叩き上げのコック
月月火水木金金、それは帝国海軍軍人の休みが少ない事を揶揄する皮肉として歌われていたものであった。
今の自衛隊は、そこまでやる組織ではない。そもそも、自衛隊員は公務員という扱いである。それも、特別職国家公務員だ。
一体、独立国のどこに、公務員に国防を任せる国があるだろうか?いくら世界広しと言えども日本くらいのものだろう。
基本的に土日は休みだが、非常時はその限りではない。航海に出た場合には、休みという休みはなく、艦を降りた時に少し貰えるかどうかくらいだが、その対価はきっちり航海手当てという形で、給与に反映される為、お金は貯まる。
その分きつい面もあるが、三自衛隊の中で一番給与を貰えるのは、海上自衛隊だ。
ただ、耐えられる所さえ耐えられるのなら(教育期間)、特に慣れてしまうため、苦にはならなくなるという。
ただ、階級的な所は、帝国海軍の名残を残しており、海上自衛隊や陸上自衛隊や航空自衛隊共通して、上位の階級を占めているのは、ほとんどが防衛大学校を出たキャリア組(A幹)か、一般大学を卒業して自衛隊に入った(B幹)、後は小数だが部隊の中から推薦され、筆記試験をクリアした(C幹)がいる。
曹長以下の人間は下士官と呼ばれ、士長以下の人間は3~4年一任期の契約社員みたいなものである。
山島田も、うみゆきでの20年余りで、腕を磨かせてもらった、コックの叩き上げであった。
山島田は、炊事所(艦の中で調理するところ)の10名程の下士官や兵隊(士長以下)を指示する調理責任者的な存在であった。
山島田の直属の上司は、士官以外で一番階級の高い、太田真治海曹長(41)だった。太田は、護衛艦うみゆきにおける、下士官と兵隊のトップを任される、士官へのパイプのような位置付けであった。
階級が下の者が、士官に話がある時は、急用の場合を除いては、全て太田に話を通さねばならなかった。軍隊とはそういう所である。それは、帝国海軍の時代から変わらない。
太田は先任海曹長になって、もう10年にはなる。本来なら准尉や三等海尉に昇進しても、おかしくはないのだが、士官からの信頼も厚く、部下からの信頼も厚いこのポストは、彼の為にあるような場所だった。
主要キャストだけ紹介しておこう。
森滝竜彦 艦長 (一等海佐)51才、航海長 角杉誠 三等海佐 46才、水雷長 大沢勇平 一等海尉 34才の3名、そして個人的に山島田と親交を深めて行く事になる、若杉仁 三等海曹30才と、寺倉美奈子 海士長20才であった。