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3/3 ノースオブノーレッジ (十月十三日)

 この文章はもしかすると学術的な根拠がないからと正式に公開されていないかも知れない。オカルトに手を出して頭のおかしくなった老人の戯言なのだと。

 


 鯨の声を聞いたことはあるだろうか。よく歌と形容される、遥か彼方から響くあの声を。それによく似た音が異様な反響の中にいつの間にか混じり、次第に大きくなったかと思うとピタッと止んだ。反響は風の渦巻くような音へ変わり、依然として針のような光と刺激臭が私をこの空間に刺し留めていた。


 突如、首筋に生暖かい水滴が落ちた。あっという間だった。それは私の体に沿って広がった。臭いからしてソレの正体はわかりきっていたが、そういえば自分が今どんな状況であるかの確認が済んでいないことを思い出し、懐中電灯の光を肩に向けた。


 先程古賀から受け取った服は白いインナーシャツにくたびれたレザーシャツという、色合いで見ればいかにも某考古学者のような服装だった。しかし、私の着ている服は灰と黒の迷彩と化していた。照らし出された肩を見て、私は謎のアメーバによって宙吊りにされていることに気がついた。


 次第に力が抜けてきた。もはや私はこの光を忌み嫌う謎めいた菌類のモンスターに消化されるだけの存在なのだ、と。


 何か、最後にできることはないか。


 今までになく頭が冴えていた。雪山でひとりはぐれたときや、崖に沿う道でひとり取り残されたときにも感じなかった、知らない感覚。


 生きる希望を失った先の……。


 そんな頭に浮かび上がったのは、古賀の安否だった。生存を確認したところで、生還の望みは皆無だというのに。


 臭いがキツくなっていく。相変わらず暗闇の先には何も見えない。光の終着点も、経路も、背中の粘液が垂れる先も。


 光を粘液の一点に当て続けてみると、やがてそこだけを避けるようにして再構築した。即効的な破壊が起こることはなく、単に光が苦手なだけなようだ。


 電池切れが怖くなってきたのでスイッチを落とそうと持ち替えた時、何かが横目に映り込んだ。


 何か大きな塊が、音もなく動いていた。


 右、左、上、下、後ろ。そして前に向き直った時、ソレは私の前にその姿を顕した。


 今まで色のなかった場所に浮かぶ丘。頭だろうか。視界に収まりきらないほど大きく境界線がはっきりしていなかった。白と灰が泳ぐ体表から、ソレが粘液と同じ生物、もしくは母体であることがわかった。


 だが、今までに目にしたモノたちとは違い、その体はチューブ状の体毛で覆われていた。


 ソレが脈打つたびに臭いも波打った。


 ソレを前にした私には、驚きとか恐怖とかそういった感情は一切なかった。殆ど無意識、眠っている状態に限りなく近かったと思う。本能が全てを拒絶していた。人間の根底にある人間たらしめる意志が、ソレに対する一抹の情報を得ることも赦そうとしなかった。


 かなりの時間そのまま光を当て続けていたのだが、ソレは避ける様子も裂ける様子もなかった。一応、ソレの姿が確認できる程度の明るさは保ちつつ懐中電灯を手で覆い隠してみた。


 するとソレは触手を一本伸ばしてきた。


 ゆっくりと、探るように。


 喰らうならば一気にいけばいいのに。弄ぶ知能を有しているのか、溶かすタイプなのか。そんなのことを考えているうちに、触手は私の左腕、光を覆っている方に巻きついていた。


