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 明日はイザベラの二十五の誕生日だ。結局オレは今日まで交わることなく過ごしてきた。

 聖女になりたかったイザベラからその可能性を奪うのは、どう考えたって軽率にはできないと思った。自分なりにいろいろと調べてはみた。今の今まで、ギリギリまで、ほかの手段を考えていたのだ。

 しかし、できてしまった聖女の印を消す方法も、それを持ったまま伯爵家に残る方法も見つけられないままだった。

 イザベラが見つけられないものをオレが見つけられるはずもなかった。


 薄暗いイザベラの寝室。

 小さな音を立てて巡る、星の運行。ガラスケースにピンで留められた美しい虫たち。ただ見世物にされるために、自由を奪われ晒される、まるでオレたち性奴隷だ。


「残酷だと思う?」

「思います」

「私も思うわ。残酷なのよ、私」



 うつむいて、息を詰めるイザベラの黒くつややかな髪は、そのまま夜の空気のようで、甘い匂いが漂ってくる。

 イザベラは薄汚れた犬のヌイグルミを抱きかかえ、寝室から出て行った。

 オレは大きなため息をつく。やっぱり、オレを受け入れることは無理なのだろうか。だけどもう猶予がない。イザベラが一番に望むもの。それがセシリオとの生活なのだったら。


 オレは大きく息を吐き出した。


 無理やりにでも叶える。嫌われても、拒絶されても、殴られて暴れられても。

 そのために雇われた。オレはそのための奴隷どうぐだ。


 寝室のドアが開いて、イザベラが戻って来た。理由はわからないが、ヌイグルミを隣の部屋に置いてきたらしい。

 イザベラは、真っ赤な顔をしてギクシャクとベッドに腰かける。


 もう何も知らなかったイザベラじゃない。キスを知ってしまった。それがもたらす快楽も。

 オレが教えた。そのことに薄汚く満足する。


「どうしましたか?」

「あのね、あの、犬のヌイグルミ、ね。ジャンっていうのよ」


 突然の言葉にポカンとする。


「言われるまで気が付かなかったの。人に犬の名前を付けるのが失礼だなんて思いもしなかったのよ。ごめんなさいね」


 今更になってそんなことを謝る。

 ああ、そうか。今夜が最期だからか。どうなっても、明日にはオレの居場所はここにはない。


「気にしていません」

「良い名をって思った時に、これしか思いつかなかったの。私が初めて付けた男の子の名前。そして一番愛していた子。私にとっては最高の名前を贈ったつもりだったのよ。でも、その子とあなたを重ねて見たことなんてないわ。だって、犬のジャンはあなたよりもっと従順で……いえ、貴方が反抗的とかそういう意味じゃなくて、ううん、ああ、なんて言ったらいいのかしら」


