表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/98

父は三ツ星の名店総料理長

 山島田のモットーは、大きな銅鍋で大量のカレーを作ると、カレーはその量に比例して旨くなる。だから海軍カレーは旨いのだ、というものであった。

 護衛艦うみゆきには、彼を含めた200名以上の隊員達が乗り組んでいる。海外派兵の経験もある山島田にとって、船上での調理は、丘勤務(陸上勤務)の時とは、比べ物にならない程気を使うという。

 それは、艦上生活特有のものであり、経験しなければ分からないものであった。生鮮食品の管理から、水や非常食の確認。献立の作成、仕入れるものリストの作成。と、毎日血気盛んな200名以上の胃袋を満たす為に、山島田は艦内の厨房で汗を流していた。

 イラクでの給油艦護衛活動や、アデン湾での海賊対策に参加した頃、一等海曹に昇任した。その時は33才であった。

 ノンキャリア(防衛大学を出ていない叩き上げ)にしては、昇任は早い方だった。それも全てはプロのシェフ並みの料理の腕が、彼にはあったからである。

 横須賀教育隊での3ヶ月以外は、そのほとんどを護衛艦うみゆきで過ごし、ほぼ毎日(休みの日を除いて)包丁を握り、フライパンを回し続けていた。

 それから、正宗が最先任炊事隊員になってからは、護衛艦うみゆきの飯は、海上自衛隊で一番旨いと、そう言われる様になった。

 実際、彼の腕は本物だった。イラクで士官(三等海尉以上の階級)同士の親睦会があり、アメリカ海軍の若手士官や、イギリス海軍の若手といった、次世代のネイビーを背負って立つ各国のレセプションで、海上自衛隊No.2の大岩野修平護衛艦隊司令(海将)が、評判を知って正宗にコックを任せたところ、素晴らしい評価をもらったというエピソードも残っている。

 正宗にとって料理は小説家が小説を容易く書き上げてしまうのと、同じだった。

 正宗の料理の腕が良かったのは、父親譲りだった。

 正宗の父は、ミシェランガイド三ツ星の名店である、ル・ジャポネ・フィアゼの総料理長である山島田元海(やましまだげんかい)の影響が大きかった。

 正宗も父親の後を継ごうと、仏料理を学びたかったが、父親と絶縁状態になってしまった為、正宗は仕方無く自衛隊に入った。

 なぜ、絶縁状態になったかは明らかである。正宗が、料理人の命とも言える大切な包丁を、勝手に使ってしまったからであった。

 包丁はコックの魂。それはいくら自分の息子でも許される事ではなかった。

 それ以来、仏料理の未練を抱えたまま、今日に至っている正宗であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