講和の先を見据えて
そんな中、米国の代表と中国の代表による講和会議が、天津で行われた。参加したのは、米国、ロシア、韓国、台湾、日本、そして当事国の中国6ヶ国であった。
ただ、会議の冒頭ロシアでも講和会議が行われる事が決定し、その時点で、ロシア代表団は席を立った。
講和会議の目的は、軍備縮小と台湾及び香港のフリーデモクラシー化の実現。そして、日米を中心に発生した多額の賠償金の是非であった。会議のイニシアティブをとったのは日本だった。だが、台湾や韓国も積極的に会話に入っていた。
やがて、中国の民主化と台湾の人達に自由を与える事が決まる。軍備はGDP比1%以内に抑える事。そして日米両国に10億元(約120億円)ずつを支払う事で折り合いがついた。
中国の民主化はこうして実力行使という形で実現した。だが、それは本当の意味での資本主義の勝利ではなかった。共産党がどうとか、資本主義や民主化がどうとか、損なことは戦禍に巻き込まれた無実の中国国民には関係の無い事だったからだ。ただ、目の前にある現実が少しでも良いモノであれば、中国人に抗議する人間は少なかった。
外圧による民主化の経験なら、日本人の方が先輩である。時が立てば、中国人も分かってくれるだろう。新しい国造りに必要なのは、その国をどうしたいかというビジョンではなく、何でもやってやろうという好奇心てあり、気概である。言葉よりも行動。
中国人は今ネガティブになっている。ただ、日本の様に、ボロクソにやられても、這い上がる事は出来る。それを日本代表団は中国代表団に必死で説いた。
軍備再編成や国家首席の普通選挙による選抜。という国家の根幹が決まった所で、あと頑張るのは中国国民である。国民の行動力で日本が難局を乗り越えて来たように、中国人もまた、行動力で日本を上回る日がくるだろう。日本人に出来て中国人に出来ないという事は無いだろう。
中国はまた這い上がってくる。これは、日米主導の連合軍による民主化ではない。中国人自らが立ち上がり、長年望んできた事だからだ。道は敷いてやる。列車はお前が作れ。そんな心境だった。
米国もこのやり方に賛成だった。第二次世界大戦後の日本統治の失敗を、中国で起こらせたくないからだ。省エネハイスピードという白物家電スタイルを貫いたアメリカ。競争国を探していたアメリカにとって、ライバル筆頭は中国だった。次はインドか、アフリカか?考えてみると、東西冷戦から2000年代、2010年代には日本から中国へと経済大国第二位の座は入れ替わった。
この戦争で、中国は経済が25年は後退しただろう。それでも、中国は潜在的に世界一の大国に成れるだろう。日本とも同盟国となり、建設的な未来思考の出来るアジアを引っ張る大切なパートナーになれるだろう。
そんな事は夢物語である。と馬鹿にする人間もいるだろう。だが、日米の大国同士の同盟関係を成熟させるのに、50年はかかった事を考えると、日中、米中の関係改善には、そのくらいの期間がかかるだろう。それでも、日本と米国は、中国という国家を成熟し、民主化した対等な国として付き合えれば、ベストである。