 いつもとは違って饒舌に、一生懸命説明しようとする姿が幼く思えた。そして、それが切なかった。幼い、何も知らないイザベラも好きだ。


「……うん。オレも好きでした」

「本当に?」

「はい、ジャンて呼んでください」


 そう答えればホッとしたように、ヘニャリと笑った。かわいい。


「あ、……だから、その、」

「はい」

「……同じベッドに……、いたらヤダわ……って」

「は……」


 息が止まるかと思った。なんて破壊力。

 グンと胸が高鳴る。


 今までだって、たくさんの女性に口説かれて口説いて、こんなの全然初めてじゃないのに、恥ずかしくって顔が熱くなる。

 上手い言葉が見つからない。

 スラスラと出て来た口説き文句が、臭いセリフが真っ白に消える。



「ジャ、ジャン、そ、その、ね。貴方は嫌かもしれないけれど」


 たどたどしく言葉を紡ぐサクランボのような唇。

 伺うようにオレを見つめる濡れた黒い瞳。


「私、貴方が、好き、みたい。ううん、違うわ。そうじゃなくて、その、好き……だから」


 耳まで真っ赤になる。頭がぐらぐらに沸騰する。

 好きだなんて、今まで何度も聞いてきた。飽きるくらい聞いて聞いて、聞き流す程度の言葉だった。

 それなのに、どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう。


「ジャン……」


 その先の言葉は、本当はオレが言わなくてはいけない。そう思うけれど、唇が震えて声にならない。


「……お願い、キスを……」


 言いかけた唇を唇で覆う。驚いて息を飲む、その白い歯をなぞる。柔らかなベッドに優しく押し倒して、慄く瞳に口づける。


「オレもイザベラが」


 好きだと言おうとして、唇が凍る。


 オレも、だなんて言っていいのか。

 この心の綺麗なイザベラと、オレの心が同じだと、そんなの神様に笑われるんじゃないか。


 あの日の男爵夫人の言葉が胸の中で蘇る。オレは誰にでも言って来た。好きだと、ご主人様と同じように、オレも好きだと言ってきた。そんなオレの「好き」なんて、手垢で汚れているように思えたのだ。


「オレはイザベラを想っていてもいいんですか?」


 それでも言葉を探して、必死になって伝えれば、イザベラの両手がオレの背中をぎゅっと掴んだ。


「ありがとう。貴方でよかったわ」


 イザベラが鼻声で答える。


「綺麗なイザベラ」

「ごめんなさい」

「謝らないで」

「だけど」


 言葉を封じ込めるようにもう一度キスをする。


 こんな時に名前を呼んだ女は貴女たった一人だと告げたら信じてもらえるだろうか。


 きっと、なにを言っても信じないだろう。契約の延長と、そう思うに違いない。

 だったら、もう言葉なんかいらない。


 首まで止めれらたボタンを、唇で外した。イザベラは小さく体をこわばらせて息を詰める。

 怖がらせないように優しく背中を撫でる。

 深く吐き出された吐息。

 これ以上触れてしまったら、イザベラは元には戻れない。オレもきっと元には戻れないだろう。


 覚悟を決めて素肌に触れる。


 丁寧に優しく、言葉にならない言葉を肌越しに沁みこませる。


 今は無理かもしれないけれど。

 いつか、この想いに気が付いてくれますように。

 






 朝が来た。

 繋がれた手のひら。裏返してみれば、イザベラの手の甲には聖女の印はなかった。


 終わったのだ。終わってしまった。


 オレはホッとして、悲しくなって、ベッドから抜け出そうとした。


「……ジャン……?」


 イザベラがオレを呼んだ。眠そうな顔だ。それすらも愛おしい。髪を梳いてやれば、満足そうに微笑んだ。

 目じりが桜色に色付いている。そんなふうにしたのはオレのせい。わかっているから愛おしくて、だからこそ切なくなる。


 好きです。


 言葉にしないで微笑めば、イザベラは大人びた顔で笑い返した。


「もうこれで、あなたは自由よ。解放されたわ」


 聞きたくなかったセリフ。だけど、彼女ならそう言うと思っていたセリフ。


 覚悟をして触れて、触れなければよかっただなんて。

 触れなければ、こんなに辛くなかったはずなのに。

 

