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 それから毎朝、オレはメイドと共にイザベラの部屋に行くようになった。イザベラも最初の一日以降は素直に従うようになった。

 多分、セシリオの言葉が何よりも効いたのだろう。黒い服をメイドたちに仕舞わせたのだ。そして代わりに、古い地味な服を出すように命じたので、オレがそれを奥にしまい、新しい服を入れた。

 セバスチャンは、イザベラの服を買うことには何も言わなかった。それどころか、少しずつオレへの当りも弱まってきているようだった。


 初めは明るいグレーから、ブルーグレーに変えて今は水色まで来た。茶色いワンピースは、ピンクベージュを通ってピンクまで。抵抗がないように、少しずつ色味を変えた。新しい服を見るたびに、セシリオは可愛いとイザベラを褒めた。セシリオに褒められれば、イザベラは喜んでそれを着た。



「今からセシリオと町へ行こうと思うの」


 昼過ぎ、イザベラが鏡の前に座って言うと、メイドたちが満面の笑みになった。


「それはようございます」

「だから、すこし……その」

「ええ、ええ、わかりましたわ」


 イザベラよりもメイドたちの方がウキウキと沸き立っている。

 なぜなら、イザベラは町へ出ないからだ。出ても家の林まで。それ以上は外へ出ない。いつも屋敷に引きこもり、領主の仕事や、子供向けの本を執筆、訳のわからない分解や実験らしきことをしている。

 オレがこの屋敷に来てからも、一度も町へ出かけるのを見たことはなかった。


 オレとメイドで町歩き用のドレスを選ぶ。

 いつもより少し派手でもかまわないだろう。上質だけれど仰々しくない軽やかなワンピースには、いつもは控えめなレースをふんだんに使った。家の林の中で好きだと言っていた菫の花柄のレースにしたのだ。いつかのために誂えておいてよかったと思う。


 イザベラはそれを見て目を見張った。初めて着るペパーミントグリーンのワンピース。怖気づいたように鏡の中の目を泳がせた。

 メイドたちは気が付かないふりをして、準備を進める。

 

「ねぇ、これは少し派手ではないかしら?」

「いいえ、お似合いです」


 メイドたちはきっぱりと答える。


「本当によく似合っていますよ、ご主人様」


 自信なさげなイザベラの後ろに立って、声をかければギっと睨まれた。

 セシリオとはずいぶんな態度の違いだ。


「またあなたが選んだの」

「そうです」

「どうしてこんな!」

「ご主人様に着て欲しかったからです」

「私に恥をかかせる気?」

「オレが選んだ服が似合わなかったことがありますか?」

「!」

「セシリオ様は毎回可愛いと褒めてくれるではありませんか」

「……でも、セシリオは、気を使って……」

「七つの子がそんな気を使うんですか? ご貴族様は」

「っ!」


 少し最後がトゲトゲしかったかもしれない。

 しかしイラついたのだ。俺が何度言っても拒絶するくせに、セシリオに言われればお世辞だと思いながらも喜ぶ、そんなのがムカついた。

 オレだって何度も何度も言っているのだ。それなのに、嘘だと決めつけられる。絶対に信じない。


「綺麗です。ご主人様。誰よりも」


 そう囁いて肩を抱けば、振り払われて部屋から逃げられた。

 メイドたちがクスクスと笑う。


「ジャン、それじゃ、うちのお嬢様は無理よ」

「なんでそんなに頑なんだよ、あの人」

「いろいろあるのよ、色々ね」


 古参のメイドたちは困ったように笑った。


「なにそれ」

「自分で聞きなさいな」

「オレになんか話してくれないよ。交合うためにオレを買ったくせに受け入れる気なんか全然ない」

「ジャンはお嬢様に受け入れて欲しいの?」


 そう問われて、ビックリした。


「……いや、そう言うわけじゃないけど。無理やりはシンドイし」


 モゴモゴと答えれば、メイドたちが優しい顔で笑った。


「ドンマイ!」


 って、え、オレなんか可哀想な子認定されてる? 嘘だろ? この町で一番の性奴隷なんだぜ?


