルな生活であった。
同級生は、皆一般企業に就職した、山島田のちかしい人達は、口々に愚痴をこぼしていたが、そういう所に比べれば、金銭面でも、あらゆる待遇において、自衛隊員は恵まれた存在である事を知っていた。その為、少し位のストレスは我満しなければ、バチが当たる。そう考えていた。
実際、どこの国でも軍人の待遇というものは、その任務の特性上、どうしても手厚い待遇にしなければ、割りに合わないと言って、なり手がいなくなってしまう。その為、待遇は厚いものにするのが、通例であった。
少し話題を変えよう。海軍カレーの話は、触れたが、海軍発祥のルーツがある食べ物は、カレーライスだけではない。肉じゃがにサイダー(ソーダ)等も、海軍発祥あるいは、世の中に広めるきっかけになったものである。
肉じゃがは、女性に作ってもらいたいメニューで、常に上位をキープする、家庭料理のクリーンナップを担う存在であるが、この料理を産み出したのは、女性ではなく男性であった。しかも軍人が作ったのだから、驚きである。
明治時代における日本の分岐点となった、日露戦争で、海軍大将(連合艦隊司令長官)として、日本海海戦を指揮した東郷平八郎、その人こそ、肉じゃがの産みの親、肉じゃがの父である。カレーのルーツも肉じゃがだと言われている。興味がある方は調べてみても面白いだろう。
サイダー(ソーダ)は、重曹や砂糖と言った当時の貴重品を、大掛かりな装置を、大艦巨砲をモットーとした帝国海軍が、兵士のストレスを少しでも軽減するために、大きな戦艦などで作り、サイダーをふるまっていた事で国民に広まったという。作り方は非常に簡単だった。気になる方は調べてみても面白いかもしれない。
山島田の話に戻ろう。山島田は勤続20年で、もう隊内では中堅層、あるいはベテランの域に入る年齢であった。
別に幹部になりたいとは思っていなかったが、山島田にとって、自衛隊に居ることは、楽だった。それは、慣れたからとか、そういう意味ではなく、艦での生活が身に染み付いていたからであった。
ならば今辞めても15年後に辞めても…等と皮算用を始めていた。