 痛みと引き換えに、自由を得た。


「オレは、自由?」

「ええ、自由よ」

「だったら、今度は信じてくれる?」


 尋ねれば、イザベラは不思議そうな顔でオレを見た。


「オレは本当にイザベラが大切だ。ご主人様じゃなくて、イザベラが。不器用で、でも誠実な、生きにくい貴女が。……だからこのまま、貴女を忘れなくてもいいですか?」


 イザベラの黒い瞳に、清らかな雫が盛り上がる。イザベラはその雫を落とさないように、顔を上げたまま笑った。


「ありがとう、ジャン。そして、さようなら」


 オレはイザベラの手の甲をきつくきつく吸い上げて、そこに赤々とした印を残し、部屋を出た。



 自分の部屋に戻って、この屋敷を出る準備をする。買ってもらったガラスペンのセット、ノートと辞書をカバンに詰めようとして思い立つ。

 買ってもらったノートの一部を切り取って、そこへ菫色のインクで文字を綴る。


― 誕生日おめでとう。貴女の新しい未来が幸せでありますように ―


 初めて書いた手紙。一生無縁だと思っていたもの。まさかこんな形で書くことになるなんて、自分がおかしくて笑ったら、ポロリと瞳から涙が落ちた。



 屋敷のドアを潜れば、そこにセバスチャンが立っていた。


「朝から早いね」


 軽薄に声をかければ、セバスチャンが厚みのある封筒を手渡した。


「なにこれ」

「イザベラ様からだ」

「口止め料? それとも出入り禁止とか?」


 鼻で笑ってしまう。


 だから貴族なんて嫌いだ。何でも金で解決しようとする。


 セバスチャンは頭を振った。


「困ったらここへ相談しにきなさい、とのことだ。イザベラ様は『気の利いたものは何もあげられなかったから、欲しいものを買うように』と。黙って受けとれ」


 オレは静かにそれを受け取った。もやもやした気持ちと、この不器用なやり方がイザベラらしいとも思うのだ。


「そしてこちらは『紹介状』だ」


 もう一通渡された白い封筒には、仰々しくリッツォ伯爵家の紋章が箔押しされている。


「『紹介状』?」

「平民になるのなら、仕事を探すことになるだろう? 口入屋へそれを出すように、とイザベラ様からの計らいだ」

「ありがとうございます」


 オレはそれを胸にしまって、静かにリッツォ伯爵家を後にした。





 町へ出て、戸籍屋による。早速、平民の戸籍を買う。嘘みたいにあっさりとオレは奴隷どうぐから人間ひとになった。男爵の戸籍の金額を見たが、もうオレはそれが欲しいとは思わなくなっていた。


「で、戸籍の名前はどうする?」

「名前?」

「ああ、名前。苗字は今買っただろう?」

「……だったら、ジャンで」

「ジャンか、良い名前だな」

「いい名前?」

「意味を知らないのかい、お前さん。ジャンって言うのはさ、古い言葉で『神は慈悲深い』って意味なんだぜ?」


 息ができないくらい、体中の空気が胸に集まってきて膨らむ。


 神が今まで慈悲深かったことなんかあっただろうか。掃溜めで生まれて親なんか知らず、愛という名で飯を食い、大切にすべきものすら何一つ教えられず。

 それでも、イザベラに出会えたのは、神様の慈悲だったのだろうか。偶然を運命と呼び変えるのは、性奴隷の常とう句だったけれど。


「……知らなかったよ」


 あの人はどんな思いで、この名前を付けたのか。神様は救ってくれない、そう言ってたはずなのに。この名前に恥じないような、オレじゃなかったはずなのに。


 戸籍屋の主人がバンと背中を叩いた。


「さぁ、新しい人生の出発だ! 景気よく行こうぜ! ジャン!」


 オレはつられるように笑って、口入屋に向かった。

 奴隷上がりのオレに渋い顔をする主人に、イザベラのくれた紹介状を手渡せば、ビックリするほど態度が変わった。

 

「なんだよ、アンタ、文字が読めるんだな? 本当に計算もできるんだな?」

「ああ、簡単なものなら」

「なーに、賢者になろうって訳じゃないんだ。丁度、いい仕事がある」


 そう言って紹介されたのは、印刷屋の仕事だった。紙を運んだり、言われた活字を運んだりと単純な力仕事が主だ。オレはそこに就職がきまり、毎日をつつがなく過ごしていた。


 朝早く仕事に出て、適当な弁当を作り、夕飯は安い街の居酒屋で食べる。家に戻って、イザベラから貰ったノートに、三つの言葉を書く。文字の書き方を教わったときに、イザベラが言ったのだ。気になった、心に残った言葉、何でもいい、天気でもお昼ご飯のメニューでも、何でもいいから三つの言葉を書くように、と。その習慣だけは忘れなかった。