「買われてきたのがジャンでよかったわ」


 メイドがそう俺の肩を叩いた。





 セシリオはイザベラの街行き姿をそれは盛大に褒めちぎった。それはそうだろう。初めのころのイザベラに比べれば、ペンペン草と菫ほどの違いがある。

 男だったら必ず褒めるはずだ。


 気分を良くしたイザベラは馬車に乗って町へ出かけた。オレもそれに付いていく。イザベラはセシリオにオレのことをなんと伝えているのだろうか、と不意に思った。セシリオはオレに話しかけることはない。


 久々に出た街は、にぎやかで明るくて懐かしい匂いに満ちていた。

 セシリオの目当ての店についた。看板には百科物屋と書いてある。窓際には天球儀が見えた。まるで、イザベラの寝室のようだ。

 セシリオは店につくなり駆け込んでいった。カランカランとドアのベルが鳴る。イザベラもそれに続く。


 薄暗い店の中は、武骨なものがいっぱいだった。時計、イザベラの寝室にもあった液体の入った長い筒にカラフルな丸いガラスが浮き沈みしているもの。ブリキの四角い胴乱、ビーカーにフラスコ、何かわからないけれどネジや歯車。

 セシリオは目をキラキラさせている。

 その様子をイザベラが微笑ましく見守っている。


「イザベラ様、店までお出ましとは……」


 店の店主らしき男が頭を下げた。


「セシリオも自分で選びたいと言い出しましたので」

「お坊ちゃまもそんなお年ですか。イザベラ様が初めてこちらに見えた時も、ほんの小さな頃でしたからね」

「懐かしいわね」


 なじみの店らしく、イザベラはリラックスしたように受け答えしていた。


「叔母さまは何色?」


 セシリオが、ブリキの入れ物を眺めながら尋ねた。


「私は白よ」

「白」

「あなたのお父様は黒でした。あなたは何色が好き?」

「緑色!」


 セシリオはイザベラのワンピースと同じ鮮やかな緑を指さした。


「素敵ね。では緑色にしましょう。名前を入れてくれる?」


 イザベラが言えば、百科物屋の店主はコクリと頷いた。


「僕のだ! 名前は白がいい!」


 セシリオが嬉しそうに笑うけれど、どう見ても七つの子供が欲しがるようなものには見えなかった。


「何ですか?」


 思わず問いかける。


「工具箱よ」

「……工具箱……」


 不思議に思えば、店主は笑った。


「アンタが不思議に思うのは無理もない。工具箱をこの年で買っていくのは伯爵家ぐらいなもんさ。代々リッツォ伯爵家は勤勉家で実験やら研究やら、そう言ったことが好きなお家柄らしい。しっかりセシリオ様にも同じ血が流れているようだ」


 まるで自分の孫でも自慢するように笑う。


 オレはイザベラを見た。


「そう言うことよ。リッツォ家は変人貴族と言われているの。現に叔父様は賢者として宮廷で働いているわ」


 変人貴族、だなんて言いながらも、その言葉は自慢げだった。


「新しいものも入っていますよ」


 店主がイザベラに話しかける。


「屋敷に持ち込めないと言っていたものを見たいわ」

「ならこちらです」


 店の主人とイザベラ、セシリオは楽しそうに一画で語り合っている。


 なにもわからないオレは、店の品物をまじまじと見ていた。土に埋まった大きな骨は何なのだろう。たくさんの歯車がサイズ別に分けられて詰まっている引き出し。色々な厚みの紙やインク。

 透明のガラスペンが綺麗で日に透かして見てみる。イザベラが持っているものと同じものだ。



「気に入ったのなら買ってあげましょう」


 突然背中から声がかかって驚いた。イザベラだった。いつになくごきげんだ。


「いや、字が書けないのでいりません」


 ペンなど買っても綴りが書けない。記号としての字はわかるが、文を綴ることはできない。わかるのは一般的な名前くらいだ。

 書けたとしても、手紙を書く相手なんかいない。


「だったら教えてあげるわ。ノートも買いましょう。字が書けないなら、絵でもいいわ。使わなくたっていいのよ。美しいでしょう?」


 初めて向けられた笑顔に、ドギマギと心臓が早鐘を打った。頭が上手く回らない。スマートなセリフ、女が喜ぶ返し方、そんな考えなくても口先からスラスラ出て来たのに、今は唇が震えるだけだ。