 寒気が全身を貫いて意識を手にした。巨大な存在に対峙した緊張からか、いつのまにか意識を失っていたのだ。だが、私はこの感覚に覚えがあった。


 視界は一面の白。


 やがて現れたのは世界の頂上ではなく巨きな白い頭だったが。ソレは私に対して暗闇の中で見たモノと同じ位置にいた。


 信じがたいが、先ほども私の身体に触手が巻きついたことでこの夢を見たということはこの夢はソレが見せているということになる。


 ソレはチューブ状の体毛を風に震わせ、そのうちのいくつかを霧の向こうへ伸ばしていた。遠くから鯨の鳴き声のような音が聞こえた。


 ——次の瞬間、目の前のソレの体毛が一斉に気味悪い膨らみをつくり、それから元の何倍にも拡げた。


 ソレが放った音は鯨の悠々とした声とは程遠く、あの異様な反響の中に混じっていた女性の悲鳴と同じものだった。


 音は突風の如く私を意識もろとも押し潰さんとした。明らかに鼓膜の耐えられる音量ではなかったはずなのだが、その全てが克明に刻み込まれるように頭へ潜り込んできた。そして、聴覚で理解のできなかった周波が頭の中で鮮明なイメージに切り替えられていったのだった。


 初めに現れたのは見覚えのない草原、無数の大型哺乳類、毛皮を纏い山の上でこちらへ食物を掲げる者たち。


 次に現れたのは草原の中で木々に囲まれた田畑、無数の竪穴住居、麻を纏い剥き出しの古墳の上でこちらへ生贄を捧げる者たち。


 さらに切り替わり現れたのは草原一帯を何重にも取り囲む柵、角をもつ建物の目立つ集落、どの建物よりも高い神殿でこちらへ歩み寄る高貴そうな男。


 やがて視界は再び白み、それらのイメージが身体をつんざく周波へと戻って音は止んだ。


——ぐちゃり


 ソレに対蹠を結ぶ弓形の横線が現れ、線に沿う体毛が膨らみをつくった。


「お前は違ウよウだナ」「盗ッ人ではネ」「お前たちニ情けヲかけてやるノもこれガ最後と思へ」


 言葉を発したのは、紛れもなく目の前のソレだった。所々が聞き取れなかったが、確かにソレは日本語だった。


「通じてイるノナラ返事ヲしロ」


「あっ。すみません?」


「今年ニ入ッてもウ三人目か」


「八尋の大和邇……様ですか?」


「そンナ発音ではナイガ多分そウナノだロウ」「浅はかナ猿ノことですかラ正しく伝エラレてイナイノも当然ですネ」「全く。ナンでお前らノ言葉はすぐニ変わルンちゃ」「ヲめぇは何しニここさ来た」


「私は地球の歴史を知ろうとしてここへ迷い込みました」


「確かニ、赤羽織どもではナイよウだナ」「イイよ。帰しちゃル」


「では私の友も」


「誰だ」


「ここへ一緒に落ちた者です」


「そんナもノはイナイ。ここニイるノは永遠ヲ手ニしたもノたちだ」


「どういうことですか」


「黙レ。うっとウしい奴は好かン」


「そんな……で、ではどうすれば」


「私ニ求めてばかリイナイで少しはかんガえたラどウですか」「立場ヲ弁えロちゃ」


「ご、ごめんなさい」


「ただで帰すと言ッてルンだ」


「では何か……の、望むものを交——」


 そこまで言ったところで、私のまわりの空間は裂けるように揺れ始めた。ソレの姿は消え、視界は閉ざされ、音も、臭いも須く消え去ってしまった。


 意識を失う感覚。もう何度目かもわからなかった。


 誰かの声で目を覚ました。若い女性の声だった。

「日明先生ですよね? 大丈夫ですか?」

目を開くと、二十代と思われる女性が私の顔を覗き込んでいた。私は仰向けに寝かされており、視線の先に丸く切り取られた白い空が渦巻いているのを見てそこが小さな縦穴の底であることに気がついた。


 久方ぶりの光、風、熱。


 凍りついた思考がゆっくりと動き出した。古賀はどうして私を誘ったのか。あのドリーネで見たものは真実だったのか。


 神は、実在するのか。


 今はまず、まとめて整理しよう。


 身体を起こすと、女性は立ち上がって私に手を差し伸べてくれた。


 風が吹いて背中まで伸びた艶のある髪の毛が踊る。


「どんな夢を見ていらしたのですか?」


 彼女の赤い羽織がまわりの色を吸い込んだ。



 最終回のネタと取材先は決まっています。この謎を解き明かさずにはいられないでしょう。では皆さま、生きて還帰ってこれたならばまたここでお会いしましょう!

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