 そしてたまに手紙を書いた。出すことはないけれど、イザベラ宛に手紙を書く。紫色の文字で名前を書いて、些細なことを書いては封をして引き出しにしまった。



 そんなある日。ある原稿に見慣れた名前を見かけた。イザベラだ。イザベラの書いていたものが本になるのだ。

 ジッとそれを見ていたら、声がかかった。


「どうした?」

「いや、あの、知っている名前だったので」

「お前、リッツォ伯爵家のイザベラ様を知っているのか」

「いや、名前だけですけど」

「ああ、この方は教科書やらなにやら作ってらっしゃるからな。そこで見かけたか? 今度、子供向けの百科事典を出版するんだよ。挿絵もほら」


 見せられた繊細な挿絵。細かく描かれた蝶の羽の模様。あのガラスケースの中にピンで留められていた蝶だ。間違いなくイザベラの手によるもの。イザベラの瞳を通してみた世界。


 美しい世界。


「すごいだろう」

「……すごいですね」


 驚きでため息が出る。


「お前、やってみるか?」

「はい?」

文選ぶんせん植字しょくじだよ」

「いいんですか!?」

「思い入れがある奴が作った方がいいに決まってる」

「ありがとうございます!」


 それからオレは必死に仕事に励んだ。イザベラの選んだ言葉、それを一つでも漏らさないように。読みやすいように、絵の邪魔にならないように考える。


 イザベラが好きだった文字の形。余白は少し多い方がいいなんて言ってた気がする。真っ白よりはアイボリーの紙。黒に見えるインクには、少しだけ菫の色を混ぜる。

 菫色のインクはイザベラのお気に入りで、オレの瞳をインクになぞらえて表現した。オレはそれを聞いて褒められているのかわからずに、曖昧に笑っただけだった。

 一緒に過ごした日々を、泥の中から砂金を掬い取るように探し、見つけてはその光を愛撫する。


 一つ思い出せば、その雫が胸に落ちて反響する。離れれば離れるほど、イザベラの偉大さを知るのだ。


 なにもくれなかったなんて嘘だ。文字を読む力、簡単な計算、生きていくのに必要な力、その全てをイザベラがオレに与えた。

 それまでの主人は、金目のものはくれたかもしれないが、誰一人オレ自身の中には何も与えなかった。欲しいものは何一つ与えなかった。

 寂しいだとか、恋しいだとか、会いたいのにまだ会えないだとか、そんな複雑な感情は、イザベラがオレに植え付けた。人にしてくれた。

 小さな種は、干からびたオレの心ですらしっかりと根を張って芽吹いてしまった。


 会いたい。会いたい。会いたい。

 元気なのはわかる。オレを必要としてないことだってわかる。

 一人でこんなに素晴らしいものを書き上げているのだから。


 だからこそ会っちゃいけない。

 こんなオレのままじゃ会えない。

 何一つやり遂げたもののないオレでは、恥ずかしくてイザベラの前には立てない。


 セシリオが成人したら一緒にと、今にだって夢に思う。だけど、彼女は望んでない、そうはっきりと言ったではないか。



 最後の文字を印刷して、糸で縛る。イザベラそのもののような紙の束を、オレの紐で崩れないように縛り上げる。こんな風にイザベラの心をオレに縛り付けてしまえたらいいのに。そう思って、イザベラはオレに首輪をつけなかったなと空しく笑った。


