海上自衛隊員のストレス解消法
日本はよく、憲法を改正したら、戦争をするような軍国主義に走るから、というような事をよく耳にする。
だが、海上自衛隊が、軍事的な性質を持つ組織である以上、戦争などしたくても出来ない、というのが現状である。陸上自衛隊や航空自衛隊も同じである。
日米安保体制を持続している以上、アメリカ軍とのミスマッチは、己の首を締めてしまうだけである。
日米安保体制が、もしなくなるような事かあれば、早急に有事に対応出来る陸海空海兵隊の4つを合わせた新日本軍を作らなければならないだろう。
まぁ、そんな訳で現状に不満をたらす事もなく、山島田ら下士官や兵は、毎日目の前の任務で、手一杯であった。
山島田はまだ、独身者である。周りから、チャチャを入れられたりもするが、以外と気にしていた。
その後に会う運命の人の事など、山島田の心にあるはずもなかった。そもそも、まだ二人は出会っていないのだから、当然と言えば当然の事であった。
海外派遣、所謂PKOは、今でこそ普通に当たり前の様に行われているが、山島田が入隊した頃は、全く国民の理解もなく、自衛隊への風当たりは強かった。
行くか行かないかは、個人の裁量に任せられ強制力はなかった。つまり無理やり連れていくような事はしなかった。
護衛艦うみゆきは、自衛艦隊旗艦を守るという大切な任務が付与されていた為、海外派遣はまずもってあり得なかったし、その心配をする必用は無かった。
しかし、山島田はうみゆきに配属される前の3年間、うみゆきに籍をおきながら、中東・アフリカなど様々な国の海で、調理の腕をふるっていた。
彼がこの3年間で会得したモットーは、「飯を食って、腹がいっぱいになれば、戦争などしなくなる。」というものだった。いかにも炊事隊員らしいと言えば、それまでである。
海外派遣での息抜きは、家族や親しい人との電話や、日々の食事とたまの上陸や、麻雀、将棋といった、娯楽などであった。
一方、内地(国内)に残っている者の楽しみは、やはり外出であろう。妻帯者や幹部ならば基地外に居住する事を許可されるが、そうでない者は隊舎に住まなければならない。プライベートの空間など、あって無いようなものである。
そのタコ部屋暮らしのストレスから開放されるのが、外出先での一杯である。
しかし、山島田は違った。毎日隊舎にこもり、日課の料理番組を見ながら、それをメモしてひたすら部屋で何かを作る事に専念していた。