ヘリ空母型護衛艦うらら転属
うみゆきに配属になってから迎えた20年目の夏、山島田は、若杉仁三等海曹と、寺倉美奈子海士長の、二名と伴に、新型へり空母である、護衛艦うららへの転属が、海上幕僚幹部より下命された。三人も同時に転属になるのは、異例の事だ。
しかも、今は夏だ。春に下命される事は日常茶飯事であるが、暑い夏に下命されるのは、極めて珍しいことであった。
三人は、うみゆきを下船する際に、森滝一佐や角杉三佐ら、うみゆき幹部に挨拶を済ませていた。三人の異動は、炊事隊員の不足と、有能な若手を補う為のものであった。
寺倉美奈子海士長は、有能な若手。若杉三等海曹も有能な若手だ。山島田は、海上自衛隊の誇るエースコックであり、護衛艦うららのような大型艦でも、リーダーシップを発揮出来ると見込んでいた。
9月からの勤務ではあったが、山島田は、護衛艦うらら艦長長山敦彦一等海佐に、着任の挨拶を行っていた。
うみゆきの2倍はあろうかという、大きな甲板には、SH-60J シーホークが2~3機は留まっている。憲法9条の解釈の違いから、この護衛艦うらら以上に大きな、所謂攻撃型空母は保有出来そうにない。
日本の御家芸ともいえる空母が、へり空母として蘇ったのは、少しの進歩だろうか。
山島田は、若杉仁三等海曹と伴に、うららの厨房に配置された。寺倉美奈子海士長は、対空射撃の測距儀を扱う、対空戦闘要員になった。
護衛艦うららには、うみゆきの3倍程の人員がいた。ざっと、500人はいると思われる人員のトップに長山一等海佐がいる。No.2は、航海長の厚内二等海佐がいて、主要幹部はその下に15~16人はいた。
山島田にとってのキーパーソンは、その主要幹部の中には居なかった。何故なら、護衛艦うららの厨房の中で唯一、山島田より階級が上でのさぱっている横村康助三等海尉28才は、うららのコック長という名ばかりで、料理の腕は山島田の足元にも及ばない、ひよっ子コックであった。
それに、大きなうららで、厨房を任せるには横村三尉じゃ役不足であるという、海上幕僚部の判断は賢明な判断であった。若杉仁三等海曹は、着任早々山島田にこう言った。
「マサさん、あのひよっ子三尉は、目の上のたんこぶですね。」
「そうだな。でも力を見せつけてやれば、困らないだろう。」
しかし、この横村康助三尉は、伊達にうらら給養員長をはっては居ない事に、転属早々気が付く事になるのであった。