「叔母さま! 僕も!」


 セシリオが強請る。


「いいわよ。好きな色のインクを選びなさい」

「ありがとう」

「イニシャルを彫ってもらいましょうか?」

「うん!」


 セシリオがインクを選びに行く。


「ジャンも好きなインクを選びなさい。イニシャルはGでいいかしら」


 イザベラが屈託なく笑った。


 ジャンという名前は俺の名前じゃない。ここを去ったら捨てる名前だ。奴隷の証の名前だ。だからそんなのいらない、だから。


「イニシャルはIがいいです」

「I?」

「『私』と」

「……そうね、そうなさい」


 イザベラは頭がいい。みなまで問わずに理解してくれる。


 でも本当は違う。自分のものとして残すなら、イザベラ、その名前を刻もうと思った。


「インクはご主人様が選んで」


 セシリオには聞こえない声で言う。


「何色が一番綺麗に見えるかご存知でしょう?」

「わかったわ」


 イザベラはセシリオの横へ並んでインク壺を選び出した。

 荷物を包んで馬車へ届けてもらうことにして、百科物屋を後にした。

 次は本屋へ向かうのだ。百科物屋の店主から、本屋に新しい本が入ったと聞かされたからだ。本屋が屋敷に来るのは一週間ほど先で、それがイザベラには待てないらしかった。


 本屋に行けば、店主が笑顔で迎えてくれる。


「セシリオも好きな本を見てらっしゃい」


 イザベラが声をかければ、本屋の娘がセシリオを案内していった。


「こちらです」


 本屋の主人が新しい本をイザベラに見せる。


「『ワグナー国天文要覧』が出たのね!」

「はい。店頭には明日並びますが、イザベラ様には特別に」

「ありがとう!」


 満面の笑みで本を抱きしめるイザベラは、乙女の様に可愛らしい。


「関連書籍はこちらの棚になります」


 店主はイザベラを案内すると、スッと下がった。イザベラは周りの様子も気にならないほど集中して、本棚をあさっている。

 こんなに本が好きなのに、なぜ今まで本屋へ出向かなかったのか不思議なくらいだ。



「百億万年ぶりに下界に降りてこられたのですね。イザベラ」


 嫌味な声に振り向けば、そこにはスラリとした美しい青年がいた。社交界で見かけたことがある美丈夫。シニョリーア伯爵家の長男マルチェロだ。

 大理石の彫刻の様に白く美しい顔立ち。優し気になびくグレーの髪に、冷たさが際立つサファイヤの瞳。薄い唇は、優しく微笑みを浮かべているが、その視線は貴族と思えないほど感情をあらわにしている。