 見本用の事典ができ上がった。


「ジャン、それをリッツォ伯爵家へ届けてくれ」

「オレがですか?」

「ああ、お前が届けて来い。初めての仕事だ。最後までやってみろ」


 突然の話に気まずく思いながら、オレはでき上がったばかりの本をもって、リッツォ伯爵家へ向かう。仕事なのだから仕方がない。


 裏口に顔を出せば、馴染みのメイド達が気さくに駆け寄って来た。


「久しぶりね」

「なにしてるの?」

「今は印刷屋で働いているんだ」

「意外ね」


 ニコニコと笑うメイドたちに取次ぎを願えば、すぐにイザベラの部屋に通された。


 イザベラはいつものように机の上で書き物をしている。

 変わらないガラスペン。菫色のインク。使い方のわからないカラクリ。


「久しぶりね……その、なんて呼んだらいいかしら?」


 イザベラはギクシャクとした笑いでオレを迎え入れた。少し怒ったふうで、顔も赤い。


「ジャンと」

「ジャン?」

「ええ、ジャンという名前にしました」

「……そう……」


 イザベラはそれを聞いて俯いてしまう。


「とてもいい名前だと言われました。『神は慈悲深い』という意味なんですね」

「そうよ、大切な名前なの」


 イザベラはオズオズと顔をあげた。目が合った瞬間に、また慌てて顔を下げて隠してしまう。


 久々なのだ。もっとよく見たいのに。


「百科事典の見本を持ってきました」


 言うや否や、イザベラは勢いよく顔を上げた。興奮した面持ちで、小走りで近寄ってくる。


「もうできたの? 早いのね! 見せてちょうだい!」


 嬉々とした瞳がキラキラと輝いている。

 奪い取るようにして中身を確認する。

 オレは戦々恐々だ。ダメだしされるかもしれない。


 紙の捲れる音だけが響く。ジワジワとイザベラの口角が上がっていく。こんなにニヤニヤとしたイザベラを見るのは初めてだ。そのことが新鮮で、なんだか目の奥が痛くなる。


「素敵ね……」


 イザベラがため息をついた。


「素敵だわ」


 もう一度噛みしめるように言う。


 ゆっくりと顔を上げて、今度は真っ直ぐにオレを見つめた。

 ずっと餓えていた。この黒い視線。深く深く何でも包み込んでしまうような奈落の黒。落ちてしまいたいとそう惑わされる、危うい瞳の色。


「……どうしてジャンが?」

「オレの初めての仕事です」


 そう答えると、イザベラはギュウとその本を抱きしめた。


「座って、ジャン」


 初めての日にも腰かけた、ソファーへ腰を掛ける。毎晩物語を読んでもらった、そのソファーに沈み込む。

 イザベラはローテーブルに本を置き、オレの横におずおずと腰を掛けた。

 そして長い息を吐き出すと、オレを見つめる。


「ありがとう」


 そう言って深々と頭を下げた。


「止めてください。顔を上げてください。お礼を言うのはオレの方だから」


 イザベラは不思議そうにオレを見た。


「たくさんのものをありがとうございました。この屋敷にいる間に、オレはたくさんのものをイザベラ様から頂いた」

「私は何も……」

「文字や数字を教えてくれた。それが今、オレを救っているんです」

「それは、あなたが持つべきだったものを返しただけなのよ」


 イザベラは困ったように笑った。


「だとしても」


 不器用な笑顔が懐かしくて、その白い頬へ手を伸ばしかけて止めた。爪の間にはインクが入り込んで、真っ黒に汚れている。綺麗に飼われていたあの頃に比べて、オレはずいぶんと汚らしくなったと、今になって気が付いた。

 汚れたズボンでこんな高級なソファーへ座るべきじゃなかった。


 慌てて立ち上がろうとするオレの手を、イザベラが取った。


「とても綺麗な手ね」


 そう言って、初めての日にオレがしたように、その手の甲に口づけた。


 あまりのことに言葉を失う。顔が紅くなる。溶けてしまいそうに顔が熱い。


 伺うようなイザベラと目が合って、息が止まる。


 オレの手を握ったイザベラの手を取り返して、小さな体を衝動的に引き寄せた。

 インクにまみれ、汗の匂いが染みついているシャツ。そんなオレの胸にイザベラは躊躇いなく引き寄せられる。


「良い匂いだわ」


 イザベラの声が胸に響いておかしくなる。


 人になっての初めての言葉。貴女に捧げるために大切にしてきた言葉。突き上げてくる胸の痛みが、今ならと喉を押し広げる。


 信じてくれなくても、いいんだ。


「好きです。好きでした、今もまだ」

「ええ」

「許されるなら」

「誰も咎めたりしないわ。神様は慈悲深いはずです」


 イザベラがクスクスと笑った。笑い事なんかじゃないのに。


 オレはイザベラの耳元に唇を押し当てた。


「もっと、ずっと、まだ、貴女を」


 背中に回ったイザベラの手が、オレの薄汚れたシャツを力強く握りしめる。


「好きでいてもいいですか?」


 続きを小さく囁けば、イザベラは小さな声で、私もいいの?と囁いた。



最後までお付き合いありがとうございました。


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