日米防衛交流
山島田は、一度だけ防衛省海上幕僚監部からの命令で、二ヶ月間アメリカに行った事がある。
アナポリスの海軍兵学校の見学や、アメリカ海軍の原子力空母イズワルドにも、乗船した事がある。
これは、日米防衛交流の一環で、不定期に行われるモノであり、まだ山島田が三等海曹に上がったばかりの頃の話である。
アナポリスと言えば、海軍士官を目指すアメリカ人にとってみれば、東大生が東大の赤門を目指す様に、海軍志望の者にとってみれば、同じような存在であった。
イズワルドは、アメリカ海軍初の原子力空母二ミッツ型の三番艦であり、日本としては、喉から手が出る程、欲しい物であった。
口には出来ないが、日本政府は原子力の平和利用を厳守するという国是がある為に、原子力空母や原子力潜水艦などの情報を、交流事業などで、獲得していた。
拙い英語で、何とかアメリカでの生活を乗り切ろうとした、山島田ではあったが、彼の生活をサポートしたアメリカ海軍人がいた。
名をスコッチャムという。階級は一等軍曹。年齢は不詳だが、当時22才だった山島田よりも、10才程、年齢が上に見えた。スマートな士官候補生というよりは、いかにも叩き上げという印章を受けた。
スコッチャム一等軍曹は、本当に親切で、日本語も話せる為、山島田にとっては、アメリカ生活で唯一心を許せる存在であった。
スコッチャム一等軍曹の話だと、アメリカ海軍が世界一なのは、装備がハイテクで人材に事欠かない事に、あるという。空母艦載機の発着艦といった、難しい技術の習得も、それを可能とする豊富な燃料があるから、パイロットの飛行時間を確保出来ているだけの話であり、特別にアメリカ人が、多国の軍人と比べて、秀でているからではないという。
アメリカ軍は陸海空軍に加え、海兵隊、沿岸警備隊、州兵と、国家総動員で戦う準備を整えている。そんな様々な職種があるアメリカ軍の中で、一番成り手が少ないのが、海軍であった。
なにしろ、狭い艦内での集団生活が、若者には嫌がられる。地上組に比べたら、自由など無いも同然であるからだ。
そんな苦労が報われるのか、女性にはネイビークルーの称号は、受けがよい。と、スコッチャム一等軍曹は話す。
就職先として軍隊に入る事は、アメリカ人にとってみれば、常識であり志願制度のアメリカ人にとってみれば、国防は仕事の一環と割りきっているのである。敗戦後、アメリカの占領統治を受けた日本にも、同じ事が言える。
山島田は、給養員として一人前になる前から、アメリカにこれた事を、今振り替えってみると、良かった事だと思えていた。