 イザベラは持っていた本をぎゅっと抱きしめ、俯いた。恐れるように一歩下がる。本を抱く指先が小刻みに震えている。


 マルチェロは、その青い瞳でイザベラを舐めるように見た。


「あなたも下界におりてくるときは、それなりの格好ができるようだ」


 鼻先で笑う様にいう。


「それとも、ソレのせいかな?」


 マルチェロはオレを品定めするようにジロジロと不躾に見る。

 オレが性奴隷だと知っているマルチェロは嘲笑うように言った。


「聖女になると言ったのは、やっぱり負け犬の遠吠えでしたか。素直になれば、僕が娶ってあげても良かったんですよ」


 俯き震えるイザベラの肩を抱いて、オレはマルチェロに向き合った。


「これはこれは、社交界で有名な貴公子様ではありませんか。こんなところで牙をむくとはなかなかに無様ですね。美しい我が主人を見て欲しくなったならそう言えばいい」

「なかなかの口をきくじゃないか。『アルベルト』」


 マルチェロはワザとオレを昔の名前で呼んだ。忌々しい。


「首輪がないからといって、身分が変わったわけじゃないんだぞ? 図に乗るな! イザベラのしつけが悪いなら僕が教えてやろう」


 腰の剣に手をかける。


「いいかげんにしてください。ここは本屋です」


 イザベラが静かに顔を上げた。

 唇が震えている。声も震えている。まなじりにはうっすらと透明の幕が張って、黒真珠の様に瞳が潤んでいる。

 恐怖に震えながらも、立ち向かおうとするその姿が煽情的だ。


 オレもマルチェロも多分同じ理由で、息を飲んだ。

 この瞳をもっと濡らしてみたいという加虐心が顔を出す。その反対にこれ以上傷付けてはいけないと理性が袖を引く。


 美しい、そう思わずにいられない。


「叔母さま? 本は見つかりましたか?」


 セシリオが屈託のない声で笑いかけた。

 その後ろで本屋の娘が不安そうにしている。きっと異変を察して、来てくれたのだ。


 マルチェロはセシリオににっこりと笑って見せた。


「久しぶりだね、セシリオ」

「こんにちは」


 セシリオはあっさりと挨拶をして、イザベラに駆け寄った。


「僕、欲しい本をたくさん見つけたの」

「まぁ、良かったわね」

「叔母さまは?」

「叔母さまも見つけました」


 イザベラはニッコリと笑って見せる。


「お包みしますね。少しこちらでお待ちください」


 本屋の娘がにっこりと笑い、ごく自然に応接セットへイザベラとセシリオを案内した。

 マルチェロはあからさまに舌打ちをする。

 それにイザベラは肩を震わせた。


「叔母さま?」


 セシリオがぎゅっとイザベラの手を握った。

 イザベラはセシリオの手を握り返して、小さく微笑んだ。






 その日の夜。オレはイザベラの部屋へ向かった。

 イザベラは三人掛けのソファーでランプの明かりをもとに、今日買った本を読んでいるようだった。オレはその隣にそっと腰掛ける。


「面白いですか?」


 オレを認めて顔を上げる。もう突然の来訪に驚かなくなっていた。その警戒心のない姿に、内心苦笑する。


「ええ! とっても! こちらの国よりとても天文学が進んでいるの。お互いに周りあう星があるんですって! 恋人の星と呼ばれていた星を観察していたらわかったそうよ。大空を光りながらダンスを踊っているようね」


 イザベラは、興奮したように話す。オレはポカンとしてしまった。

 イザベラはそれに気が付いて気まずそうにした。


「興味、ないわよね」

「オレは本が読めませんから」

「だったら、私が読んであげるわ。これから毎晩いらっしゃい。指環と剣の物語は、どなたかと舞台で見たことあるかしら? 本で読んでも面白いのよ」

 

 まるでセシリオに言うように笑いかける。他の誰かと舞台を見ても気にならないあたり、性奴隷どころか、男とすら思われていないらしい。


 性奴隷に毎晩部屋に来いと誘うことが、どういう意味か自覚していない。


 それが何だかムカついて、早急な言葉になる。


「今日のあの失礼な人はなんですか?」


 単刀直入に聞く。イザベラは顔を曇らせて、本に目を向けた。


「従兄のマルチェロ様です。小さな頃から、たまにこの屋敷に来るのよ。悪い方ではないと思うけど、少し私には耳の痛い話ばかりされるのよ」

「耳の痛い話? 今日みたいなこと?」


 今日の様子ではその逆に見えた。好きな子を虐めたい、そんなガキっぽいイジワルにしか見えなかった。


「ええ。昔から」

「昔何か言われたの?」

「ずっと昔のことを気にする私も大人げないのよ」

「なにを言われたの?」


 イザベラは本から顔を上げてオレを見た。


「話したくないわ」

「ねぇ……教えてよ。あなたを知りたいって言ったでしょう?」


 甘えるようにねだれば、どんな主人だって顔を赤く染めて……いや、やっぱりイザベラは違う。


「しつこいわよ」

「しつこいよ」


 食い下がれば、諦めたように笑う。ランプの明かりがイザベラの顔にチラチラと影を作る。


「デビュタントの日、マルチェロ様にエスコートをしていただいたの。私は嬉しかったのだけど、あの方にはご迷惑だったようで。パーティーなんて似合わない、来ない方がいいって」


