自衛官になるという事
各国の海軍を見てきた山島田にとって、ある共通している考えがあった。これは、考えというよりも、共通項といっても過言ではないものであった。
叩き上げで、上がれる地位には限度がある。つまり、非エリートはエリートを越える事が出来ない。そういう現象は他の国々でも見られたのであった。
米国や英国などは、オフィサー(幹部)を養成する国立の海軍士官学校を持っていたし、他の国々でも、学歴の高いものが、人の上に立っていた。百々のつまりが、非エリートはどんなに頑張っても、エリートの上に立つのは、困難であると言わざるを得ない。
そんな現実を山島田は見てきた。という状況で、山島田はよく三尉まで上がれたものだと、思っていた。給養員とは言え、一自衛官に過ぎない。ただ、給養員長と言えど、そのほとんどが、下士官であるのは、艦という特別な環境上どうしようもない事であった。
戦闘指揮を取る人間が、飯炊きより階級が低くては、戦いにならない。よく考えなくとも、分かる事であった。
もちろん、非エリートにchanceが0という事ではない。努力を重ね、部内幹部候補生(所謂C幹)に受かれば、幹部(士官)に登る道もある。
しかし、その試験内容はベリーhardであり、下士官から上がって来た者には厳しい壁だった。出世コースを外れても、自衛官としては、長く働ける。三曹で53才という若年定年制を取る自衛隊は、陸海空問わず、未婚だろうが既婚だろうが、とりあえず、三食の飯と風呂には困らない。
民間会社の様に給料が変動的で不安定な事を考えれば、国家公務員である自衛官は、安定感抜群であった。きちんと各種手当や、ボーナスも支給される。自衛隊に勤めれば、被服も貸与されるため、お金は貯まる一方である。
だが、その安定感を求めて入隊してしまうと、教練や訓練が辛くて辞めてしまうのが、関の山であった。その為、真剣に就職先として自衛官になるならば、ある程度の覚悟は必要であり、腹をくぐるべきである。
山島田の様に進路が無くて、自衛官になった者もいるが、将来が安定しているからという理由で、続けられるほど、甘い所ではない事は繰り返し述べておきたい。
いざとなれば、死を覚悟する時も少なくはない。だからこそ、日頃の鍛錬や教練は大切なのである。決して、中途半端な覚悟では、若いうちから自衛官は勤まらない。




