後始末
アメリカ海軍も、最新鋭の原子力空母「コブラトム・ウィンカーン」からなる第5艦隊を米本土から、追加で横須賀に派遣し対中武力公使に備え万が一がないように備えた。
すでに地上戦は終わっており、最後の切り札が海上に残されているだけであった。ただ、戦後の国際的な評価を考慮すると、核兵器の使用という禁断のカードは出来れば使いたくはなかった。
中露両艦隊が、再び日中中間線に近い尖閣沖から、黄海沖に現れたのは、日米の戦力が、十二分に整った頃であった。
ただ、天候だけはことのほか良好で、海戦には持ってこいの日だった。
海上自衛隊のP-3C三十機の哨戒により、敵原潜及びディーゼル潜は3隻共に日本海の海の藻屑となった。あとは、ロシア海軍の潜水艦だけだが、ロシアの潜水艦隊は、現場海域を離脱。ウラジオストクに向かっていた。これで、SLBMによる核攻撃の可能性は消えた。
これにより、日本は航空自衛隊のF-2を三十機用意し、対艦ミサイルによって中露両艦隊の残党にも、容赦なくとどめを刺そうとしていた。
第二次黄海海戦の火蓋を切ったのは、追い詰められた中国海軍のフリゲート艦でも、米空母機動部隊でもなく、日本の航空自衛隊のF-2戦闘機による、対艦ミサイルの嵐だった。その効果は、以前から大きいものであるとされたが、実戦で使われた事は、なかった。
ただ、今日の戦果で、F-2戦闘機の今後の活用法は大きく見直されるのは、間違いなかった。ネコ騙しでも食らったかのような日本の先制パンチに対して、中露両艦隊も黙ってはいなかった。
SU-33による本格的な対空攻撃で、F-2を牽制した後はそのまま急降下爆撃で、日米両艦隊に牙を剥いてきたのであった。うみゆきは、修理中の為、この作戦には参加出来なかったが、海上自衛隊の自衛艦隊が到着する頃には、すでに先着の米艦隊と、日本の航空自衛隊によって、ほとんど勝利を手にしていた。
米空母「コブラトム・ウィンカーン」の機動部隊は、優秀だった。ロシアと中国の二隻の空母を沈めたのは、この空母用に改造されたF-22ラプター改だった。日本が喉から手が出るほど欲しかった現役最強の航空機だった。哨戒に後始末。分析は後だった。
日米の連携は見事という他なかった。米軍はやっぱり強かった。素早い中国本土制圧により、中国共産党の一党独裁は終わりを告げた。