 イザベラはギュッと唇を噛みしめた。


「本当のことよね。無様で似合わないって、気が付いていなかった真実を突きつけられて、自分が情けなくなっただけ」


 もしかしてそれが理由で社交界を避けているのだろうか。町へ行かなくなったのだろうか。デビュタントからだとしたら、ゆうに十年近くなる。

 彼女の花の時間は、そんな心ない言葉で奪われてしまったのか。


「そんなことありません。ご主人様は綺麗です」


 そう言えば、イザベラは困ったように笑った。


「嘘はいらない」


 本に目を落す。


 あんな男の言葉は真に受けるのに、オレの言葉は信じないのか。

 そう思うとやるせなくなる。


 付き合った時間の差? それとも身分が低いから?


「オレが信じられませんか?」

「そうではないけれど」

「性奴隷だから?」


 出会い方が違ったら、オレの身分が貴族だったら、イザベラはオレの言葉に耳を傾けたのだろうか。


「貴方は優しすぎるから、私の耳に甘い言葉をくれるのでしょう? それが仕事だもの」


 柔らかく微笑むのになぜか悲しい。


「信じたいことを信じて、裏切られたら悲しいわ。……神様も結局、お救いくださいませんでした」


 最後の言葉は固く本の上に落ちた。


「好きです」


 信じられないとわかっていても。


 イザベラは顔さえ上げない。


「あなたが好きです」

「ええ、知っていてよ、ジャン」


 口先だけで笑って微塵も信じていない。顔を赤らめることすらない。

 イザベラの顎にそっと指を添えて、少し強引にオレの目と合わせる。

 黒い瞳。宇宙のように深い色。その奥に輝く小さな星。


 ここまでしても、顔色が変わらない、何をされるかわかってない。


「貴女が、好きです。ご主人様としてではなく、貴女が好きです」


 自覚させるように言い聞かせる。わかって欲しい。伝わって欲しい。


 動揺したように、宇宙の中の星が揺らめく。

 ああやっぱり綺麗だ。手に入れたい。オレのものにしたい。こんな風に心をさざめかせる様を、誰にも見せたくなんかない。


「キスをしてもいいですか?」


 例えばそれが仮初でも。ただ性奴隷どうぐとして利用されるだけだとしても。それでも良いからこの人の初めての体験を奪いたい。


 ようやくイザベラは顔を赤らめた。


「い、イヤよ」

「どうして?」

「そんな必要ないわ」

「必要です」

「交合うだけでいいと言ったでしょう。嘘も慰めもいらないの。私が欲しいのは、交合ったという事実だけ、結果だけが残ればいいのよ」


 オレの思いも、オレとの想い出もいらないと拒絶するのか。


「目を閉じて」

「嫌だと言ったわ」

「結果が欲しいのでしょう? だったら、目を閉じて。こういう順番でするものだ」


 契約が終わったらオレは捨てられる。わかっているけれど、なにも無かったことになんてできない。

 貰った名前を失くしてしまっても、きっと忘れるなんてできない。


 自分では欲しがらないくせに、他人には当たり前のように与えてしまう。不器用なこの人を。


 イザベラは覚悟を決めたように、ギュッと目を閉じた。唇を噛みしめて、どう考えたってキスする覚悟なんかできていなくて。


 欲しがっているのは自分だけだと、まざまざと見せつけられて悲しくなる。



「好きです」


 もう一度呟いて、固く閉じた瞳に軽くキスをした。


「おやすみなさい。ご主人様、良い夢を」


 それだけ言って立ち上がり、オレは自分の部屋へ戻った。




 部屋に届けられたガラスペン。ペン置きも一緒に買ってくれたようで、そこには青い小鳥が付いていた。選んでくれたインクは、オレの瞳と同じ紫。添えられていたのは、真っ白なノートと辞書。


 なんであの人は。わからない。

 拒絶するなら、もっと手ひどく扱って欲しい。

 こんな風に、対等な人間みたいに扱わないで欲しい。

 そういうふうにされるから、オレが性奴隷どうぐでいられなくなる。

 一人前の男みたいに、あの人に受け入れて欲しいだなんて不相応の夢を見てしまう。

 


「馬鹿みたいだ……」


 呟いた言葉にランプが揺れた。



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